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クリスマスには花束と(12):リハーサル

「カイロ、もう一つ貼る?」


 座ったまま顔を上げると千尋と目が合った。いつもは露出の多い彼女だが今日はニット帽とマフラーにロングコートと着込んでいる。そのコートのポケットに片手を入れ何かごそごそしていた。


「大丈夫。ありがと」


 望が返事をすると、千尋は「そう?」とポケットから出した手を物足りなさそうにぶらぶらさせた。強い風が三メートルの高さにある仮設ステージの上を通り抜ける。三十分近く潮風に晒された千尋のポニーテールが少しパサつきながら旗のようになびいた。


「真冬に、外で、コンテナの上ってさ、和浦さん達、今が十二月だって忘れてるんじゃない? 壁作れよってかんじ」

「まあ、ほら。俺達の姿が下から見えないと意味ないからさ」

「わかるけど。とにかく寒い」


 千尋が文句を言いながら少しでも暖まろうと腕をさする。

 望達nap3のメンバーはMCL作戦のリハーサルを行うため館山港に設置された高さ三メートルの仮設ステージ上にいた。それは海運用のコンテナを並べて作られており、コンテナの寸法はだいたい長さ六メートル、横幅と高さが二メートル半。その巨大な金属製の箱の上に鉄板を敷きステージとしている。広さは十二メートル×五メートルと一般的な学校の体育館ステージの半分くらい。ソロのアイドルとそのバックバンドのパフォーマンスには十分な広さだが、マイクやスピーカー、安全柵などでゴテゴテしているため窮屈な感じた。メンバー配置は海を正面にし、ボーカルのミウがセンター、その左右にギターの千尋とベースの石坂、センター後ろにドラマの帯川、キーボードはドラムの右側でギターの後ろだ。本番は完全武装の陸自隊員に囲まれるはずだが、今回は事情があることと安全な館山キャンプ内なので護衛はつかない。


「リハーサル、まだかな」

「予定だとあと五分だけど、もう少しかかりそう。機材トラブルとか言ってるし。あ、連絡だ」

『こちら本部。nap3のみなさん、リハーサル開始を一三一五に変更します。もう少しステージ上で待機していてください』


 望と千尋は耳につけたイヤホンから受けた連絡に揃って苦笑いする。ステージ上にいるNap3の他のメンバー、ミウ、石坂、帯川も同じ様にがっかりしていた。

 ステージの下は直接は見えなかったが、大勢が慌ただしく駆け回っている気配やイヤホンを通して聞こえてくる無線のおかげで順調でないことは把握できた。


「自衛隊が仕切ってるのに上手くいかないんだね」

「仕方ないさ。急に人が減ったんだから」

「流れ着いたフェリーが爆発したんだっけ? 犯人がいるの?」

「真庭さん達はタイマーかセンサーが誤作動した自爆だって言ってたよ。でも念のために自衛隊の人達で何組か作ってパトロールしてるんだってさ」

「それで人手不足か。ううっ」


 千尋がぶるっと身体を震わせた。着込んでいても寒いものは寒いらしい。望はキーボードの椅子から立つと海と千尋の間に立った。


「なに?」

「風よけ。無いよりマシだろ」


 今日の望は千尋以上に着込んでいる。出発前に貼ってもらったカイロ、オリーブドラブのミリタリージャケット、それに起毛ジーンズに保温効果のあるインナー上下、登山靴は重たいが足首まで覆っている。

 千尋は「ふーん」と身を小さくして望の身体に隠れる。


「悪くないけど」

「嫌か?」

「なんか慣れてない? ウチのお姉ちゃんの身長だと望の背中は小さい気がするんだけど。別の女の子にこういうことしてたの?」

「妹だよ。妹の希美。叔父さん家が山の中にあったから、冬に外で遊んだ時に風よけにされたんだ。背中にぴったりとくっついてきてお兄ちゃんシールドだって」

「なるほど。それはそれで悪くないか」


 機嫌を直した千尋の声にホッとし、ステージの上を改めて見渡す。ミウと石坂はストレッチをして体を温めていた。珍しく石坂がリードしていて、野球部のやり方かなのか肩周りを重点的に伸ばしている。帯川はというと姿が見えない。実際にはドラムの後ろに隠れていた。ドラムセットで一番面積のあるバスドラムを盾にしながら、スティックを動かして練習をしている。

