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幕間6 越後三灯(えちごみとう)の脱出

 横浜のランドマークタワーの屋上に続く階段を三人の人間が駆け上がっていた。先頭を進むのは六十を超えた老人。汗で視界は歪み、息は切れ、それでも手すりを掴みながら必死に上を目指している。老人の左手には全長五〇センチほどの小さなハードケースがあった。ケースの表面には多数の擦り傷があり、一部には返り血が付着していた。


 「越後先生! あと少しです。がんばってください」


 越後と呼ばれた老人のすぐ後ろにいる二十代半ばの女性が背後を気にしながら言った。女性の肩にはゾンビに噛まれた傷があり、包帯には血が滲み出ている。


 「越後先生、藤咲女史、急いで下さい。追手がすぐ近くまで来ています」


 藤咲と呼ばれた後ろ、三人の最後尾に迷彩服を着た大柄の男性は立ち止まると、手にした八九式小銃を階下に向けた。足を止めた大男に気付いた藤咲が振り向く。


 「安座間三佐!?」

 「早く上がってください」


 安座間と呼ばれた大男は階段の中央にある吹き抜け部分に小銃をぶっ込み、引き金を引いた。狭い非常階段に甲高い銃声が弾けた。


 「くそっ、撃たれた」

 「怯むな! 裏切り者を逃すな」


 階段の下から大勢の人間の叫び声がする。追ってきている男達の服装はバラバラだ。自衛隊や神奈川県警の制服姿の者もいれば、私服の民間人の格好をした者もいる。追手は拳銃や小銃を手に、強烈な殺意を逃げる三人に向けていた。


 「十、いや十五名はいるな」

 「撃て! 撃て!」


 手すりから下を覗き数を確認していた安座間に向かって、追手が激しい銃撃を加えた。大男と同じ八九式小銃、警察のニューナンブ、米軍基地から回収したらしいM4カービンなど多種多様な銃口が火を吹いた。だが、命中弾は無い。安座間は追手の射線に越後と藤咲が入らない様、あえて自分を狙わせていた。 だがいつまでも小細工が効く相手では無い。


 

 「先生、急いで! もう三つ下まで来ています」


 安座間が叫びながら小銃を撃つ。弾丸は階段に命中し、金属板でできた無骨な板に穴を開け、さらにその下にいた追手の一人に命中した。真上から撃ち下ろされた弾丸に頭部を貫かれ、安座間と同じ陸上自衛官だったその男性は絶命した。だが、追手の勢いは止まらない。「裏切り者」である三人を殺すためなら、彼らは自分達の命を厭わないようだ。

 屋上に出る扉まで後十段と少し。だが体力を消耗した越後にはそれでも酷だった。このランドマークタワーにたどり着くまでに、老人とその仲間はスパイ映画さながらの戦いを潜り抜けてきた。最初は六名いた一行も今では三名まで減っている。全ては今越後が手にしているハードケースの中身を手に入れるためだった。


 「ここで、倒れるわけにはいかんのだ」


 今にも倒れそうになりながら、越後は一歩、また一歩と足を進める。そしてついに破裂しそうな心臓を必死に押さえながら、最後の一段を上り切る。目の前には「緊急離着場」と書かれた小さな表示のついた両開きの銀色の扉。その先にはランドマークタワーの屋上がある。越後は扉を開こうとしたが、体を支え続けて疲労した右腕が震えて言う事を聞かない。


 「先生、私が」


 階段を上り切った藤咲が扉を開ける。火山灰で覆われた灰色の空が目の前に広がった。地上約三百メートルの高さにある何も無い空間には強いビル風が吹いていたが、その風の音をかき消すようにヘリコプターのエンジン音が響いていた。屋上のヘリポートに越後達の仲間のヘリが待機している。


 「あの階段を上がればヘリポートです」


 藤咲が越後を誘導するように目の前にある階段の手すりに手を欠けた。本当なら、若い彼女が恩師である越後に肩を貸したかったが、ゾンビに噛まれているため万が一を考えて距離を取っている。


 「先生と藤咲さんは先に行ってください」


 二人に追いついた安座間が金属製の扉を閉めながら言った


 「なぜだ、安座間三佐?」

 「自分はここに残ります」


 安座間は階段には進まず、その脇にあるエアコンの室外機のような機械の後ろに身を隠した。手早くマガジンを交換すると屋上の出入り口に向けて小銃を構えた。


 「三佐!?」

 「連中は無反動砲を持っていました。あれが外に出てくればヘリを落とされる可能性があります」

 「無反動砲? バズーカのようなものか」

「そうです。自分がここで追手を足止めします。先生達はすぐに脱出を」 

 「しかし!」

 「時間がありません。そのケースの中身は日本の未来のために必要なんですよね。ここで失わせるわけにはいかない。行ってください!」

 「……すまん」


 越後と藤咲が階段を上り始めると、安座間は無線のスイッチを入れる。


 「松田一尉、聞こえるか? 安座間だ」

 『聞こえています、三佐』

 「いま先生と藤咲女史がそちらに向かった。二人を収容後、すぐに離脱しろ」

 『三佐や他の隊員は?』

 「俺以外は全員戦死した。敵の装備に無反動砲の様な物が見えた。俺はここに残って追手を足止めする」

 『……了解しました。ご武運を』


 ヘリとの通信が切れると安座間は小銃のスコープを扉に向けた。赤いドットの位置を成人男性の頭部の位置に合わせる。対ゾンビ用のヘッドショット訓練で何千回と反復した動作だ。体と心を鍛え、技を磨き、国民に尽くす。高校を卒業して自衛官になって以来、安座間はそう心に誓って生きてきた。世界が無茶苦茶になった今でもそう思っている。越後が持っている物は未来の日本には必要だ。ここで命をかけて越後達を脱出させることは、平和になった未来の日本人に尽くすことに繋がるはずだ。


