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ファンタジー兵站小説:算術士ピクセルの戦争

作者: 銅大

 僕が最後にちゃんとした睡眠をとったのはいつだろう?

 少なくとも、この戦争が始まってからは一日たりとも満足に眠った記憶はない。

 いや、正しくは戦争が起きることが決まってからだ。

 僕は算術士だ。

 僕たち算術士の戦争は、誰よりも早く始まり、誰よりも遅く終わる。

 なぜなら、僕たちがいなければ戦争なんかできっこないからだ。


 そして今日もまた――

「起きろピクセル、起きなければツンツンする」

 僕は可愛らしい声に、容赦なく起こされる。

 ああ、もう少し、このまま寝ていたい。

「起きなくてもいいぞ、ピクセル。今日はツンツンするから」

「んあー、やめてー」

 体に巻き付けた毛布をはぎ取られそうになり、僕はもぞもぞと起きる。

「むう、起きたか。おはよう、ピクセル」

 小柄な女の子が、つまらなさそうな顔で僕にあいさつする。

 この子はドワーフ族のウル。ゴーレム使いだ。

 ドワーフ族の女性は何才になっても若く見えるが、ウルは十二才で、外見通りの年令だ。

「おはよう、ウル」

 頭の芯が重い。上体を起こしたのはいいが、それ以上は指一本、動かしたくない。

 僕が寝ているこの場所は、馬車の中だ。ここが今の僕の仕事場だ。周囲に漂うのはインクの臭い。積み上がっているのは書類の山だ。

 戦争が始まると、算術士は馬車に入れられ、部隊と一緒に運ばれる。

 自分の足で歩かなくていい点は優遇されてるのだろうが、馬車の中にいる間も、朝から晩まで、ひたすら書類を読み、計算をし、書類を書く。

 毎日、毎日、毎日だ。

 ほげー。

「おーい、ウルー、ピクセル起きたかー?」

「メビウスか。起きた。でも寝ぼけてる」

 僕がぼんやりと口を開けてこの世のすべてを呪っていると、女の子がもうひとり、馬車の中に上がってきた。

 健康的に日に焼けた肌に、申し訳程度の布きれ。そして頭には動物の骨で作った冠をかぶっている。王宮にいる時こそ、メイドたちによって無理矢理にドレスを着せられているが、外に出たとたん、これである。骨の谷の部族の風習というのは、かくも根強いものか。

 彼女はメビウス。転移魔法の使い手だ。おっぱいは大きいが、まだ十四才である。

「おい、ピクセル! しゃんとしろ、しゃんと!」

 ばんっ。メビウスが僕の背を叩く。薄い布に包まれたおっぱいが、ユサユサと揺れる。

 少し目が覚めた。

「何をやってるのですか。早くしなさい」

 黒いドレスを着た少女が、苛ついた声をあげ、馬車をのぞきこんだ。

 彼女こそ、この部隊の指揮官にして主力である死人しびと隊の使い手、ネクロマンサーのゾフィー姫である。彼女は十六才で、僕と同じ年令だ。年令と背丈はゾフィー>メビウス>ウルで、とある部分の高低差はメビウス>ウル>ゾフィーである。

 僕がウルとメビウスにつつかれてるのを見て、ゾフィーが不機嫌そうに顔を歪める。

「おー、姫さまー」

「ピクセルが動かねえんだよ」

「いいから引きずりだしなさい。私が許可いたします」

 ずるずるずる。

 ウルとメビウスに引きずられ、僕は馬車の外に放り出される。

 太陽はまだ山の端から顔を出したばかり。早朝もいいところだ。僕が寝た――というか、意識が落ちた時間を考えると、今日の睡眠時間は二時間ほど。この遠征が始まってから、平均睡眠時間はついに三時間を割り込んだ。

 僕が恨めしそうに東の山を見ていると、何を勘違いしたのか、ゾフィーがうんうん、とうなずく。

「あなたが何を考えているのか、私にはわかりますわよ、ピクセル」

 僕が考えているのは、馬車に戻って寝たいということだけです、ゾフィー姫。

「あのエルフどもをぎゃふんと言わせたい。その気持ちは私も一緒です。人の足下を見て、魔素マナ取引価格の引き上げを断行するなんて……神と精霊が許しても、私が許しません!」

