クリスマスには花束と(10):秘密会議
フェリーの調査が行われた日の夜。
時計の針は十一時を回っていた。館山キャンプの大半は暗闇で、わずかに正門や見張り台に明かりが見える。司令部の建物も一階の当直室を除いてほとんどが消灯されていたが、最上階の司令官室には明りが灯ってた。
司令官室にいるのは四人。いずれも男性で、陸上自衛隊の真庭信也一尉、海上自衛官の和浦雁弘一尉、『いずも』艦長でキャンプのリーダー役でもある海上自衛隊OBの郡司伴次郎、そして広島県議会議員の橋本基助だ。
四人はちょうど来たばかりだった。深夜の呼び出しを受けたからか、二人掛けソファに陣取っている橋本は不機嫌そうだった。とはいえ、しっかりとスーツ姿でネクタイも締めており、胸には広島県議のバッジが誇らしげに輝いている。
普段『いずも』で寝泊まりしている郡司も制服姿で、だが少し眠たそうに一人掛けのソファに座り腕組みをしている。真庭は壁際で電気ケトルを使ってお湯を沸かしながらコーヒーを四人分準備しており、和浦は少し真庭を手伝った後に窓に向かった。
「こうしていると呉を思い出しますね」
和浦がカーテンの隙間から外を伺いながら言う。
「あの時は周り中ゾンビだらけで武器も無く、生きた心地もしませんでした。それが今、みんな安心して眠っている。我々もずいぶんと頑張りましたね。昔なら上の人に表彰してもらえたんですが」
「なんだ和浦一尉は勲章が欲しいのかね?」
橋本が半ば呆れながら聞いた。
「あるいは昇進です。そろそろ三佐にしてくれてもいいと思うんですけどね」
「海上自衛隊のナンバー2は実質的に君だろ。三佐だろうが将軍だろうが好きな階級を名乗ればいい」
「だそうですよ郡司さん? 明日から三佐になってもいいですか?」
「ふむ」
郡司は眠たそうに髭をさする。
「昇進の基準や条件については、いずれ検討しなくれはならんな。だが今ではないだろう」
「もっともです。でも、何があるか分かりませんから。早めに次の階級に行きたいですね」
電気ケトルから勢いよく水が沸騰する音がし、カチッとスイッチが切れる。真庭がインスタントコーヒーを入れたカップにお湯を注ぐと部屋に鼻腔を刺激する良い香りが漂った。カップを載せたトレーを持った真庭に和浦が笑いかける。
「似合わないな。いつもはミウちゃんがやってくれてたのに。今回は呼ばないのかい? 秘密会議は広島以来のいつもの五人でかと思っていたけど」
「彼女はMCL作戦の準備で疲れている。わざわざ起こす必要はない」
その答えに和浦は「僕はわざわざ木更津から飛んできたのになあ」と肩をすくめ、カーテンを元に戻し空いている席に座った。真庭が湯気を立てている白いコーヒーカップをテーブルに並べる。さっそく橋本が手に取り鼻を近づけた。
「深夜に呼び出しておいてインスタントかね」
不満そうにカップに口をつけ、ふんと鼻を鳴らす。
「香りと苦みだけで旨味がない。せめて粉から淹れて欲しかったものだな」
「自分はミウほど拘りはないので」
「彼女ならゾンビに囲まれていても豆を挽いたぞ。それがインスタントか」
文句を言いつつもしっかりと二口目を飲む。そんな橋本の隣で郡司が温かいコーヒーに頬を緩めた。
「私はこの味が好きですよ。長年慣れ親しんだ味ですから」
年長者に言われ、橋本は「そうですか」と少し気まずそうにする。郡司はカップを置き、真庭に目をやった。
「そろそろ始めてもらおうかな?」
トレーを置いた真庭も椅子に座り、四人が応接テーブルを挟んで向かい合った。
「皆さん遅い時間にすみません。急ぎ共有したい情報があります。まずはこれを見てください」
真庭は三枚の写真をテーブルの上に置いた。それぞれに頭部を破壊されたゾンビが写っている。顔を潰された中年男性、白い服の少女、そして男性のゾンビだ。
「今日の漂着船調査で交戦したゾンビです」
橋本が身を乗り出し、頭部を斧で破壊された男性ゾンビに眉を顰める。
「グロテスクだな。夢に出てきそうだ。それで、これは何か特殊なゾンビなのかね。顔を潰されても動けるとか、空を飛ぶとか」
