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8月20日 ホームセンター(2)

 望と音葉は車道に残ったタイヤ痕を目で追いながらホームセンターに続く道を歩いていた。先頭は音葉、その後ろに望が続く。いつもは見通しを確保するため道路の中央を歩く二人だったが、今は追っている車に気づかれないよう端の歩道を歩いていた。右手側、車道との境には、二週間以上続く灰の空のため生気の無い生垣や街路樹があり、中腰になれば全身を隠すことができた。左側には倉庫や工場が立ち並び、それぞれの敷地を区切るコンクリート壁や金属フェンスが長い壁を形成していた。左右を壁に囲まれた圧迫感から逃れるように望は明るい声で音葉に話しかける。


 「東京に比べると灰が少ないな」


 望の家の周りでは靴が沈む込むほど積もっていた灰も、千葉に入ってからはうっすらと地面を覆う程度だった。


 「いいことばかりじゃありません。運良く小雨のお陰で灰が泥になってタイヤの跡がはっきり残っていますけど、もし乾燥していたら追跡はできなかったと思います」

 「つまり俺たちツイてるってことだろ? その内車に追いつけて、一緒に館山までぱっと行けるかもな。おっと油断は禁物、だよね」

 「……」


 先を越され音葉は少し不満気に頬を膨らませた。望は笑いながらも、首を巡らせ左右と後方を確認する。


 「大丈夫だよ。ちゃんと俺の役割は果たすから。左右も後ろも異常は無い」

 「その余裕が心配です。確かにお兄さんは出会った時よりも頼りになりますけど、何事もできたと思った瞬間に失敗が始まるんです」

 「手厳しい。俺なりにがんばってるつもりなんだけど」

 「がんばってるとは思います。でも左、見たのに気がついていないですよね」

 「えっ?」


 望が左に振り向くと倉庫の敷地から一体のゾンビがこちらに向かってきているところだった。先ほど望がいた位置からでは敷地内の植木が邪魔で姿が隠れていたが注意深く見ていれば発見できたはずだ。


 「やっぱり気がついてなかったんですね。常にピリピリしていろとは言いませんがここが安全ではないことは忘れないでください」

 「ごめん……ええと、あれはどうする?」

 「お兄さんはどう思いますか」


 音葉は近づいてくるゾンビに向かって日本刀を向けながら望に尋ねた。


 (また試されるのか)


 この数日間、音葉は何度も望に意見を求めた。ゾンビの群れと戦うべきか、水没したトンネルを進むべきか、どこで休むべきか、困難に遭遇した時、まるで何かの実地試験のように、どうするべきかを聞いてきた。それは音葉がどうしていいかわからないのではなく、望がどう判断するのかを試しているようだった。生徒と教師のような関係を不満に思わなくもなかったが、音葉の方がこの世界を生き延びた経験も実際の戦闘力も高いので文句は言えない。望にできることは音葉の足を引っ張らないよう最適な答えを見つけることだけだった。

 改めてゾンビを見る。倉庫の作業員らしく上下灰色の作業服に黄色いヘルメットを被っている。ヘルメットがあるので頭部への直接攻撃は難しい。しかし、黄色いヘルメットゾンビの動きはかなり遅く鈍い。歩くだけで普通に振り切れそうだ。


 「無視しようか? わざわざ戦うリスクをとる必要もない、かな?」

 「わかりました。ではあのゾンビが私たちについてきたらどうしますか? この先に追いかけている人達がいるとして、ゾンビを連れて行ったら変な誤解を生むことになりませんか?」

 「う、確かに。やっぱり倒していこう」


 望が短機関銃を構えようとすると音葉に止められる。「どうして」と理由を聞こうとしたが、その言葉を言い切る前に、音葉がゾンビに駆け寄り日本刀を一閃、頭部を切り落とした。落ちた頭部についたままの黄色いヘルメットがコンクリートの地面にぶつかり冗談みたいな軽い音を立てる。ゾンビの頭部はまだ生きており、酸欠の金魚の様にパクパクと口を開いていた。そこに音葉が逆手に持った刀を容赦無く突き立てる。眼球を貫かれたゾンビの頭部は大きく口を開いたまま動かなくなった。


 「お兄さん、迂闊です。追いかけている人が近くにいたらどうするんですか? ここで銃を使ったら気づかれてしまいます。私だったら銃声が聞こえたらその場を離れるか姿を隠しますよ」

 「う、ごめん」

 「銃は本当に危険な時だけにしてください。あとしっかり周りを見てくださいね」

 「気を付けます……」


 望は少し落ち込んだが、ホームセンターが近くにつれ音葉の表情が険しくなるのを後ろから見、気持ちを切り替える。


 (音葉ちゃん、何か不安があるのか。俺の事なら直ぐに指摘するだろうし、なんだろう?) 


