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幕間7 奥山音葉の受難

 奥山音葉は車のトランクに閉じ込められていた。

 両手両足の自由は奪われ、猿轡を噛ませられているため声も出せない。トランク内は暗く、唯一の光は車体のわずかな隙間から漏れてくる光だけ。こんな状態がずっと続いている。


 ゴルフ場で望が吉敷という細身の男に倒された後、音葉もあっさりと制圧されてしまった。警備員の吉敷は逮捕術を身につけており、ナイフで切り掛かった音葉の腕をさくっと捻り上げ、気がついた時には地面に押し倒されていた。その後、口にタオル、腕と足をロープで縛られた後、宮道という体格の良い男に担がれ車のトランクに押し込まれた。トランクの中は蒸し暑く、靴と、手袋をしたままの右手が蒸れたがどうしようもない。


 音葉を乗せた車はどこかの道路を進んでいた。閉じ込められた当初、音葉はサナギを破ろうとする芋虫のようにトランクのドアを叩いたり、押したりしてみたがピクリとも動かなかった。力づくで脱出する事が難しいとすぐに分かり、体力を温存するため大人しくしている事にする。

 外から聞こえてくるエンジン音は、音葉が乗っている車以外にも三つあるようだった。ゴルフ場の外で仲間の車と合流したらしい。ゴルフ場を出た男達はすぐアジトには戻らずどこかで一度停車した。わずかに聞こえた会話から、食糧の調達をしにいくらしい。十分程経った後、遠くで複数の銃声がした。車の近くにいたらしい宮道という男が叫びながら大きな足音を立ててどこかに走っていった。やがて、男達が車に戻って来る。


 「食料は十分……」

 「島田が……」

 「とりあえずワクチンを……」


 男達は車から離れた位置で会話をしており、断片的な内容だけが聞こえてくる。

しばらくして再び車が動き出し、一時間程走った後に停車した。外から人の声が聞こえ、ガラガラと学校の校門を開く様な音がし、再び車が動き出す。今度はほんの数十秒で停車し、男達が一斉に車のドアを開ける音がした。人の気配が増え、屋宜というリーダー格の男の声がする


 「食料はオフィス棟の一階に動かしてください。薬品は研究棟の方に」


 「へい」とか「はい」といった声がする。どうやら、アジトにいた屋宜の仲間が車の周りに集まり荷下ろしをしているらしい。


 「屋宜さん、ゾンビに噛まれた島田はどうしますか?」


 聞き覚えのある声だ。確か、岡本という猟銃を持っていた男だ。


 「意識は戻りましたか?」

 「……ダメです。ゾンビ化も進んでいます。もう傷口が真っ白です」

 「そうですか。やはり断片的に残っていたデータで作ったワクチンでは効果は期待できないですね。島田さんはいずれゾンビになります。残念ですが、倉庫に閉じ込めておいてください」

 「屋宜さん、何も施設の中に置いておく必要はねえんじゃねえですか?」


 品のない声がする。望を倒した吉敷という男の声だ。


 「さっさと頭を壊して外に捨てましょうぜ?」

 「一応、島田くんも我々の仲間だ。将来ワクチンの開発に成功したら人間に戻れるかもしれない。倉庫に閉じ込めておくだけにしましょう」

 「そうっすか? どうもゾンビが同じ敷地内にいるってだけで寝つきが悪くなるんですよ」

 「倉庫の鍵は施錠してあるし、階段も落としてある。問題は無いはずだ。岡本君、島田くんがゾンビとして覚醒する前に倉庫に落としておいてくれ」

 「わかりました」


 車の外では荷下ろしの音が続いていた。音葉の扱いは最後のようだ。車のエンジン音の無いトランクの中は暗く静かで、両手両足を縛られた状況でなければ昼寝ができそうだった。だが男達に拐われた状況では銃殺刑を待つ死刑囚の気分だ。


 (望は無事なのかな)