「いえ。調達隊の女性に倒された程度ですのでごく戦闘力については普通のゾンビだったと思われます。問題はゾンビではなく、ゾンビ化する前の人物です。私は彼を知っています。おそらく和浦一尉も知っているはず」
「僕が? うーん、どうかな。太めの男性ってだけじゃ特徴と言えないし、顔で原型を保っているのが口元だけでは判別は難しいよ。身分証の類いはなかったのかい?」
「なかった」
「じゃあ君はどうやってこの男性を特定したんだい? 服装か、それとも身体に何か特徴が?」
「隣の少女のおかげだ」
和浦が少女ゾンビの写真を手に取ってじっと見つめた。
「大分時間が経っているな。年頃は……中学生くらいか。変わった服装をしているけどこれだけじゃなにも。特に思い当たらないよ」
「私にも見せたまえ」
橋本が和浦から写真を受け取り、乾涸びた少女ゾンビの顔に眉を顰めながらもじっくりと観察する。だが思い当たる事は無かったらしく首を横に振った。
「変わった服を着ているな。普通の学校の制服ではない。舞台衣装か? いや、スタートリップやギャラクシーウォーズの衣装にも見えるな。だとすれば役者かね?」
「いいえ橋本さん。全く違います」
「ふん。冗談だ」
郡司が「あなたの冗談はいつも不適切なタイミングですな」と笑った。真庭はそのまま説明を続ける。
「私は彼女を個人的に知っていました。だから顔を識別できたのです。この少女の名前は岩田結季乃。衆議院議員で防衛大臣政務官だった岩田結城氏の娘です」
「大臣政務官?」
元自衛官と現役自衛官だった他の三人はすぐにわかったのだが、橋本だけは首を捻る。それでも地方議員なので記憶を手繰り寄せた。
「確か……大臣の仕事をサポートをする役職だな。国会議員が任命される。省内でも地位的には事務次官よりも上で副大臣の次くらいのポジションだったはずだ。違うかね」
「そうです。防衛省の中ではかなりの要職にありました。こちらが岩田議員の写真です」
真庭は館山基地の広報室にあった基地新聞をテーブルに置いた。館山基地の記念行事で岩田大臣政務官が挨拶をした事が写真と共に説明されている。
「確かに体型と口の辺りが似ている。しかし、君が判別したのは少女の方なのだろ。どうして君は岩田議員の娘さんを知っていたのかね」
「大臣政務官は様々な駐屯地や基地で挨拶をされていました。昨年、私のいた駐屯地の記念行事にも岩田議員がお嬢さんと一緒にいらっしゃったのです。お嬢さんが普通科に興味があるとのことで、私が広報部に頼まれ装備や隊の案内をしました」
「それで顔見知りというわけか」
「そうです」
「真庭一尉」
郡司がゆっくりと口を開く。
「彼が防衛省の要人だということはわかった。だがそれが深夜に密談するほど重要な情報なのかな?」
「確かにこれだけであればよくある悲劇です。国会議員の親子が洋上に逃れ、ゾンビ化してしまった。ただ同行者によって異なる事情がうかがえるのです」
真庭は一体の男性ゾンビの死体の写真を指し示した。
「彼は小野宗也一等陸尉。特戦群の隊員です」
「トクセングン?」
再び橋本が首を傾げる。
「私は民間人だ。君達自衛官だけが理解できる単語は極力使わないでもらいたいのだがね」
「特戦群は陸上自衛隊の特殊部隊です。アメリカのグリーンベレーやデルタフォースという組織を映画などで聞いたことありませんか。それと同じです」
「ランボーやジャック・バウアーみたいなものか。強い兵士ということだな。だがそれがどうしたというのだね。防衛省の要職の護衛に特殊部隊がついていても不思議ではないだろう」
「そうです。通常なら不思議ではありません。ただスケジュールが合わないのです。私が知る限り、特戦群は八月の上旬に訓練でアメリカに派遣されていました。七月末に出発し、八月中旬まで大規模な訓練に参加するはずでした。アメリカにいたはずの隊員がどうして大臣政務官の護衛についていたのでしょうか」
「噴火直後に日本に戻り、そこで偶然大臣政務官と出会ったのでは?」
「その可能性はあります。偶然が重なって彼らは出会ったかもしれません。ですが私は別の可能性が高いと考えています。思い出してください。富士山が噴火した後、最初の首相会見以降、政府要人がメディアに出ることはありませんでした。単にゾンビ化による混乱が原因かと思っていましたが、今は別の可能性が高いと考えています」
