8月20日 ホームセンター(8)
それから二人は作戦の詳細を詰め、無線で牧野に救出に向かう事を告げた。牧野達が立て籠っているトイレのドアの蝶番部分は壊れかけており、猶予はわずかしかない。十分後に必ず行くと伝えた二人は、限られた時間の中で出来るだけの準備をし、音を出す道具や簡単な武器を用意する。それから脱出用にエスカレーター前のバリケードを開いた後、階段に移動し防火扉の施錠を解き、一階に下りた。音葉は普段手にしていた日本刀を洗濯コーナーにあった厚手のホースを鞘にし背中に背負い、手には家電コーナーにあった電池式のCDプレイヤーを持った。プレイヤーの中には家電コーナーで売られていた何かの名曲集が入っている。望は失ったバールの代わりに物干し竿の先端にサバイバルナイフをロープと強力粘着テープで括り付けた槍を手にした。
一階に降りた二人は自転車コーナーに直行した。ゾンビは全て牧野達の所にいるらしく他のゾンビとの遭遇はなかった。途中、ペットコーナーを通り過ぎた時、破れたペットフードの袋にたかる黒い昆虫の群れを見つけ、そのあまりの禍々しさに望は思わず悲鳴をあげそうになったが、音葉に口を抑えられことなきを得た。
トイレに向かう間、望と音葉は何箇所かトラップを仕掛けた。棚と棚の間にロープを張っただけの簡単な物だったがゾンビ相手なら有効だろう。
自転車コーナーには数十台の自転車が並べられており、商品棚が無いため見通しが利いた。トイレの入り口は自転車コーナーの奥にあり、長めの廊下の先に男子トイレ、その向こうに女子トイレがある。二人は自転車の影に隠れてトイレの様子を伺った。ゾンビの姿は見えなかったが、奥から呻き声とドアを叩く音が聞こえて来る。
「それでは手筈通りに。私がゾンビを誘き寄せて、階段まで着いたらこのホイッスルを吹きます」
音葉の首にはアウトドアコーナーで見つけたホイッスルが下げられている。時間がなかったため、値札がついたままだ。望の首にも同じ物が下げられている。
「俺はライトを消してこの辺りに隠れている。ホイッスルの音が聞こえたら残ったゾンビを倒して牧野さん達を救出、エスカレーターを上がって二階に行く」
「そうです。私も階段を使って二階に行きます。出口に近い家具コーナーで合流しましょう。万が一、助けが必要な時はホイッスルを短く三回、全力で逃げて欲しい時は五回吹いてください」
「わかった。気をつけて。無茶だけはしないでくれよ」
「お互いにですね。お兄さんも気をつけて」
望は首から下げたホイッスルを胸ポケットに入れながら頷いた。 音葉は無線機を取り出すと電源を入れる。
「聞こえますか? これから私が外のゾンビを誘き出します。ゾンビの気配が消えたら出て来てください。外に男の子が待っていますので一緒に逃げてください」
『わかった。ありがとう。感謝する』
スピーカー越しに牧野のほっとした声が聞こえた。
「男の子?」
「お兄さんの事です」
「いや、それはわかるけど」
望は釈然としない物を感じながら音葉から無線機を受け取った。
「それでは、また後で」
別れを惜しむ間も無く音葉は物陰から出ていった。望は手を頭に伸ばしヘッドライトの電源を切る。途端に周囲は暗闇に包まれ、離れた所にいる音葉だけが唯一の光源になる。その音葉が遠ざかっていくと周囲もどんどん暗くなっていく。
(地下鉄でも同じことがあったな)
遠ざかる明りに望はほんの数日前の出来事を思い出していた。ゾンビになった西山に止めを刺した時、絶望のあまりそのまま闇に溶けて消えてしまいたいと思っていた。だが今は違う。闇に潜むのは生存者を助けるため、そして明日を音葉と一緒に生きるためだ。
しばらくして大音量のロックがトイレの入り口から聞こえてきた。音葉がCDプレイヤーのスイッチを入れたのだろう。プレイヤーが安物だからか音葉かなり割れている。だが音量は十分にあり、無人のホームセンター中に激しいエレキギターの演奏が反響した。
「新鮮な肉を食べたいでしょ。さあこっちに来なさい」