 いやー、どうだろうね、ゾフィー。これまで魔素を安く買いたたいて贅沢な暮らしをしてきた人間族に問題がある気もするよ、僕は。このままの消費を続ければ、魔素は三十年後には枯渇する危険だってあるんだからさ。

「だからこそ、この遠征は成功させないといけないのです! 東のプロイェシュティの森には、豊富な魔素を抱えた地脈があります。ここをエルフから奪えば、我が国の魔素問題は一気に解決するのです」

 その作戦計画書は何度も読みましたけどね。なんか無理ないですかね。戦争に勝って森を手に入れたとしても、維持はどうするんですか。国境からずいぶん離れた領土を維持するためにかかる魔素と、算出される魔素を比較すると、収支はトントンがいいところじゃないかしら。

「今回の作戦は電撃戦。速度こそが要です。エルフが国境に精霊の群れを配置する前に、私の死人部隊で突破し、蹂躙する。そのために、ここまで死人を召喚せずに、少数精鋭でやって来たのです。あと少し、あと少しなのです」

 少数精鋭。まさにその通り。

 僕は周囲の野営地を見回した。

 馬車は三台。僕の馬車、ゾフィーの馬車、ウルとメビウスの馬車。

 荷物運搬用の浮遊橇フローティングスレッドが三十台。

 馬車と浮遊橇を牽引するゴーレムが三十三体。

 そして僕、ゾフィー、ウル、メビウスの四人。

 浮遊橇の幾つかには、魔素水晶が山と積み上げられている。もったいないことだ。大事に使えば、都市ひとつの一年分の魔素になるだろうに。

「ふっふっふ。私の死人部隊が国境に迫った時の、エルフの――シャリーンの驚く顔が目に浮かぶようですわ。だいたい、私は昔からシャリーンが気に入らなかったのです。なーにが清楚な森の巫女ですか。あいつ、絶対に男を手玉に取る肉食タイプですわよ」

「エルフなんだから肉食はないだろう」

 戦争前まで僕とゾフィーと同級生だったエルフの少女を思い出しながら、僕はつい口をすべらせてしまう。なお、とある部分の高低差はシャリーン>>メビウス>ウル>ゾフィーとなる。

「はぁぁぁああ? なんですの、ピクセル。あの女の肩を持ちますの?」

 顔を歪め、ゾフィーが僕をにらみつける。ふだんが人形のように整った顔をしているだけに、迫力がある。ちびりそう。

 ゾフィーとシャリーン。どちらも強い魔力を持つ人間の姫とエルフの巫女。ことあるごとにぶつかるのは、宿命のようなものなのかしら。できれば人や国を巻き込まないで欲しいんですけど。

「そういえばピクセル。あなた、シャリーンと仲がよかったですわね。まさかあの女にたぶらかされてはいないでしょうね? 嘘をついても、あなたの背後霊を召喚して聞き出せば――」

 やめて、貴重な魔素水晶をそんな魔法で割らないで。計算が合わなくなる。

「おーい。早くしないと、ゲートの接続時間が足りなくなるぞー」

 メビウスが、骨でできた杖を振り回して僕たちを呼ぶ。

「やれやれ、しょうがないなぁ。じゃあ、ゾフィー、僕は仕事があるんで」

 疑惑の目でにらむゾフィーから一歩でも離れたくて、僕はメビウスのところに走っていく。背中に突き刺さる視線が痛い。

「ほい、今日の転移座標。呪文のこことここに挟んで詠唱して」

 寝る前にポケットの中に入れておいた二枚の紙をメビウスに渡す。一枚は転移呪文を書いた紙だ。こちらはだいたい形式が決まっている。ただし、呪文にはいくつか空白があり、そこに入れるのがもう一枚の紙に書いた転移座標だ。

 ゲートを正しく、安定して開くために必要な転移座標は、計算で求める。計算そのものは単純なものの組み合わせなのだが、距離が伸びるにつれて、計算の数が幾何級数的に増える。しかも、太陽や月、星の配置によって違ってくるから、同じ計算式が使えるのは数年に一度しかない。毎日ゲートで移動しようとすれば、毎日大量の計算が必要なのだ。