 「こんなことで許されるとは思わないがな」


 自嘲気味に笑うと、安座間は屋上に飛び出して来た追手に銃撃を加えた。弾丸は狙い通り追手の男の額に命中した。


 越後はケースをしっかりと胸に抱えヘリポートに向かっていた。コの字型に配置された階段を上るとだだっ広いヘリポートが現れる。その中央には迷彩が施された軍用ヘリコプターUH-60JA多用途ヘリコプターがローターを回転させ、今すぐ飛び立てる態勢で待機していた。

 階段の下からは激しい銃撃戦の音が聞こえて来る。残ってくれた安座間三佐のためにも、越後と藤咲は最後の力を振り絞りヘリコプターまで走った。


 『先生、乗ってください!』


 無線を通じてパイロットの松田一尉の声がする。越後は待機中のヘリに近づくとドアを開け、転がる様に中に入った。その後に藤咲も続く。彼女の肩からは止血しきれない血液が流れ出てヘリのキャビンに血溜まりを作った。越後は怪我人の手当てより先に、手にしていたハードケースを座席に固定する。外の様子を確認すると銃声は断続的に聞こえている。まだ安座間三佐は戦っているようだ。


 『先生、藤咲さん、すぐに離陸します。身体を座席に固定してください』

 

 越後は負傷した藤咲を座席に座らせ、シートベルトをかけ、すぐに自分もハードケースの隣に座り身体を固定した。


 「よし、オッケーだ。飛んでくれ」

 『了解。離陸します』


 ヘリがフワッと浮かび上がる。開けっぱなしの扉から見えていたヘリポートの端が見えた。階段の辺りに複数の人影が見える。追手だ。安座間三佐は抜かれてしまったらしい。追手の一人が大きな筒の様なものを構えていた。隣に立った男がヘリとの距離を測りながら弾薬を筒の中に入れている。


 「松田一尉! バズーカがあるぞ」

 『回避行動をとります。掴まってください』


 ヘリは突然九十度近く横に倒れると、ビルの影を目指して急降下を始める。キャビンの中はほぼ垂直になり、ドアから見えていた灰色の空は壊滅した横浜の街並みの俯瞰図に切り替わる。越後は必死に、隣の座席にあるハードケースを掴んだ。

 反対側を振り向くと、白く輝く火球が何発も宙を舞っていた。松田一尉がミサイル対策にフレアを発射したのだ。だが、追手が発射した無反動砲弾には意味がない。発射された時限信管式の八十四ミリ対戦車榴弾がヘリコプターの上空三十メートル付近で炸裂し破片をばら撒いた。そのいくつかがヘリに命中する。テールローターの方でガツっと大きな振動がしたが、幸いにして致命傷にはならなかったようだ。松田一尉は地表すれすれで機体の姿勢を水平に戻し、ビルの合間を縫いながら北に離脱した。

 ランドマークタワーから十分離れたところで高度を取り、機体を安定させる。


 『先生、無事に離脱できました』

 「そうか。ありがとう松田一尉」

 『館山の「いずも」の対空レーダーを避けるため、このまま内陸を飛行して帰還します』

 「わかった。これから藤咲君の治療を行う」


 越後は通信を切るとシートベルトを外してシートから立ち上がる。飛行高度は千二百メートルほど。ドアが開けっぱなしになっているためかなりの恐怖感があった。越後はキャビン内の手すりを掴みながら医療ボックスを開き、ワクチン 注入機を手にすると藤咲の元に向かう。


 「大丈夫かね?」

 「先生、すみません。最後の最後で足手まといに。私のせいで安座間三佐が……」

 「三佐は死場所を求めていた。藤咲君のせいではないさ」


 越後はワクチンを藤咲の腕に注入する。あくまでも応急処置だが、これでゾンビ化の進行は劇的に遅くなる。シェルターに戻った後、本格的な治療をすれば問題なく命は助かる。


 「安座間三佐は、やはり都知事の件を気にされていたんですね」

 「あれは知事のミスだ。一機しかない脱出ヘリに百人以上を連れて行こうとしただけでなく、シェルターの存在も明かそうとした。三佐に責任は無い」

 「でも、結果として三佐はその生き残りを……」

 「止むを得なかった。そう評議会も結論を出している。だが三佐は自分が許せなかったんだろうな。国と任務に忠実な男だったが、この世界を生きるには優し過ぎたのかもしれん……」

 「嫌ですね。こんな世界。本当に嫌」

 「そうだな。だが我々は、乗り越えなくては。日本と人類の未来を残すためには犠牲が必要になる事もある。そう、未来のためだ」


 越後は自分のシートに戻ると隣のハードケースにそっと手を置いた。この中身は将来の日本に必要、少なくとも越後と藤咲はそう考えていた。

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