8月25日 研究所(2)
正面に大きな倉庫と黒いビルが並んでいる。衛星写真から得た情報では、研究所の建物は三つありエル字型に配置されている。目の前に倉庫と黒いビル、その二つの建物の間から黒いビルの向こう側にある白い建物がちらりと見えた。望がいるのは倉庫と黒いビルの裏側だった。倉庫にはトラックが入れそうな大きな搬入口がありシャッターが下りている。その横にある小さな出入り口にはチェーンが巻かれていた。黒いビルにはごく普通のマンションのドアのような通用口がある。
望は黒いビルの通用口を目指して走しりながら、倉庫とビルの間から、黒いビルの正面の様子を確認した。正面のエントランスにゾンビが押し寄せており、研究所の男達が開けっぱなしになった自動ドアの中から応戦していた。男達は二十人近くいて、激しい銃撃を押し寄せるゾンビの群れに浴びせている。
黒いビルのエントランス前で望が放った軽トラックが炎上していた。トラックは障害物となって銃撃の邪魔をするだけでなく、その横を通過したゾンビ達に炎を燃え移らせていた。炎上したゾンビは他のゾンビよりも倒されるのに時間がかかっているようだった。上半身を包む炎のため、正確に頭部が狙えないらしい。炎上ゾンビ達は身体に銃弾を受けながらも何度も立ち上がり、隣のゾンビに炎を燃え移らせながらエントランスに突入していった。さすがに至近距離になると男達の銃撃が頭部に命中するようになったが、倒れたゾンビの炎が既に床に転がっていた別のゾンビの死体に燃え移り、エントランスを煙で包んだ。ビルのロビーでベンチを盾に防戦していた男達は煙と炎を避けるために屋内に後退する。
「思ったよりも脆い。あれだけの人数がいるのに」
あっという間に全滅すると思ったゾンビが思いの外善戦している。これでは音葉を救出する前にゾンビがビルを占拠してしまうかもしれない。望は大慌てで黒いビルの通用口に向かった。
通用口は普通の金属製の扉で、ノブを回してみたが施錠されている。銃で鍵を破壊しようと思った時、中から足音が聞こえてきた。望は扉の蝶番側の壁に体をつけると、小銃を構えた。足音が大きくなり話声も聞こえてくる。
「岡本さん、俺は頭を怪我をしてるんですよ。医務室に行かせてくださいよ」
「だから宮道さんは俺達を前線じゃなくて裏口の警備に回したんだろ。今は戦闘中だぞ? 軽い怪我で医務室に行けるか。ゾンビを撃退したら十分休め」
「きついなあ。こっちにはゾンビ、来てないといいんですけど」
ガチャガチャと音がして内側から鍵が解除される。金属製の扉がゆっくりと開き、中から額に布を巻いた男が恐る恐る顔を出す。扉の影に隠れている望にはまだ気がついていない。男は周囲にゾンビがいない事を確認するとほっと息をつき、無防備に外に出て周囲を見渡した。
「大丈夫です。この辺にはまだ……あれ?」
男が扉の影に隠れ銃を構えていた望を見つけた。男は何かを叫ぼうとしたが、それよりも早く望は小銃をバット様にフルスイングし、男の顎を打ち上げた。額を負傷していた男は言葉を発しようと開いた口で舌を切り、くぐもった悲鳴を上げながら後ろに倒れ、頭を強くぶつけ気絶する。
「おい、どうした!」
建物の中に残っていた別の男が猟銃を構えて外に出て来た。ゾンビを警戒していた男は銃を持った人間がいるとは思っておらず、望の姿を見て唖然とした。その混乱をつき、望は小銃を突きつける。その男の顔に、望は見覚えがあった。ゴルフ場にいた岡本という男だ。
「動くな!」
引き金に指をかけながら望は岡本に言った。
尋ねられた岡本は足元に倒れた仲間と望が持った小銃を見てすぐに状況を把握する。
「お前、もしかしてゴルフ場にいた? 驚いたな。生きていたのか。正門の攻撃はお前の仕業か?」
「動くなって言ってる。銃を捨てて、両手を上げて後ろを向け」
「……わかった。撃つなよ」
岡本は背負っていた猟銃をゆっくりと床に置くと両手を上げ望に背中を見せた。
「音葉はどこだ」
「音葉? ああ、ゴルフ場で吉敷が拾った女か」
岡本は望に背中を向けながら周囲を窺っていた。望の仲間が近くに潜んでいると思っているようだ。
「あの女を助けにきたのか。大したもんだな。仲間は何人だ?」
「もう一度聞くぞ。音葉はどこだ。このビルにいるのか!?」
「……屋宜さんの言っていたシェルターの連中の力を借りたのか。そういえばお前も関係者だったな」
「余計な事は話すな。音葉は、お前たちが連れて行った女の子はどこにいる。次で話さなければ撃つ」
望は銃口で岡本の背中を小突いた。
「わかった、わかった。あの子は……吉敷達が倉庫に連れて行ったよ」
