8月25日 研究所(3)
「どういうことだ」
いつでも銃を撃てるよう決闘に臨む西部劇のガンマンのような姿勢のまま、望は目の前の少年に尋ねた。
「まずは銃から手を離して。後ろにいる人達に怪しまれる」
望は少年の肩越しに通用口前にいる四人の男を見た。全員が銃で武装している。猟銃のような長い銃身の物が三丁、望と同じ自動拳銃が一丁。目の前の少年も回転式の拳銃を持っている。戦力比は五対一。この状況で望を騙し討ちする必要は無いように思えた。
「信じてくれ。俺は味方だ」
先ほど岡本に裏切られたばかりの望は素直に少年の言葉を信じる事はできなかった。だが、指示に従わなかったとしても蜂の巣にされるだけ。戦って音葉を助けられないまま死ぬか、生き残る可能性に賭けるか、望に選択肢は無かった。拳銃から手を離すと少年がほっと息をついた。
「ありがとう。君は冠木望で間違いないよな?」
「そうだ。お前は?」
「僕は枝野袈隕。ケインって呼んでくれ」
「音葉は、奥山音葉は無事なのか」
「ああ。このビルの二階にいる。今から案内するよ」
「……どうして俺に協力する?」
「理由は後で話すよ。まず、後ろにいる俺の仲間に怪しまれないようにビルに入ろう。俺について来て。何か聞かれたら上手いこと話を合わせて」
そう言うと、ケインと名乗った少年はくるりと望に背を向け、通用口に戻って行った。望もその後ろに着いてビルに移動する。
大きなビルとはアンバランスな扉一枚の小さな出入口の前には四人の男達がいた。周囲を警戒しているが、銃は下ろした状態だ。望の事は味方だと思っているらしく、特に注意は払われていない。ただ一人、リーダー格の男だけが訝しげな視線を向けて来た。
「枝野、そいつは誰だ? あまり見ない顔だが」
それを聞いたケインが少し意外そうな顔をする。
「あ、大貫さんはまだ会った事ありませんでしたっけ? 俺と一緒にこのグループに入った冠木ですよ」
「冠木? そう言えばそんな名前をどこかで聞いた気もする。それで、何をしていたんだ?」
「屋宜さんに言われて倉庫の様子を見に来ていたみたいです。そうだよな冠木?」
「ああ」
話を振られた望は、怪しまれないよう、口数少なく答えた。
「倉庫を? じゃあ、さっきの爆発音はそいつの仕業なのか?」
「あ、ええと、それは、どうだったけ冠木?」
ケインはそれ以上アドリブを続ける事ができなさそうだった。望は慎重に言葉を選びながらできるだけ自然な説明をしてみる。
「あれは外からの攻撃でした。入り口を攻撃したグレネードが倉庫にも命中したみたいです」
「グレネード? あの爆発はそういう武器なのか」
望の背中を冷たい汗が流れた。初手からミスをしてしまった。正門への攻撃がグレネードランチャーによると知っているのは望だけだ。しかし大貫の関心は別のところにあったらしく特に追求はされなかった。
「倉庫にはゾンビがいたはずだが、そいつらはどうなった?」
「爆発でシャッターが破壊されました。すぐにゾンビが外に出て来ると思います」
「それは困るな。俺達は脱出ルートを確保するために裏口に来たんだ。ここもゾンビに抑えられたら逃げ場が無くなるぞ」
ちょうどその時、倉庫のシャッターに開いた穴から一体のゾンビが出て来た。白衣を着た研究員だったらしいゾンビは望達を見つけるとゆっくりとした動作で近づいて来る。その背後から次々と新しいゾンビが姿を現す。何体かは倉庫内で起きた爆発で体の一部を損傷していたが、ゾンビとの戦闘経験の浅い大貫達にはその傷の意味はわからなかった。
「大貫さん、俺と冠木はこの事を屋宜さんに報告して来ます」
「わかった。俺達は予定通りここを守る」
「お願いします。行こう、冠木」
望は大貫達に軽く会釈し、ケインと通用口に入ろうとする。だが、後ろから「待て」も声をかけられる。正体がバレたのか、望は右手に持った銃に意識を集中しながら振り返る。
「枝野、冠木、中で誰かに会ったらこっち応援に来るように伝えてくれ。もう一階にゾンビは入り込んでる。気を付けろよ!」
「わかりました」とケインが返事をする。望は大貫にかけられた言葉に少し当惑しながらも小さく頷いてからケインと一緒に黒いビルに入った。
