第13話 家族旅行(2)
K市は中国地方東部に位置する地方都市である。
人口三十万人ほどの小さな市だが、その知名度は高い。
市庁舎がある中心部には、由緒ある建造物や白壁で有名な街並がよく保存されていて、休日ともなると、それを目当てとした観光客でにぎわう。
ここ街へ来るのに、新幹線だと在来線への乗り換えが必要だが、地方にしては、交通の便がそれほど悪いわけでもない。
その駅の改札口から出てきたのは、四人の家族だった。
白のワイシャツ、グレイのズボンという地味な格好で、首に巻いた手ぬぐいで汗を拭う父親。ゆったりした花柄のワンピースを着た、人の良さそうな母親。青いTシャツの上に薄い緑色のジャケットをはおり、膝上までの空色のスカートをはいている、背が高く美しい顔立ちの娘。学生服の上下を着た、小柄で色白の気弱そうな息子。
福引を当て、家族旅行でこの街を訪れた切田家だった。
「うわー、建物が低いわね!
後で駅裏のアウトレットに行ってみたいなあ。
苦無、あんた、なんで学生服来てんのよ?」
「こ、校則で決まってるから」
「あなた、そこで停まるとみなさんの邪魔よ。
それにしても、晴れて良かったわねえ」
「あ、ああ、そうだね、聖子さん」
父母姉弟のこの家族、どうやら女性の方が強そうだ。
それぞれが、キャスター付きの旅行カバンを引き、エスカレーターで地階へ降りる。
彼らが泊る宿まで、歩くと少しかかると分かっているから、四人は駅前でタクシーに乗りこんだ。
車窓から見える街並は、ごく普通の地方都市といった様子で、観光地には見えない。
しかし、十分ほどでタクシーが到着した、赤レンガ造り二階建ての建物は、レトロな感じが漂う風情あるものだった。
「へえ、ここがアイビープレイス!
確かに、ツタが生えてるのね!」
娘のひかるが、辺りを見回し両手を広げると、その場でクルクル踊った。
赤レンガの壁面の一部は、緑の葉が覆っている。
ここは、古い紡績工場を大幅に改装した宿泊施設となっている。
「いいね、いいね!」
一人興奮したひかるが、キャスターをカタカタいわせながら、建物の中へ入っていく。
顔を見合わせ微笑みあったひろしと聖子、そして、息子の苦無がその後に続いた。
◇
一階のフロントでチェックインを済ませた四人は、ホテルスタッフの案内で、『ファミリールーム』に通された。
このホテルの自慢であるこの部屋は、ベッド四台が畳敷きの部屋に二つ、和洋折衷の部屋に二つ配置されており、窓の障子を通して入ってくる柔らかい光が、共有スペースに置かれた家具に使われている白木の、木目を浮かびあがらせていた。
都会のホテルでは見られない内装に喜んだひかるが、スマホで写真を撮りまくっている。
今はやりの『イングラム』で十万人単位のフォロアーを持つ彼女のことだから、それに載せるつもりなのだろう。
とにかく旅行初日は、何事もなく終わりそうだった。
◇
「ねえ、お母さん、一緒に散歩しない?」
ひかるが母親の聖子に話しかけたのは、まだ暗くなる前のことだった。
この旅行のため、昨夜遅くまで残業していたひろしは、もう和室のベッドでいびきをかいている。
体力のない苦無も、慣れない旅行で気疲れしたのか、シャワーだけ浴びると、和洋室のベッドでぐっすり寝ていた。
「そうねえ、二人が寝てるし、夕食は少し遅めでもいいかしら。
行きましょうか」
ホテルで借りた、色鮮やかな浴衣を羽織った二人は、入浴で喉が渇いていたので、ホテル横の路地にある店で紙コップに入った飲み物を買うと、狭い路地を並んで歩いた。
カランコロンと音がしているのは、この日のためにわざわざ用意した、漆塗りの下駄が鳴っているからだ。
「お母さん、下駄持ってきてよかったわね!」
「ほんとねえ、こんなかさばるものどうかと思ったけど。
ひかりの言うとおりにしてよかったわ」
「でしょー!」
母親に輝くような笑顔を見せたひかりが、持っていた紙コップをゴミ箱に捨てる。
「おい!
