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8月18日 ターミナル駅(3)

 女性が手にした銃が火を吹いた。頭部を撃ち抜かれた三体のゾンビが立て続けに倒れる。望は女性が持つ銃について記憶を手繰ってみた。ゲームで見た事がある。確かドイツ製の短機関銃MP5で、警察の特殊部隊が使っている銃だ。望が持っている拳銃よりも遥かに強力な武器だった。

 女性は慣れた手つきで煙を上げている銃口を床に倒れたゾンビ達に向けた。銃声に刺激された他のゾンビが立ち上がるのかと望と音葉も警戒したが、十秒ほどしても動き出すゾンビはいなかった。ここにいるゾンビは、全て死んでいるらしい。

 安全が確認できると女性は銃を下ろし、状況を飲み込めず目をキョロキョロさせている望と迷いながらも日本刀を女性に向けようか迷っている音葉に向き直った。女性が頭にかぶっているヘルメットとそこに装着された強力なヘッドライトの明かりを正面から浴び、二人は思わず顔をそらす。


 「あんた達、どうして戻ってきたの。他のみんなは?」


 知り合いを叱りつけるような女性の口調に望は音葉の知り合いかと思った。だが音葉も困惑を隠せない様子で望に視線を向けている。

 二人の雰囲気が意外だったらしく、女性も短機関銃を構え直し二人の正体を窺うようにじろりと目を動かした。


 「日本刀に拳銃を持った子供……見ない顔だ。もしかして、知事と一緒に脱出した人達とは違うのかい? 都庁に逃げてきた学生さんたちじゃない?」


 知事、脱出、都庁、どれも馴染みのない単語だ。望がどうするか迷っていると後ろにいた音葉が前に進み出て首を横に振った。


 「すみません。お話が良くわかりません。私とお兄さんは地下鉄を歩いてきて、ついさっきこの駅に到着したところです。都庁に行った事はありませんし、知事の事も知りません」

 「そう。じゃあ、わざわざ戻ってきたわけじゃないんだね。てっきりシェルターがダメだったのかと思ったよ」


 音葉が頷いて肯定すると女性はほっとしたようだ。

 望が見たところ、目の前の女性は東京都の職員らしかった。先ほど地下で見た高田と同じ格好をしている。灰色の作業着に短機関銃の組み合わせは奇妙に見えたが、銃は女性の手に馴染んでいるようだ。噴火から今日まで数々の戦いを潜り抜けてきたのだろうか。ただ左腕を怪我しているらしい。内側から滲み出た赤い血が作業着の袖を汚していた。


 「どういうことか説明していただけませんか? 他にも生きている人がいるんですか? シェルター、避難所がどこかにあるんですか」

 「ああ、それは、」


 女性が言いかけた時、遠くの方でゾンビの叫び声がした。


 「話は後にした方がいいわね。ここも安全とは言えないから、こっちに来なさい」


 女性は望たちの返事も待たず、くるりと後ろを振り向くと先ほど出てきた金属製の扉を開いた。中は通路のようだが周りが暗いのでよくわからない。望は後ろから小さな声で音葉に話しかけた。


 「音葉ちゃん、どうする?」

 「とりあえず付いて行きましょう。悪い人ではなさそうです。生存者に会えるなんて思ってもいませんでした。でも気を付けてください。あの人は銃を持っています」

 「まさか、あの人が地下にいた人たちを殺した?」

 「可能性はあります」


 望の脳裏に地下でゾンビ化していた高田と百人を超える人々の姿がちらつき寒気がした。


 「どうしたんだい? もたもたしてるとゾンビが来るよ」

 

 躊躇している望に怯えの色があり、その視線が自分の銃に向いている事に気が付いた女性は苦笑いをした。


 「そうだ、私たちは初対面だったね。あんたたちみたいな学生もいたからつい、いつも通りに話しちまった。悪いね。こんな物騒な物を持っていたら不安にもなる」


 女性は肩にかけていたショルダーストラップを外すと短機関銃を望に向けて差し出した。望は少し迷った後、拳銃をポケットに押し込み短機関銃を受け取る。受け取った銃は拳銃よりもはるかに重かった。