 千尋が背中を軽く押しつけ、すぐに離れていった。肩を叩く代わりだろうか。


「そういえば望は聞いてる? 野瀬さん達も来てるんだって」

「確かゾンビの誘導役で参加するんだっけ」

「そうそう。最初は危険な仕事は全部自衛隊がするって言っていたのに。結局民間人が使われてる」

「まあ、状況が変わったから。仕方ないんじゃないか」

「……望って、結構考えが自衛隊寄り」

「そうかな?」


 望が思うに、フェリーを爆発したのは小針で、小針は成田シェルターから来て、自分もそこの一員だ。責任の一端はあるような気がしいる。


「……リハーサル、もう少しかかるかな」


 後ろで千尋が動く気配がして、背中に柔らかいものが寄りかかってきた。今度は離れずぴったりとくっついている。


「千尋?」

「こうしてた方が暖かい。お兄ちゃんシールドなんでしょ」

「……それは、でも」

「背中合わせはいつもしてるじゃん」


 確かに千尋に背中を預けられるのはこれが初めてではない。ゾンビだらけの工場で、真っ暗なスーパーの中で、幾度となく背中合わせで戦ってきた。ただそれは戦闘中の話だ。もっとも、千尋は望への好意を隠してはいないがスキンシップをとってきたことはない。妹分が本当に暖をとっているだけならそれほど嫌がることもないかもしれない。

 カイロより大きな面積のささやかな温もりは心地良かった。千尋はなぜか口を閉ざしてしまったので、望は少し離れたところにある倉庫に目を向けた。その中に作られた本部に青い迷彩服を着た海上自衛隊員が忙しそうに出入りしている。イヤホンの無線に耳を傾けてみる。


『スピーカー、一番から五番、まだ反応ないぞ! どうなってる』

『監視カメラ十二番の映像が来ていません。チェックに行ってるですよね?』

『こちら本部、えっ、九番スピーカーのゾンビ役が集まっていない? 事前に洗濯班に声を掛けたんじゃないのか? えっ、洗濯が終わらない?』

「自分がケーブルを確認して来ます。それ借りますね」


 最後の台詞ははっきりとステージ下から聞こえ、声の主の海自隊員が自転車に乗って基地の方へ走って行った。


 本日のMCL作戦の予行は本番の手順を簡略化して行われる。まず、木更津駐屯地の北にある運動場に設置される高さ十メートルのステージの代わりに館山港に簡易ステージが設置された。そこでnap3が演奏を始めるとその音が木更津駐屯地に見立てた館山基地の各所及び基地と港を繋ぐ通路に設置したスピーカーに送られる。スピーカーは全部で十五台あり、ステージ前に設置されているものが一番、番号が大きくなるほどステージから遠くなり、最後の十五番は館山基地の格納庫に置かれている。nap3の演奏音はまず十五番から流される。それを聞いた十五番担当のゾンビ役は音の方向に移動する。ゾンビはより大きな音がする方向に集まる習性があるので、大音量を出すスピーカーを十五、十四、十三、十二と減らしていくと、ゾンビは数を増やしながらステージに近づいてくるはずだった。もちろん、スピーカーの音だけでは十分に集まらないと思われるので、誘導隊を配置する。重武装の車に乗り、ゾンビに生身を見せながらスピーカーやステージまで誘導する役割だ。音と誘導班によって集められたゾンビは基地からステージまで長蛇の列を作る。先頭のゾンビがミウを目視した所で第一段階が終了する。ゾンビは付近にいる仲間に生きた人間の存在を伝える何らかの情報伝達手段を持っている。そしてその情報発信時間と強度は人間を目視し続けた時間に比例する。つまり、nap3がステージで演奏を続ける限り、それを見ているゾンビから列を伝わって駐屯地のゾンビまで獲物の情報が届くはずだ。計算ではおよそ二時間で駐屯地内にいる二万体近いゾンビの大半がステージに移動するはずだった。駐屯地のゾンビが八割集まったら第二段階終了。nap3や護衛の陸自がステージからヘリなどで離脱し、その後ステージ毎ゾンビを吹き飛ばして第三段階及びMCL作戦は完了する。今回は予行なので、ゾンビ役を引き受け基地各所に散らばった五十名が港に集まってから十五分後に演奏終了、nap3は階段を使ってステージから地面に降りる。その後、模擬爆弾をステージ上で爆破して終了となる。

