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8月17日 地下鉄(3)

2023年2月21日:全面改定

 ゾンビで溢れた地上とは打って変わり地下鉄の構内は呆気に取られるほど静かだった。階段を降りると小さなホールがあり、その先に改札、さらにその向こうに転落防止用ホームドアが設置されたホームがある。線路は上りと下りが一本ずつ。反対側のホームに行くには階段を使い線路の下を潜る必要があった。どこにでもある、普通の小さな地下鉄駅だ。

 音葉は改札の手前で立ち止まりライトで周囲を照らした。券売機の電源は落ちており、改札の横にある小さな窓口と事務所に人影はない。さらにホームにも人やゾンビの気配はなさそうだった。

 望も頭のヘッドライトを左右に振って辺りを観察した。暗くなった自動販売機、空っぽのゴミ箱、改札の前に設置された日替わりカレンダーは八月三日のまま止まっていたし、壁には八月十日に行われる予定だった地元の花火大会のポスターが貼られたままになっていた。


「誰もいないな」

「そうですね。噴火の日からずっと閉じていたみたいです。ゾンビもいなそうです」


 音葉は改札横にある駅のお客様窓口のガラス窓に手をかけたが、鍵がかかっているらしくビクともしない。ポケットからハンカチをとりだすと、ガラスに当て、そこに日本刀の柄を叩きつけた。バンとくぐもった音がしてガラスが震える。


「割れませんね」

「中に入りたいの?」

「さっきリュックサックを無くしました。駅の事務所なら非常用の食料やライトがありそうですじゃないですか」

「確かに。俺がやってみようか?」


 望は音葉から日本刀とハンカチを借り同じようにガラスを割ろうとした。だが何度叩いてもワイヤー入りのガラスは波打つだけでヒビすら入らない。望は別の方法がないか少し考え、ズボンのベルトを外した。留め金の細い部分をガラスに当て、日本刀の柄で釘と金槌の要領で叩いてみた。ピシッと鋭い音がしてガラスに白い筋が入る。数回が繰り返すといい手応えがありガラスの一部に穴が空いた。ハンカチを巻いた日本刀の柄で穴を広げ、そこに手を突っ込み鍵を開けた。


「ありがとうございます。私が中を調べてきますね」

「俺も行こうか?」

「この暗がりでゾンビに襲われたら守り切れません。お兄さんはここで待っていてください。上からゾンビが降りてきそうなら教えて教えてください」

「わかった。気をつけて」


 足手まといにはなりたくなかったので素直に待つことにした。事務所に入った音葉は、五分ほどで戻ってきた。なぜか地下鉄職員の制服を羽織っており、手に非常用の持ち出し袋と懐中電灯を二つ、着ている物と同じデザインの上着を持っている。


「色々と収穫がありました。まずお兄さんにライトと服です。今使っている物より明るいのでこっちを使ってください。予備の電池もありました。あとこれを着てください」


 先ほど上着で穴を閉じてしまったので望は右袖のないワイシャツ姿だった。望はありがたく受け取り、地下鉄職員の制服に袖を通した。基本的なデザインは高校のブレザーと似ているが、袖部分に金色の装飾がついており少し派手だ。生地は頑丈そうで、もしゾンビに噛まれても助かるかも知れない。それと音葉とおそろいになった事が何となく嬉しかった。口には出さなかったが自然と笑みがこぼれてしまう。


「私の格好、可笑しいですか?」

「いや、リュックサック。中で見つけたんだ」

「はい。食料と水がありました。あと、救急キットと電池、防寒用シートをもらってきました。食べ物は袋一杯に詰めましたので二人で三日分はあります」

「あ、水と食料なら俺も少し持ってるよ」

「どれくらいですか」


 望は肩にかけていた通学カバンを床に置くとジッパーを開いた。音葉も近づいてきてカバンの中を覗き込む。飲みかけのペットボトルや保存食の上に一枚の写真が入っていた。望が生徒会の役員と撮った記念写真だ。つい写真の中で微笑んでいる西山千明を見てしまう。当然、音葉も望の視線に気がついた。


「この人がお兄さんの彼女さんの西山さんですか?」

「あ、ああ。うん。この右側の子が」

「……綺麗な方ですね。千明さん、無事だといいですね」

「ああ。そうだね」


 望は写真をそっとどかすとカバンの中身を外に出した。二リットルのペットボトルが二本、ブロック状の保存食が六箱、それにビタミン塩飴が二袋。


「二人で分けて一日分ですね。私のものと合わせればだいぶ余裕ができました。しばらくは移動に専念しましょう。まずは、線路を伝って西ですね」

「地下鉄を歩くの?」

「電車、走ってませんから」


 そういうと音葉は荷物をまとめて背負った。ついでに望から鞘を受け取り日本刀を中に収める。それから動かなくなった改札を乗り越えホームに入った。望も暗闇に潜んでいるかもしれないゾンビを警戒しながらその後に続く。

