陽子と現実、看護師と院長
現実パートです。
これにて第一章は閉幕にございます。
次回より二章になります。
その前に一章で登場した簡単なキャラ紹介を挟むかもしれません。
陽子は目を覚ます。
身体の感覚が無く、動かすことが出来ない。
ちょっと前まではこれが当たり前だったはずなのに、最近では感覚が無い方が違和感を感じてしまう自分が居る。
(身体が動かない感覚が違和感っておかしいね……こっちが夢だったらいいのに……)
病院で制限されている連続ログイン時間の限界は四時間、それ以上は脳にどんな影響が出るかわからないので一時間ほどの休憩が義務付けられている。
「陽子さん、大丈夫?」
ログアウトすればほとんど待たずにいつもの看護師がギアを外しに来てくれる。
「た……いひょ……ふ」
濁音とら行が言いにくいのはALSの症状の一つ。
「今ヘッドギア外しますね」
ヘッドギアが外されれば今度は脳波の測定だ。
一応異常が無いかを検査しなくてはならない。
そう言えばVRが医療に使えるかどうかの被験者だったっけ。
と、脳波を測られるたびに思う。
「うん、問題なし」
そう言って看護師は測定器を瞬きワープロと取り換える。
昔と違って簡単な測定だけなら大仰な機械は必要なくなっている。
便利になったものだ。
「ふふ……最近は凄く楽しそう。このゲームは楽しい?」
『現実と同じくらいのリアルさがあるから凄く楽しい。感覚も普通にあるから嬉しい』
以前から見れば見違えるように前向きに考えられるようになった。
陽子自身もそう思う。
「へえ……そんなにリアルなのね……私もやってみようかしら?」
『看護師さんも興味あるの?』
「そりゃあ陽子さんがいつも楽しそうに話してくれてるもの、気になるわ」
『そっかぁ』
一緒にやろうと誘ってみたい。
でも彼女は仕事があるし自分なんかに構ってるのはきっと仕事上仕方なくなんだと思ってしまい、言葉を繋げない。
「ねえ陽子さん、次はいつログインするの?」
向こうでは一回のログインで数日いる。
睡眠はとっているが、こっちでは常に脳が動いてることになるので少しだけ眠気を感じていた。
『今は少し眠いから、夕方かな? あ、看護師さん聞いて! 今日ね、最初のボスを倒して次の街に行けるようになったんだよ! 前に話した二人と行ったんだけど……で……それからね……』
眠いと言っておきながらも言葉がとめどなく溢れてくる。
それほどまで向こうでの出来事がたくさんある。
「うん、うん……そう……そんなことがあったのね……」
つうっと看護師の眼から一筋の水滴が流れる、意図したわけではなく自然に流れたようで本人も気づいていない。
『看護師さん?』
「なぁに?」
『泣いてるの?』
「え? あ……本当だ……ごめんなさい、気を悪くしないでね。何でもないのよ」
『どうしたの? 私何かしたの?』
「ううん、逆よ、嬉しかったの。最近は私が聞いたから答えるんじゃなくて貴方から向こうの事を積極的に話してくれてるのが……私は……嬉しくて……つい出ちゃったのね」
看護師さんの眼からさらに一粒の雫が流れ落ちる。
彼女は初めて入院してきたときからずっと世話をしてくれている。
だから陽子の変化を常に目にしてきた。
会話が困難になり、ワープロを使いだし、知り合いが来なくなり、次第に塞ぎ込むようになり、自分を出さなくなって生きているだけになりつつあった陽子をずっと見て来た。
だからこそこの前向きな変化が誰よりも嬉しいのだ。
(そっか……私、そんなだったんだ……そんな私をこの人はいつも見ててくれた……もう誰も私を見ていないと思っていたけど、間違いだったんだ……)
ふっと視界に入った看護師の名札。
初めは覚えていたと思う。
今は全く記憶にない。
薄情なものだ。
陽子は改めて看護師の名前を確認する。
(秋霧さんか……)
今度は忘れないようにしよう。
そう心に刻み込む。
『秋霧さん』
「今度はなあに……え? 私の名前……嘘……途中から看護師さんとしか……陽子さん……うれしい……ありがとう……名前で呼んでくれて……ごめんなさい、なにかしら?」
『authentic world online、一緒にやろう?』
先ほど飲み込んだ言葉、勇気を出した一言。
「頼まれちゃったら……絶対に断るわけには……いかないわね……ぐす……うん約束、必ず私もそっちに行くから待っててね」
必死でこらえようとする秋霧だが、ポロポロと目からとめどなく涙が零れ落ちてくる。
『うん、待ってる。一緒に冒険しようね』
「うん! うん!! 絶対行くからね! あ……陽子さん、貴方……笑って……うう~~っっ!!」
自分の口を使うことがかなり少ない為に表情筋が固まっていたのか多少引き攣る感じはあったが、自然と笑みがこぼれていたようだ。
それを見た秋霧は最早我慢することが出来なかった。
病室内には押し殺した秋霧の嗚咽が微かに響いていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「秋霧くん、茨戸さんの様子はどうかね?」
「以前と比べてかなり明るくなってます」
「なにか変わった症状などは出ていないかな?」
「VRの悪影響は見られません」
