震撼の挑発
店内でちょっとした騒ぎのあった次の日の明朝。
オオサキ料理亭の前を通った一人の男性がそれを見つけ、その情報は一瞬にして王都中に知れ渡る結果となった。
ある人はそれを聞いて「なんと恐ろしいことを……」と囁き、ある人はそれを聞いて「触らぬ神に祟りなし」と呟いたという。
この情報を耳にした多くの人々は自分が巻き添えを食わないようにとこの店に近寄ることを厭うようになり、前日まで来店していた平民の客のほとんどはその日からこの店に足を運ばなくなった。それは貴族でも例外ではなく、腕に自信のある護衛を召し抱えることのできる一部の大貴族や大商人だけがこの店に通い続けるという結果になった。
この件に関しては城でも大きな話題となり、これを止めさせるかどうかで会議まで開かれたほどである。
もちろんそれに出席した者達は愁斗が異世界人で、特級魔物を単独で撃退できるほどの力を有していると知っている。それでも貴族たちにとっては魔物という襲われたことのない生物の恐怖より、実際に要人の暗殺を行うことで恐怖を伝搬させている『メリグレブ』のほうを恐れる傾向にある。
会議は半日にも上るほど長続きしていた。
上座に腰かける国王ヴィルヘルム・オルデス・ユークリウスはそんな会議を黙って観察していた。
「これは看過できない挑発だ! いずれその報復の対象は我々にまで至るやも知れぬ。今すぐに止めさせるべきである」
「しかし彼が我々の害となるような行動をとるだろうか。一度は我々の国の災難を払いのけた英雄であるぞ?」
「餓鬼の行動は読めぬな。どんなに大きな力を持っていようと、それが宿る精神は未熟と言わざるを得ない」
「しかし能無しとも呼べない面はあるぞ。彼は自らの手でミネリク皇国の魔の手から脱し、ここまで戻ってくることができるのだ。ただ力があるだけでこれができるか?」
「そんなことは問題ではない、我々に大きな損害を出す可能性があるというだけでこれを止めさせるに値する」
この会議は愁斗なら『メリグレブ』の悪意を押し退けられるため愁斗の行動を支持するという意見と、たとえ押し退けられるとしても国に損害が出る可能性があるから止めさせるべきという意見に分かれている。
前者の多くは軍事関連の職に就いている者達であり、後者は多くの戦力を保有していない者達である。
軍事関連の職についている者は愁斗の成長速度とその力が常軌を逸しているレベルに達していることを正確―――実際には「正確」とは言えないが―――に理解しており、どんな腕利きの殺し屋も愁斗を傷つけられないと知っている。それは一緒に訓練をしたこの国の全近衛騎士の証言があるため、覆ることはないだろう。
それに対して『メリグレブ』の悪意が自分に降りかかるかもしれないと考える者達は、『メリグレブ』に狙われれば死を免れることはできないと信じ込み、口では国の損害という言葉を建前にして実際には自分が狙われる可能性を危惧しているのである。後ろめたいことがあるが故に。
そんな光景を今まで黙って眺めていた国王は、傍に控えるラスタル近衛騎士団長に話を振った。
「ラスタルよ、そなたはこの件についてどう思う?」
突然口を開いた国王の言葉に耳を傾けようと、今まで紛糾し続けていた議論がぱたりと止んだ。
「そうですね、私はこの件につきましては全てシュウトさんに任せてしまってもいいのではないかと考えています」
今まで愁斗の行動を止めさせようと熱くなっていた者達が、ラスタルの言葉を聞いて目を細める。
「ラスタル様、何故そのようなお考えなのか理由をお訊きしても?」
一人の貴族が近衛騎士団長という地位につくラスタルに敬称をつけて尋ねた。
近衛騎士団長という地位に就く者は謂わばこのユークリウス王国で最強の人物であり、全騎士から尊敬の眼差しを向けられる名誉ある地位である。特殊な条件下においては貴族に対する命令権を所有し、そうではない平時においても他の貴族の命令を拒否する権利を有している。要するに近衛騎士団長は王族の命令しか受け付けないのだ。そして部下である近衛騎士は近衛騎士団長の命令と王族の命令しか受け付けないため、完全に独立した命令系統が出来上がっている。たとえ上級貴族といえど見下して良い相手ではなく、対等以上に接さなければならない。
「もちろんですとも。これは彼自身も気付いているでしょうが、彼の経営している店舗は常に我々に手の者によって監視されています。名目は『緊急時においてすぐにシュウトさんと連絡を取れるようにするため』ですが、他にもいくつか理由があります。その理由の内の一つが『万が一にも彼を傷つけようとする者を近づけさせないため』というものです。言わずとも理由についてはご想像がつきますよね?」
愁斗はミネリク皇国という敵国に対する切り札なのだ。そしてそれはミネリク皇国に知られているため、暗殺者などに狙われる可能性は非常に高い。ならば彼を守護するのは彼を召喚し、彼を必要としているこの国ということになる。これはたとえ学のない者でも容易に想像がつくことであろう。
「彼の経営している店で扱われる食材は我々にも容易に手が出せないほど珍しく高価なものです。それを狙おうとする者は確かに存在し、そして実際に彼の住居に忍び込もうとした賊は毎晩後を絶ちませんでした。もしかしたら一度支払った金銭を回収しようとした浅慮な者共もいたのかもしれませんが」