「別の可能性……」
「彼らは最初から一緒にいたのです。アメリカへの派遣はフェイクで、密かに噴火の影響が出ない安全な場所に避難していた」
「……そんな事が本当にあり得るのか? 首相や国会議員だぞ?」
橋本は苦虫を潰したような表情でコーヒーカップをテーブルに置いた。
「そう考えた方が色々な出来事の辻褄が合うのです。首相以下、政府の要人は噴火直後に安全地帯に避難した。国民を置いて。そして自衛隊の精鋭部隊に身を守らせた。和浦一尉、海自も八月に大規模な国際共同訓練で艦隊を出していたな?」
「ああ。『いずも』を含めたヘリコプター搭載護衛艦とイージス艦、潜水艦の艦隊がハワイに向かっていたはずだ。航空自衛隊も戦闘機を出していた。大規模訓練が重なるのは珍しいからね。隊内では戦争かなんて噂も流れてた。実際、似たような状況になったわけだけど」
「『いずも』は本当にアメリカに行っていたと思うか?」
「僕達が呉で見つけたのは噴火の四日後。急いで戻って来た、とするには早すぎるね。最初から日本にいた可能性の方が高いと思うよ」
「……私にも思い当たるところがある」
橋本が岩田議員の写真を見ながら言った。
「広島の県知事も噴火早々に連絡が途絶えた。あんな状況だ。ゾンビになったのだろうと特段疑問にも思わなかったが」
橋本が俯きながら震えてる声を絞り出した。
「国は事前に富士山の噴火とゾンビウイルスの蔓延を知っていたのか。世界が滅茶苦茶になることも。私は……政府は全滅したと思っていた。だが、国民を見捨てて自分達だけが助かろうとするなど言語道断ではないかっ!」
橋本が机を力一杯叩く。コーヒーカップが浮かび上がり数滴がこぼれた。黒い水滴に目を細めた郡司が「ふむ」と髭を撫でる。
「真庭一尉、君の仮定が正しいとして、なぜ岩田政務官達は洋上にいたのかね?」
「おそらくですが、隠れていた安全地帯が何らかの事情で安全ではなくなったものと思われます。新木二尉が調べたところ、フェリーは噴火直後に鹿児島港に放置され、それから三ヶ月後、いまから一ヶ月ほど前に鹿児島から出港しています。それ以前、岩田議員はどこか別の場所にいたようです」
「鹿児島か。ずいぶん遠くから来たものだ」
真庭が目配せをすると和浦が棚から日本地図を取り出しゾンビの写真の上に開いた。
「船内に残っていた物から推測されるフェリーの動きです。鹿児島を出港後、陸地を大きく迂回するように太平洋に出て、一度千葉県北部にある銚子港に入港したようです。その後南下し、房総半島南部にある布良港に漂着しました」
「なぜ銚子に? ただの漁港だ。普通に考えてこのような状況で助けを求めに行く場所ではない」
「はい。そもそも生き延びることが目的なら、火山灰の影響もない九州から出る理由がありません。おそらくは仲間に助けを求めたものと思われます」
「周辺に何かがあると考えるのが自然か。問題は何があるのかだな」
「可能性としては、政府系の生存者集団です。岩田議員がいたような安全地帯があるものと思われます」
「ふむ。岩田議員は他のグループに助けを求め、拒絶されて全滅したということか」
「あるいは既に銚子付近の安全地帯も全滅したのかもしれません」
「それならば、生存者が洋上で自殺に近い形でゾンビ化していたことも説明がつくか」
「ただ、関東地方には少なくとも一つ、政府系の集団現存しているはず」
「……ふむ。冠木君の連絡先か」
郡司はやれやれと視線を机に落とした。
「仲間を疑うのは好きではない。彼の通信先が岩田議員やフェリーだった可能性はないのかね?」
「私も最初はそれを疑いました。しかし、見ていたところ何も知らないようです。船内を知っている様子も、知り合いがいた様子もありませんでした」
「つまり……冠木君の通信相手はフェリーとは別にあるということか」
郡司の言葉に真庭が頷く。そこに橋本が疑問を呈した。
「まってくれ。それが日本政府の生き残りとは限らないのではないのか? 生存者グループは多くある。東北には我々よりも大きな集団が生き残っているという噂もある」
