蒼髪の青年1
数日前のこと。
突如ダウンベルト王国王都の外壁内に現れた人型に近い竜の魔物は、周囲の全てを薙ぎ倒しながら街を蹂躙し始めた。
このことにいち早く気付いた国王は即座に撃退を諦め、国民を城の地下に避難させて籠城という手に打って出た。
それは賞賛されるべき素晴らしい判断であったといえよう。自国の戦力を過信しがちな国ならば、即座に全戦力をもって撃退という手段をとっていたはずだ。四級以上の魔物は階級ごとの強さが桁違いだということを知っていれば、例え一級相当の戦力を国が保有していたとしても、その戦力が何の意味も持たないということに気付いているはずなのだが。
そして今日。
何故か城への攻撃をしようとしない竜人とも呼べる魔物が、再び暴れ始めたのである。
国民共々城の地下にある避難場所へと避難していた国王、オルゲン・ランバレーネ・ダウンベルトは絶望一色に染まった民の顔色を見て、周りに気付かれないような小さなため息を吐いた。
未だ四十半ばという国王にしては若い部類に入るオルゲンであるが、その顔には疲労が色濃く表れ、若々しさなど微塵も感じられない様相を呈していた。
「私の判断は果たして正しかったのだろうか……」
常に自分の判断が正しかったのかを自問し続けなければならない立場である国王の心労を、誰よりも理解できる立場にいる王太子ノーマンはふらつくオルゲンを支えていた。
今年で二十歳になるノーマンにとってのオルゲンは実父であり、父の背中を小さいころから眺めて育ったノーマンは、疲労で倒れそうになっている父を見ても国王になるという未来を嘆いたりはしなかった。むしろもっと早く父から王位を譲り受け父の助けにならねば、と幾度となく行った決心を再度試みているところであった。
「父上………きっと、きっとユークリウス王国の救援が来ます。今はそれを待ちましょう」
ユークリウス王国が異世界人を召喚したという話は、隣国であり、同じくミネリク皇国に抗う国として援助を行い合う関係にあったダウンベルト王国は知らされていた。
その僅かながらの希望をユークリウス王国の救援に見出し、現在はひたすら籠城という手段をとっていたのである。そこまでの援助をし合うほどユークリウス王国との関係が深くないという事実を前にしても、その選択以外に選びようがなかったのだ。
普通の異世界人でも特級魔物に対抗できるほどの戦闘能力を保有していたりはしない、などということは見て見ぬふりをしていたのである。異世界人を保有するだけで国家としての戦力が大きく底上げされることに変わりはないのだから。
「それでは駄目なのだよ……他国の援助をあてにした行動をとるなど、これ以上にない愚策といえる」
「しかし……」
「そうだ、私にはその選択しか思い浮かばなかった。一級魔物さえ多大な損害を出してしか討伐できないわが国では、古より生きる特級魔物などに勝てる見込みはない。情けないことに、それについては断言できる」
「………」
「だが私はユークリウス王国が召喚した異世界人ならばもしや、と思っている。過去に単独で一級魔物を屠ったという歴史があるくらいだ。召喚されてすぐの未熟な人間一人にできるとは私も思っていないが、それでもその可能性に縋るしか私には思い浮かばなかったのだ」
自分の無能を語るオルゲンを見て、ノーマンは何も言えなかった。
ノーマンも同じく、籠城という選択以外に思いつく案はなかったのだ。
四方八方に逃げれば、もしかしたらほんの一握りの民は生きながらえることができたかもしれない。
しかしそれさえも博打のようなものだ。
多くの民は数キロ程度なら全力を振り絞って走り切ることのできる体力を持っているだろう。上級冒険者ならば十数キロは走っていることができるかもしれない。
しかしそれをすることに意味などあるのだろうか。
町の外壁の先は魔物が住む世界。一般人にとっては六級魔物に勝利を収めることすら運頼み。次の町に辿り着くことのできる可能性など、万に一つあればいいほうだ。
そもそもが、特級魔物がそんな人間に追いつけないほどの体力しか保有していないという前提で成り立つ仮定である。
外壁の内側に現れた時点で、すでに籠城という選択肢しか選びようがなかったのだ。
籠城には多くの保存食等が必要になる。それこそ十万を超す人口を誇るこの大都市のほぼ全住民を匿い、食事を与えていかなけばならないのだから、その消費具合は想像を遥かに超える。
籠城を始めてからというもの、一国民の一日の食事量は硬いパン一つといった程度だが、それでさえ明日または明後日には尽きてしまう。
すでに食い扶持を減らすために自害しようとする者まで出てくる始末である。
ノーマンは周囲を見渡す。
この場は地位など関係なく、全員が一か所に集まっている。もはや地位などというものに意味はないのだ。
肉体労働に従事したことのない貴族位を持つ男も、まだ成人していない少年も、等しく扉を固めるための資材などを運んでいる。
先ほどから絶え間なく続く地上の轟音に恐怖し、汗水流しながら扉の前に物を積んでいく。
扉一枚先に絶望が待っていると思えば、それこそ人は死ぬ気で動けるようになるのだ。
次の瞬間、今まで全ての民が体験したことのない地震が避難場所を大きく揺らした。
「な、なんだ!?」
「どうなってる!?」
「門を守れ!!」
それぞれが慌てだすが、それでも門の守護を放棄するような人物はいなかった。
振動が止み、僅かな間静寂があたりを支配したが、それも所詮数分のことだった。
再び小さな振動が避難場所を揺らし始める。
「父上、どうなっているのでしょうか………?」
「わからぬ。わからぬが……おそらく何者かがあの魔物と戦っているのであろう」
「ユークリウス王国の救援でしょうか?」
「そうとも言えんな。すでに数十分は揺れが続いておる。この間にずっと戦闘が続けられているとしたら、その被害は我々が受けた被害を大きく上回るであろう。集団である可能性はあまり高くない」
城の地下に造られたこの避難場所でさえこれ程揺れているのだ。地上はダウンベルト王国民の想像の遥か上をいくだろう。
そんな暴力がいつ自分に向くのかと戦々恐々としている国民を見て、オルゲンは唇をかみしめる。
正直な話、オルゲン自身も現状に恐怖しているのである。しかしそれを民の前で見せるわけにはいかず、ずっと我慢していた。
国王が怖くないわけがない。今まで我が子のように愛してきた国民たちが、次の瞬間には消え去るかもしれないのだ。しかも現状を打破するための手札はゼロときている。
そういう意味では、ダウンベルト王国に住む者の中で最も恐怖心を抱いていたのは国王かもしれない。
失うものが多すぎる。
そんな中、数十分前から続いていた揺れが突然収まった。
二度目の静寂であったためかこの振動の停止を特に気にする者はおらず、ただ黙々と扉を強固に固めていく作業の音だけが響く。
しかしそんな行動さえ次の瞬間には意味を為さなくなった。
ズウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン!!!!!
