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 背から広がり体に響く、衝撃に身を丸めた。呻き転がりながらも感じたのは湿った土、青葉と枯葉の匂い――颯壱は腐葉土という言葉を思い浮かべた。

「……っん、だよこれ――――」

 俯せから目を開けば緑と茶。慌てて視線を上げればその様々な色合いで構成された光景が飛び込み、息を呑んだ。頭の中に残る揺れの余韻を抑えるように右手で目元を抑えようとするが、その手に覚えもない革の手袋がはめられていてぎょっと固まる。微かに震えるその手が自身の手であることは明らかであり、緩く握り込めば革の感触を実感する。手とその向こうにある気色を見比べても戸惑いしか生まれず、それでも体の節々の痛みに耐えながら両手を膝について立ち上がった。空を仰げば、太陽の眩しさに慌てて片手を翳す。湿り気を帯びた涼風が、森の香り帯びて全身を撫でていく。梢がさやと揺れた。

 何度見まわしても颯壱の部屋と結び付けるような物はない。足が震え、立つ力を失い尻餅をつく。

「おい、嘘だろ……?」

 眼前に両手を持ち上げ、呟く言葉さえ戦慄いたが、何も答えは帰らない。




 ゲームの中に迷い込んだ。そうとしか考えられないような有様であった。




 落ち着かないままに颯壱は再び立ち上がり身形を確かめる。見慣れていながらも、身につける機会は一切ない筈の装いを一つ一つと触れながら、浮かんでくる馬鹿げた妄想を否定する要素を探す。視界の端に、ちらちらと入る色彩を無視していた。やがて手袋を外す段階までになり、早い鼓動を深呼吸で宥めようとして失敗する。夢と肯定するには体の痛みは引かず、妄想癖を拗らせたのだと言い聞かせるには正気を主張する思考が強過ぎた。

 一息に、左手を手袋から引き抜く。形や大きさも見覚えのある、意識通りに動く自身の手だというのにまるで他人の物のような、ほんの僅か日に焼けた白い肌。自他共に弱小と認めるが、練習は欠かさず行われている野球部の部員には見られない色が肌に乗っている。手袋を投げ捨てた、その手の指で、無視していた色を掴む。

 生まれてこの方染めたことがない黒い髪が、幾ら日に痛んだとしてもこうはなるまいという、赤い色。その深い色は着色したような不自然さはなく、馴染むように颯壱の前髪にあり、肩を落とすほどの溜息を誘った。短く刈り込んでいた颯壱に掴んで目の前に持ってこれるような前髪はないのに、その髪の毛は引っ張れば痛かった。

 ――――こうなると、もう、目の色まで確かめなくてもいいんじゃねぇか。

 深く濃い赤髪とあまり日焼けのない白い肌、そして鮮やかな青い目。生粋の日本人にはまず有り得ない組み合わせを『Go out of Garden』キャラクターの由基に、颯壱自身が選んだのだ。身長や体重はどうかと考えてみたが、極端に高くや重くとは設定しておらず、颯壱のそれも引き締まりもあって多少細身だが、男子高校生としては標準だった為、差異の実感があまりない。顔立ちは鏡等で直接見ない限りは判断できないが、もし颯壱としての、日本人らしい彫の浅い顔の造作では違和感が半端ないだろうなと俯いた。勝手に着せられた服、というべきか、装備というべきか。それらは3DCGから存在を現実へ移したかのように、馴染んでいた。厚みのある布地に、艶を消した金具、丁寧に鞣された革。ズボンやシャツに始まり、胸当てや手袋、矢筒にブーツ、腰に下げたポーチに至るまで、まるで由基を忠実に実写化する為の装飾だ。己の現状に彼は思わずしゃがみ込んだ。 

「俺、部屋にいたよな、……どうなってんだ、こんなとこ知らねぇし、訳分かんねーっ……」

 畜生、と、暫く唸りながら、両手で頭を掻き毟っていたが、発端については何一つ思いつかない。辺りを睨み付けても時折吹く風に色彩が揺れるばかりである。霧が晴れるように、彼の部屋が現れることもない。奥歯を噛み締め、勢い良く立った。