 望は吉敷の肘打ちを後頭部に受けて地面に倒れた。当たり所が悪ければ命を落としているかもしれない。気絶しただけだとしても、二十体前後のゾンビが近づいていた。越後という老人の意識はあったが、足を怪我して動けない老人では望を連れて逃げる事はできないし、素手でゾンビを倒せるとも思えない。だが音葉は望の生存を諦めてはいなかった。ゾンビの群れに赤目や動きの速い個体は見当たらなかった。ゾンビに襲われる直前でいい。望が意識さえ取り戻せば、あの場から逃げ出すことは難しくない。


 (大丈夫。望はきっと生きている。だから、今は私がここから逃げる方法を見つけるのが先)


 音葉は車のトランクが開くのを待った。両手と両足を縛られた状態では、走って逃げ出す事はできない。だが目は塞がれていない。これからどうなるにせよ、外の情報はできるだけ多い方がいい。自分に降りかかる苦難については考えたくなかった。その事を考えると心が押し潰されそうになる。

 初めてゾンビと相対した時とは異なる恐怖に体が芯から震えた。まぶたをぎゅっと閉じ、無理やり深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着けようとする。 


(ゾンビに囲まれた時の方が百倍はマシだった)


 少なくとも、ゾンビに負けても命を失うだけだ。心までは殺されない。


 「望……早く助けにきてよ」


 音葉は真っ暗なトランクの中でここにはいない少年に助けを求めた。


 やがて、男達が車に戻ってきた。外がガヤガヤと騒がしくなり、トランクが開かれる。突然飛び込んできた大量の光に、音葉は思わず顔を背けた。


 「まさか死んじゃいねえよな?」


 薄雲の空を背景に、ゴルフ場にいた吉敷という男がにゅっと顔を出した。そげた頰には無精髭が生え、爬虫類の様な冷たく大きな目玉が音葉に向けられた。音葉はせめてもの抵抗で男を睨み返した。


 「怖い怖い、睨み殺されそうだ」

 「おい、それが噂の女か?」


 吉敷の後ろから男達が現れる。人数は五人。ゴルフ場で見かけた高校生くらいの少年以外は見た事のない顔だ。少年はなぜか心配そうに音葉を見ていたが、他の四人は口をだらしなく開き、ニタニタと笑っている。


 「なんだ、ガキじゃないか」

 「いや、JKだよJK。ある意味ラッキーじゃねえか」

 「生きた女だ! へへっ、もう一年くらい見てなかった気がするぜ」


 男達は好き勝手な事を言いながらトランク上から音葉を覗き込む。金魚掬いの金魚になった気分だ。男達は獲物を見る様に遠慮なく目で音葉の体を舐め回した。


 (最悪!)


 猿轡を噛まされていなければ怒鳴りつけてやりたかった。もし手にナイフを持っていたなら、間違いなく切り掛かっていた。だが現実は違う。身動きは取れず、たとえ自由でも男達に腕力で勝てるわけもない。男達の視線から逃げる事もできず、音葉は自分が弱者であることを痛感した。

 

 「で、屋宜さんは何て?」


 初めて見る男の一人が言った。


 「怪我をさせないように丁寧に扱えばいいってよ」

 「おう、任せてくれ。でもよ、俺たちは今何人だっけ? 四十五人?」

 「島田がやられたから四十四人だ」

 「さっき運んでいた死体袋はそれかよ」


 男達の声のトーンが少しだけ落ちる。


 「前向きに考えようぜ。屋宜さんや堅物連中はやらねえとしても三十人は順番待ちするんだ、一人一時間で一日八人とすると……大体四日に一回だぜ」


 別の男が明るい声で言った。たしかにそうだと誰かが同意する。


 (何が前向きだ。全員ゾンビに食われてしまえばいい)


 音葉は心の中で毒づく。


 「なんで一人一時間で終わる計算なんだよ」

 「えっ、お前はもっと早かったか?」

 「なんだと!」

 「お前ら、馬鹿な事言ってないでこいつを建物に運べ。おい、阻谷。お前が運べ」

 「僕っすか」


 吉敷が阻谷という男に指示を出した。それは紺色の制服を着た太めの男だった。吉敷や宮道と同じ日垣製薬の警備員らしい。筋肉よりも脂肪が目立つかなりの巨漢だ。

 