 基地の方から先ほどの海自隊員が自転車に乗って戻ってきた。「ケーブルが抜けてました」と司令部で報告している。他にもゾンビ役が配置に着いたとか連絡が入ってきた。

 再び本部から連絡が入った。


『nap3の皆さん、お待たせしました。準備が整いました。一三一五からリハーサルを開始します』

「おおっ、待ってましたあ!」


 ストレッチを続けていたミウがステージの上で飛び跳ねながら、ダウンのコートを脱ぎ、制服風の衣装となる。石坂もベンチコートを脱ぎ学ラン姿に、帯川もバスドラムの後ろから出てイヤホンを外した。


「もう始まるね」


 千尋の背中が離れていった。その隙間に海風が吹き込み一瞬で留まっていた熱を奪っていく。寒々とした背中が少しだけ寂しかった。千尋はいつもと変わらない様子で握った拳を掲げた。


「お互い頑張りましょう」

「おう」


 拳と拳を軽く合わせると、千尋はギターのポジションに移動していった。

 望もコートを脱ぎ、キーボードの前に座る。楽譜を開き風でめくれないようにクリップで端を固定する。一曲目は「初恋はストロベリーレモネード」。切ない曲調でピアノの役割は結構多い。


「間違えても止まらない。最後まで弾ききる。間違えても止まらない……」


 望がおまじないを唱えていると、あちこちで起動した電子機器やスピーカーの発するわずかな振動で大気を震えはじめた。ステージ下のざわめきは消え、張り詰めた空気が周囲を支配する。


『こちら本部。これよりオペレーション・ミウ・クリスマス・ライブのリハーサルを開始します』


 海上自衛隊の女性の通信が入り、ステージ上にいた進行係の隊員がミウに向けて合図を出した。ミウは小さく頷くと、自分のバックバンドメンバーの顔を一人ずつ確認し、それから正面を向いた。その先には館山海が広がっている。少しだけ空を見上げた後、帯川にアイコンタクトする。帯川が一曲目のテンポでスティックを四回叩き、「初恋はストロベリーレモネード」が始まった。


***


 無人の仮設ステージ上から花火が一発上がり、空中でぽんと音と白い煙を上げた。これでリハーサルは終わりだ。望やnap3のメンバーはそれを本部の横に設置された「ヘリコプター」と横断幕を掲げたテントから眺めていた。イヤホンに通信が入る。


『こちら本部。予定していた全過程を完了。これにてリハーサルを終了します。みなさんの協力に感謝します』


 望は大きく息を吐き、その場に座り込んだ。千尋がやってきて、「お疲れ」と肩を叩く。


「今日は調子悪かった?」

「いや……練習不足だ」

「ならがんばらないとね。私に協力できることがあったらいつでも言って」

「ありがとう」


 千尋はポンポンと望の肩を叩くと「楽器を片付けてくる」とテントから出て行った。励ましてはくれたが望に失望していることは明らかだ。

 自分なりに全力を尽くしたつもりだった。今回演奏したのはnap3で演奏する曲を三曲、さらにミウだけの曲が二曲。一曲毎にミウのマイクパフォーマンスが入ったので五曲が終わるのに三十分近く。それを三セット繰り返して一時間半。呼吸を整える時間はあったとはいえ、一セット目で既に集中力が切れ始め、二セット目からは音を落とすことが多かった。三セット目には大切なメロディーを飛ばしてしまい、焦りから弾けなくなる部分もあった。そんな望とは対照的に石坂は時間が経つ毎にどんどん調子を上げていた。相変わらずミスは多かったが、体力と集中力が変わることなく、全体的に安定していた。帯川もテンポやリズムは三セット目にはでたらめになっていたが、決めなくてはいけない部分ではしっかりと叩いていた。ミウはプロアイドルとしてバンドを引っ張り、部活経験者の千尋は粘り強くそれについていっていた。つまり一番出来の悪さが目立ったのは望のキーボードだった。