 照明が一切点灯していない地下鉄のホームは巨大な洞窟のようで不気味だった。線路に降りようとした音葉だったが、ホームドアを乗り越えるには足場が足りない。そこでホームの端、稼働しないただの金属製の柵がある場所まで移動した。


「ここから降りましょう」


 音葉は柵の上から上半身を乗り出しライトで線路上の安全を確認する。


「ゾンビや障害物はありません。先に私が降りますので荷物をお願いします。あとライトで私の足下を照らしてもらえますか」


 そう言うと音葉は望にリュックサックと日本刀を渡し、駅の事務室で手に入れた大きなライトを床に置いた。自由になった両手を使って慎重に柵を乗り越える。望は柵から反対側から音葉の足下を照らした。


「次は下を照らせますか?」


 望は柵から腕を出し、音葉が飛び降りる線路の手前にライトを当てた。着地地点を確認した音葉はライトを手にすると軽やかな動きでホームから線路に飛び降りた。綺麗に着地した音葉はすぐに周囲を確認する。


「問題なしです。荷物と武器をください」


 ホームの下から音葉の手がのびてきた。望は身をかがめると、柵の隙間からまず日本刀を、次に防災袋を渡した。音葉は装備を調えると、数歩下がりライトで柵とホームを照らす。


「次はお兄さんの番です。少し高いですので注意して降りてください。まずカバンを」


 望は荷物を柵の向こう側に移動させ音葉に手渡した。次に柵から下を確認する。柵の向こう側に突き出たホーム部分は三十センチほどしかない。慎重に足を運ばないとそのままホームから落ちてしまう。ホームから線路までは一メートル以上の高さがあり下はコンクリートで覆われている。着地に失敗したらかなり痛そうだ。望は、音葉がしたようにまず柵の向こう側に移動し、それからホームに腰掛け、線路まで飛び降りた。スニーカーを通しても強い衝撃が足裏に響きじんっと痺れた。足の感覚が戻ってから身体を起こすと冷やりとした空気が頰を撫でる。


「なんか寒いね」

「冷たい空気が降りて来てるんだと思います。足下に気をつけてください。水たまりが結構あります」

 

 地下鉄の床面は基本的にすべてコンクリートで舗装されていた。レールの間は排水溝になっており、水が流れている。換気がなされていないからか、地下鉄の空気はジメジメと淀んでおり

水とカビの匂いがした。


「地下鉄ってこんなに広かったのか」


 線路から見上げる地下鉄はいつものホームからの印象とはだいぶ違った。天井はかなり高く、隣の線路との間に等間隔に並ぶ柱もあり、まるで古代ギリシアの神殿のようだ。


「私が先頭を歩きます、お兄さんは私の後ろを付いてきてください。後ろの警戒はお願いします」

「わかった」


 望は指示通り音葉の斜め後ろに続いて歩き時々後ろを振り返ることにした。

 二人は地下鉄を西に向かって進んだ。望は音葉の背中を追うばかりで、その小さな背中と腕に望の命がかかっていると何ともいえない気持ちになる。とはいえ先ほど音葉が地上で見せたような大立ち回りを直ぐにできるようになるとは思わない。手元に武器になるもはハサミしかなく、十センチ程度の刃物では素手よりマシな程度だ。できることから役に立っていこう、そう決意しながら望は地下を進んだ。


 二人は特に会話もなく地下鉄のトンネルの中を歩き続けた。暗闇にこだまするのは足音とどこかで水が流れる音だけ。外よりも気温が低かったが、ずっと動いているおかげで少し汗ばむくらいだった。地下鉄の線路は決して歩きやすくはなかった。レールとレールの間を流れる排水溝には蓋がなく、レールの下には枕木代わりのコンクリートのブロックがあり、平らで歩きやすい部分はほとんど無かった。ブロックに躓いたり、排水溝に落ちたりしないように気をつけながら隣の線路から何か出てこないか警戒しながら歩いていると案外気が休まらない。周囲から押し寄せる暗闇の圧迫感に思わず音葉に駆け寄りたくなく。

 地下鉄を歩き始めて五分ほどした時、ふと前を歩く背中が大きくなったような気がした。そこまで音葉に精神的に依存し始めているのかと自分に呆れてみたが、実際には足を止めたので距離が近づいただけだった。


「音葉ちゃん? どうかした?」

「しっ、静かに」


 音葉は鋭い声で望を制止する。


「何か近づいてきます」


 音葉は右手を耳に当てた。望もそれに倣って前方をじっと見つめる。真っ暗なトンネルの前方から何か音が聞こえてきた。微かな何か固い物を擦る音だ。


「金属音?」


 音は一定の間隔で鳴り、次第に大きくなっていた。鎖か首輪のような、小さな金属を引きずっているような音に聞こえる。望は家を出てすぐ遭遇した老人ゾンビを思い出した。あのゾンビは手に犬の首輪を持って歩いていたい。外の火山灰がコンクリートならこんな音がしたかもしれない。