「冠木が政府に近い組織の一員と考える理由があります。まず衛星電話です。『いずも』や館山の設備では人工衛星にアクセスできませんでした。だが冠木の電話は機能している。少なくとも、人工衛星を維持し暗号通信を行える組織が背後にいます。単なる生存者グループにそれができるとは思えません」
橋本が納得して「なるほど」と呟く。
「もう一つ。以前、彼の持っていた小銃を確認したところ、シリアル番号に見覚えがありました。私は何度か訓練で特戦群の所在する習志野駐屯地を訪れていたので実際に彼らの装備を手に取ったことがあります。冠木の物はその中の一つと同じでした」
「特殊部隊の銃を子供が……彼はどこで銃を手に入れたと言っていた?」
橋本の質問に真庭は日本地図をめくり千葉県のページを開く。
「この辺りに放置されていた陸自のトラック内から手に入れたと」
「習志野駐屯地の近くじゃないか。ここで拾った銃が特戦群の物でも筋は通っている」
「そうかもしれません。居残り部隊がゾンビと戦い、敗れた可能性はあります。ですが、それを冠木が拾った。十分な弾薬と一緒に。出来過ぎていませんか? 本来、特戦群は秘密部隊です。そうそう表に出てくる組織ではありません。その部隊の痕跡が我々の身近で散見される。偶然とは思えません」
「厄介だな。我々はどうすべきだ? 冠木を問い詰めて場所を吐かせるか?」
「おそらく無駄でしょう。冠木は銃の扱いこそ本職顔負けですがそれ以外は素人です。送り出した側の情報を持っている可能性は低いと思われます」
「では、静観を続けると?」
「今はそれが最善かと思います。ですが、いずれ彼らと交渉を持つ日が来るかも知れません。皆さんにはそれに備えておいていただきたいのです」
「……嫌な物だ。ゾンビや気候と戦うので精一杯だというのに。人間まで相手にしなくてはならないとはな」
「橋本先生、このことはくれぐれも内密に。ミウにも伏せておいてください。彼女は冠木に近すぎます」
「そのミウは安全なのだろうな?」
「大丈夫です。冠木は、少なくとも館山の為に命懸けで戦ってくれているのは事実です。それに、冠木の連絡先も我々に存在をほのめかしているように思えます。そうで無ければ電子戦能力のある『いずも』の近くで何度も通信はさせません。おそらく、いざという時には支援を要請してくるかも知れません。であれば、ミウや他の住人に冠木が危害を加える可能性は低いと思います」
「それはそうだ。安全地帯に引きこもっている連中がそのまま出てきたら生存者から袋だたきになるだろうからな。協力者として関東最大勢力の我々が必要にもなるだろうさ。ふん、都合の良いことだ」
橋本が残ったコーヒーを一気にあおった。そして他の三人に鋭い視線を向ける。
「……一つ聞きたい。明日突然、首相や防衛大臣から連絡が来たとして、君達はそれに従うのかね? 君達は自衛官だ。上の命令に従う義務があるのだろう?」
その問いは以前から真庭、和浦、郡司の三人で話し合われていたことだった。代表して郡司が口を開く。
「原則で言えばあなたの言うとおりだ、橋本さん。法律に従って上の命令には従うべきであろう。しかし、我々は国民の信頼に応えることを誓って自衛官になっている。大多数の国民を見捨てた時点で首相や大臣は自衛隊に命令する権利を失った、私達はそう解釈している」
「それを聞いて安心しました。他の生存者を、政府の生き残りを含めて助けるのは構いません。ですが、それはあくまでも対等の立場であるべきです。もし彼らの要求が不当であった場合、我々は抵抗すべきですな」
郡司が顎髭を撫でる。
「……そのために備えてはいるが、そうならない事を願うよ。我々は呉で一度、潜水艦を差し向けられているが、最後まで対話の可能性は探したい」
それが秘密会議の締めの言葉となった。フェリーの岩田議員については他のキャンプの住人には口外しない。冠木望については現状維持で緩やかに監視を続ける、当面は「バレット・アンド・チョッパー」作戦の完遂に全力を注ぐということに合意し会議は終わった。
やがて司令官室の電気が消え、館山キャンプは深い夜の闇に包まれていった。