ハネツキを題材になんか書いてみた
―――白い煙のような吐息が朝を染める。鈍い鐘の音が頭の中で残響をうち鳴らし、まだ脳を支配しつつある睡魔は足と腕と瞼へ殴打を敢行。霜柱の立つ地面は雑踏に踏み固められており、神社内の空気は寒くも熱気に包まれている印象を受けた。
「さっむ、金欠とはいえ、引き受けるかどうかも考えものだったな。こりゃ」
愚痴をちぎりちぎり、彼―健は境内へと歩を進める。冬休みの膨大な課題に追われ徹夜せざるを得なかった健の怠慢ぶりを利用して、母親からお守りを買ってこいとのご命令だ。勿論頷く建ではなかったが、母親が駄賃をやる、と餌を垂らしたので食いつき、今に至る。
寒い、と唸る健。幾年と歳を重ねても寒さに勝る年は無い。苛烈な寒さは今年も健の肌を噛み砕いていく。シャツの上にジャンパーを羽織り、ジーンズを穿いただけの建は、その薄手な服装の上から身を擦り合わせた。
「えと、100円でいいか。100円、ヒャク円···」
需要はないのだが、神社へ訪れたので取り敢えず参拝をしていくことにした。礼儀、だろう。神に頼ればいざ窮地に陥った時、自分を頼ることができなくなる、と親から聴かされ続けたためだ。それでも社会の風潮に合わせていく親は、お願いはしておけ、と矛盾したようなことを言うのだが。
こんな寒さの中でも先刻の健の呟きが掻き消されるほど周囲は喧騒で満ちていた。正月というイベントの規模の大きさが神社を揺るがしている。さぞかし神は迷惑だろう。
健は思い出したように賽銭箱へと500円を惜しまず投げ入れた。礼、拍をうち、願いを天へ昇らせる。
「さて、次はお守りか···」
これも毎年思う事なのだが、巫女さんに特別な感覚がないと感じてしまう。
神社内で顔をあわせる人の殆どは何かしらのオーラを感じる。しかし、巫女さんだけは参拝客のようなオーラを纏っていて、
「あ、お金ない」
先刻の論で時間を練っていた健の思考は遥か彼方へ―――350円足りないのですがそれは。
むぐぐと唸る健。落胆し賽銭箱からお金をカムバックヒアーしたい気持ちが実行に首を突っ込む手前、健は静止した。理性が驚愕へと変貌した瞬間だった。
「おや、健さんではないですか」
お守り売り場の列に紛れるようにこちらを伺ってきたのは人気という文字をそのまま具現化したような男、守である。近付いてくるあたり、声の主もこの男で間違いはないだろう。
「まさか、お金が足りないのでは?」
守はまさに尊敬すべき人間と言える。殊勝過ぎる心構えは奇特な人間性を超え、鑑みる対象なぞ近辺にいないのではないのではないか、と思わせる極善人だ。嫉妬、だろう。この男とは関わりづらく、正直なところ、顔も見たくない。
「おう、ジャストジャスト。ご明察だよ。金、賽銭箱に吸い込まれちまってさ」
自嘲するように軽口を叩く健。鼻で笑ってくれてもよかったのだが、そんな素振りを見せるはずもない人間性。真面目な表情で守は顎に手を添え、多少思考に時間を巡らせたあと、健に目を向けた。
「はて、物理的に賽銭箱は金属を吸い付ける特性はないはずですが」
呆れたような物言いで何を言っているんだ、とでも言いたげなのは健ではなく守だ。これには流石の健も驚嘆するしかない。彼の常識という感性は働いているのだろうかと疑えるが、事実、働いているのだ。ただ受け止め方の問題であるかもしれない。
「あ、ああ。あーはは、はは。そ、そうか」
人気者のジョークは多少常人には理解しがたい領域に位置するのだろう。そう解釈すれば幾らか楽な気分でいられた健かもしれない。が、守は、
「いやですから、木材が金属を引き付けるなど不可解極まりない事象なのですよ。しかし、現に健さんは吸い込まれたと証言している。つまるところ、超常現象!?」
ジョークと思わせてはくれなかった。
「守、悪かった。はずみでお前にジョークを持ちかけた俺が間違いだった。だからもうやめて!」
守は、人気者で奇特で、善人だ。
しかし、同時に間の抜けている人間でもある。
☆
「そういう訳で、金貸してくれ、守」
おおまかな事情を説明し、守の非現実ワールドから抜け出た健は無粋ながら催促をしていた。
正直守から金を借りるのは不本意そのものだが、緊急時だ。仕方がない。
「ええ、いいですよ」
「マジで!?」
流石の善人、諾意を出すのに躊躇いがない。
自然、守はバッグを漁る。財布を出そうとしているのか、バッグに視線を落とし、かき回しながら、守は但し、と横目の訴えを付け加える。
「羽根つきで勝ったらいいですよ」
本来、健の目には数百円分の硬貨を掌に乗せ、片手を差し出している守の姿が眼前に構えている筈だった。が、どうだろうか。守は両手で羽子板と羽根つきの羽を差し出しているではないか。これは想定外だ。
「は?はねつき?」
健は守の顔とその両手を訝しげに見、もう一度守に尋ねた。
「なんで?」