ケインと望の二人はビルの中の通路を小走りで進んで行く。望はあえてケインの少し後ろにいたが、ケインの方は望を信頼しているらしく、背中を取られていても不安がる様子がない。
(ここの人達、悪い奴らばかりじゃないのか)
施設にゾンビの群れを誘導してしまった事に罪悪感を覚えてしまい、望は大慌てでその感情を打ち消す。こいつら音葉を攫った悪人だ。下手に甘い考えを持てば自分の命を失なうだけでは無く、音葉も助けられなくなる。優先順位を間違えるな、そう自分に言い聞かせる。
「正門への攻撃、あれは君が一人でやったのかい?」
迷う望にケインが追い討ちをかけるよな質問をしてくる。
「……答える必要があるのか?」
「いいや、無理にとは言わないよ。君の仲間の数とかは隠しておいた方がいいもんな」
「悪いな。……でも、どうして俺を助けてくれたんだ?」
「そうするのが正しいと思ったんだ」
ケインはハッキリと、そしてどこか誇らしげに言い切った。
「自分の仲間を裏切ってもか?」
「仲間か。うん、確かに俺は屋宜さんや吉敷さんに命を救ってもらったよ。感謝もしてるし、みんなの役に立ちたいとも思ってる。でも女の子に無理やり乱暴するのは許せない。間違ってる。だから奥山さんや君に手を貸すんだ。君たちを逃したら、僕は屋宜さんの所に戻るよ。あ、待って!」
前方から二人組の男達がやってきた。手に銃を持ち、背中には大きな荷物を背負っていた。
「枝野か? ここで何をしてる」
二人の男は顔見知りのケインを見つけ足を止めた。
「屋宜さんを探してるんです。見ませんでしたか?」
「いや、俺達は見てない。隣の研究棟にいるんじゃないか」
「そうなんですね。そうだ、もし手が空いているなら裏口に行ってもらえませんか? 大貫さん達がゾンビと戦ってます」
「何だって? 宮道さんは裏口から脱出するって言ってたぞ。逃げ道が無くなるじゃねえか。仕方ねえ、俺達も行くぜ」
「お願いします」
二人組は望を気にする事もなく、裏口に向けて走って行った。なぜ誰も自分を気にしないのか、二人の姿が完全に消えた後、望はケインに疑問をぶつけた。
「なあ、どうして誰も俺のことを不審に思わないんだ?」
「それは簡単だよ。みんな君を知らないからさ。あ、この先が階段だから」
ケインが金属製の扉を開く。その先に階段があった。外部からの来客者が使うための物ではなく、非常階段を兼ねた階段で、窓がなく、電気も通っておらず真っ暗だった。だご、センサーライトがいくつも設置されており、ケインが一歩前に踏み出すと二人を出迎えるように手前から階段の上へ次々とライトが点灯していった。二人は足元だけを照らされた階段をゆっくりと登る。
「俺を知らないって、当たり前だよな。普通、知らないやつがいたら警戒するんじゃないのか?」
「ここにいる人達はみんなほぼ初対面なんだ。この一週間くらいでメンバーが一気に五十に近くまで増えて。俺もここに来てまだ四日目。リーダーの屋宜さんの近くにいるから顔を覚えられてるけどさ」
ケインと望は階段の踊り場で折り返し二階を目指す。
「それに、ここでは三交代制で二十四時間の見張りをしているんだ。だから、まだ顔を合わせた事のないメンバーがたくさんいる」
「そういうことか」
ゴルフ場にいた七人以外なら仲間でごまかせる、望にとって嬉しい情報だった。
二階に辿り着き、再びケインが扉を開ける。
「よし、誰もいない。二階は隣の研究棟と倉庫に渡り廊下でつながっているから人通りが多い。ここから先は少し後ろを距離を置いて着いて来て」
「ここに音葉が?」
「ああ、奥の仮眠室にいる。急ごう」
ケインは望の前方二メートルくらいを進み始めた。簡単に背中から撃てる状況だったが、望は銃を向ける気にはもうならなかった。
建物は妙に複雑な作りをしており、狭い廊下が迷路のように配置され、所々に小部屋があった。二人は何度も廊下の角を曲がりながら仮眠室を目指す。
「奥山さんはあの十字路の先だよ」
ケインが十字路に入ってた時、突然誰かが声をかけてきた。
「枝野君、そこにいましたか」
「屋宜さん!? ここにいたんですか」