 「運んだらお前を二番にしてやる」

 「ええ、一番は誰なんすか?」

 「俺に決まってんだろ? 俺が捕まえてきたんだぞ」

 「仕方ないっすね。よっと」


 阻谷は音葉の体を掴むと軽々と肩に背負った。せめてもの抵抗で、肩の上で体を捻って動いてみる。


 「こら、暴れんで」

 

 阻谷が軽く音葉の尻を叩いた。痛みはなかったが屈辱的な扱いに音葉は猿轡をぐっと噛み締めた。


 (わかってる。抵抗しても無駄。今は情報を集める事だけを考える)


 音葉は暴力に屈したように男の肩上でがくっと項垂れた。そして、目だけを動かし周囲を観察する。

どこかの駐車場にいるようだ。駐車場の出入口には門と警備員の詰所があり、その左右には敷地を囲っているらしい壁が見える。

 男達は正門とは反対側に進んでいる。左側には大きな倉庫の様な物が見えた。しばらくすると右側に白い建物が現れた。三階建のその建物は、一階に入り口こそあるが、窓の類は一切見当たらない。一面白い壁が広がっている不気味な建物だった。あれが屋宜の言っていた研究棟だろうか。阻谷と他の男達はその白い建物の隣にある黒い建物に向かっていた。一瞬後ろから着いてきている高校生くらいの少年と目があった。少年は気まずそうに目を逸らす。獲物を食べるライオンの群れを遠くから眺めている臆病なハイエナのようだ。

 やがて男達は黒い建物に入っていった。そこはごく普通のオフィスビルのようだった。電力を失った自動ドアを手動で開け、広いロビーに入る。そこは三階分の吹き抜けになっており、二階と三階部分には廊下が張り出ていた。途中、何人かの銃を持った男達とすれ違った。その度に嫌な目を向けられ、吉敷が「順番だ」と言う。


 (思ったよりも数が多い……。本当に逃げられるの)

 

 吉敷達の会話が正しければ、ここには四十人以上の男がいる。多くは屈強な成人男性で音葉の腕力では太刀打ちできない。それが四十人。しかも施設は壁で囲まれている。駐車場には十台以上の車があったし、銃を持っている男も多い。たとえ隙を見て逃げ出せたとしても、外に出る前に捕まるかもしれない。そして、これから自分に降りかかる運命を思うと絶望的な気分になる。せっかく生き延びたのに男たちの慰みものになることになるなんて、運命は残酷だ。音葉は自分がゾンビにならなかったのには何か意味があると考えていた。だが、その意味がこれだとしたら、あまりにも酷い。もし運命を司る神様がいるのなら、日本刀を脳天に突き刺してやりたい気分だった。


 音葉を担いだ男達は、ロビーを横切り、ビルの奥に入り、さらに非常階段を一階分登った。二階のフロアを進み、仮眠室と書かれたドアを開ける。そこは旅館の和室のような作りで、十二畳ほどの畳の部屋だった。部屋には乱雑に布団が敷かれており、男達が寝泊りしている場所のようだった。布団の上にはスナック菓子やグラビア誌、ビールの缶やウィスキーの瓶が転がっている。


 「これで写真のお姉ちゃんともおさらばだぜ」


 男の一人が畳の上に落ちていたグラビア誌を拾い上げながら言った。その手が阻谷に担がれたままの音葉の尻を撫でる。嫌悪感に音葉の全身の毛が逆立った。


 「やっぱり生身はいいなあ。ん、何か言いたそうだな」 


 グラビア誌を持った男は音葉の猿轡を外す。


 「怖い顔すんなよ。大人しくしていれば優しくしてやるよ」

 「糞くらえっよ」


 音葉は男を睨めつけながら、その顔に唾を吐きつけた。つばは目に命中し、男はグラビア誌を落とし袖で目を拭う。周りの男達がゲラゲラと笑った。


 「テメエ!」


 グラビア誌の男は音葉の髪を引っぱり、無理やり顔を上げさせるとその頰を平手打ちした。身動きの取れない音葉はまともにくらってしまい、口の中が切れる。痛みで涙目になりながら、なお男をにらみつけながら血を含んだ唾を再度男に飛ばした。今度は顔には命中せず、男の服を汚しただけだった。