すんなりと貸してくれればいいものを、なぜ躊躇うのか。それを訊きたかったが、
「祖母からこれを頂きましてね。懐かしいのでやってみたいのですが機会がなくて···興は乗りませんか?」
確かに質問の答えにはなっている。しかし、それは健に金を貸すことを躊躇うことと全く関係がない。
「普通に金貸してくれても、いいだろ」
「まあ、最悪健さんが棄権してもいいんですがね。無論、お金はお貸し致しませんが」
健の言い返しを把握していたかのように、用意されていたかの台詞は健を気圧した。
言葉だけではない。
守の表情、口調。どちらも朝の痛風を超える凍てつきを放っており、いつの間に両手は羽子板を握っている。
今の段階では健の方が部が悪い。強みになれるどころか、健は催促をしている身。抗議しても同じ返答であしらわれることだろう。つまるところ、どうしても羽根つきは避けられないようだ。
――――無駄だ。
「やっぱ、いいよ、守。家から金、持ってくるからさ。悪かった、急に」
面倒なことは避けたい。守の気を萎えさせることには多少健としては嫌悪があったような気がするが、それでも途切れ途切れの言葉を最後に健は自分を折った。が、背を向ける健を守は逃がさない。
「勝負を放棄すると、そういう訳で···いいんですね?」
守の言葉が鐘の音のように脳内をうちならし、放棄という単語が健を翻弄する。まるで追い討ちの仕打ちに、足は言うことをきかない。
その言葉は真実として揺るぎなくて、負けず嫌いの健の拳に私怨を盛らせるには十分すぎる言葉だった。
「せめて、健さんには、」
健には柔和に取り組むことが得意だったような気がする。自分を折ったこともそれの賜物だ。しかし、追い討ちをかける守と、自分の情けなさにその長所が軽々しく尻尾を巻いて逃げてしまう脆弱な自分を映し出す鏡のような気がして。鏡の中の自分は、なんて、なんて、
「弱さを認めないでいただきたい」
ぎしりと、軋む音がした。
弱いから勝負を逃れ、弱いから柔和にしか取り組めなくて、今まで弱さを長所にしていた自分が惨めで、脆くて、どうしても、許せなくて。守に手が届かないのに妬ましく思ってる自分が図々しすぎで。
「健さん···?」
「俺は、弱くなんか、弱くなんかねぇよ!!」
振り向く遠心力を利用し、全体重をかけて裏拳を。その気障な鼻柱をへし折ってやろうと。健は弱い人間じゃないと、その顔に叩き込んでやらなければ。
当たった痛覚に口の端が緩む。実に快感だ。
「受ける、という認識でよろしいのですね?」
暖かみを帯びた声は全てを裂いた。否定の暴力は何も意味を成さなかったことを決定的な証拠を以て知らしめられたことにも瞬間で気づいた。だって、守が健の拳を受け止めているから。
「では、早速始めましょう。羽子板をどうぞ」
見れば、そこには憎たらしい笑顔が羽子板を差し出しており、どう足掻いてもこの状況を打破出来ないと悟る。
ひりひりと痛む手の甲を痛風と怒りが呑み込んでいく。羽子板を握り締める健の掌が、何よりも白く叫んでいた。
●
参拝客は数十分前に比べれば捌けた方だが、まだまだ賑わいは消えないなか、二人は邪魔にならない神社内の隅へ移動して先行決めを勤しんでいた。ジャンケンの結果、羽の行方は守へ、
羽を弄りながら守は定位置につき、羽子板を振って準備が完了したことを伝え、それに健もならう。
「····では、容赦なくいかせて頂きます」
健が合図を送って間もなく。守が落ち着き払った声を合図に肩を沈めると、羽が天高く舞い上がり――――消えた。
「いでえっ!?」
刹那、だった。鋭利な破裂音は健の腕に穿かれたかのような感覚で襲いかかり、擦過傷とでも比喩できるアザを残して弾み、境内までの数十メートルを簡単に通り越して転がった。
参拝客がこちらに目を遣る、割れるような木の音を聞きつけた者は寺の外にまで及ぶだろう。
「なんっつー威力だよ···」
3点勝負という勝敗が決しやすい方式を採用したのは健でなく守だ。理由は話さなかったが、この威力を見れば考えることはない。守が強すぎるのだ。今の一撃で健は早くも守の挑戦を受けたことを後悔する。尋常ではない。人の域を超えている。
「次は健さんの番ですよ。ご自由に打って頂いて構いませんが···この線を越えなければ点としてカウント致しませんので、ご理解を。」
守は二人の間に引かれた線を指差し、健に羽を渡す。この線がなければなんでもアリになってしまい、ゲームどころではないので引かれたものだが、それでも今はどうしようもなくこの線を消したいと懇願する。それほどまでに健は切羽詰まっているのだ。
「フウ···落ち着け落ち着け落ち着け···!!」
自分を奮い立たせようとするがしかし、羽と羽子板を握る手が大きくぶれ、まともに立つことさえもままならない。絶対的な強さを有する守の前に、健は蛇に睨まれた蛙の如く恐れをなして動けない。
