オオサキ料理亭1
栞を挟んでくださっている方にご連絡があります
以前、物語の途中にあらすじを挟むことで
理解しづらい内容の補足をすることになったのですが
一通りの読者様があらすじを読んでくださったと判断し
勝手にあらすじを消去してしまいました
それにより栞についてご迷惑をおかけしてしまったことにお詫び申し上げます
開店準備が全て整い、さっそく次の日に店を開くことになったオオサキ料理亭。
しかし開店時間なども明確に決められていない店であるためか、十一時頃に開いても店に足を運ぶような客は未だに現れない。それは愁斗とフェルネにとっては何の痛痒もないことであり、困った様子もなく二人は会話を始める。
「やっぱりその服は滅茶苦茶似合っていると思うよ」
「そ、そうか? とても恥ずかしいのだが」
愁斗が厨房を担当してフェルネがホールを担当することになっているため、フェルネは人前に出るために必要な服を着用する必要性が生じる。
それで愁斗がフェルネのために用意もとい仕立てたのは、言わずもがなメイド服である。
レースやフリルをふんだんにこしらえた装飾過多なメイド服は、特殊な糸で織られた布を使用して愁斗が自ら作成した渾身の一着である。着心地は言うまでもなく、その丈夫な布は大抵の刃を通さない。フェルネにそれほど丈夫なものが必要かどうかはこの際問題ではない。
絶世の美女と言っても過言ではないフェルネに男の視線が集まってしまうことは、既に愁斗は割り切っているつもりである。それでもせめて脚を見せることだけは少しでも拒もうと、スカートを膝丈ほどまで伸ばしたのは、果たして何と言えばよいのか。
「やっぱり頑張った甲斐があったよ! ………はぁ、フェルネ目当てに来るお客さんも増えそうだ」
「ん、どうしたんだ?」
「………いや、なんでもない。ちょっとした自己嫌悪」
愁斗の曖昧な発言に首を傾げるフェルネであったが、愁斗の顔はやはり冴えない。
そんなやりとりを昼過ぎまで続け、客も来ないということで二人は昼食に移ろうと厨房に向かう。そこで愁斗は三級魔物の肉を使ったステーキを、自家製のソースを用いて調理する。
愁斗がこの世界に召喚されてからというもの、街の外で食べるものの多くは魔物の肉料理であり、数多のソースを自作してきていた。これらのソースは愁斗が日本にいたときに食べたことのあるものを模範にしているため、愁斗の口に合うものが多いが、それではいけないと愁斗なりにこちらの素材を使ったオリジナルのソースを生み出したりもしている。もちろん完全再現には程遠い状態であるが、材料がわかっていても原料がわからなければ再現など不可能であるし、そもそも美味しいと感じられるものを目指してるのであって、再現そのものは目標ではないのだ。
三級魔物の鋼角牛をレアで焼いたものに、トマトを用いて作ったソースをかけてできあがった料理を、二人揃って控室で食べていると、この店の敷地内に足を踏み入れる者の気配を感じ取る。
即座に肉を口に放り込んだ二人がホールに向かうと、ちょうど二人の客がドアを開けたところだった。
「おう、家内連れて来てやったぞ」
「初めまして。ブールの妻、シャネです。昨日はとてもいいお仕事を頂けたとかで、とても助かりました。ありがとうございます」
ブールと呼ばれた男は、昨日愁斗がバーガンを偽る人物に手を出されそうになった時に、間に入ってくれた三人の中の一人であった。
そして筋骨逞しいブールには不釣り合いなほど物腰の低い妻シャネは、愁斗に深々と頭を下げる。
「初めまして、愁斗です。こちらこそ臨時で人手が欲しかったので本当に助かりました」
「まぁまぁそんな話は置いといてよ、今日は最高にうまい肉を食わせてくれんだろ? 朝飯を抜いてまで楽しみにしてたんだから後悔させんなよな!」
「もちろんですよ。もしかしたら今日の夕食もここで食べることになっちゃうかもしれませんね」
「ほう、相当な自信があるみた……………え?」
愁斗とブールが軽い冗談を言い合っていたときに、愁斗より少し離れて立っていたメイド服姿の美女を目のあたりにしたブールは、その場で硬直してしまう。
愁斗にはもう数えきれないほど経験した出来事なので、そのまま放っておいて厨房に戻ってしまおうと背を向けかけたとき、ブールの横に立っていたシャネが底冷えのするような声を発した。
「あなた?」
それには荒事と兄弟のように過ごしている愁斗さえ、思わず肩を震わせてしまうような何かが存在していた。
愁斗は即座にその場の離脱を決意し、そそくさと厨房に戻ってしまう。
残されたフェルネは相変わらず表情を変えずにそんな夫婦のやり取りを見つめていた。
フェルネに席まで案内された夫婦は、メニューがないか周囲をキョロキョロと見回すが、何処にもそれがないことに気づくと僅かに首を傾げる。
「メニューはどこにあるのだ?」
「これだ」
普段と口調を変えずにフェルネは長方形の板を二枚渡す。
魔物の皮で覆われているそれは、どことなく高級な洋食店を思わせる作りになっていて、二人がそれを開くのを躊躇わせる雰囲気を醸し出していた。
意を決して開いた二人はそこに書いてある料理名の数の少なさに一瞬唖然としてしまった。
