オオサキ料理亭3
「あ」
青年商人を目にした愁斗は思わず小さな声を上げてしまった。
何故ならその男は以前オステンドで、ミミという少女に偽物の回復薬を売りつけている現場で目にしたことがあったからである。
その青年商人も愁斗に見覚えがあったためか、僅かながらに驚いたという表情に変化した。
「あぁ、あのときの偽善者君か。まさかこのお店の料理人が君だったとは驚きだね」
「それはどうも。あのときとは立場が大分変わってね」
「どうやらそうみたいだ」
周囲を見渡した青年商人はこの店で食事をしている多くの貴族を目にして、以前と今ではこの国における立場の違いをすぐに理解する。以前の愁斗では青年商人の行いに対して強気に出ることはできなかったであろうと青年商人自身が感じていたが、今の愁斗を見て見れば貴族の知り合いが多数いてもおかしくないと思わざるを得ないだろう。
実際にこの店についての評判は開店後すぐさま国境を超えて、他国にまで流出している。三級以上の高級肉を制限なしに扱えるお店など、大陸中どこを探してもここ以外に見つかりはしないのだから。
「でも不思議だなぁ、君みたいな人間がどうやったらこんなお店を開けるほどのお金を用意できるのかね? 善人の真似をする人間に限って碌な人生を歩まないと僕の経験が告げているんだよ。裏でいろいろしてるんじゃないの?」
「そもそもお金があれば良い人生であるという考え方が俺の価値観とは異なっているし、善人の真似ごとをする人は最後には報われてほしいとも思ってる。それに裏でいろいろしてるかどうかなんて、内容次第で感じ方が違うと思うけど」
「へぇ………君とは友達になれそうにないな」
全く同感だと感じていた愁斗だったが、それを口にはしない。
「ところであの女の子の母親は元気にしてる?」
青年商人がそう尋ねたときの薄ら笑いは、明らかにミミの母親であるケイトが患っていた病気を知っていて、さらにそれが不治の病であることも承知していると言いたげであった。
そんな態度を前に、愁斗はまるで何も感じていないかのような笑顔で答える。
「もちろん元気にしてるよ。あなたが売っていた偽物の回復薬なんか使わなくても、あれくらいの病気を治す手段ならあるからね」
愁斗はあえて「偽物の」という言葉を強調する。
商人に限らず、様々な仕事を営む者たちにとって信用が最も重要であることに変わりはない。この世界でも信用が地の底まで落ちれば、もはや再起は不可能と言っていいだろう。
決して良いやり方ではないが、詐欺を行うような悪人に対して手心を加えるなどもっての外である。何よりまだ右も左もわからないほど幼い少女を平然と騙し、辛い思いをさせていたのだから。
「こんな衆目にさらされている場所で私の名誉を棄損するなんて真似をしたら、どうなるのかわからないのかな? それとも国の回復薬に関する事情に詳しくない?」
そう言って笑いながら近くに立つ貴族に顔を向ける。
その貴族はといえば難しい顔で口を閉ざしている。ただでさえ少ない回復薬作成者がこの国から去ってしまうかもしれないという可能性があるためか、彼に対して強気に出られないのだ。そしてその可能性をより大きなものとしているのは、他ならぬ回復薬専門の商人だけが所持することの許された許可証である。
そしてその判断は本来なら間違ってはいなかった。
回復薬作成者や回復属性保持者などは、地球でいうところの医者のようなものだ。日本であれば様々な分野の医師を合わせれば、一つの町に少なくとも複数人はいるだろうが、この世界で怪我だけでなく病気にまで効く回復薬作成者や回復属性保持者となれば大きな町に二人から三人といったところか。
しかも町そのものが百とないのである。その希少性は日本とは比べものにならない。
「詐欺師一人この国からいなくなるならそれは喜ばしいことだ」
攻撃的な口調を変えない愁斗に対して口を挟んできたのは、最初に青年商人に声をかけた貴族であった。
「す、すまない、シュウト殿、それはいったいどういうことか」
さすがの貴族と言えど、愁斗がこの国に召喚され、その恐るべき戦闘能力を僅かにでも耳にすれば、愁斗に対して高圧的な態度をとれる者はこの国にほとんどいない。
それはこの貴族も例外ではなかった。
「これはグレゴリオ伯爵、今日は私達の店にお越しいただきありがとうございます。実は彼は以前、小さな女の子に銀貨二枚という価格で効果のない偽の回復薬を売りつけていたのですよ。大人なら騙されない値段でしょうが、子供であれば少額を提示すれば買うとでも思っていたのでしょう」
「ほう、随分と興味深い話だ」
愁斗が言っていることが嘘であると僅かにも考えなかったのは、彼なりの愁斗に対する信頼であろう。既に愁斗はこの国の窮地を一度救っているのだから、愁斗にこの程度の信頼を向けていても何らおかしくはない。貴族がぽっと出の店を普通に訪れていることからもそれは窺える。
グレゴリオと呼ばれた貴族が青年商人に目を向ければ、その青年商人はといえば薄ら笑いを止めて細めた眼を愁斗へと向けていた。
「これ以上僕を侮辱すると後悔するよ」
「へぇ、バックにどこか大きな組織が付いているとか?」
「ふん、それを君に教える義理はない。でもたとえ付いていようとそうでなかろうと、僕が知り合いの回復薬製作者達を連れて他国へ行けば、困るのは君ではなくこの国の民たちだ。そこのところは理解しているのかな?」
「いやだから詐欺師にそんなこと言われても困るっていうか………」