何してる!」
甲高い老人の声が、ひかりに投げかけられた。
「えっ?
どうしました?」
店の名を大きく染め抜いた青い法被を着た、痩せた老人が、座っていたパイプ椅子をガチャリと鳴らして立ちあがった。
老人は、白目がちの目を吊りあげ薄い唇をわななかせ、ひかりを睨んでいる。
「これが見えんのか!」
老人が震える指をゴミ箱へ向ける。
よく見ると、ゴミ箱の側面に紙が貼ってあり、次のように書かれていた。
『このゴミ箱は、〇〇商店のお客様《《だけ》》が利用できます』
言われて気がついたひかるが、頭を下げる。
「ごめんなさい」
「まったく!
近頃の若いのは、しつけがなっとらん!
親の顔が見たいわ!」
老人が鋭い視線を聖子に向ける。
ひかるの表情が悲しそうなものに変わる。
それを見て、聖子も言葉を返す。
「娘がとんだご迷惑をおかけしました。
けれど、それなら、ゴミ箱をお店の中に置いておけば。
それに――」
聖子は、なぜ老人がゴミ箱の横に座っていたか尋ねようとしたが、最後まで言うことはできなかった
「子が子なら親も親じゃな!
このクズが!」
全身を震わせている老人を見て、聖子がひかるに手招きし、穏やかな声でこう言った。
「さあ、もう帰りましょう」
母親にまで暴言を浴びせた老人に、ひかるも言いたいことはあったが、彼女は黙ってそれに従った。
なぜなら、彼女は、母親からある音を聞いていたからだ。
プツン
そういう音だった。
◇
母娘の旅行客に散々毒づいた老人は、それを遠巻きに見ていた、とがめるような観光客の視線に抗うように、ことさら胸を張ったが、人々が彼を指さしコソコソ言葉を交わしだすと、さすがに椅子から立ちあがり、店の中へと入った。
店の中では、たった今、外でおこなわれた寸劇が聞こえなかったのか、年齢層の異なる三組のカップルが商品を眺めていた。
老人は、とってつけたような笑いを顔に貼りつけると、年配の男女に話しかけた。
「備前焼に興味がおありで?」
「ええ、家内が好きなもので」
そう言い銀髪を撫でつけた初老の男性客が、隣の小柄な女性の方を見て微笑む。
それに対して、老人は声を張りあげ自慢たっぷりにこう言った。
「最近は、別の国で作ったまがいものが多いんですよ。
ウチのは、違うんだけどね」
だが、お客には、それがこう聞こえていた。
「最近は、別の国で作ったまがいものが多いんですよ。
ウチのも、そうなんだけどね」
老人と話していた夫婦だけでなく、店の中にいた他の客も、みんなぎょっとした表情になる。
店の老人は、お客が驚いたを見て、こんなことを考えていた。
『しめしめ、みんなワシの言葉に感心しとるな!』
ところが、三組のカップルは、黙ってぞろぞろと店から出ていく。
「えっ、お客さん、えっ?」
先ほど母娘が心ない言葉を掛けられた現場を目撃した観光客数人が、店から出てきた六人と何か話している。
慌てて店から出てきた老人の姿を目にして、潮が引くように人々がそこから離れていく。彼らが去り際に老人を見る目には、明らかに侮蔑の表情があった。
「ど、どういうことじゃ?」
わけが分からないといった顔をした老人が、先ほどまで座っていたゴミ箱横のパイプ椅子へふらふらと腰を下ろす。
『このゴミ箱は、〇〇商店のお客様《《だけ》》が利用できます』
ゴミ箱に貼られた紙には、そんなルビが振ってあった。
その日、ある少女の『イングラム』に投稿された動画は、「観光地の横暴な店主」という題をつけられネット上で拡散していくことになる。