 「さて、これで信用してもらえるかな」


 女性はぱっと両手を広げた。音葉は女性の全身をさっと観察する。作業服はゆったりとしており上着の内側やズボンのポケットに何か隠されていても外から見つけることは難しそうだった。だが一番強力な短機関銃は手放している。拳銃や大きな武器が隠れているにしては服の膨らみが無い。


 「わかりました。とりあえずは一緒に行きます。お兄さん、その銃、いつでも撃てるようにしていてください」

 「お、おう。わかった」


 男らしく返事をしようとして吃った望は、少し慌てながら銃の使い方を考える。まず安全装置の位置を確認し、直ぐに引き金を操作できるよう短機関銃のトリガーガードに人差し指を乗せる。昔ドラマで見たやり方だ。理論的にはこれで射撃ができるはずだが、短機関銃は拳銃よりも複雑な作りをしていたので自信は無い。

 女性は望が短機関銃を構えると、もう一度「ついてきな」と言って通路に入った。そこは細い通路で数メートル先に別の金属製の扉が見える。女性は迷うことなく大股で通路を進んで行った。


 「そういや、あんた達は兄妹なのかい?」

 「違います。お兄さんは、いえ望さんは私の友達のお兄さんです」

 「ああ、そういうことか。そっちの男の子が望君であんたは?」

 「音葉です。奥山音葉」

 「よろしくね、奥山さん。私は早見智子。東京都の総務局防災課の係長さ。まあ、もう東京都なんて組織はこの世に存在しないんだろうけどねえ。さあ、二人ともこっちだよ」


 早見と名乗った女性が通路の先にあった扉を開けるとそこは駅員のオフィスだった。壁一面に駅に乗り入れている各路線の状態を表示する装置があり、それに向かい合う様に十数台の机が並んでいる。部屋の隅にはなぜか大量のリュックサックや鞄、水や食料などが山積みになっていた。部屋は無人のようだったが、あちこちに設置されたアウトドア用のライトのおかげで昼間のように明るかった。


 「その辺の椅子に適当に座りな。今飲み物を用意するから。お茶と炭酸どっちがいい? あ、炭酸は冷えてないよ」


 部屋の入り口で躊躇する二人を余所に、早見は壁際の食料の山に向かった。望は一応、いつでもその背中に銃口を向けられるように警戒する。音葉は自分のヘッドライトを消すと日本刀を左手に持ち、右手で近くにあったオフィスチェアを三脚引っ張り、すぐに逃げられる位置に並べた。

 

 「で、どうするんだい? お茶と炭酸」

 「私はお茶でお願いします」

 「あ、じゃあ俺もお茶でいいです」

 「はいよ。一応言っておくけど未開封だから心配しなくても大丈夫だよ」


 早見は封の切られていない緑茶のペットボトルと、袋に入ったままのプラスティック製の使い捨てコップ、それにブランド物らしいクッキーを一箱持ち、音葉が用意したオフィスチェアに座った。


 「お茶を置く場所がないね。望君だっけ、そのシドワゴンを持ってきてくれないかい」


 早見に言われ、望は銃を持ったまま近くの机の下に置かれていたキャスター付きのサイドワゴンを足で蹴りながら転がした。行儀が悪いと思っているのか音葉が眉をひそめている。望は音葉と早見の間にサイドワゴンを置いた。早見はプラスチック製のカップをワゴンの上に並べ、そこにペットボトルのお茶を注ぎ込んだ。傷が痛むのか作業は全て右手で行っている。


 「左手、大丈夫ですか?」

 「ああ、これかい? ちょっとね。でも大丈夫だから気にしないでおくれ」


 お茶の用意が終わると、早見はさっさと右手で自分の前のコップを掴みあおるように飲み干した。


 「最後くらいビールが飲みたかったね。避難所にアルコールがあればどれだけよかったか。あんた達、酒は飲んだことはあるかい?」

 「ありません。それよりもおばさんはどうしてここに? 他に生き残りがいるんですか? シェルターって何ですか?」

 「そうだね。まあ気になるよね」


 早見はもう一杯お茶を注ぐと、右手でコップを持ちその水面にたつ波紋をじっと見つめた。

 