「話にならないね。今日中に知り合いをつれてこの国を出て行くことにする。残念だよ」
全く取り合わない愁斗に対して流石に腹に据えかねたのか、青年商人は愁斗達に背を向け、護衛の二人を連れて出口へと足を進める。
そのままドアノブに手をかけて回そうと力を入れるが、不思議なことに全く回らない。両手でドアノブを握り全力で回そうとするも、ドアノブはピクリとも動かなかった。
自分の非力が原因だと誤解をして護衛二人に回させてみるも、その結果は全く変わらない。しかもそれを受け入れられない護衛二人は腰に携えていた剣を抜きその木製のドアに叩きつけるも、剣先が僅かに欠けるだけであった。
そんな様子を周囲の客たちはビックリしたと言わんばかりに眺めていたが、絶対に開かないドアであることを悟った青年商人は、愁斗とフェルネを余裕なさげに睨みつけながら叫び出す。
「どうなっている!?」
「お? ようやく余裕綽々とした態度が崩れて化けの皮が剥がれたね」
「黙れ! このドアの開け方を教えろ!」
愁斗はそんな姿を見て呆れたと言わんばかりに大きくため息をつく。
「そもそも料理代金の白金貨一枚を払ってないでしょ。それに犯罪者が目の前にいるのに逃がすわけがないじゃん」
それは以前犯罪者を認識しながらも逃がしてしまったことによる若干の罪悪感が含まれた発言であった。あれに対する負い目を愁斗が感じる必要はないのだが、そう意識していても罪悪感を感じてしまうのが人間というものだ。
「それにこの国の上流階級の方々の目前で抜剣するなんて、なかなかすごいことするね」
「貴様……!」
嵌められたと言わんばかりに激昂する青年商人だが、愁斗はそこまで考えていたわけではないのが現実だ。
しかし貴族等の前で抜剣したことで、その貴族の護衛として来ていた者達も同じく抜剣していた。剣に対して素手で応じるのは相当な力量差のある相手か、またはただの阿呆だけであろう。
一瞬で不穏な空気が支配する空間となった店内に対し、愁斗は再び大きなため息をつく。
「はぁ、本当に勘弁してくれないかな? ここはみんなが料理の味を楽しむ場所であって、喧嘩とか殺し合いをする場所じゃない。わかったらさっさとその剣を下ろしてよ」
愁斗も身を守ろうとする人々に剣を下ろせとは言わない。先ほどの発言は青年商人の護衛に対してのものだった。
しかしながら既に愁斗達を敵と認識しているのか、愁斗の発言を聞き入れようとする素振りすらない。
「僕をここに閉じ込めておいて何をふざけたことを言っている! 早くこの扉を開けろ」
「目の前で犯罪者が新しく違う罪を犯しているのに、はいそうですかと扉を開けるわけがないだろう? さっさとお縄についてその罪に見合った罰を受けるべきだよ」
「仕方がない、ここさえ出られれば後はどうにでもなる、お前たち奴らを片付けろ!」
体格の良い護衛二人が改めて剣を構え直し、愁斗とフェルネに斬りかからんと闘気を発し始める。
それに対して愁斗はエプロンを身に着けた手ぶらといった様相で、フェルネに至ってはメイド服にお盆である。愁斗とフェルネを詳しく知らない人はこの状態をピンチであると考えてしまうであろう。しかし現在この店で食事をしている客の七割は愁斗が異世界人であり、この国の一般騎士や近衛騎士との多対一の戦闘に於いて圧倒的ともいえる結果を残していることを知っている貴族である。彼らの護衛はそんなことを知りはしないために警戒を解いていないが、彼ら自身は面白い余興だと言わんばかりにこの事態を眺めている。
それを自覚していた愁斗はこの悪状況をプラスに変えるべく、どのように彼らを倒せば面白いかを考え始める。
そんな隙をついて護衛の一人が愁斗の首を目掛けて剣を左上段から振り下ろす。
それに対して愁斗は――――――――
「あっ」
そちらに顔を向けずに、まるで偶然見つけたと言わんばかりにしゃがみこみ、皮靴に付いていた僅かな汚れをポケットに入れていたタオルで拭き取った。
すると愁斗があまりにも早くそして自然にその斬撃を避けたせいか、途中で避けられないことを確信していた護衛の剣が大きく空振り、それが原因で重心がズレて体勢を崩すこととなった。
「厨房で働く人は清潔を心がけないとね―――――あれ?」
愁斗が顔を上げるとそこには一人で勝手に体勢を崩している護衛の姿。それをわけがわからないと言わんばかりに肩をすくめてみせた愁斗を見て、観客たちに爆笑が巻き起こる。
一方、遊ばれたと認識したもう一人の護衛はそのときの怒りに任せて、愁斗に対して手に持つ剣で突きを放つ。僅かに心に芽生えた恐怖心から一撃で殺してしまおうと心臓の位置を正確に狙ったが、愁斗はそれを親指と人差し指でつまんで止めてみせた。
「おお……」
「見事!!」
「やはり噂は本当であったか!」
愁斗の妙技は観客と化していた貴族やその護衛、さらには背伸びしてこの店に訪れた庶民までもを感嘆させる。当の愁斗はといえば、まるで力を入れていないとでもいうかのように平然とその剣先をつまみ続け、そのまま体勢を直そうとする護衛の腹をやんわりと蹴り上げる。
周囲にはそのように見えていたが、それで生じた結果は観客の想像とは大きく異なった。天井まで軽々と吹き飛び天井に大きな衝撃音を伴わせながら激突した護衛は、床面まで戻ってきたときにはあまりの激痛に悶絶し、立ち上がることすらできなくなっていた。
剣先を愁斗に掴まれていた護衛も、その一瞬後には同じく空中を舞って地面に戻ってくる。
その光景をまじかで目撃した青年商人は呆然とした顔で愁斗に目を向けていた。