何故この避難場所が崩落しないのか不思議なほどの揺れが辺りを支配し、女子供だけに限らず、大の大人までもが恐怖に慄いている。
妻や子を持つ男は今までの作業を止め、自分の愛する者たちの傍に駆け寄って、次の瞬間に来る死に備えようとしている。そんな大切な家族がいない者達も近くにいる仲間達と手を取り合い、最後の瞬間を共に過ごす準備を始める。
そこには知り合いであるとかそうでないとか、そんなことに関わらず全員の心が一つにまとまっていた。
それを見たオルゲンは何故だか、最後がこんな終わり方で良かったと感じてしまっていた。
なんだかんだといって、世間には良い行いをする人も悪い行いをする人もいる。これは『働きアリの法則』のように必ず存在する。良い人しかいない世界など存在せず、逆に悪人ばかりの世界も存在しないのだ。
しかし今この瞬間は、そんな垣根を越えて全員の気持ちが一つにまとまっていた。それはただ「助かりたい、愛する人に生き残ってほしい」などといった単純明快な理由だったのかもしれない。しかしながら、最後には人と人とは理解し合えるんだという結論を、オルゲンはそんな風景の中に見出していた。
それが人の死という最悪といえる瞬間であったとしても、オルゲンにはその感情が浮上してくることを止めることが出来なかった。いや、止めようなどとは思えなかった。
愛する家族がようやく一つになれた、そんな残酷な現状の中に美しさを見出して。
次の瞬間には訪れるであろう死を前に、国王であるオルゲンは静かに目を瞑った。
いつまでたっても訪れない死を訝しみ、国王はゆっくりと目を開けた。
あれほどの振動が起こる破壊力があれば、いくら避難場所として頑強に造られているこの場所でさえも崩落を免れないであろうことは、全ての人々が理解していることであった。
天地が分かたれるかのような振動でありながら未だ一か所も崩落を起こす気配がない現状に、ここに集まっている避難民たちがにわかには信じがたいといったように騒めき出す。
それは国王オルゲンや王太子ノーマンも同様であった。
「何故この場所が無事でいられる……?」
「わかりません……」
余震がしばらく続いたがそれも途切れ、以降、不自然なほどの静寂が辺りを包み込む。
それは次なる災厄の前兆のようであり、恐ろしささえ感じるほどであった。
「とにかく、今の振動による怪我人がいないか早急に確認しなければなるまい」
「そうですね、すぐに手配します」
ノーマンがオルゲンに背を向けて歩き出そうとしたその時。
ゴンッ!! ゴンッ!! ゴンッ!!
今までの城を揺るがすような振動ではなく、明らかにある一点―――――――――物資を前に置くことで開かないように固めていた扉が振動していた。
今にも扉を割って入ってきそうなその勢いに、多くの民はその扉から離れようと騒ぎだし混乱が起き始める。
状況的にもはやこの混乱を止めることに意味などないと悟り、最後の抵抗にと国王が大声で怒鳴りつける。
「騎士たちよ、兵士たちよ!! 我らが無力な存在ではないと魔物に思い知らせてやれ! 最後に誇りあるダウンベルト王国の戦士であったことの証明をその身体に刻み込んでやるのだっ!!」
逃げることすらできないこの状況だからこそ、騎士達の覚悟は早かった。
武器を持ち、陣など組むこともなく扉を囲う。もはや立ち位置などに意味などなく、というよりも、相手にそんな小手先の技など利かないだろうという判断からきていた。
資材を積み上げていたこともあって扉の状態など見えていなかったが、扉が悲鳴を上げながらその身に罅を入れ始めたことは誰であっても理解できた。
もし扉が開いた衝撃が大きすぎて前に積まれた資材が吹き飛んでも、誰も気にしなかっただろう。気にしても気にしなかったとしても、どの道扉が破られれば全滅は確定なのだから。
兵士、騎士が武器を握る手に力を入れ過ぎてか、はたまたそれ以外の理由か、その手が小刻みに震えだしたとき、ついにその扉は崩壊を迎えた。
まるで中にいる人々を案じていたかのように資材を吹き飛ばすことなく、むしろ不自然に思えるほど扉だけが崩れ落ちた。
それを見ていた人々は何が起こっているのかわからないといったように隣にいる人と顔を見合わせる。
しかし崖のように積みあがった資材をゆっくりと登ってくる音を聞いて、抜けていた手に再度力を込める。
どれだけ時間が経っただろうか。
死が迫ってくる、長くもあり短くもあった時間がようやく終わる。
その資材の頂点に姿を現したのは――――――――――――――――――
蒼髪の青年であった。