 「こいつ、ぶっ殺されてえのか‼︎」

 「待てよ、屋宜さんに怪我はさせるなって言われてんだ」


 音葉を殴ろうとしたグラビア誌の男を吉敷が止める。


 「けっ、あの色白ニイちゃんらしいぜ。こんな状況で紳士気取りかよ」

 「俺達が生きてるのはあの人のおかげだぜ? それに、こいつは世界最後の女かもしれねえんだ。痛めつけ過ぎて自殺でもされたらもったいねえよ。おい、阻谷、そいつを壁の所におろせ。オイルヒーターがあるだろ、そこに手錠で繋いでおけ」

 「はいはい。動かないでよ?」


 阻谷は吉敷に言われた通り、音葉を部屋の隅に下ろす。そしてポケットから手錠を出すと、音葉の腕に巻かれたロープをほどき、間髪入れずに左手と壁に固定されたオイルヒーターの配管を繋いだ。

 音葉はようやく自由になった右手で阻谷を掴もうとしたが、手袋をつけたままの右手は男の裾をかすっただけだった。


 「さて、それじゃあお楽しみ開始といこうか!」


 吉敷がナイフを持って近づいて来る。部屋にいる男達は六人。半分は紺色の制服を着ている警備員、残りは私服。高校生くらいの少年以外は全員成人男性だ。しかも左手には手錠。どう考えても勝てそうにない。吉敷は怯える音葉の態度を楽しむようにじりじりと近寄ってくる。


 「あなた達、子供にこんな事して恥ずかしくないの! あなた達にだって恋人や家族がいたでしょ」

「いたよ。だがみんな死んじまった」


 グラビア誌を読んでいた男が吐き捨てた。


 「俺達だっていずれ死ぬ。もう何もかも終わりなんだよ」

 「死ぬにしても正しい事をして死のうとは思わないの?」

 「思わねえな。遅かれ早かれゾンビになるかゾンビに食い殺されるんだ。それなら最後に思う存分楽しんでから死にてえ」


 他の男達も同じ意見のようだ。肯きながら無言の同意を表していた。


 「最低。地獄に落ちろ!」

 「ふん、ここがもう地獄さ。吉敷、さっさとやっちまえよ。俺は三番目なんだからよ」

 「へへっ、焦るなって」

 

 吉敷がナイフを抜く。


 「動くんじゃねえぞ。肌まで切れちまうからな、へへへっ」

 

 吉敷は音葉に近づくと、ナイフで足を固定していたロープを切断した。自由を得た音葉は吉敷を蹴りつけようとしたが、すぐに二人の男が音葉の足を押さえる。唯一自由だった右手も、高校生くらいの少年に押さえ込まれた。左手は手錠で固定されており、文字通り手も足も出せなくなる。それでも必死に体を動かして抵抗するが、左手に手錠が食い込み血を滲ませるだけだった。右腕の古傷も開いてしまったのか、腕が熱い。


 「本当に元気なガキだな。まあこんな地獄を生きてくにはそれくらいじゃないと。安心しろ。これからは俺が守ってやるぜ」

 「あなた達に守ってもらうならゾンビになった方がまし。私に手を出したら絶対に後悔させてやる」

 「おお、怖い。でも涙目で言われてもなあ」


 吉敷の血色の悪い黒ずんだ腕が伸び音葉の服に手がかかった。シャツが強引に左右に引きちぎられ、ジーンズや下着はナイフで切り裂かれた。吉敷のナイフは肌の数ミリ上を走っており、音葉は身を守るためにじっとしているしかなかった。腕が抑えられていたため、長袖の袖だけは残っていたが、音葉の身体を隠す物は何も無くなっていた。