音楽に混じり、音葉が大声でゾンビを挑発している。望は物陰から顔を出してみたが遠くで小さな明かりが灯っている事しかわからない。即席の槍を握り締めながら音葉の無事を祈る。
トイレの中から聞こえていた小さな呻き声が大きくなり、はっきりと聞こえるようになった。ゾンビがトイレから出て来た様だ。数はわからないが、相当数がいるようだ。
「こっち、そう、こっちに。そこの一体しかいない赤目! ぼっとしてないで私を見なさい」
赤目の一言に望の背筋が凍りついた。ゾンビの群れには強力な赤目のゾンビが混じっている。
(クソ、赤目のゾンビがもう一体いたのか。音葉ちゃんは怪我をしているのに逃げ切れるのか? 助けに行きたい。でも……まだ合図が無い)
飛び出したくなる気持ちをぐっと堪え、望は自転車の影で待機を続けた。ホイッスルが鳴ら無いということは音葉はまだピンチには陥っていないようだ。やがて音楽とゾンビの呻き声、そして何十もの足音が階段方向に遠ざかって行く。
(予定通りゾンビの誘導に成功したんだ。音葉ちゃん、無事でいてくれよ)
しばらくして音楽に混じって、何か集団が倒れる音が聞こえた。ゾンビがトラップに引っかかったのだろう。望は音葉の無事を必死に願った。それから数分後、遠くからホイッスルの鳴る音が聞こえた。回数は一度。階段まで誘導に成功したらしい。
「よし! 後は俺が」
望は気合を入れると自分のヘッドライトを点灯させ即席の槍を手にトイレに向かって走り出した
「急いで牧野さん達を助けて二階に。音葉ちゃんに合流しないと)」
赤目のゾンビなら階段を上る事は難しく無いはずだ。もし二階の防火扉で足止めできなければ、音葉は一人で赤目のゾンビと戦う事になる。それだけは何としても避けたい。望は逸る気持ちを抑えながらトイレに続く通路に駆け込んだ。
「クソっ、まだいたか」
そこにはゾンビが二体残っていた。手前に青いチェックのシャツを着た二十代の男性、その五メートルほど後ろ、女子トイレの入口付近にロングスカートを履いた同じく二十代くらいの女性。二体とも目は白濁し動きは鈍い。
望は無線機のスイッチを入れ、叫んだ。
「聞こえますか? 今トイレの外にいるゾンビは二体だけです。こいつらは俺が倒します。早く出て来てください」
望は返信を待たず、両手で槍を構えてゾンビに突進した。二体のゾンビは望に気がつくと、襲いかかろうと動き始めた。だが先ほどの赤目に比べれば止まっているも同然だ。
「うおおおお」
望は槍を上段に構えると手前にいたチェックシャツのゾンビ目掛けて思いっきり振り下ろした。初めて使う槍でゾンビの頭部を一突きできるとは思っていない。だが槍の穂先になっているサバイバルナイフで力一杯殴れば十分な打撃になるはずだった。助走の勢いを乗せた一撃はゾンビの頭部に命中。確かな手応えがあった。脳震盪を起こしたのかチェックシャツのゾンビがぐらっと揺れる。望は槍でゾンビの足を薙ぎ払うと、ゾンビはバランスを崩して床に仰向けに倒れた。望はゾンビの身体に跨ると、真下、チェックシャツゾンビの目を狙って、全体重をかけて槍を突き刺した。槍は白く濁った眼球を押しつぶし、そのまま脳を貫く。だがゾンビの動きは止まらない。手をばたつかせ望の足を掴もうとする。
「しつこい!」
望は突き刺したままの槍に一捻りを加えた。頭蓋骨の中で腐りかけた脳味噌がえぐられ、チェックシャツゾンビの腕は空中で止まり、すぐに地面に落ちた。ゾンビは完全に動きを止めた。望は槍を抜こうとしたが、即席の槍は物干し竿部分とサバイバルナイフの結び目が綻び始めている。槍は諦め短機関銃を構えた。
二体目のロングスカートのゾンビが両腕を突き出して迫って来た。望はさきほど倒したチェックシャツのゾンビから一歩後ろに下がり次のゾンビを待ち構える。狙い通り、ロングスカートのゾンビは倒れているチェックシャツのゾンビと突き刺さった槍に引っ掛かり、前のめりに倒れた。望はその後頭部を狙って引き金を二回引く。単発設定にした短機関銃から二発の弾丸が発射され、ゾンビの頭部を砕いた。白い体液が割れた頭蓋骨からこぼれ出し、ゾンビはそのまま動かなくなった。