「倉庫?」
「そこの建物だ」
そう言って岡本は顎で黒い建物の隣にある倉庫を指した。
望もそちらの方向をちらりと見る。見える範囲の入り口は全て閉ざされているようだった。
「どうやって中に入る」
「二階からだ。ほら、倉庫の外側に階段があるだろ。あれを登って本棟から続く渡り廊下に入るんだ。そこから中に入れる」
岡本の言う通り、倉庫の外側には非常階段が設置されており、本棟と呼ばれた黒い建物と倉庫を繋ぐ空中廊下の出口につながっていた。そこから倉庫の二階部分に入れるらしい。
「案内しろ。下手な動きをしたら撃つ」
「いいぜ。着いてこい」
岡本は両手を上げたまま、倉庫に向かって歩き出した。望はその背中に銃を突きつけながら後ろに着いて行く。
二人が倉庫の非常階段を登っている時、本棟のロビーからガラスが割れる大きな音がした。見ると、ロビーのガラス張りの壁が音を立てながら崩れ落ちるところだった。
「誰かが間違えてガラス壁を撃ったらしいな。だからロビーに立て篭るのは止めた方が良かったんだ」
「余計な事を話すなと言っただろ。黙って先に進め」
「ああ、わかってるよ」
階段を登り切ると、アルミ製の引き戸がある。望が「開けろ」と命令すると岡本が手を下ろして引き戸を開けた。カビとチーズの腐敗臭が混ざったような空気が外に流れてくる。明らかに生きた人間がいる雰囲気では無かった。
「なっ、本当に音葉はここにいるのか!?」
望は銃を岡本の背中に押し付けた。指が震え、今にも引き金を引きそうになる。
「あのお嬢ちゃん、相当吉敷に可愛がられていたからな。もしかしたら死んでゾンビになったんじゃないか?」
「くっ、音葉に何かあったらお前らを許さないからな」
「まあ、自分の目で確かめるんだな」
岡本が一歩、倉庫に入り、望もそれに続く。倉庫は元々は何かの整備場だったらしく、天井には大型のクレーン、二階部分には体育館の立ち見用ギャラリーの様に壁に沿って張り出した廊下がぐるりと一周していた。今はスペースの半分くらいに大型の棚があり、木箱や段ボールが置かれている。開けたスペースには運搬用らしいフォークリフトもあった。二階の非常階段口のすぐ近くに階段があり、一階に降りる事ができそうだった。
倉庫の中は薄暗く、二階部分の床が邪魔をして望の位置からでは一階の様子は半分も見えなかった。何かが動く気配は感じるが、棚の影に隠れており見えない。
「ほら、嬢ちゃんはあそこにいるぞ」
岡本の視線の先、一階の棚の影に髪の長い女性の影があった。
「音葉!」
望は岡本の存在を忘れ、階段に向かって駆け出した。だが、突然肩にかけていた小銃の背負紐が引っ張られる。小銃を奪われると気がついた望は両手に力を込めるが、岡本はぱっと手を離すと鋭い足払いを放った。予想外の攻撃に望の足が床から離れ、背中から叩きつけられる。頭も打つかと思ったが無事だった。受け身が取れたのではなく、肩から上が階段に乗り出し床の無い部分に落ちたらしい。
「この!」
望は岡本に向けて引き金を引いたが、強烈な反動で狙いをつけることもままならず倉庫の屋根にいくつかの穴を開けただけだった。まだ銃口から煙をだしている銃を岡本が躊躇なく両手で掴み、捻り上げながら望から奪い取る。
「いい銃だな」
岡本は奪った銃をくるりと回転させ、望に向けた。だが引き金は引かず、銃を槍の様に扱いで望の鳩尾を突いた。
「ぐっ」
さらに岡本は望の足を掴み持ち上げると、望の身体を二階から落とした。望は階段に手をつき転がり落ちるのを防ごうとしたが、腕も身体も宙を掴むだけだった。そこに階段は無かった。男達が何日も前にある目的のために取り外していたのだ。望はそのまま一階に落下し、何か柔らかい物にぶつかった。岡本が銃を向けながら顔を出す。
「島田の上に落ちたのか。島田、せめてもの手向だ。そいつの肉でも食うんだな」
「この、待てっ」
望は腹と背中の痛みのためすぐに起き上がる事ができない。その間に岡本の姿は消えてしまった。
何か冷たい物が望の腕を掴んだ。望がクッションにしたのはかつての人間だった。つい先ほど、ゾンビになったばかりのようで、その肌の一部には血色が残っていた。それは岡本と一緒にゴルフ場に来ていた島田という男のなれ果てだったが、望はそれを認識する事もなく、腰のナイフを抜いてゾンビの頭部に突き立てた。ゾンビ化したばかりの島田は立ち上がる事すらできずそのまま動かなくなった。
「クソ、音葉!!」
身体を起こし髪の長い人影を探す。それはすぐに見つかった。二十代くらいの女性のゾンビで、ロングスカートにシャツ、首からは社員証を下げている。その皮膚はずいぶん昔に白くなったようで、半分干からびていた。