 「貧相な身体だな。おい、どうせなら素っ裸にしちまえよ」


 グラビア誌を読んでいた男が笑いながら言った。


 「まあそうだな。おい、腕に残った服も破いちまえ」


 音葉の体に残っていたのは、シャツの袖の部分だけだった。高校生くらいの少年が、申し訳なさそうな顔で右腕の袖を破き、そして悲鳴をあげた。


 「うわああっ、ゾンビ?!」


 音葉の右腕が露わになった瞬間、空気が一変する。今まで砂糖に群がるアリのようだった男達が一斉に音葉から距離を取った。中にはナイフや拳銃を抜いた者もいる。彼らの目は、音葉の右腕に集中していた。その腕は指先から肩の辺りまで真っ白になっており、音葉が暴れた事で古傷が開いたらしく、腕に巻かれた白い包帯に歯形の形に血が滲んでいた。


 「くそっ、お前、噛まれていたのか」


 グラビア誌の男が真っ青になりながら叫んだ。その手は震えながら音葉に唾を吐きつけられた目に当てられている。


 「お前、さっきこいつの唾液を目に受けてたよな? すぐに洗った方がいいんじゃないか?」

 「ちくしょ、このクソゾンビ女が‼︎」


 グラビア誌の男は泣きそうな声を出しながら、大慌てで部屋から出て行った。

 音葉は乱れた息を整え、ゾンビ化した右腕で体を隠しながら男達を睨めつけた。これはチャンスだ。だがピンチでもある。音葉がゾンビだと判断されれば、この場で殺されかねない。


 「吉敷、どうする?」


 阻谷が少しだけ緊迫しながら言った。その手には拳銃が握られている。


 「けっ、この様子じゃあと数時間でゾンビ化だ。せっかく女とやれると思ったのについてねえ。そううまい話はねえか。ゾンビになる前に殺るか」

 「結局ヤルことに変わりないの。でも、ここは仮眠室だよ? ゾンビの体液を撒き散らした部屋で寝たくないなあ」

 「上の部屋を使えばいいだろ。どうせ部屋は余ってんだ」


 吉敷はそう言うとナイフを持って音葉に近づいてきた。その殺気の込められた視線の先に合うのは音葉の頭だ。先ほどとは違い、音葉の身体への興味は欠片も見られない。


 (嫌なところでプロ意識がある。こいつに殺される? こんなところで?)


 音葉は焦った。既にゴルフ場で一度敗北した男だ。左手を手錠で繋がれ、武器を持たない音葉に勝ち目は無い。


 「まってください」


 高校生くらいの少年が吉敷の腕を引いた。


 「あの、まだ人間です。彼女は」

 「だからなんだ? あいつはもう半分ゾンビだ。すぐに理性を失って襲いかかってくるぞ」

 「でも、その、もったいないです。俺、まだ経験ないんです。だから死ぬ前に一度、やりたいなって。お願いです、やらせてください」

 「はあ? 何を言ってるんだ?」


 少年の言葉に、吉敷が呆れる。


 「だって、吉敷さん言いましたよね。この子が世界で最後の女かもしれないって。俺、未経験のまま死にたくないんです。噛まれなければ多分感染しないと思うんです」

 「あほか。感染の条件は体液交換だぞ? 女とやってたら同じ事だろうが」

 「それでも、オレはやりたいんです。一生のお願いです!」


 必死に訴える少年に吉敷はあっさりと折れた。


 「……やり終わったら殺すか倉庫に捨ててこい。あとお前が感染しても容赦はしねえからな」

 「ありがとうございます。どうせ死ぬなら、やりたい事をやりたいんです」

 「馬鹿が。好きにしろ。お前らはどうする?」


 吉敷に聞かれ阻谷や他の男達は顔を見合わせた。


 「どうするって、僕はやめておくよ。まだ死にたくないし」

 「俺達もだ。まあ、生で女の身体を見れただけでラッキーだったぜ。吉敷はどうするんだ?」

 「死に急ぐつもりはねえよ。万が一、屋宜先生の作戦が成功すればシェルターや女が手に入るんだ。くそ、いい気分が台無しだぜ」


 吉敷は布団の上に転がっていたウイスキーの瓶を手に一口飲んだ。


 「ちっ、安物かよ。おい、倉庫にもっといい酒を取りに行くぞ」

 「へいへい」


 男達はゾロゾロと部屋を出ていく。最後に部屋を出た吉敷が扉を勢いよく閉めると、部屋には音葉と少年だけが取り残された。少年が一歩音葉に近く。


 「私に触れたら噛むよ」

 