しかしそれも開店当日ともなれば仕方がないだろうと考えた二人は、その隣に書かれている値段に再度唖然としてしまう。
「金貨十五枚………だと……?」
「その上の料理は金貨五十枚と書かれているわ……………」
ブールは『三級魔物:鋼角牛のトマトソース煮』、シャネは『二級魔物:大呑山牛のステーキ』という料理を読んでいた。
どちらも二人は聞いたことがない魔物の名前だったが、そんなことは気にならないくらい値段が常軌を逸していた。二級魔物を使った料理など、二人の年収を合わせても半分にも満たない。
来てはいけない場所に来てしまったと眩暈を引き起こしそうになった二人に、フェルネは女神の一声をかける。
「シュウトが一組目の客には料理を無料で提供すると言っていたぞ」
「「……………」」
今度こそ二人は言葉も出ないといった様相を呈していた。
しかしすぐに復活し、真っ直ぐに視線を向けた先には『二級魔物・大呑山牛のステーキ』の更に上、もはや平民にはあがいても決して手を付けることができない至高の料理が存在していた。
『一級魔物:野王牛ステーキ・オニオンソース』
それは愁斗がオニオン以外の何の情報も持っていない状態で一から再現させることができた、努力の結晶が使用されている料理である。
値段は金貨百枚。
二人は迷わずこれの注文を決意する。
「こ、この『一級魔物:野王牛ステーキ・オニオンソース』というものを食べてみたい」
「わ、私もそれがいいわ。でも………本当にタダでいいのでしょうか…………?」
タダでいいと言われても逆に不安になってしまうほどの金額である。
詐欺であれば払う義務などは生じないが、万が一払わなければならなくなった場合、支払いに生涯を費やすこととなるだろう。
「あたりまえだ。そんなことでシュウトは嘘をつかない」
フェルネはそう言い残すと厨房のほうへと去って行った。
BGMすらないためか静まり返った店舗内にはブールとシャネの息遣いだけがこだまする。
そんなことをする必要がないのだが、二人の会話は自然と小声になってしまう。
「少し高すぎると思わないか?」
「そうね……でも本当に一級魔物のお肉なら、金貨百枚でも安すぎるのでないかしら?」
一般人でも魔物の階級がどの程度のものなのか知っているものだ。
三級魔物の強さは普通の都市を壊滅まで追い込む可能性があり、二級魔物では城塞ですら止めることができない。そして一級魔物が現れれば国家存亡の危機となる。
階級の高い魔物は知能が高く、わざわざ人程度を食べるために森の奥から姿を現したりしないため、人間達から接触しない限りは人の前に姿を現したりはしない。
よって一級魔物の肉が市場に出回るとしたら、金貨百枚程度では一部すら買い取ることはできないだろう。
「でも金貨百枚だぞ? いくらなんでも高すぎるだろ。俺の何年分の給料になると思うんだよ」
「そんなこと言われても知らないわ。でもきっと食べれば――――――」
「―――食べればわかるぞ」
シャネの言葉を遮ったのは、いつの間にか傍まで肉料理を運んできたフェルネだった。
「え、あ、す、すみませんっ……」
「食べればその値段ですら安く感じてしまうはずだ。シュウトが作った料理程おいしいものはない」
フェルネがまるで自分のことのように自慢している光景を見て、二人は何とも言えない表情に変わる。
視線を料理に向ける以前から気になっていた今まで嗅いだことのない香りに、二人はすぐに釘づけになる。玉ねぎを使ったステーキソースは、この世界ではまだ出回っていなかった。
料理の見た目は今まで食べてきた肉料理とさほどの違いはない。愁斗自身、料理店などで働いたこともないため、こんな感じで盛り付けられるだろうという想像を基にして盛り付けがされている。そのおかげか見栄えは決して良いとは言えないが、悪いとも言えないだろう。
それよりも、初めて嗅ぐ食欲をそそる香ばしい匂いに、思わず大きく唾を飲み込む二人。
緊張で僅かに震えるその手を慎重に動かし、あらかじめ用意されていたナイフとフォークで肉を切り分ける。そのままフォークでゆっくりと口まで運び、口の中に含ませた瞬間、二人は今まで見たことのない世界を垣間見た。
「「っ!?」」
それは未知の体験だった。
口の中で一つの世界が創造され、その感覚のまま全身に歓喜が伝わっていく。食事というものの概念が覆りそうなほどの衝撃は、肉が喉を通り過ぎても尚、いつまでも口の中で残留している。
「こ、こんなものがこの世に存在していたとは………」
「た、確かにこれ程のものなら、金貨百枚と言われても頷けます………むしろ貴族なら安いと感じてしまうかもしれませんね…………」
その美味しさが素材によるものか、はたまた愁斗の料理の手腕によるものかは判断のしようがないが、それがとてつもなく美味であるということに違いはない。むしろ最高の素材をしっかりと活かした料理に仕上げたと考えれば、それが素材だけの美味しさではないと気づくだろう。
その後の二人は会話をすることもなく、ただ黙々と料理を口に運んでいく。これほどの高級料理を味わえるのが人生最後だと思えば、雑念を捨てて料理を最後の一口まで真剣に味わい尽くそうと考えるのは必然である。
こうしてオオサキ料理亭の一組目の客は、大満足という評価で店を後にしたのである。