「違う……音葉じゃない。でもなんで倉庫の中にゾンビが」
女性のゾンビだけでは無い。倉庫内には他にもゾンビがいた。紺色の警備員の制服を着たゾンビ、白い白衣を着たゾンビ、スーツ姿のゾンビ、いずれもこの施設の職員だったらしい。数は全部で五十体ほどで、倉庫の中をあてもなく彷徨っている。
「音葉! いるのか!!」
望は大声で叫んだが、他に人間がいる気配は無い。一見したところ、音葉らしいゾンビも見当たらなかった。望はほっとしたが、大声を出した事でゾンビ達の生気のない視線が、一斉に望に注がれる。
望は近くにあった棚に身を隠した。それからゴルフ場でもらった自動拳銃を抜く。ゴルフ場を出た時、拳銃用の弾丸は数十発あった。だがゾンビを集める際に半分近くを使用したため、残った弾丸は銃の中の五発と未使用弾倉一本の九発、合計で十四発しかない。西山の死体から拾った回転式の拳銃にも五発の弾丸が入っているが、合わせても二十に届かない。五十近いゾンビ相手では全弾を頭部に命中させても足りない。
望は迫りくるゾンビの気配を感じながら、リュックサックをひっくり返し持っている武器を全て床に出した。小銃の弾倉が六つ。これは銃を奪われたのでもう役に立たない。拳銃の弾倉が一つ、そして手榴弾が三つだ。手榴弾を使えばゾンビを一気に倒せそうだ。だが、向こう側が見えるオープンな棚以外に身を隠す場所が無い。最悪の場合、手榴弾の爆発でゾンビと共倒れになる可能性もあった。
「いや、迷っている時間は無い。俺が音葉を助けに来た事がバレたんだ。早くしないと」
望は手榴弾の安全ピンを全て抜くと、一呼吸置いてから、一発目と二発目を開けたスペースにいるゾンビの群れに、三発目をシャッターで閉じられた倉庫の搬入口に向けて投げ、一番頑丈そうな木箱に身を隠した。数秒後、倉庫内で大爆発が起こった。様々な物が屋内を飛び交い、壁や天井にぶつかる。望の近くにもゾンビの物らしい真っ白になった腕が一本、転がってきた。
爆発が収まった後、望は自分の身体に異常が無い事を確認すると木箱の影から顔を出して倉庫内の様子を伺った。搬入口のシャッターには大きな穴が開いている。そこから外に出れそうだ。倉庫の開けた部分にいたゾンビ達の多くは爆発でなぎ倒され、損傷を負っていた。だが頭部を破壊できたのは数体だ。ほとんどは立ち上がろうと床の上でのたうち回っている。一体のゾンビは爆発で吹き飛ばされフォークリフトのフォークに串刺しになっていたが、両手両足をばたつかせている。さらに棚の間から爆発の影響を受けなかったゾンビが姿を現した。早く倉庫から出なければいずれゾンビに囲まれるだろう。
望は木箱の影から飛び出し、シャッターに向かって駆け出した。進路上にはゾンビが何体もいたが拳銃で胴体を撃ち、道を開く。軍用の強力な九ミリ弾が命中したゾンビはその衝撃で吹き飛ばされて床に倒れた。銃に残っていた五発を全て使い切った所でシャッターに辿り着き、爆発で開いた穴から外に飛び出す。
倉庫の外に出ると、黒いビルから聞こえてくる銃声はかなり散発的になっていた。代わりに表の駐車場にいるらしい大量のゾンビの呻き声が倉庫の裏手側にいる望まで聞こえてくる。
「早く音葉を助けに行かないと。くそっ、どこにいるんだ」
望はもう一度黒い建物の通用口に向かう。建物の中に入り、最初に見つけた男を拷問してでも音葉の居場所を吐かせる、そう思いながら拳銃を強く握りしめる。だが、望が通用口に到着する前に、建物から男達が五人ほど出てきた。全員が銃を持っており、自分達に近づく望を見つけて驚く。
「しまった‼︎」
焦りすぎた、と望は後悔した。爆発を聞いて誰かが様子を見にくる事は容易に予想できたはずだ。倉庫から出た後、一旦壁側に戻り生垣に隠れるべきだった。だが、今は身を隠す場所はなく、五人の男達は最初から倉庫を目指していたようで全員が望の方を見ている。彼らは銃を持った望を見て、臨戦態勢に入ろうとした。せめて先制攻撃で一人でも数を減らす、そう思い銃を構えようとした時、男達の中から一人の少年が出てきて望の名前を呼んだ。
「冠木、そこにいたんだ。探したよ!」
まるで友人に話しかける様な気楽な声だった。少年の様子を見て、他の四人の男達は緊張を解く。望は状況を飲み込めず、その場で足を止めると少年が駆けて来た。少年は男達の視線を遮る様に望の前に立つと、二人にしか聞こえない声でささやいた。
「君、冠木望だろ? 奥山さんが待ってる。俺と来てくれ」
突然の言葉に望は目を丸くした。




