第14話 家族旅行(3)
翌日、ホテルから美術館への道を父親と二人歩きながら、苦無は母親と姉のことを心配していた。
昨日夕方、散歩から帰ってきた聖子とひかるは、ホテルのレストランで夕食を食べると、すぐに部屋へひっこんでしまった。
いつもは賑やかな二人が黙っていたので、その日の食事はやけに静かなものだった。
今日は、朝から美術館巡りを予定していたが、聖子とひかるは疲れているのか、朝食にも起きてこなかった。
だから、しかたなく、父親と二人だけで美術館へ行くことにしたのだ。
休暇中だからか、美術館への道は、たくさんの観光客で混雑していた。
ひろしは、古びた扇子をぱたぱたさせながら、隣を歩いている。
今日の美術館見学は、苦無が楽しみにしていたものだった。運動が得意なわけではない彼は、幼い頃から絵を描くのが好きだった。ただ、才能の方は今一つで、夏休みの宿題ではせいぜい佳作どまり。金賞は、いつも絵画教室に通っている同級生が獲った。
大きな鯉が泳ぐ堀川に架かる石橋を渡り、二人は美術館に到着した。入り口前の石段を登ると石柱が立ちならび、南欧の古い神殿をイメージさせた。
美術館の中は、和洋折衷の建築様式で、昭和初期に作られたらしいが、大正モダンを感じさせた。
東洋一と言われる印象画の展示も素晴らしく、苦無はエルグレコが描いた、有名な作品の前で足が動かなくなったほどだ。
陶芸が好きなひろしは、分館で河井寛次郎の皿や壺に見入っていた。
別館の現代美術作品を見終わる頃には、二人ともかなり疲れていたが、それは心地よさをともなうものだった。地元東京でよく美術館に足を運んでいる苦無だが、そんな彼にとっても、展示作品の質の高さは、十分以上に満足できるものだった。
二人は、本館と別館の間に設けられた、茶室風の東屋に腰掛け休憩することにした。
よく手入れされた、日本庭園の植えこみを通る風が涼しく、二人は思わずそこで長居してしまった。
「苦無君」
そんな声が投げかけられたのは、そんな時だった。
「あれ?
もしかして、堀田さん?」
頭の上で丸くまとめられた、特徴ある髪型は、まちがいなくクラスメートの少女だった。分厚い黒縁眼鏡の下には、こころなしか隈があるように見える。
「どうしたの、こんな場所で?
堀田さんも、観光?」
「あわわわわ」
自分から話かけたくせに、小柄な少女は、なぜかうろたえている。
高校生にはとても見えない丸襟の白シャツと、オレンジ色のスカート、白のニーソックス、ピンクの運動靴という姿だ。
「苦無、お友達の妹さんかな?」
ひろしが息子に掛けた言葉で、少女はうなだれてしまった。
「父さん、堀田さんは、ボクのクラスメートだよ」
苦無がとっさにフォローして事なきを得たが、そのままだと少女は泣き崩れていたかもしれない。
「あの黒服の人は、お父さん?」
苦無が指さしたのは、植え込みの向こうから、サングラス越しにこちらを見ている、長身の男性だった。
「ち、ちやう、違う!」
噛みながら必死に否定する少女。
「喉が渇きました。
どうです、あなたも一緒にお茶でも飲みませんか?」
ひろしは、先ほど自分の言葉で少女を傷つけたのが、気になっていたようだ。
「ひ、ひゃい、ぜひ!」
ゼンマイを巻いたおもちゃのロボットみたいに動きだした少女を見て、ひろしが思わず微笑む。
「人手が多いから迷子になってもいけない。
苦無、手を繋いであげなさい」
「えっ!?
そうだね。
迷子になると困るね」
苦無が差しだした手を、おずおずと少女が握る。
足早に歩きだしたひろしの後を、少年と少女が追いかけた。
その後ろを黒服の男がゆっくりついていく。