 既に日は傾き、景色は赤く染まっていた。

 颯壱の立つ場所は特に木々が密集していることも、逆に空いた空間でもない。思い思いに繁殖し、成長し、朽ちている。人の手が入っているとは思えず無秩序で、しかし自然の摂理があるように彼の目には映った。人を見つけるよりも先に夜が来るだろうことを感じさせる。  

 ここが直前まで遊んでいた『Go out of Garden』の世界である、という、度を越えた妄想を前提とするのであれば、この場所が先程まで画面上で見ていた『イディゴの森』の可能性が高い――あまり人気がない、その先のダンジョンに行く為に通るだけの。そして、颯壱の分身キャラクターである由基では太刀打ちできないモンスターもいる森だ。どうにでもなれと身を伏してしまうほどの諦めは颯壱になかった。闇雲に動く危険を自分に言い聞かせながら、慎重に周囲を探り始めた。皮肉にも服装は森を歩くにも適していた。肢体に露出がないので不用意に植物に触れずに済み、ブーツは枯葉のうえでも滑りにくい。

 特徴がある木を印にしながら歩き続けたが、人影は見当たらなかった。蜜を求めて木を這う虫の列や、遠目に飛ぶ鳥の姿を目にしたがそれらの知識が少ない彼にとって、ここが颯壱の世界かゲームの中かの判断材料にはできない。一目してゲームだと言い切るにはモンスターと遭遇することぐらいだ。

「……にしても、俺、こんなに体力なかったか……?」

 段々と冷たくなってきた風に、息を整えながら疑問が浮かんだ。少し歩いただけでも汗が滲み、背負う矢筒も、腰に下げるポーチも見れば中身が空だというのに、重くのしかかり彼の進みを止めるに至った。足を引き擦りながらはじめ転がっていた場所まで辿り着くと、前のめりに崩れる。

 慣れない森歩きであろうと、野球部員として日々活動しているならば多少無理もできるのではと楽観的に考えていた部分も彼には確かにある。ただ、見えない先にモンスターが潜んでいたらと極力音や動きを抑えていたのだ。心理的な面は除くしかないが、普段よりも少ない運動量にも拘わらず、今、颯壱の体は鉛のように重い。生きる為に必須の水場や夜を明かす洞穴を探したかったが、体を休めている間にも日が落ちていく。まだ僅かながら太陽の名残はあるが、夜に染まるのも近い。

 このまま地上で寝てしまえば、万が一モンスターが襲ってきたらひとたまりもない―――モンスターではなく、颯壱が知る熊等の猛獣であっても危険に大差ないだろうが。

 せめて木の上であれば多少の安全が確保できるだろうと一本の木に彼は目星を付けた。大人の片腕で丁度抱きかかえられる程度の真っ直ぐに伸びた頑丈そうな幹に、生き生きと緑葉が茂っている。枝の中には颯壱の腕と変わらない太さのものがあり、薄暗い中で見た限りは、虫がたかっている様子はない。久しくしていない木登りに不安を感じながら、木に手と足をかけた。はじめこそぎこちなく僅かばかりしか登れなかったが、ずれ落ち距離を失う事数回、コツを掴むと何とか目標の枝を跨げた。手足の汚れを叩き、下を眺めれば思いの外遠い地面に身を竦めた。落ちたら、傷の一つでは済みそうにないのは明らかである。ここで体を休めるにも、結局眠らず過ごす必要があるだろうと項垂れた。寄りかかるのに丁度具合がいい枝に右腕と頭を預けた。幹に背を預けるにも矢筒を外さなければならず、あまり身動きをするのも静けさを前に憚られたのだ。また、外した荷を掛ける事が叶いそうな枝が見当たらなかったこともある。

 ふと、颯壱は息を吐く。

 これで木を登れるモンスターが、あるいは空を飛べるモンスターが現れてしまっては為す術もない。思えば、幾つか挙げられる名前に彼は鬱々と夜の森に眼差しを置いた。


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