二体のゾンビを倒した望はすぐに銃を正面に構え女子トイレの入口を警戒する。新手は出てこなかったが、牧野達の姿も無い。
「まだ出てこないのか!?」
女子トイレの入り口にヘッドライトを向けたが誰かが出て来る気配が無い。
「まさか、もう死んでるなんて事は無いよな。勘弁してくれ」
中に迎えに行こうとした時、望の後方、自転車コーナーで自転車が倒れた。音葉に誘導されて行ったゾンビの一体が戻ってきたらしい。急いで廊下から出ると、一体のゾンビが電気アシスト自転車を薙ぎ倒しながらこちらに向かって来ていた。中年の女性のゾンビでふっくらとした身体の肌はくすんだ白色で、その口元からブラウスの胸元は真新しい血で真っ黒に汚れ、目は赤く光っていた。
「赤目のゾンビ! あの血はまさか音葉ちゃん!?」
望の頭に一気に血が上ったが、ゾンビの服についた血が既に乾き始めている事に気づく。音葉の血では無い。おそらく新城の物だ。
まるで積もった雪をかき分ける除雪車のように、ふくよかな赤目のゾンビが自転車を倒しながらゆっくりと近づいて来る。その迫力に望の身体が緊張で震えた。同時に、赤目のゾンビが音葉を追わずにこちらに来た事に安堵する。音葉ならたとえ怪我をしていても普通のゾンビ相手に遅れをとることはない。後は目の前の赤い目のゾンビさえ倒せば救出作戦は成功する。
「接近されたら勝てない。近づく前に倒せれば」
ゾンビが自転車の海を抜けた。距離は二十メートル程。望は短機関銃を向けるが、赤目のゾンビは臆する事なく奇声を上げ、陸上選手のような綺麗なフォームで加速した。ふくよかな肉体の腹部の肉を揺らしながら走るその姿は恐怖を通り越して滑稽ですらあった。
「来るなら来い! やってやる」
望は銃を連射モードに切り替えると赤目のゾンビの胴体に向けて引き金を引いた。鋭い銃声が連続して響き、弾丸が次々とゾンビに命中する。胴体に命中させ動きを止めようとしたのだがゾンビは止まらない。豊かな脂肪に阻まれているのか、銃撃を物ともしない頑丈な身体なのか、命中する度に多少よろめきながらも走り続け、望との距離を詰めて来る。直近まで迫った時、赤目のゾンビは勝ち誇るように口を大きく開き、走り幅跳びの様に地面を蹴った。
「せめて相打ちに!」
望は歯を食いしばりながら銃口を上に向けて振った。短機関銃から発射された数発の九ミリ弾がゾンビの首と鼻に命中、脳を破壊した。ゾンビは空中で動きを止め、飛び上がった勢いのまま望に突っ込んで来た。
「うわっ!」
慌てて避けると、ゾンビはそのまま展示されていた自転車に頭から突っ込んだ。きれいに並べられていた自転車が将棋倒しになり、ガチャガチャと大きな音を立てる。赤目のゾンビは手前の自転車の後輪に頭を突っ込んだまま動かない。折れたスポークが何本も顔に突き刺さり、そこから白い液体が流れ出ていた。
「やった、のか?」
床に尻餅をついていた望は一発の銃弾が赤目のゾンビの後頭部を破壊していることを確認し、安堵した。その時、再び近くで別の自転車が倒れる。新手が来たのかと慌てて銃を向ける。引き金に指を掛けたまま強引に銃口の向きを変えたので弾みで一発の弾丸を発射してしまった。銃弾は一台のフレームにぶつかり火花を上げる。その向こうにライトを持った人影が浮かび上がた。
「待て! 撃つな!! 人間だ」
人影の一人が両手を上げて声を張り上げた。先頭に赤い消防斧を持った眼鏡の男性。その隣に同じくらいの年齢のワンピースを着た女性。そして女性に腕には小さな男の子が抱き抱えられていた。男性と女性の特徴は野瀬から聞いていた内容と一致する。牧野と小笠原、そして女性の腕に抱えられているのがサトルという子供だろう。
望は生存者を助けられた事に安堵し、ゆっくりと床から立ち上がった。
=修正=
・3月19日 最後部分を修正。望が人影に向かって誤射した描写を追加
・3月19日 最後の望のセリフを削除