 ゲートに限ったことではない。単純作業しかできないゴーレムやアンデッドに複雑な行動をさせるための魔法にも、大量の計算がついて回る。今のように、浮遊橇を動かすだけなら決まった手順でいいが、もし今すぐに戦闘となれば、ゴーレム同士がぶつかったり転んだり、あさっての方向にさまよって大混乱になるだろう。ゴーレムを操るウルの魔力が足りないわけではない。ウルには才能があるし、十代から二十代までの女の子は一生の間で一番高い魔力容量を持つから、魔素水晶さえあれば千体のゴーレムでも呼び出して操ることができる。ちゃんと、計算された呪文を使えば。

 その計算を専門に行うのが、僕たち算術士だ。

 昔は、魔法使いが算術も一緒に行っていた。しかし、それで可能なのは、せいぜいが視界の範囲内で一瞬だけゲートを開く、一体のゴーレムに石臼を回させる、アンデッドを扉の番人に使う、などの単純な魔法だけだ。

 現代のように、魔法を複雑、そして大規模に使うためには、専門の算術士が必要となる。

 魔法が使えるのは女性だけ、という理由もあって、算術士になるのもだいたいは女性である。自分にはまったく使えない魔法の計算式を覚えようという酔狂な男は少ない。

 僕が算術士をしているのは、僕が孤児で修道院に拾われたことと、そこで計算が得意な頭を持っていることが分かったためだ。僕たちの文明は大量の算術士を必要としており、修道院の役目のひとつは計算ができる子供を見つけ出すことなのだ。

 おかげで孤児でありながら学校にも行かせてもらえているし、宮廷算術士にもなれた。そのことに感謝はしているが、戦争はイヤだ。

「今日のうちに四つの都市を回って、死人召喚のための素材を集める。メビウスには負担をかけるけど、がんばって」

「おう、いいさ。戦争になったら魔法使いを兵役に出すのが、オレの部族と王国との契約だからな。まあ、ばあちゃんの時代までだと、自分と周囲の数人を転移させて敵陣や城に乗り込んで暴れる、みたいな戦いだったみたいだけどよ」

「貴重な転移魔法の使い手に、そんな危険な任務させてたのか」

「今でも、狩りだとそんなものだぜ? こう、雪巨人の頭の上に飛んで、ぶっすり槍刺してから逃げる、みたいな。よく失敗して死ぬけど」

 僕はぞっとした。

 転移魔法は特に計算が重要な魔法だ。前にメビウスに確認したところ、普段は頭の中にぼんやりと浮かぶ転移座標を呪文に組み込んで使っているらしい。無意識にやってる計算のようだが、数式が大雑把すぎて、検算してぞっとした。三百回の転移をすれば、そのうち三十回は何らかのズレが発生し、さらにそのうちの一回は致命的になり得るほどの計算のズレがあったからだ。

「いいかい、メビウス。そっちにもいろいろ事情があるだろうから、そういう使い方をやめろとは言わない。けど、誰でもすぐにできる簡易版の転移座標計算式を僕が絶対に作り出すから、それまでは、できるだけ危険な場所への転移はしないでくれ。お願いだよ」

 前から何度もお願いしていることを、もう一度繰り返す。

 転移魔法の失敗による死は悲惨だ。空から落下して潰れたり、地面や壁にめり込んだり。僕はメビウスにそんな死に方はしてほしくない。

「お、おう……うちの部族は、みんな頭の中まで筋肉が詰まってるような連中なんで、算術士にはなれそうにないからな。よその部族から……その、婿に来てくれるとかだと……ありがたいんだが……」

 僕が最後の検算をしている間、メビウスがゴニョゴニョと何が言っていたが聞き流す。

 よし。計算にミスはない。

「いいよ、メビウス」

「え? 本当にいいのか?」

「うん、この転移座標で間違いない」

「……ああ、そっちかよ」

「へ?」

 なぜかがっかりしているメビウスを置いて、僕はウルのところに向かった。

「ウル、今日行く四都市のうち、港湾都市カーレに入るには周囲の湿地帯を通らないといけない」

「おーう。ゴーレム、泥濘、苦手。スタックすると、動けない」

「なので、隊列の距離をあけて、ゆっくり移動させたい。はい、これがゴーレムの動きを半分に減速する時の姿勢制御用の呪文。ゴーレム間の距離が開いたら、ここのところの数字を心持ち大きめにとって」

