8月20日 ホームセンター(9)
銃声の残響がホームセンターにこだましていた。三人の生存者は突然撃たれた事に驚いたのか、トイレに続く通路付近から動こうとしない。望は慌てて頭を下げると三人に向かって謝った。
「すみません。新手のゾンビかと思ってしまいました。怪我はありませんか」
誤って射ってしまった一発は三人から離れた自転車に当たっており問題はなさそうだったが望は念のため尋ねてみた。先頭にいた眼鏡の男性が女性とその腕の中の子供を見た後、恐る恐る口を開く。
「あ、ああ。大丈夫だ」
男性の視線は望の持った銃に向けられている。銃の存在が三人を警戒させている事に気がついた望は短機関銃に安全装置をかけると背中に背負った。銃が仕舞われたのを見て、眼鏡の男性の後ろから険しい表情の女性が一歩前に出る。
「あなた、どういうつもり!? 私達を殺す気?」
「すみません。ゾンビと戦っている最中だったんです」
「鉄砲を持っているならもっと周りを注意しなさいよ。こっちには子供もいるのよ」
女性の口調はかなり攻撃的だった。長時間ゾンビに囲まれていたストレスもあるのだろうが、その態度に望は苛立ってしまう。
「そちらこそどうしてすぐに出てこなかったんですか? 無線で助けに来たって伝えましたよね。そのせいで余計なゾンビと戦って弾を無駄に遣いましたよ。こっちも命懸けで助けに来たんですよ?」
「すまない。トイレの中にもゾンビが残っていて出るのに手間取ったんだ。君のおかげで無事に外に出ることができた。ありがとう」
口論になりそうな雰囲気を察し、眼鏡の男性が望と女性の間に割って入った。男性の手には消防斧が握られており、刃からは真新しい白い液が体滴っていた。トイレの中でゾンビと戦っていたのは本当なのだろう。
「君が、さっきの無線で話した冠木君か? 驚いたな。まだ高校生くらいか」
「そうです。あなたが牧野さんですか?」
「ああ、まだ名乗って無かったね。僕が牧野。こっちが小笠原で、小笠原が抱えているのがサトル君だ」
小笠原と呼ばれた女性の腕の中にいる子供は体調が悪いのか目を閉じ荒い息をしていた。熱があるらしく小さな額には大粒の汗がにじみ出ている。その様子はターミナル駅で見た、ゾンビ化する直前の早見に似ていた。
「そのサトルって子、ゾンビに噛まれたりはしていませんよね」
「何を言うの!? この子は風邪で熱を出しているだけ。新城さんや私達が命懸けで守ったのよ。ゾンビに噛まれているわけないでしょ!!」
小笠原が子供を庇うように抱え直しながら刺のある声で言った。誤射の件があったからか、あるいは一度見捨てようとしていたからか、小笠原は望に対して不信感を持っているようだった。その態度が望には面白く無い。確かにミスもあったが危険を顧みず助けに来たのに文句を言われたのでは堪らない。
「あなたこそゾンビに噛まれてないんでしょうね。もしそうなら近づかないで」
「なっ、俺達が来なければあなた達はゾンビに殺されていたんですよ」
「助けてくれた、命の恩人だからって何を言ってもいいと思っているの!?」
小笠原は感情を剥き出しに望に噛み付いてきた。なぜそうなるのか理解できず望は戸惑う。小笠原がさらに何か言おうとするが、それを牧野が宥める。
「落ち着くんだ小笠原。彼に失礼だぞ。冠木君、すまない。僕達は一時間以上ゾンビに囲まれて、生きたまま喰われる恐怖に晒されていたんだ。正直、精神的にボロボロなんだよ。今は冷静に会話ができないけど、小笠原は普段はもっといい奴なんだ。そういえば、無線ではもう一人女性がいたようだけど、彼女はどこに?」
「音葉ちゃんはトイレの前にいたゾンビを誘き寄せて離れた場所まで連れて行きました。今頃はゾンビの群れを撒いて二階にいるはずです。俺達も早くここから移動しましょう。銃声を聞いたゾンビがこっちに来るはずです」