 その答えを見出せないまま、やがて歩道の左側がホームセンターの敷地になる。かなり広い空間らしく仕切りのフェンスは延々と続いていた。百メートルほど進んだところでフェンスが途切れ、出入り口が現れる。車道のタイヤ跡もそちらに向かって左折していた。出入り口には大きな看板があり青地に赤い文字でアルファベットのエスが描かれ、その下に白い文字で「ホームセンター シーナン」と書かれていた。

 音葉は曲がり角手前のフェンスに背中をつけ、顔だけ出して中の様子を伺う。


 「タイヤの跡は敷地の中に入っています。戻ってきた形跡はないですね」

 「やっぱりここが目的地だったのか。しかも、まだ中にいる」

 「おそらくは。……行きますか?」


 疑問系の音葉の言葉に望は首を傾げる。例えゾンビの群れに飛び込む時でも音葉は自信と決断力を持って行動していた。それが今、東京で道に迷った修学旅行生のように不安そうだ。


 「音葉ちゃん、大丈夫? 体調が悪かったりする?」

 「いえ、身体は健康です。ただ、」


 音葉はフェンスに寄りかかると大きく溜息をした。それから少しだけ申し訳なさそうに望の顔を見た。


 「私はゾンビには慣れています。でも人間の集団と会うのはこれが初めてです。リスクばかり浮かんできて、どう接したらいいのか、自信ありません」

 「早見さんの仲間を撃った自衛隊の可能性もあるしな。そうでなくてもこんな世紀末みたいな世界だ。いい人ばかりとは限らないよな」

 「世紀末? 二十世紀の終わりに何かあったんですか?」

 「いや、映画や漫画の話だよ。マッドマックスとか北斗の拳とか。聞いたことない?」

 「私、そういう常識には疎いんです。ピアノと勉強で精一杯で他の事に目を向ける余裕が無かったんです」

 「ああ、そう言えば希美が言ってた。音葉ちゃんはプロのピアニストを目指してるって」

 「そうです。いえ、そうでした。世界がこんな風になったらピアノなんてゾンビを誘き寄せるくらいにしか使えませんから」

 「そんな事は無いと思うけど……」


 望は将来について真剣に考えた事はなかった。気になる女の子と付き合いたいとか、彼女と同じ大学に行きたいとか、その程度だ。もし本気で目指したい何かがあって、それが実現できないとわかった時、どれほど絶望するのか想像もできなかった。ピアニストや音楽家、そんな職業は人間がどれほど生き残っているのかわからないこの世界に必要かと問われれば、おそらく否だろう。望は何か音葉を励ませる言葉を探そうとして直ぐにやめた。口先の言葉が通じるとは思わなかったし、今は将来を考えるタイミングでは無い。目の前の課題が先決だ。