「おーう、感謝」

 さらに二枚目を渡す。

「これが湿地にはまった時の姿勢制御用。腰の位置を下げて、すり足で動くようにしてあるから、もしゴーレムが湿地で転んだり、木道を踏み抜いたら使って」

「素晴らしい。ピクセルは良いドワーフになれる」

「はは。僕はドワーフみたいな職人にはなれないよ。力も弱いし、鍛冶場みたいな暑いところだと、目を回しちゃう」

「むう、ふられた。でも諦めない」

「? それじゃ、今日も頑張ろうね」

 ぽんぽん、とウルの頭を撫でてやってから、僕はゾフィーのところに向かう。

 時間を置いたので、少しは怒りがおさまっただろうと期待したのだが、相変わらずゾフィーは不機嫌だった。

「この男……呼吸するようにフラグを……これだから、シャリーンに宣戦布告されることに……」

 相変わらず、シャリーンにライバル心むき出しだった。

 それにしても、シャリーンに宣戦布告されたとはどういうことだろう。エルフに宣戦布告したのは人間の側のはずなんだけど。

 こういう場合には、聞こえなかったふりをして、仕事に専念するに限る。

 それに、気になることもあった。

「ゾフィー、今日の四都市で規定の数の死人召喚素材が集まる。骸骨戦士スケルトンソルジャー五千、骸骨弓兵スケルトンアーチャー二千、死霊魂火ウィルオーウィスプ百……ひとりのネクロマンサーが召喚し、動かす数としては歴史上最大規模だ」

「ふふん。まかせてもらえるかしら。私の魔法がこの作戦の要であることは存じておりますし、そのための鍛錬も欠かしてはおりませんでしてよ」

「うん。ゾフィーが歴代王族の中でもトップの魔法の才能を持っていることは知っているし、学校でも王宮でも努力を重ねているのを僕は見ている。ゾフィーのネクロマンサーとしての能力に、僕は何ひとつ不安を抱いていない」

「はうっ……と、当然ですわね!」

「僕が心配なのは、この死人兵の編成の方なんだ。あまりに――シンプルすぎる」

 骸骨戦士。骸骨弓兵。死霊魂火。この三種類だ。

 近接。射撃。魔法。形の上では近代戦の諸兵科連合を最低限満たしてはいるが、それは本当に、形だけだ。

「これは確認なんだけど、死霊魂火は魔法兵というよりは、伝令のようなものじゃないのかな。敵を攻撃するのではなく、ゾフィーの魔法を中継して広がった部隊の全部に命令を伝達するためのもの……だと思ったけど、違うかい?」

 すっ、と周囲の温度が下がった気がした。

「ピクセル」

 ゾフィーのまとう空気が変わっていた。今の彼女は王家の姫でもなく、幼なじみの同級生でもない。史書に名を残すであろうネクロマンサーがそこにいた。

「その推測、どこかで口にしましたか?」

「いいや。ずっと意識にはあったけど、言葉にしたのは今が初めてだ」

「そう――ならばこたびは許しましょう。あなたを死人にして、私だけの使い魔にすることは、ね」

 唇だけで微笑むゾフィーの言葉の、どこまでが本気なのか。あまり知りたいとは思わなかった。

「つまり、そういうこと……なんだな?」

「ええ。一軍をひとりの魔法使いで動かす。この無理を実現するための手が、死霊魂火を使った魔法の範囲拡大ですわ。狭い範囲に死人を集中して召喚し、戦わせるのなら、たとえ二万でも三万でも、私には可能です。ですが視線も声も届かない森全体に部隊を散開させて戦わせるとなると、どうしても私の目となり声となる死霊魂火が必要なのです」

「理屈ではわかるけど、危険だと思う。もし、これが見破られたら――」

 死霊魂火は、その役目から空中に高く上がることになる。そして、魔物としての死霊魂火は最弱の存在だ。狙われればたちまち駆逐される。

 相手は魔法に長けたエルフだ。そして何より、敵の中にはゾフィーに匹敵する魔法使いのシャリーンがいる。

「シャリーンなら、この策を見破るでしょうね」

 ゾフィーはあっさりと認めた。

「だったら!」

「だからこそ、ですわ。この戦い、電撃戦だと申しましたよね。それは、この策が必ず見破られるからなのです。同じ手は二度と使えません。ですが一度目であれば、通用するのです」