「ゾンビが地下鉄にもいたのかな。どうする?」

「何かがうごめいている感じがしません。ゾンビだとしても数は少ないと思います。落ち着いてください。私が戦います。お兄さんはライトをつけて私の足元を照らしてください。間違っても私の顔を照らさないでくださいね」


 望はコクコクと二度頷く。音葉は手にしていた懐中電灯を正面に向けて地面に置き、両手で日本刀を構えた。望はその様子を息をのんで見守っていた。音は徐々に大きくなり、やがて金属の擦れる音に混じり人が地面を這いずる音やうめき声が聞こえてきた。


 「やっぱりゾンビですね。でもこの音の感じなら一体だけです。良い機会です。お兄さんは後ろで私が戦うのをよく見ていてください。ゾンビの動きは鈍くて単純です。慣れればお兄さんも一人で戦えます」


 望が強張った表情で頷くと音葉は正面に向き直り日本刀を構え直した。

 金属の擦れる音がどんどん大きくなり、やがて地面を這う人影がライトの明かりの中に現れた。まず目に入ったのは白いヘルメットとそこからこぼれる長い髪、体は細身で女性のように見えたがうつ伏せで俯きながら地面を這っているので顔は伺えなかった。ふくらはぎに怪我をしているらしくジーンズに赤黒い染みがあった。女性が這う度、肩から下げたショルダーバッグの金具がレールと擦れて耳障りな金属音を発する。ヘルメットの女性を見て音葉がわずかに戸惑う。唯一肌が見える手にまだ生気が残っており灰色になりきっていない。動きは明らかにゾンビだが見た目は人間にも見えた。


「まだ生きてるのかな」

「残念ですが違うと思います。念のため確かめましょう。そこの人、もし生きているのなら止まって顔を上げてください」


 音葉がヘルメットの女性に声をかけた。しかし女性は止まることも、顔を上げることもなかった。ひたすら望たちに向かって小さなうなり声を上げながらレールの上を這っている。


「ゾンビですね。多分、ついさっきゾンビ化したんだと思います。足の傷が新しいですし、手に生気が残っていますから」

「かわいそうに……」


 ヘルメットゾンビの足のダメージは大きいらしく、立ち上がることはできないようだった。腕の動きもやや鈍く、しかも匍匐前進では大した速度は出ない。音葉は警戒しながらやや大回りにゾンビの側面に移動した。ゾンビは音葉の動きを追う様に手を伸ばしたが、這ったままの姿勢では移動する人間をとらえることはできない。手の狙いも甘く、長い髪が顔に掛かっているためきちんと音葉を見れていないようだった。

 音葉は望へのチュートリアルを続けた。


「お兄さん、ゾンビの弱点は頭です。まず頭を攻撃できるようにしてください」


 音葉はブーツでヘルメットゾンビの頭を思いっきり蹴り飛ばした。衝撃で白いヘルメットが飛び、長い髪がぱっとこぼれる。望はゾンビの頭にヘッドライトを向けた。ちょうどゾンビが顔を上げたのでその顔に光が当たった。浮かび上がったゾンビの顔を見て望は愕然とする。


「なっ……!?」


 望の声は動揺でほとんど音にならず、ゾンビに集中していた音葉は気づかずにレクチャーを続ける。


「脳を破壊すればゾンビは倒せます。でも人間の頭蓋骨は硬いので刀や刃物で倒すにはコツがいります」


 音葉はレールの上に半分乗っていたヘルメットゾンビの胴体を横から蹴り上げた。その衝撃でゾンビが地面に仰向けになる。ゾンビの顔がさらにはっきりと見えた。望のよく知っている人物だ。目は白く濁り、肌は血の気がなく白っぽくなりつつある。しかしその顔は、望が二週間、毎日の思い焦がれた相手だった。


「一番いいのは目です。目をを狙ってください。骨がないですし、すぐ後ろに脳があります」


 音葉がヘルメットゾンビの目を狙い逆手に持った日本刀を振り下ろそうとした。


「待ってくれ!!」


 思わず駆け出した望は力一杯音葉の小さな腕を掴んだ。


「なにをするんですか!? 危ないですよ!!」

「違うんだ。そいつは、そいつが西山なんだ。俺の大切な人なんだ。だから殺さないでくれ」

「この人が?」


 音葉は改めてゾンビの顔を見た。


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― 新着の感想 ―
[一言] 西山ゾンビになっていましたか…ついさっきまで生きていた可能性が高いのが悲しいですね。 当然音葉ちゃんは殺す必要性を望に説くんでしょうが、望をこの試練を乗り越える事が出来るのか、次回が気になり…
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