蒼髪の青年3
聯斗にこの事態の原因が自分達にあると言い渡されて聯斗に対する印象を悪くしながらも、ハーメックはそれを口には出さずに黙々と地上目指して進んで行く。
聯斗の手を借りて資材の山を乗り越え、次はその資材の山を下りていく。
そのまま扉を越えて地上に続く階段を慎重に進んで行った二人は、見通しのきく場所まで登ったところで立ち止まった。
「な、なんだこれは………」
ハーメックの目に映ったのは、かつて人々で溢れ返り喧騒の絶えなかった王都の街ではなく、戦闘痕だけが色濃く残る荒れ地である。
元の光景を知らなければ、数日前まで優に十万を超す人々の営みがあったと言われても信じることができないであろうほど、その光景は凄惨なものであった。今まで一度も破られたことのない外壁、城を囲い部外者の侵入を拒んできた城壁、そういった堅牢であるはずのものが消え失せていた。残骸があるという認識すら困難なほどに。
「結界で城とその中にいるであろう人々を守りながら、あの魔物と本気で闘ったんだ。こうなってしまうのは仕方がないと思う」
二人きりになったからか敬語を止めた聨斗の言葉に、ハーメックは返す言葉がなかった。
聨斗の言うことは尤もであったからだ。むしろ城を無傷で守り通したことは賞賛に値することであろう。魔法を発動させ続けることはつまり意識をそちらに割くことであるのだから。例えるなら四桁の素因数分解を暗算で行いながら、同時並行で書物を速読するといったところか。
そして騎士であるハーメックは何かを守りながら闘うことがどれ程困難なことなのか、嫌というほど身に染みていた。そういう訓練も日々の訓練の中に含まれていたからだ。
「我々はこれからどうすれば……」
「悩んでいても始まらないよ。まぁ………その、なんだ、こんな状態にしてしまった原因は俺にないともいえないし………復興の目途が立つまでは俺もここにいて手伝うことにするよ」
そんな助言を受けてもハーメックの表情は冴えない。
猫の手も借りたいといった状況であっても、この規模の災害に対して人が一人増えたところでどうなるというのか、そんな思いがあったからである。
呆然とあたりを見渡すハーメックを見て、聯斗は心外だと言わんばかりにハーメックを睨む。
「これでも一応はあの魔物を単独で屠ったんだ。魔法にだってそこそこの自信はある」
しかしそれも不発に終わる。
今の状態では何を言っても無駄であろうと思い直した聯斗は、ここに来た目的である状況確認を促す。
「それで、俺が言った通りあの魔物はもういないでしょ?」
「………確かに一部しか見ていないが、いる様子はないな」
「そりゃ完全に消し去ったからね。信じられないようなら細部を確認するまで付き合うけど」
「いや………それは問題ない。この王都を細部まで確認しようとすれば何日かかるかわかったものではないからな」
この世界の多くの街は円形をしているが、それはこの王都も例外ではない。
半径だけでも五キロ以上あるこの街の細部を一人で確認しようとしたら、それこそ避難場所にいる多くの民は飢え死にしてしまうだろう。
大まかに確認して大丈夫そうなら、それで納得せざるを得ないというわけである。
「じゃあ中に戻ろうか」
城の周りを一周して大まかに確認を終えた二人は、先ほどと同じ道を逆戻りする形で避難場所に向かう。
そして避難場所に戻った二人は先ほどに比べて幾分か雰囲気が良くなっていることに気付く。それは閉塞的な場所から解放されるかもしれないという希望によるものか、はたまた死が遠ざかったことによるものか。
そんな雰囲気を浴びながら国王オルゲンのもとに歩を進めた二人が一定の距離まで近づくと、近衛騎士が楯となる形で二人の進行を阻む。
それと同時に周囲の喧騒も止む。外の様子が気になるのは皆同じことなのだろう。
「そこで立ち止まれ」
言われた通りに足を止めたハーメックはそのまま膝をつく。
それに対して聯斗はというとその場で姿勢を正すにとどめる。
「陛下の御前である、膝をつけ!」
「お断りします。この場における自分の立場が低いことを証明するかのような態度をとるつもりはありません」
「貴様っ―――」
「下がれ」
礼を失していると感じた一人の近衛騎士が腰に携えている剣を抜こうと柄に手をかけたとき、オルゲンがそれを止めた。
「陛下!」
「よい。もし彼の言が真実であるならば、彼はこの国を救った英雄ということになる。そんな者に膝をつけなどと命令することはできぬ」
「しかし!!」
「わたしはよいと言ったぞ、クリューガー」
「っ―――」
国王に諭されて何も言えなくなったクリューガーは、数歩下がってその場で背筋を伸ばす。しかしその目は聯斗に向けられていて、今にも斬りかかりそうな剣呑な色を宿している。