 歯を剥き出して威嚇すると、少年は両手を上げながら勢いよく首を横に振った。


 「待って。俺は君の味方だ」


 少年は足元の敷布団のシーツを剥がすと音葉に向かって投げた。それから後ろを向く。


 「それで体を隠して。終わったら声をかけて」


音葉は足元に落ちたシーツを拾い上げると、バスタオルの要領で身体に巻きつける。


 「……ありがとう。終わった」


 少年が音葉の方を振り向く。少しだけ残念そうにシーツで隠された音葉の身体を、そして恐怖のこもった目で音葉の右腕を見た。


 「君、ゾンビに噛まれていたんだな」

 「だったら何?」

 「……」


 少年は何も言わず、大回りで音葉を迂回しながら壁際のオイルヒーターまで移動した。手錠のかかったパイプを押したり引いたりする。少年を警戒していた音葉は拍子抜けし、不思議そうな目を向ける。


 「あなたの目的は何なの?」

 「目的って、君を助けたいだけだ。吉敷さん達は間違ってる。俺が君をここから逃すよ」

 「どうして私を助けてくれるの?」

 「それが正しいと思うから」


 音葉は少年の目をじっと見た。嘘をついているようには見えない。年齢が近い事もありどこか望に似ているような気がした。少年が信じられるかはわからない。だが、音葉にそれ以外の選択肢は残されていなかった。


 「……私は奥山音葉。助けてくれるのなら嬉しい」

 「俺は枝野袈隕えだのけいんっていうんだ」

 「ケイン?」

 「そう袈裟斬りの袈に隕石の隕。変わった名前だろ」

 「そうね……」

 「奥山さん、年は?」

 「十五」

 「うわ、まだ年下だったのか。ちょっと待って。いま手錠を外すから」


 ケインは手錠を外そうと色々試した。足でオイルヒーターのパイプを蹴ったり、手持ちのナイフを手錠の鍵穴に入れたりした。だが金属の輪はしっかりとパイプに固定されており外れる気配が無い。


 「鍵はないの?」

 「多分、吉敷さんか阻谷さんが持っていると思う。ちょっと行ってもらってくるよ」

 「待って。この部屋にある物でなんとかならない? ハンマーでパイプを壊すとか、ペンチで手錠を切るとか」

 「ここは仮眠室だから、工具は無いよ。あっても空の酒瓶かペットボトルくらいだ。ちょっと厳しい。何か使える物があればいいんだけど」


 音葉とケインが部屋の中を見渡していると、ビルの外が騒がしくなった。


 「なんだ?」

 

 ケインが窓を開くと、大音量で流れる廃品回収のアナウンスが聞こえてきた。さらに、武器を持った男達が正門に向かって走って行く。


 「トラックだ! トラックが突っ込んでくるぞ!!」

 「襲撃だ! 武器を持って正門に集まれ」


 様々な叫び声が飛び交い、音葉達がいるビルから銃や斧等で武装した男達が出て来る。


 「何が起きているの」

 「わからない。この放送はなんだ? 敵襲? ゾンビじゃ無いのか?」


 ケインは混乱しているようだった。音葉の位置からでは窓の外が見えない。だが、普通とは違う事が起こっているのは間違いない。ただのゾンビの襲撃なら、男達はこれほど慌てないだろう。それにトラックが突っ込んでくるという言葉も聞こえた。


 (まさか望が助けに来てくれた?)


 音葉は窓に駆け寄り外の様子を確かめたかったが手錠の長さが足りない。

 銃声が散発的に響き、「守りを固めろ」「正門に集まれ」と男達の声が聞こえる。ビルの近くにいる男が無線で指示を出しているらしい。そして「伏せろ!」

という一際大きな叫び声の後、正門の方から爆発音がした。衝撃波が窓ガラスを振動させる。


 (望、あなただったら無茶はしないで)

 

 音葉は身体に巻きつけたシーツを握りしめ、少し前に悪態をついた神に心の中で謝罪してから望の無事を祈った。

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