三人の生存者の無事が確認できた望は、音葉の安否が心配になって来た。赤目のゾンビは望が倒したものの、普通のゾンビも群れになれば大きな脅威だ。しかも今の音葉は日本刀を振るって戦う事が出来ない。
「二階は安全です。こっちに」
一刻も早く音葉の無事を確認したくなった望は全力疾走でエスカレーターに向かおうとした。しかし、すぐにペースを落とす。斧一つの身軽な牧野はともかく、サトルを抱えた小笠原は走ることは難しく、早足がやっとのペースだった。
「もう少し早く走れませんか?」
先ほどのやり取りもあり、望は強い口調で子供を抱えた小笠原に言ってしまった。小笠原は何かを返そうとしたが、それを牧野が遮る。
「すまない。少しペースを落としてもらえないか? 小笠原はサトル君を抱えているし、僕もずっとトイレのドアを押さえていて体力的に限界なんだ」
「……わかりました。でも、急いでください俺の仲間は今一人なんです」
「その子は二階の安全な場所にいるんでしょ? ならゆっくり進んでも問題無いんじゃないかしら」
そう言いながら小笠原が肩で息をしながら早足を歩く速度まで落とす。
「二階だって百パーセント安全とは限らないです。それに、俺達のいる一階にはまだゾンビが何十もいるんですよ? 俺一人じゃあなた達を守りきれません。できるだけ急いでください」
「彼の言う通りだ。小笠原、後少しでエスカレーターだ。頑張ろう」
やがて望達はエスカレーター前のホールに辿り着く。夏用品の特設コーナーを横切る途中、小笠原と牧野が床に倒れたままの新城を見つけ足を止めた。望は冷たいかなと思いつつ、脱出経路を確保するためエスカレーターの手前まで移動してからホールに残っている二人に声をかけた。
「急いでください。ここも安全では無いんです」
「わかっている。だが少しだけ時間をくれないか」
牧野は新城の死体に近づくと引きちぎられた頭部を身体に戻し、開いたままの目を閉じた。仲間を弔いたい気持ちは望にも理解できる。同時に、ゾンビがいる危険な場所で足を止めている牧野達に不満が募った。だがすぐに数日前の自分の姿が牧野達に重なった。
(西山のゾンビと遭遇した時の俺もあんな感じだったのか。今なら、あの時の音葉ちゃんの気持ちがわかる)
しばらく牧野達を見守ろうと思った望だったが、音葉の安否が気になりだんだんと不安になる。危機を知らせるホイッスルは鳴っていないので無事なはずだが、二階や出入口を防火扉で塞がれた階段で鳴らしたため一階の望に届いていない可能性はある。そもそも、音葉は体調が悪そうだった。いつも通りであれば足の遅いゾンビから逃げ切るのはわけないことだが、今の音葉にそれができるかは確実ではない。
考えれば考えるほど不安が募るばかりだった。
遠くでゾンビの気配がした。かなり距離はあるがこちらに近づいているようだ。音葉が誘導したゾンビ達が戻ってきているらしい。脱出経路のエスカレーターは確保してあるが、ゾンビが襲ってくれば銃を持った自分が最後尾にならざるを得ない。子供を抱き抱えた小笠原はきっとエスカレーターを上り切るのに時間がかかるし、リーチの短い消防斧も高い位置からの攻撃には向いていない。追いつかれてからでは遅い。今すぐ行動が必要だ。
「すみませんが急いでください。ゾンビが来ています」
「……ああ、すまない。行こう小笠原」
「新城さんも連れて行けないかしら。こんな所に独りだなんて、あんまりだわ」
「無茶を言うな。ここで時間を使えばせっかく助けたサトル君の身が危なくなる。早くバスに連れて行って薬を飲ませてあげないと」
「そうよね。わかったわ。ごめんなさい、新城さん」