望は慌てて近くの小部屋に身を隠す。音を立てないように扉を閉め、聞き耳を立てて外の様子を伺った。廊下からはケインが他の男達と話す声が聞こえてくる。
「どうしてここに。君は大貫君達と一緒に通用口の確保に行ったはずでは?」
屋宜の声の後ろに複数の人間の気配がする。他にも三、四人はいそうだ。
「あ、えっと、屋宜さんを探しに研究棟に行こうとしてたんです。倉庫が、外の倉庫のシャッターが壊されました。中のゾンビが出て来て大変な事になっています」
「やれやれ、正門の次は、次は倉庫もですか。しかし、敵の意図が今一つわかりませんね。ゾンビと我々を同士討ちさせたいのでしょうか?」
「堺さんよ、あんたは元自衛隊だろ? この状況を説明しろや」
別の男の声がした。望の背筋に冷たいものが走る。ゴルフ場にいた吉敷の声だ。
「あの、自衛官といっても、僕は空自で電子装備関係の整備員なんです」
少し気弱そうな男の声がした。堺と呼ばれた男の声だろう。
「こういうのは陸自さんの担当で僕にはちょっと……吉敷さん、睨まないでくださいって。知らないものは知らないんですから」
「おいおい、お前は調達も警備もしないで研究棟に籠りっぱなしだったろ? 少しは役に立てや」
「そう言われても」
「あん?」
「まあまあ、推測でもいいですから」
吉敷が怒鳴り、屋宜が堺に助け舟を出す。
「うーん、これは警告かもしれませんね」
「というと?」
「最初に正門を攻撃した時点で相手は素人じゃないって自分からバラしてますよね。山なりに飛んでくる爆発物や発煙弾、多分、迫撃砲やグレネードの類です。民間人や一般の警察レベルが保有している装備じゃないです」
「あ、宮道さんもそう言ってました。軍隊レベルの装備だって」
ここで枝野が会話に加わった。堺が「そうそう」と話を繋ぐ。
「それだけの装備があるのに、わざわざ正門とゾンビがいる倉庫だけを破壊したのは、僕達を直接殺すつもりは無さそうです。なら、お前達を監視している、これ以上余計な事をするなという警告なんじゃないでしょうか」
「なるほど。であれば、我々が施設から逃げ出しても攻撃はされないということですか」
「多分、ですが」
「単に攻め手の人数が少ないからじゃねえのか? 俺達の方が数が多いからわざわざゾンビを連れて来たんだろ? 外に出た瞬間、狙撃とか嫌だぜ」
吉敷が口を挟む。
「うーん、もし敵の狙いが僕達や屋宜さんの命なら、最初から研究所の外で待ち伏せすれば事足りますよね。そもそもここはウイルスの研究所の一つだったわけで、最初からシェルターの人達の監視対象だったと思いますよ? 倉庫にゾンビがいる事まで知っていたんですから、屋宜さんが定期的に外に出ている事も知っているでしょうし。そこを狙わず、わざわざ墜落現場から帰ってきた直後に攻撃してきたんです、やっぱり警告だと思いますよ」
「最初から見張られていた、ですか。面白くないですね……。私達が回収したヘリのコンピュータを奪還しに来た可能性はありませんか?」
「これですか? これはもう役に立ちません。ヘリから外した際に安全装置が起動して中のデータは全部消えていましたから。きちんとした設備で手順通りに外さないと機密保持のためにデータを消去する仕組みがあったみたいですね」
「そうですか。他に彼らが来る要素は......そう言えば、吉敷さんが誘拐してきた女の子はどうなりました? 彼女が思いの外重要人物だった可能性は?」
「彼女はゾンビになりました!」
勢いよく、枝野が答える。
「本当ですか? 車から降ろした時は元気に見えましたが」
「そいつの言ってる事は本当ですぜ。腕をがっつり噛まれてました。俺達が見た時は、もう片腕がゾンビ化してましたよ」
「それは、興味深いですね。普通、ゾンビ化の最中は高熱で意識が朦朧としているはずなのに。新しいタイプのゾンビかもしれませんね」
「屋宜さん、今は脱出を優先しましょうぜ」
吉敷の言葉に望は肩の力を抜いた。彼らが音葉の所に行った場合、戦う覚悟でいたのだがその必要は無さそうだ。
「屋宜さん、俺も吉敷さんに賛成です。一階はゾンビだらけで、裏口付近にも来てます。急がないと外にすら出れなくなります」