立ち位置がオルゲンの背後だったが故に、オルゲンがそれに気付くことはなかった。
「ではハーメックよ、報告を聞かせてもらおう」
「はっ! 外は件の魔物との戦闘によって、王都は城を残して既に存在していませんでした。しかしながら件の魔物も既に消失しており、外の安全は確保されていると推測いたします」
その報告を遠くで聞いていた民は大きく騒めき出すが、オルゲンはそれを気にする様子もなく思案する。
「想像通りといったところか。あれ程の振動、尋常ならざる力が行使されたことは予想済みであった。しかし王都そのものが既に消失しているとは……」
「お言葉を挟んで失礼ですが、少しいいでしょうか?」
そんな思案を遮るように聯斗は言葉を発する。
それに反応を示したのはクリューガーだけではなかったが、先ほどの件もあって口を出す者はいなかった。
「うむ、聯斗といったか、そなたのおかげで民は救われた。国を代表して礼を言う。しかし恥ずかしながら我々はそなたに大きな報酬を支払えるような状況になくてな。そなたにどう報いればよいものか決めかねておる」
「報酬は支払えるようになってからで構いません。それよりも私が王都の復興のお手伝いをしてもいいですよ」
「そうか、そう言ってもらえると救われる」
ハーメック同様、オルゲンも聯斗の協力といったものに大きな期待をしていないと感じた聯斗は、その場で面白いことを思いつく。
「ところで今この場で魔法を使いたいのですが、大丈夫でしょうか?」
国王を害するとでも思ったのだろうか、聯斗を発言を聞き取ったクリューガーを含む近衛騎士数名が一斉に抜剣する。
しかしそれをまたも国王が諫める。
「まぁ待て。古代の魔物を単独で倒したとなれば私をいつでも殺せたはず。それをしなかったということは、それをする気がなかったということだろう。主らは黙って静観していろ」
渋々剣を鞘に納めた近衛騎士を横目にオルゲンは聯斗に向きなおる。
「すまなかったな、血気盛んな者が多くて私も少し困っているところだ。それよりも話を戻そう、魔法を使いたいということだったな」
「はい、魔法の腕には少々自信がありまして」
「何をするのか教えてくれぬのか?」
「まぁ見ていてください」
聯斗はそう言うとハーメックに右手をかざす。
すると魔法が発動する兆候すら感じさせずに、動かせなくなっていた左腕が瞬時に怪我をする前の状態に戻る。
それを見ていた者たちが驚愕の表情に変わった。それは国王も例外ではない。
そして何よりも一番、ハーメック自身が驚いていた。
「…………」
自分の左腕を動かしながら呆然と見つめ、ハーメックはそのまま国王の前であることも忘れて泣き崩れる。
しかしそれを咎める者はいない。
ダウンベルト王国で最高の回復属性保持者ですら手も足も出ないであろう怪我を、瞬く間に治してしまうその手腕に驚いているというだけでなく、騎士生命を絶たれたと思い込んでいたところを奇跡的に救われたのだ。同情して余りある。
「なんと……それほどの怪我を一瞬で治せるのか!?」
「こんなこともできますよ」
聯斗は周囲を囲んでいる人々が反応するよりも早く、腕を一振りする。
それと同時にこの避難場所全てを光が覆い尽くした。全員が思わず目を瞑ってしまうほどのその光が消え去ったときには、もはや驚いていない者はいないというほどの様相を呈していた。
その魔法は先ほど実演してみせたものと同様の回復魔法である。
しかしその範囲と効果が常識外であった。
十万を超す人々の怪我や病気、ちょっとした体調不良など、全て一度で回復してみせたのだ。
所々で狂喜乱舞する人々の様子が窺えるほどに、この事態は僅かながらに残っていた暗鬱な雰囲気を一気に吹き飛ばしてしまった。
「………」
もはや絶句して言葉も出ないといった状態のオルゲンに聯斗は忠告する。
「この規模の回復魔法は今後一切使いませんよ。自業自得で怪我や病気を患った人もいるわけですから。もちろん私基準で超高額の報酬をいただけるならば話は別ですが」
回復魔法は即効性が非常に高く、薬による治療と比べても費用は比較にならないほど高額になることもある。
これほどの規模でこれほどの効果の回復魔法をかけてもらうとなれば、冗談でも何でもなく国が傾くだろう。
「も、もちろんだ。わざわざ雰囲気を明るくするためとはいえ、このようなことをしてもらって感謝に堪えない」
「なんのことだかわかりませんが、早くここを出ませんか?」
すました顔で話題を変えた聯斗は、そのまま一人でここを出ていってしまった。
「本当に……何者なのだろうか………」
そんなオルゲンの呟きに、
「絶対に何か企んでいるに違いない………!」
周囲に聞こえない程度の呟きを返したのは、他でもないクリューガーであった。