「そうか……どうやらかなりプラスに働いているようだな」
「ええ、本当に……」
「茨戸さんのような身体に麻痺を抱える患者や症状によってはほかの患者にもVRは良い方向に作用するようだね……君の顔を見ていればわかるよ」
「はい。ゲームの中でとは言え、やはり自分の身体が思い通りに動くのは気分が違うみたいですね」
「秋霧くん……本当はあまり患者に感情移入してほしくは無いんだが……まあ、キミがいいならいいさ」
患者に……特に死が回避できそうにない患者に感情移入することは自分の首を絞めかねない。
数々の死に触れる医者という職業は引きずってはいけないのだ。
それは看護師にも同じことが言える。
一人の死を引きずり、続けられなくなった医者や看護師は数多く居る。
ALSそのものの完治は現代医学においても不可能だが、延命措置により寿命を真っ当することは可能だ。
可能なのだが、それを望まない場合ももちろん存在する。
(このままでは君は間違いなく看護師を続けられなくなる……茨戸さんに依存し過ぎている……もし彼女が延命を望まなかった場合……いや、それも致し方ないのかもしれん……)
看護師、秋霧登紀子は自らの娘がまだ幼いころに交通事故で亡くしている。
もし生きていたなら丁度陽子と同じくらいの年齢に達しているはずなのだ。
だから彼女は同じく交通事故で入院してきた陽子を実の娘のように目にかけている傾向が強い。
「あ、そう言えば私陽子さんにauthentic world online一緒にやろうと誘われてしまいまして……」
「うん? ……なるほど……かまわんよ? そうだな……ではヘッドギアは院で用意しようか」
「いいんですか!?」
「ああ、キミを向こうで茨戸さんの専属にしよう。その代わり向こうで茨戸さんがどのように過ごしているのかをちゃんと見てあげて欲しい。こっちの業務は気にするな」
破格の待遇だ。
下手をすれば遊んでいると思われても仕方ない事を平気で許可するのは凄い事だろう。
監視という名目が無ければ実際遊んでいるだけなのだが。
一応患者のメンタルケアも大事な業務ではある。
ただ、一個人に対してというのは本来ならまずありえない話しなのだが。
「はい、ありがとうございます! 院長」
「では緊急時のスタッフを別に用意する必要があるかな」
「……私ではダメでしょうか?」
「いや、状況によっては即座にログアウト出来ない可能性も考慮する必要があるからな」
「そう……ですか……あれ? 院長……」
「はは、私も昔はソーシャルネットワークゲームをよく空いた時間にやっていたものだからね。多少ならわかるとも」
「ご配慮感謝いたします」
「なに、患者がそれで元気を取り戻せるのなら積極的にVRを取り入れることも検討出来るからね。いわば先行投資だよ」
なんと懐の広い人なのだろうか。
「ありがとう……ございます!」
秋霧は深々と頭をさげ、院長室を後にする。
一人残った院長は誰も居なくなった院長室の椅子に腰かけ、そっと机の引き出しを開けて一枚の写真を手に取り、そしてため息をついた。
(これで良かったのかな? いや、これでよかったのだろう……いやはや、私もまだまだ甘い……そうだろう? 誠司……)
これで彼女の失われた時間が少しでも動き出すなら安いものだろう。
事実、陽子がauthentic world onlineをやり始めてからというもの、コミュニケーションが減り、登紀子は目に見えて落ち込んでいた。
これでは業務に支障もでるだろうし、何より旅に出た親友に申し訳が立たない。
「人間というのは……難儀なものだな……」
虚空を仰ぎ、ひとりごちた院長のつぶやきは、誰に聞かれるでもなく空間に溶けて消えた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――数日後。
「じゃーん! 見て見て、陽子さん!」
まるで子供のようにはしゃいでヘッドギアを掲げる登紀子。
『あ、ヘッドギア』
一度陽子ので経験しているために登紀子は迷いなく、手早く設置を終える。
「ふふ、これで一緒に遊べるね」
屈託のない笑顔、それが心の底から出てきているものだと容易に窺うことが出来る。
『うれしい』
陽子もつられて笑みをこぼす。
「あ、そうだ! 陽子さんの向こうでの名前聞かないと」
VRの初心者とはいえ、ネットゲームにおけるマナーは最低限調べてある。
向こうでの本名呼びは極力避けるのは基本であり大事な事だ。
『私はローズだよ』
「ローズね、わかったわ! 私はどうしようかなぁ……」
『チュートリアルで色々聞けば教えてもらえるから向こうで悩むのもありだよ?』
「そう? 40のおばちゃんでもわかるかな?」
『親切に教えてもらえるから大丈夫!』
「うん、案ずるよりも産むが易しね! よーし、頑張っちゃうぞ!」
『ふふ、初めて行ったらきっと驚くよ? 前も言ったけど本当にリアルなんだから』
「ええ、覚えてるわ。楽しみねぇ……じゃあさっそく……」
『ログインしよう!』
二人は現在の状況も、立場も、何もかも無いかのように笑い合う。
それはあたかも親友のようであり、子供と一緒に遊べることを喜ぶ母親と、自分の趣味に共感し母親が共に遊んでくれるのを喜ぶ子供のようであった。