そう言ってラスタルが会議に出席している人たちを見回すと、何人かの貴族がほんの僅かに動揺を見せた。それは普通の人には気付かないような僅かなものだったのかもしれないが、ラスタルがそれを見逃すことはない。
しかしラスタルはそれを咎めはしなかった。
「そういった者共は彼が店で働いているときも侵入しようと試みていたので、我々の手の者も敷地に入らせていただいて賊を仕留めようとしたのですが………」
突然歯切れが悪くなったラスタルに周囲が訝しげな視線を向ける。
「仕留めようと侵入してどうした?」
「それが……敷地内に入った人々は一人として戻っては来ませんでした」
それを聞いていた人達は内容そのものは理解できたが、ラスタルが何に困惑しているのか理解できない。
何故戻って来ないのかがわからないなら人を送るなりして調べればいいだけの話である。そうでなくとも愁斗の住宅は王都の中でも比較的大きいほうだが、より高い場所から敷地内を除けばいいだけなのだから。
「敷地には複数の樹木によって敷地内が隠れているため、中の様子は外からでは確認できません。そこで敷地内に入って戻って来ない手の者を救出するために再度人員を送り込んだのですが、やはりその者達も戻っては来ませんでした」
ここでようやく会議に出席している人たちはラスタルの言わんとしていることが理解できた。
中に入った者は戻って来られないのだと。
「それ以降は賊の侵入を観察することで内部の情報を集めようとしたのですが、敷地内に入って戻ってきた者はいません。既に百を優に超す人々が中に入っているはずなのですが……」
「ならば直接訊けばよいのではないか? 彼は我々の敵ではなかろう?」
そう尋ねた者は「訊けばよい」などと口にしているが、実際には「返せ」と命令すべきだとそう言っているのだ。もちろんそれを聞いていた人達はそれが意味することを瞬時に見破った。
しかしこれにもラスタルはあまり良い表情を浮かべない。
「それは意味のないことでしょう。すでに三週間以上経過していますし、賊と一緒に侵入した者達は仲間だった、返してほしいなどとお願いしたとしても、敷地内を樹木で覆ってまで隠したい何かを目撃しているかもしれない者達を、無事な状態で返してくれるとも思えません。賊と一緒に侵入した者達が実際には賊でなかったとしても、彼からしてみれば賊と同じですから殺されていてもこちらから言いがかりをつけることはできませんからね」
ここにきてほとんどの者が先ほどラスタルの発言を受け止めることができた。愁斗に任せておけば『メリグレブ』に所属する腕利きの暗殺者を勝手に減らし、更にその注目を愁斗が自分自身に集めてくれるという意味だったのだ。
しかしながら会議はここで終わらない。
「話が大きくズレているようですから今一度ご進言させていただきますが、問題は彼が『メリグレブ』に対抗できるかどうかではなく、悪意の矛先が万が一にもこのユークリウス王国に向けられたらどうするのか――――」
「―――騒々しいぞ、ビエルゾン侯爵」
先ほどから愁斗の行動を止めさせようと躍起になっているビエルゾン侯爵を、国王が大きな声で窘める。するとその一瞬後には会議室中に響いていた喧騒が止んでいた。
愁斗には下手に出るヴィルヘルム国王であるが、実際には他者に有無を言わせぬほどの威厳とカリスマ性を持っている。中には国王を恐れている者さえいるほどに。
「聞いておれば先ほどからなんだその腑抜けた姿勢は。誇り高きユークリウス王国の貴族として恥を知れ! 元はと言えばお前にも大きな責任があるのだぞ、ビエルゾン侯爵。シュウト殿の言っていることが正しければ、件の商人は許可証を持っていたそうではないか。理由を聞いていなかったな、この場で述べてみよ」
「そ、それは……」
回復薬販売の許可証を取り仕切っているのは、他でもないビエルゾン侯爵なのである。そんな人物が保身に走るような態度を貫くためか、国王が冷めた視線を侯爵に向ける。
「で、ですが陛下、シュウトという青年が嘘をついている可能性も――――」
「―――恥を知れと言ったぞ、この私は」
「も、申し訳ございません」
さすがの国王もその顔に青筋が浮かび始める。
「彼の言ったことに嘘はない。それについては実際にその商人の被害にあった少女からこの私が直接話を聞いている。確かに容貌や話し方などは似通っているように感じた、そうだなラスタル?」
「はい、陛下のおっしゃる通りです。件の商人が紛い物の回復薬を販売していたのは間違いないかと」
「だそうだ。どうだ侯爵、まだシュウト殿の発言を疑うか? それとも何だ、資格のない者が二人も許可証を持っているとでも言うつもりか?」
「い、いえ………申し訳ございません、陛下。後日調査した後、許可のない者が許可証を所有していた原因をご提示いたします…」
ようやく怒りが治まったと言わんばかりに大きくため息をついた国王は、ただでさえ忙しいスケジュールを割いてまで参加した会議を終わらせようと、周囲を見回しながら口を開く。
「ではシュウト殿が店の前に『メリグレブ並びにその関係者お断り』という看板を立てたことについては静観することとし、何か問題が発生した場合は随時対処していくこととする。それで良いな?」
周囲の同意の声が聞こえたところで国王は足早にこの場を去っていく。
この会議に使用した時間を取り戻そうと、徹夜による仕事が国王を待ち受けているのだった。