枝野も必死に屋宜達をここから移動させようとしてくれている。
「わかりました。まずは脱出ですね。急ぎましょう」
十字路付近にいた男達は望が隠れている部屋の前を通りすぎ、階段の方へ走って行った。足音が完全に消えてから、望はゆっくりと外に出る。左右を見渡しても誰もいない。耳を澄ませるが、遠くから散発的に銃声が聞こえる以外、近くには誰もいないようだった。
「ケイン、だったな。ありがとな」
望は既にいなくなったケインに感謝の言葉を告げ、建物の奥に向かって進んだ。
廊下を進むと、やがて目の前に一つの部屋が見えた。扉には「第二仮眠室」とプレートが貼られている。望は体当たりする勢いでドアノブを掴んだ。だが、すぐに回すことができない。音葉が連れ去られてから四時間近くが経過している。その間に彼女がどんな目に遭っていたのか。
「いや……迷ってる暇は無い」
望は扉を押し開けた。同時に、琥珀色をした何かが飛んでくる。
「うおっ?」
慌てて体をそらすと、琥珀色をした何かは開かれた扉にぶつかり、甲高い音を立てて砕けた。どうやらウスキーの瓶だったようだ。ガラス片が辺りに散らばり、床に広がった琥珀色の液体からの強いアルコール臭する。
「えっ、まさか望?」
望は足元から顔を上げた。十二畳ほどの和室、その壁側に音葉がいた。目を大きく見開き、望の登場に驚いている。
「おと......くっ‼︎」
その姿を見た望は絶句した。
音葉は素肌にシーツを巻き付けただけの格好だった。髪は乱れ、頬には殴られた跡がある。床に敷かれた布団の上には音葉が着ていた服の残骸が、グラビア誌やビールの空き缶の間に散らばっていた。ここで何が行われていたのか想像もしたくない。
望は靴を履いたまま部屋の中に駆け込み、音葉の身体を抱きしめた。
「ちょっと、望?」
「ごめん。遅くなって、本当にごめん」
「望が謝る事なんてないですよ。あなたは来てくれたじゃないですか。こんなに早くて助けに来てくれるなんて思っていませんでした。ありがとうございます」
音葉は自分を抱きしめたまま泣きそうになっている望の背中をぽんと軽く叩く。
「私は大丈夫ですから。今は、早くここから出ましょう。これを何とかしてくれますか?」
そう言って音葉は自分の左手に嵌められた手錠を持ち上げた。手錠と壁に固定されたオイルヒーターを繋ぐ鎖がじゃらっと音を立てる。
「あいつら、こんな物まで!」
「そうなんです。おかげで逃げられないんですよ」
音葉は鎖を二、三度引いて見せる。鎖はしっかりとオイルヒーターに固定されており外れる気配はない。しかし、望は戸惑っていた。ひどい事をされたはずなのに、音葉にはそんな様子が一切無い。望が思っているほど音葉には精神的なダメージが無かったのか、あるいはあまりにもひどい現実を直視できず意図的に忘れたふりをしているのかもしれない。
「音葉、本当に大丈夫か?」
「はい。大丈夫ですよ。それより、今は手錠を」
「あ、ああ。そうだな。鍵はないの?」
「それが見当たらないんです。鎖を切れるような道具もないし」
「じゃあ、これを使う」
望は拳銃を持って、壁際のオイルヒーターに移動した。
「破片が飛び散るかもしれないから気をつけて」
パイプに巻き付いた鎖に銃口を向けた時、部屋の入り口でガラスが砕ける音がした。誰かが落ちていたウィスキーの瓶の破片を踏んだのだ。壁のオイルヒーターに視線を向けていた望と音葉の二人はぱっと後ろを振り返る。
「やっぱりな。こんなこったろうと思ったぜ」
そこに一人の男がいた。細身で爬虫類のような冷たい目をした男、ゴルフ場で一瞬で望を倒した男、吉敷だ。吉敷は憎しみの籠もった目で望と音葉を見た。
「岡本さんの話を聞いてまさかと思ったけどよ、本当に生きていたんだな」
吉敷が一歩、和室に踏み入れる。
望は拳銃を向けたが少しも怯む様子は無い。
「よくもやってくれたよな。おかげで研究所は滅茶苦茶だぜ。せっかく集めた仲間が大勢死んだ。きっちりと仇は討たせてもらうぜ」
吉敷は腰のホルスターから伸縮式の警棒を抜き放つと勢いよく展開させた。
2020年5月12日 最後の行「縮小式の警棒抜」→「伸縮式の警棒を抜」