健は守へのひどい憤りを前から感じていた。だから羽根つきなんて馬鹿馬鹿しい提案を感情的に受理してしまったのだ。
――――愚かだったのだ。浅はかだったのだ。勝てるわけがない化け物に対してどう対処すればいいのだ。
気づけば健は目に雫を浮かべ、鼻をすすっていた。咄嗟に引き戻そうとして、えづく。
「えぐっ···!うげほっ!!」
それでも
「うぐっ!!ぐっ!うぅ···」
逃げられないのだろうから。
覚悟を決めた。
定まらない焦点を、震える足を叩き直して前を―――守を見据える。
まけるわけにはいかない。
「うおらああああッ!!」
渾身の力を羽子板に込めて、守へ叩き込む。羽子板は一瞬にして風を切り羽を強く押し出す。いい手応えが健に走る。だが――――
かこん、なんとも軽い音がした。
まるで拍子抜けたただの遊戯のよう。おまけに羽はゆったりと放物線を描いて落下していく。
そんなあからさまな違和感を健が感じとる前に守が羽の落下地点を予測、爆走し――――――鼓膜を突くとてつもない破裂音が響く。
鋭く一直線に向かってくる羽に健は羽子板を前に突き出す。目で追えぬような速度だが、軌道は簡単に読める。無理難題を押し付けられている訳じゃない。
「うおおおおあああああっ!!」
羽子板を前に押し出し、なんとか羽を押し返す。その衝撃で羽子板がみしりと鳴いた。
力強い羽を押し返すと、当然のように羽は放物線を大きく描き、また守にチャンスを与える。
またしても耳をつんざく破裂音。もはや受けきれぬ勢いの羽に、盾のように構えた羽子板は呆気なくその身に風穴を開け、羽子板の反対側へ羽の先端を覗かせた。
「ッ····!?し、死ぬっ!しぬっ!!しんじまう!!」
あまりの威力に震えが押さえられない健。もし貫通していたら、という思考が過り、朝の寒さとはまた別の寒気が背筋を這う。
――――――死の恐怖が、胸中を蝕む。
「いやだいやだいやだいやだいやだいやだッッ!!!こんな下らないことで·····なんでッ···!!!」
このまま勝負を棄権しなければ命を失うことも充分にあり得る。それほどの威力。それゆえかもしれない。
ふと、浮かぶ愚作。
もう弱者でもいいや
今までそうやって逃げてきたではないか、目を反らしてきたではないか。 今更何を意地張ってきたんだ。意味がない。意味なんてない。意味は必要ない。意味を要さない。意味が意味が意味が意味が意味が。
「健さん···どうかなされました?」
「守·····」
「はい?」
もうやめにしないか、と言いたかった。今すぐにやめたかった。が、声が出ない。
―――――――沈黙を破ったのは守だった。
「あー、言っておきますけれど僕のリーチです。」
「·······は」
守は健の指からとっくに離れ、地面に横たわっている羽子板に目を遣る。気づかぬ合間に落としてしまっていたようだ。
「そういうわけで、あと1点で僕の勝ち···ですけど。」
「········んな」
「え?」
「ふざっけんなぁぁぁぁあああ!!!」
苛立ちで真っ直ぐ前を見ることも出来ない。ただこの憎しみを、目の前の元凶にぶつけてやりたい一心で守の胸ぐらを掴み、半壊している羽子板で殴りかかる。守は何の防衛になるのか、羽子板を突き出してきた。
すると、健の持っていた羽子板が弾けるように健の手元から離れ、大きく飛び上がって地面に落ちた。
「僕の勝ちです」
守はそう言い残し、場を去った。残されたのは羽子板2枚と羽。そしてただ一つの燃え尽きた健だけであった。
○
健はただ見つめている。
もういい加減に驚くのもやめた。守が使っていた羽子板はまるでラケットで、羽との相性はバツグン。試しに羽を軽く打ってみたが、守の攻撃と同じものが打ち出せた。
端的に言えば、守はイカサマをしていたのだ。一体何が原因でこんな出来レースのようなものを健が参加すること前提で企てていたのか想像もつかない。
「·····バカだなあ、あいつ」
なぜだか嬉しかった。イカサマでボコボコにされて、危うく命を奪われるかも知れなかった。
それでも。
健は笑う。健が今まで手にしていた羽子板。それには幼い頃の健と守が喧嘩している写真がプリントされていた。
「ホントに、ホントにバカだぁ····」
健は顔を覆った。
えー、ここまで読んだ方にまず喝采を。興味を惹かないものを題材にしていますので、中々の物好きだと思いますよ。
なんか色々と急展開で読みづらかったり、健の心情がおかしくなったり、すぐに心が折れる豆腐メンタルだったりと、かなり違和感ある作品となっていると思います。2年前に書いたものに少し推敲を加えただけの作品ですのでご了承を。
では、ここまで読んでくれた方、誠にありがとうございます。またどこかでお目にかかることがあるかもしれませんが、そのときはどうかよろしく。
※この作品は過去僕がこのサイトに掲載していたものです。