 「車の人達がいい人達なら、一緒に館山まで行ってくれると思う。そうすればもう戦わなくていいし、いつかピアノを弾く機会もあるよ」

 「そうでしょうか……」

 「だから、まずは中にいる人達の正体を探ろう。相手に見つからないように、こっそり中に入って、どんな人達か確認して、良い人そうなら声をかける、ってのはどうかな?」

 「もし、悪い人たちで先にこっちが見つかったらどうしますか?」

 「うっ、戦いになるかもな。最悪殺されるかも」


 望の脳裏に地下鉄で見たゾンビの集団が浮かんだ。この世界には少なくとも一組、百人近い人間を躊躇なく殺害できる人たちがいる。


 「お兄さんは殺されるだけかもしれませんが、私は一応女なので……」

 「そうか、ごめん。そこまで考えが及ばなかった。人間相手じゃ生きるか死ぬか以外の心配も出てくるもんな。じゃあ、この先に進むのは止めておく?」


 音葉は一瞬首を縦に振りそうになったが、すぐに横に振り直す。


 「いえ、万が一の話です。ファミレスで子供のおもちゃを持っていく人達ですから。多分、安全だと思います。私達も保護してもらえると思います」

 「その、万が一の時はさ」


 望は手にした短機関銃を強く握りしめた。


 「音葉ちゃんは命の恩人だ。だから、俺の命にかけて君を守るよ」

 「……かえって不安になります。でも勇気はもらえました。一応、頼りにしていますから」

 「一応?」

 「一応です。さあ、行きましょう。ここからはいつもより慎重にお願いします」


 二人は身を屈めながらホームセンターの敷地に入った。すぐ目の前に建物があるわけではなく、しばらく直線の道がありその先は左右に分かれていた。分かれ目の看板によると、右は地上駐車場、左は立体駐車場に繋がっているようだ。タイヤの跡は五組あり、五台とも右側に進んでいる。二人は看板越しに地上駐車場の様子を伺った。ホームセンターの野外売り場が邪魔で全てを見通すことはできなかったが、中央に百台以上が停められそうな広大な空間があり、左手に三階建てのホームセンターの店舗、右側には小さなガソリンスタンドや靴屋、クリニックなどの小規模な店舗が並んでいた。


 「見てください。駐車場の真ん中、人がいます」

 「本当だ。六人くらい? 車も三台とバスがいる」

 「いえ四台とバスです。バスの裏側にも一台います」


 駐車場の中央に大型バスが一台停車してた。望達からの距離は六十メートルくらい。いつでも逃げられるようにか、バスの正面は出入り口の方を向いている。運転席には運転手がいたが、ホームセンターの建物の方を見ているらしく望達には気がついていない。さらにバスを囲むように四台の乗用車が停まっており、その近くに二人ずつ人が立っていた。ちょうどバスを中心に円陣を組んでいるようだ。


 「外に六人、いえ八人います。みんな武装していますね。バットにハンマー、あれはスコップでしょうか」

 「銃を持っている人はいないな。服装も自衛隊には見えないし」


 駐車場にいる集団の服装はTシャツにジーンズ、上下ジャージ、スーツとバラバラ。とても戦闘のプロには見えなかった。早見が見たという自衛隊はフルフェイスのマスクに防弾アーマー、自動小銃を装備していたというからあの集団はほぼ間違いなくターミナル駅近くで百人の生存者を殺した者ではなさそうだ。


 「もう少し近づいてみよう。そこの園芸コーナーの中を通れば身を隠しながら進めるはず」


 望の言葉に頷くと、音葉は先頭に立ち、駐車場から死角になる位置を探りながらホームセンターの店舗の外に展開している園芸コーナーに入った。そこにはガーデンフェンスやレンガ、腐葉土、大きな植木鉢などが並べられており身を隠すには十分だった。石材や木材は火山灰で汚れただけだったが、野菜や果物の苗、花などの比較的小さなすっかり枯れ果てていた。大きな薄汚れた女性像や天使のオブジェと合間って墓場の様な雰囲気を作り出している。

 二人は園芸コーナーを通り店舗の入口の近くまで移動する。入口はシャッターが閉じているのでここからでは入れそうにない。入口の手前には駐輪場の様なスペースがあり、車の侵入を防ぐためかはが低いが隙間のない頑丈そうなフェンスがあった。二人はその影に隠れて、駐車場にいる集団の観察を始めた。


 「外の人、お年寄りや小学生くらいの子もいますね」

 

 近くで見るとバスの周りを囲っている中には小さな子供や初老の男性までいた。二人ともバッドや鋤で武装しているが落ち着きない様子で見るからに頼りなさそうだ。


 「バスの中に人がたくさんいますね三十人か、もっと」

 「あれは子供かな? ほら後ろの方。窓から外を見ている小さな人影がある」

 「五歳くらいでしょうか。他にも小さな子が何人か、それに女性やお年寄りも多そうですね」


 円陣の中央で守られたバスの窓に見えるのは子供、女性、老人と戦闘力の低そうな者達ばかりだった。比較的若い男性らしい姿もあるが運転席の一人を除いて頭に包帯を巻いたり体調が悪そうでぐったりとしている。