 リハーサルが終わってもステージの周りにまだ百人ほどがいた。当初参加のゾンビ役に加えて、スピーカーから流れる音楽を聴いて興味を持ってくれた人達が来てくれたようだ。笹尾や水産調達隊のメンバー、誘導を終えた野瀬隊の面々もいた。意外なことに、望達の勧誘を断った沓沢や伴藤の姿もあった。そして小針とその仲間の吉永という男性の姿も見えた小針は楽しそうだったが、吉永は不満そうだ。ミウがテントから飛び出し、観客に向かって大きく頭を下げた。


「みんなあー。今日は来てくれてありがとぅー! こんなにたくさーんのお客さんの前で歌えて、ミウはっ、nap3は幸せでーすっ。ありがとうございましたあー」


 額に汗を浮かべたミウが再び頭を大きく下げるとぱらぱらと拍手が上がった。それは次第に大きくなり、運営側の海自隊員たちも巻き込み港全体を包み込む。その音の渦に望は思わずどこかに隠れたくなった。今日の自分の演奏は、控え目に見ても最低だった。初心者の石坂よりもメンバーの足を引っ張ってしまった。練習時間が他よりも少なかったのは事実だ。だが経験者として他のメンバーを引っ張ることを期待されていた。にもかかわらず情けない演奏をしてしまったことは自分が一番よく理解していた。

 望はテントのパイプ椅子にへたり込むとがっくりと肩を落とした。


「お疲れ様。ええと、冠木君だったかな」


 聞き慣れない声に顔を向けると、そこに伴藤がいた。仕事中に来てくれたらしく上下作業着にジャケットを羽織っている。音楽大学の生徒だったらしいが、見た目は生粋のエンジニアっぽく、繊細よりは頑強という言葉が似合いそうな女性だ。

 キャンプで一番ピアノが上手いであろう彼女を前にすると自分の演奏の稚拙さを思い出し恥ずかしくなる。


「すみません。お聞き苦しいものを」

「そんなことなかったわ。必死さは伝わった。ただ、キーボード、苦戦してるようね」

「……はい。俺は元々、熱心にピアノを習ってたわけじゃないんです。今回も経験者だからって難しいことやらされて……すみません。ただの愚痴です」

「私はあなたの演奏、嫌いじゃ無いわよ。それに、ミスをしても諦めずに最後まで着いていったじゃない。それだけでも十分すごいわ。そういう音楽に観客は心を動かされるのよ。ほら、あそこにいる人達だって」


 ステージ下にはまだ多くの観客が残っていた。大勢がミウを囲んで楽しそうに話しをしている。水産調達隊の面々が帯川に「よくやった」とか「もっと頑張れ」と笑顔で励まし、そして髭面で小太りの男性、元プロのギタリスト沓沢が熱心に千尋と石坂に何かアドバイスをしていた。


「お客さんはみんな楽しそうにミウちゃんの歌を聞いていた。それを支えたのはあなた達。もっと自分を褒めてあげて。確かにダメな部分も多かったけど、良いところもいっぱいあった。あなたのキーボードを聞いて私もピアノが弾きたくなったもの」

「それなら……」


 望はあることを思いつき、恐る恐る伴藤に尋ねた。


「もしよかったら、俺の代わりにnap3でキーボードを弾いてもらえませんか? 俺なんかよりも伴藤さんの方が絶対にみんなの力になれると思うんです」

「それはできない」


 即答だった。


「nap3のキーボードは冠木君でしょ。なら責任を持ってがんばらないと」

「でも、俺は音楽向いてないと思うんです。銃を撃ってる方が性に合ってるんです。適材適所って言うじゃないですか。だから」

「ダメなものはダメ。私ができることは……」


 伴藤は石坂にベースの持ち方を講義している沓沢を見て微笑んだ。


「私もアドバイスならできると思う。練習の仕方とか他の楽器との合わせ方とか。一応、音大でピアノを習ってたわけだし」

「伴藤さんがピアノを教えてくれるってことですか?」

「ええ。あなたがよければ」

「是非お願いします」


 これ以上、ミウや千尋の迷惑にはなりたくなかった。


「そう? じゃあ私の上司のオッケーが出たらキーボードの指導員をさせてもらうは」

「よろしくお願いします。俺からも水資源班の方にお願いに行きます」


 伴藤が右手を差し出してきた。ゴツゴツとしていたが指は長く大きな手だ。ピアニストの手に一瞬音葉を思い出す。望は伴藤と握手を交わしながら二週間後に控えた本番に向けて決意を新たにした。


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