 「私たちは都知事と一緒に東京都庁に立て籠っていたのさ。ちょっと前に自衛隊が助けに来てね、近くに旧日本軍が作ったシェルターがあるって生き残っていた百人くらいと一緒に脱出をしたんだ。まあ、私は途中でしくじっちまってここに残ったんだけど、他のみんなは知事と一緒に地下鉄を通ってシェルターに向かったはずだよ」

 「自衛隊ですか……そういえばお兄さん、西山さんの手帳にありましたよね、ヘリコプターの音を聞いたって」

 「ああ。確かに書いてあった」


 望が西山の手帳を開くと今から数日前にヘリコプターの音を聞いたと書かれている。

 

 「その日付なら自衛隊が来た日だよ。でも妙だね。ヘリコプターがあるなら都庁のヘリポートに降りればよかったのに。自衛隊は地上から来たよ」

 「知事さん達はヘリコプターではなく地下鉄から脱出したんですか?」

 「そうだよ。ここから歩いて一時間くらいの所に旧日本軍の施設を改造した防災シェルターがあるらしいんだ。ゾンビが少ない地下鉄を使って近くまで行く、そう自衛隊の隊長さんは話していたね」

 「……」


 二人は無言になって顔を見合わせた。

 ただならぬ雰囲気を感じ、早見がコップから顔を上げる。


 「あんた達、もしかして何か知っているのかい」

 「ここに来る途中、私たちは地下鉄を歩いてきました」


 音葉が少し躊躇しながら自分が見た事を説明し始めた。


 「この駅近くで、おばさんと同じ服装のゾンビに遭遇しました。その人の持ち物を調べたら身分証に高田さんとありました。ご存じですか」

 「……ああ、知ってるよ。ちょっと小太りで三十代くらいの男性だろ? 私の同僚さ。知事と一緒に脱出したメンバーの一人だよ。高田君はゾンビになってたのかい?」

 「はい。その後、高田さん以外にも、百人近い人のゾンビを見ました。半分くらいはおばさんと同じ作業着を着ていました」

 「百人だって……」


 それは脱出したという知事達と同じ人数だった。望達は気が付かなかったが、あのゾンビの群れの中に東京都知事もいたのかもしれない。

 早見はがくっと肩を落としうな垂れた。


 「そうかい。知事達は、ダメだったんだね。安全地帯に逃げるつもりで脱出したのに、駅に残った私の方が長生きしちまうなんて、皮肉なもんだね。最後の最後でこんな事になるなんて」


 早見はそういうと、空になった自分のコップを潰した。


 「ヘリコプターが飛んでいたんです。全員は無理でも何人かは脱出できたかもしれません」

 「そうね、そうだといいね……」


 早見は黙祷するように静かに目を閉じた。望は重苦しい空気を感じながらも早見にかける言葉が見つからない。だが心のどこかで安心もしていた。早見は心の底から亡くなった高田や百人を偲んでいるように見えた。彼女が殺人犯ではなさそうだ。


 「おっとすまないね。あんた達には関係の無い話でしんみりしちまった。ほらクッキーでも食べな。知事や都庁のお偉いさんが外国からの来客に使う高級品だよ」

 「いただきます」


 音葉が明るい声でクッキーに手を伸ばす。早見や目の前のクッキーに危険は少ないと判断したようだ。望も音葉に続いて、キャビネットの上に置かれたチョコクッキーを手に取った。毎日食べている保存食とは違い、しっかりとしたチョコレート味に舌が喜んだ。まともな味がする食べ物を食べたのは二週間ぶりだった。二枚目に手を伸ばそうとした時、早見の額に汗がにじみ出ているのに気がついた。オフィスの気温は暑くも寒くもなく、座っているだけで汗をかくようなものではない。


 「あの大丈夫ですか?」

 「平気さ。そろそろ熱が出る頃ってだけだからさ」

 「熱が出る頃?」


 早見は左手でポケットからハンカチを取り出し、額の汗を拭った。


 「おばさん、その手は!!」

 「ん? ああ、もうここまで来ちまったか。手の感覚はまだあるんだけどねえ」


 苦笑いする早見の左手は指の第二関節くらいまで火山灰のように白く変色していた。


 「ゾンビ!?」


 音葉は椅子から飛び上がり日本刀を早見に向けた。

※2020年2月10日 早見の音葉の呼び方を「音葉ちゃん」から「奥山さん」に修正。

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