謝る相手は俺じゃ無いのか、そんな事を考えてしまった望は慌てて頭を振って余計な考えをかき消す。まだ踏ん切りがつかない牧野と小笠原を急かすように、望は先頭に立ってエスカレーターを駆け上がった。
二階のバリケードを潜り抜けた所で牧野が再び足を止めた。
「あのカートにサトル君を」
牧野がバリケードを塞ぐための買い物カートをひっくり返し、積まれていたレンガを強引に下ろした。硬い床に焼成された土の塊が雪崩れ落ち、大きな音を立てる。望は文句を言おうとしたが、小笠原が空になった買い物カートにサトルを乗せたのを見て口をつぐむ。サトルは体調がかなり悪いらしい。熱でうなされているのか擦れそうな声で両親を呼んでいた。小笠原が顔を近づけて大丈夫だからと励ましている。それを見ていた望は自分の態度を少し反省した。望に対する態度は面白く無かったが、小笠原は間違いなくいい人間だ。
「準備ができたら行きましょう。ゾンビの声が下から聞こえて来ます」
レンガを落とした爆音が察知されたのか、一階からゾンビの気配がした。エスカレーターを登るには相当な時間がかかるだろうがのんびり待っている必要は無い。
四人は家具コーナーに向かって駆け足で進んだ。サトルを買い物カートに乗せたおかげで小笠原も走って移動できるようになったが、代わりにカートがガラガラと大きな音を立てていた。
やがて家具コーナーに近づく。そこには音葉の物と思われるヘッドライトの明かりがあった。
「音葉ちゃん!」
音葉は家具コーナーの椅子に座って休んでいた。疲れは見られたものの一階で別れた時と変わらず、怪我一つしていなかった。
「良かった。無事だったんだ」
「賑やかな音がしていましたがお兄さん達でしたか。まさかゾンビをこっちに誘導しているんですか?」
「違うよ。体調の悪い子供がいるから、その子をカートに載せて来たんだ」
「そういう事ですか。その子がサトル君なんですね」
音葉は望の後ろから現れた牧野と小笠原、そして小笠原が押していたカートの中にいるサトルを見て目を細めた。救出作戦が成功した事に安心してるようだ。
「あなた方が牧野さんと小笠原さんですか? 初めまして。奥山と言います」
音葉が軽く会釈をすると、牧野と小笠原が驚きながらも礼を言った。
「助かったよ。本当にありがとう。君たちは命の恩人だ。しかし二人だけなのか? 他に大人は?」
「いえ、私達は二人だけです」
「そうか、すごいな。まだ高校生くらいだろうに」
「お兄さんはそうですが、私はまだ中三です」
「そうなのか。お兄さんというと、君たちは兄妹なのか?」
「いえ。友達のお兄さんなのでそう呼んでいるだけです」
そう言うことかと牧野が納得する。小笠原は、ゾンビに噛まれていないか音葉を上から下まで観察した後、心配そうな表情を音葉に向けた。
「ありがとうね。でもあなた、大丈夫?」
「はい?」
小笠原の言葉に音葉が首を傾げる。
「あなたが囮になってトイレの外にいた何十ものゾンビを遠くに連れて行ってくれたのよね。本当にありがとう。女の子で、まだ中学生なのに」
そう言いながら小笠原は望をチラリと見た。どうやら音葉に囮役を任せた事を非難しているようだ。望と小笠原の間に流れる微妙な空気を音葉が察知する。
「この役割分担は私が決めたんです。私は右手に怪我をしているので戦えません。だから囮役を引き受けたんです」
「そうなの。ならいいのだけど」
「お気遣いありがとうございます。そうだお兄さん、階段を登っている途中で赤目のゾンビの姿が消えたんですが、そちらに行きませんでしたか?」
「ああ、こっちに来たよ。でも俺が倒した。楽勝だったよ」
「また、そうやって調子に乗る……でも無事で何よりです」
音葉が微笑んだので望も釣られて笑った。救出作戦は成功した。後はこのホームセンターから脱出して外にいる野瀬に合流するだけだ。