「うーん」

 それはどうだろう、と僕は思った。

 一度しか使えない手、というのは、一度も使ったことのない手、でもある。

 つまり、実際に使ってみてどんな問題が発生するのか、誰も知らない手、なのだ。

 うまくいけば、画期的な戦法である。何しろ人間は四人だけ。ゲートを使い、軍隊がてくてく移動するのとは比較にならない速度で国境に迫り、そこで召喚した一万近い死人の軍勢で攻めかかるのだ。たとえ戦争に備えて国境に城砦を築き、守備隊を置いていたとしても一撃で粉砕して戦争の趨勢を決することが可能だ。補給と費用の面から言って、開戦前には守備隊の数は千から二千しかいないであろうから。

 ましてや相手はエルフだ。国境を守るエルフ森林警備隊レンジャーは精鋭だが、密猟者を相手にするのが仕事なので、広い森に百人しかいない。

 成算はある。むしろ、普通に戦うよりは高い方だ。だから王陛下も大事な娘がわずか四人で敵国に突っ込むこの作戦に許可を出したのだろうし。

 けれども、ゾフィーと一緒に突入する四人のうちの一人としては、成算が高いからそれでよし、とはいかない。

「なんです。まだ文句があるというのかしら」

「文句はないさ。でも、僕は算術士だ。算術士はすべてを計算で求める」

「勝率が低いとでもおっしゃりたいの?」

「いいや。勝率は高いさ。ざっくりの計算だけど、勝率は八割、ううん、八割八分かな。普通に軍隊同士がぶつかるより、絶対に高いよ」

「なら、負ける一割二分に怯えているのかしら」

「当然だろ。その一割二分の負けで失われる中には、百年に一度の魔法の使い手であるゾフィー、君が入ってるんだぞ。僕なら、たとえ勝ちの確率が九割九分でも低いと判断するよ」

 正直、僕は心の底から腹を立てていた。

 いくらプロイェシュティの森に豊富な魔素があっても、そんなもの、いくらでも補いがつく。ぶっちゃければ、エルフに頭を下げて魔素の価格交渉するだけでも、何とかなるのだ。

 だが、戦争に負けてゾフィーが失われたら――それこそ、取り返しはつかない。

 僕は孤児だ。その僕を拾って育ててくれた修道院と王家には恩がある。僕が命を捨ててゾフィーが助かるなら、迷わずそうする。

 しかし、戦争での一割二分の負けは、僕が命を捨てようがどうしようが、どうにもならない。そんなものに僕の大事なゾフィーの命を賭けようとした奴には、怒りしかない。

 ――落ち着け。算術士はすべてを計算で求める。怒りは計算に入らない。

 一割二分の負けが起きた時にどうすればいいか。

 それが僕が算術士として求めることだ。

 僕は考え、計算し、修正して考え、そして計算した。

 ――うん、現状ではこれしかない。

「ゾフィー、お願いがある」

「お願い?」

「指揮官である君にしかできない。作戦計画に変更を加えてほしい。二カ所だ」

 僕は変更内容について説明した。もちろん、変更する理由も説明する。

 しばらくゾフィーは悩んでいたが、やがて、不承不承、うなずいた。

「いいでしょう。指揮官として作戦計画『黄の場合』に変更を加え、記録します」

「ありがとう」

 僕がそう言うと、ゾフィーはくすっ、と笑った。

「礼を言うのは私の方でしてよ、ピクセル。私の命を救うための計画変更なのでしょう?」

「うん。君と、ウル、メビウスの三人の命を救い――ついでに、僕の命もね」

 ウルはドワーフ族の、メビウスは骨の谷の代表で、王国にとって大事な同盟相手だ。やはり一割二分の負けに巻き込んでいい相手ではない。

「……ふぅ。あなたならそう言うと思っていましたわ」

 ゾフィーが呆れたように苦笑して言う。

「おーい、ゲートが開いたぞー」

「移動開始する。ゴーレム隊、前進」

 メビウスとウルが転移魔法とゴーレムの準備をして僕たちを呼んだ。

「では、いきますわよ。ピクセル」

「ああ、いこう。ゾフィー」

 ゾフィーが僕に手を伸ばし。僕はその手を握った。

 十年前、子供だった僕らが最初に出会った時のように。


 僕は算術士だ。

 算術士の戦争は、誰よりも早く始まり、誰よりも遅く終わる。

 現代の戦争は、僕たちの計算なくしては動かない。

 僕にとっての長い長い戦争が、始まろうとしていた。


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