 「避難所がゾンビに襲われて慌てて逃げ出した、って感じだな」

 「そうですね。バスの中の人を見ると人殺しや乱暴をする集団ではなさそうです」

 「よかった。安心して声をかけられそうだ」

 「でも、かえって不安になります。外にいる人数でバスの中の全員を守れるとは思えません。あれでゾンビと戦えるのか疑問です」

 「まあ、ハリネズミの様に武装しているよりは話しかけやすいんじゃないか」


 その時、風に乗って人間の声が聞こえてきた。大型バスの近くにいた二人の男女が言い争いを始めたようだ。男は三十代くらい。茶髪を短く刈り上げTシャツにジーンズとラフな格好をしている。シャツから突き出た腕は遠目でも筋肉質でラクビー選手のように見えた。女は二十代前半くらい。動きやすそうなベージュのパンツにチェックの長袖シャツ、明るいオレンジ色の登山靴とトレッキングに行くような格好をしている。見た目は二十くらいの女子大生に見えた。


 「……だから待って……でしょ?」

 「もう十分……。手遅れ……!!」

 「言いたくは……、もう……」

 「黙れ!! 俺は……」


 はっきりとは聞こえないが二人は何かを議論しているようだ。男はかなり苛立ち、女は必死にそれを宥めようとしている。バスを守っているはずの他の六人まで心配そうに二人の様子を伺ってしまっている。


 「あの人たち、あんな大声で話して。他の見張りも注意が外れてます。今ゾンビに襲われたらどうするつもりなんでしょう」

 「まあ、ゾンビなら足も遅いし。車もあるからすぐに逃げるつもりなんじゃないか。しかし喧嘩中だと出て行きにくいな。どうしよう? 少し待つか? でも、あの人達、何かを焦っているみたいだから早めに声をかけた方がいいかもな」


 音葉は再び少し困った顔をする。集団から目を離さず何かを考えているようだった。


 「まだあの人達が不安? 言い争っているから?」

 「……基本的にいい人達に見えます。でももし対立したら八対二です。殺さずに切り抜ける自信がありません」

 「うん? まあ音葉ちゃんが戦えば勝てるだろうけど、戦わなくてもいいんじゃないか」

 「もし私達が受け入れてもらえても、あの人達は大人数で大人もいます。主導権を取られてしまいます。それに……」

 

 次の不安を言いかけて音葉が口を閉じる。


 「なんか、いつもと、ゾンビを相手にしている時とは違うんだな」

 「そうですね。ゾンビはシンプルですから。殺すか、殺されるか。二択しかありません。でも人間はもっと複雑です。元々人間関係は得意じゃないんです。中学に入った時、希美と一緒に吹奏楽部に入ったんです。でも先輩と喧嘩してしまって。クラスでもちょっと浮いてましたし」

 「そうだったんだ」

 「だから、危険かどうか、あの人達が信頼できるのか、わからないんです。人間は苦手で」


 音葉は今まで望に見せたことの無い苦悶を顔に浮かべていた。その様子を見て望は考える。自分が、今出来る事は何か。こういう時、西山ならどう行動するのか。


 「じゃあ、まず俺が様子を見てくるよ」

 「お兄さんが?」

 「俺が一人で出て行って危ない人たちかどうか確かめてくる。こう見えても高校で生徒会の役員だったんだ。交渉事は得意だよ」


 本当のところ、交渉らしい交渉は先輩か西山がやっていたので望は隣でメモを取っていただけだった。だが、初めて不安を見せる音葉の役に立ちたかった。それに今の音葉の不安は非合理的だと感じていた。生き残る為にはより大きな集団に属した方がいいに決まっている。

 正直なところ、望だって未知の相手との遭遇は恐ろしかった。音葉と同じように生存者にゾンビとは違う恐怖を感じている。だがここは勇気を振るう場面だ。地面に置かれた音葉の手は望よりもずっと小さい。その小さな手で日本刀を振るい今まで望を助けてくれた。これからは少しでもその恩返しがしたい。彼女がこれからも生きていけるために出来ることをするべきだ。


 「危険かもしれませんよ? 自分たちの仲間以外はみんな殺す人かもしれません」

 「大丈夫。こっちには銃があるんだ。距離さえ取っていればスコップやバットには負けないよ」

 「……でも、いえ、やっぱり様子を見るなら私が」

 「待って。常識的に考えて突然日本刀を持った中学生が現れたらあの人達も混乱すると思う。そういう意味じゃ、バールを持った高校生の方がゾンビで溢れる世界を生き抜いていても不思議じゃないだろ」

 「常識的にですか……わかりました。くれぐれも無茶や無理はしないでください」

 「ああ。俺に任せてくれ」


 望は自分の不安をかき消す為、勢い良く胸を叩いて見せた。

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