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蕾の花  作者: 夜凪
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足元には虚空。

遥か下方に見えるのは断崖の中を進む険しい清流。万が一にも転げ落ちれば切り立った岩肌に身を打ち付け、流れに流され命どころかその身のあった一欠片の証明すらもできないであろう事は容易に想像がついた。


そんな場所に張り出した露台の柵の間から足を垂らしてブラブラと揺らしているのは、まだ成人にも届かぬ幼い少女である。

下方より吹く冷たい風に射干玉の闇を吸い込んだかのような黒く艶やかな髪をなびかせる。

透けるように白い肌に紅い唇。ほんのりと薄紅に色づく頬にすっと通った鼻筋。こぼれ落ちそうなほど大きな瞳はややツリ目がちではあるものの、数年後が非常に楽しみなまごう事なき美少女であった。


ただ、惜しむべきかな。

髪と同じ色をたたえた黒瞳はその幼い容姿には似合わぬ深い哀愁をたたえ、遥か遠くの空をぼんやりと眺めていた。

唇から溢れるのは遠く異国の歌。

その透きとおったった調べを耳にした者は皆一様に、胸を引きしぼられるような痛みを感じた。


「黒妃様。もう直ぐ日も暮れますれば、どうぞ中にお入り下さい」

控えめにかけられた声に、少女はその眼差しをようやく揺らした。

そうして、言葉を返すこともなくスルリとそこから立ち上がる。

己の肩ほどもある手摺りは、まるで少女を閉じ込める檻のようにも見えた。

今一度空へと視線を投げかけ、踵を返した少女の髪からふいに風にあおられ続けていたリボンがスルリとほどけて飛んで行った。

とっさに伸ばされた指先をすり抜け、少女の髪を飾っていた紅いリボンはヒラヒラと手摺りの向こうへと飛んで行ってしまう。


「アァ、お前は自由ね。………私も………」

その紅色を目で追っていた少女の口からポツリと溢れた言葉は、吹き付けてくる風に散らされて消えていった。

耳に入ってしまった侍女の心に、不安の影を落としながら。







王が遠征のおり、戯れに攫ってきてしまった幼い少女は、成人前のその幼さゆえに手をつけられることもなく、後宮の隅に置かれた。

とある部族の長の1人娘であった少女が何故王の目にとまり、遠い異国の地まで連れて来られることになったのか、詳しく知る者は誰もいなかった。

ある者は王の気まぐれと言い、ある者は彼方から差し出してきたのだと言った。

少女はその身にまとう色からとって黒妃と呼ばれ、後宮の1番端の一角へと押し込められ、王の妃の1人として過ごすこととなったのだ。


最低限の世話役をつけられ衣食に困る事はなかったものの、王はもとより尋ねてくるものもいない寂しい生活に幼い少女がどれほど心を痛めたのか。

言葉には出さぬものの、日々切なく空を見上げ、故郷の歌を口ずさむ少女の姿を見れば明白であった。


その原動力が戯れであったとしても、もう少し王がこの幼い妃を目にかけていたならば、物事は少しは違ったのであろう。

しかし、王が自国の城に帰り着き、その黒の美しさを愛でたのはほんの数度。

年より大人びているとはいえ、成人前の少女に色事を仕掛けるわけもいかず、さらには後宮に集う美姫たちのように王の関心を引こうと愛らしく囀るわけでもない少女に、王の興味が薄れるのはあっという間だった。


そうして「黒妃」は後宮の片隅で、僅かな世話役の侍女達以外と顔を合わせることもなく、ゆっくりと忘れさられていった。








季節が巡り、やがては少女も成人を迎える日は来る。

まだ蕾の今でさえこれほどに美しいのだ。

花開けばどんな大輪になるだろう。そうなれば、きっと王の足をこちらに向ける時は来る。

今は辛く寂しいだろうが、その時までの辛抱と、しおれる少女を一生懸命慰めていた侍女達の苦労は、果たして、報われる日が来ることは無かった。


「黒妃」が後宮に入り丁度1年のその日。

いつも座り込んでいた露台の上に、髪に飾っていた造花の花を一輪残し、少女は忽然と姿を消した。

日に日に色をなくし、しきりに故郷を恋しがる姿を知っていた侍女達は、その花を前に泣き崩れる。




遠い異国の地からこの国に来る道の中、王が何気なく買い与えたであろう露天の安物の髪飾り。

宝玉が飾るわけでもない粗末なソレを少女が時折取り出しては大切に愛でていたのを知っていた。

そして、少女が消えた日の前日。

久方ぶりに王の渡りがあるとの知らせに、ほんのりと頬を染め珍しく微笑みながらその花を髪に飾っていた姿を、微笑ましく眺めていたのだ。


だが、約束の時間になっても、王の姿が「黒妃」の部屋に現れることはなかった。

笑みの消えた少女に、様子を伺いにいった侍女が持ち帰った話は残酷なものだった。

こちらに足を向けていたはずの王は、途中通りがかった別の妃に袖を引かれ、そちらへと行ってしまったと言うのだ。


自身が泣きそうな顔で小さな声で報告するまだ年若い侍女に、少女は、心配かけまいとするように笑顔を浮かべ、しかし、堪えきれなかったように涙を一粒零した。




一巡りの季節を共に過ごした世話役の侍女達は、露台の上で泣き続ける。

なぜに黒妃様がこんな事に。

遠い異国の地で、こんな寂しい思いをして、こんな寂しい終わりを迎えなければならなかったのか。


答えを返してくれる声は、どこにも無かった。



読んでくださり、ありがとうございました。

書き溜めていた気分転換作品の掲載となります。

1日1話。サクサク行きます。

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