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幕間 ベルバッハの苦難の日々

 ユークリウス王国首都ガルバインのケルトール魔具店で支店長を、世界最大の裏組織『メリグレブ』のガルバイン支部長を同時に勤めるベルバッハは今、人生で最も働いているといっても過言ではない状態にあった。


 愁斗に不安を与えたことでキレたフェルネに命令され、『メリグレブ』を手中に収めなければならなくなったからである。それができなければ生まれてきたことを後悔するほどの苦痛を味わうことになってしまうのだ。休んでなどいられない状況に陥ったと言えるだろう。

 とは言え、全盛期には及ばずながらも元々かなり体力があったベルバッハは顔に疲労の色を滲ませることもなく、監視役である黒糸斬蜘蛛ブラックスレイスパイダーのクロウスと一緒に仕事をこなす。


 フェルネに『メリグレブ』の掌握を命ぜられたとはいえ、大陸中に根を張るこの組織はそう簡単には掌握できない。

 情報漏洩を避けるために、『メリグレブ』の中で一国の首都を任されるほどの幹部であるベルバッハにも知らされていないことは多々ある。そして幹部であるから強いというわけでもない。幹部になるような人は大抵実戦からその身を引いているからだ。現役で殺し屋稼業を続けている人に勝てるという道理もない。

 よってベルバッハはまずユークリウス王国の町を一つ一つ回っていき、そこから自分の部下を説得し、自分の派閥をゆっくりと拡げていこうとしているのである。

 相手は裏組織の人間である。こちらに反逆の意思有りとバレてそのまま本拠地にその情報を持って行かれでもしたら、ベルバッハはフェルネではなく『メリグレブ』に闇魔法の実験台にされるだろう。野望の思考に凝り固まった幹部連中なら裏切りかねないとベルバッハは確信している。


 何もしないとフェルネに闇魔法で拷問され、やっていることが本部にバレたら闇魔法の実験台にされ、自殺したらクロウスがフェルネに報告してアンデッドとして蘇らせられ、滅びるまで酷使される。

 一般人だったら絶望して気が狂うところである。

 実際には狂っている余裕さえないというのが現状だが。




 そんなわけで時は夜、現在ベルバッハは王都の隣町であるオステンドのケルトール魔具店に来ている。この町は愁斗がカイン病にかかったミミの母親であるケイトを救った町である。もちろんそのことは調査によってベルバッハは知っていた。


 ここの支店長であるフラムスを訪ねると、彼はすぐに客室にベルバッハを案内する。直属の上司ということもあり、追い返すという選択肢など元よりなかったのだが。


 机を挟んで対面した二人の前にフラムスの秘書がいかにも高級感の溢れるワインを用意した。


「ありがとうございます」

「いえ。では私はこれで失礼させていただきます」

「ご苦労」


 ベルバッハが礼を告げると秘書は頭を下げてから部屋を後にする。

 残された二人はワインをグラスに注いでから一口だけ口に含み、僅かな間を空けてからフラムスが話を切り出した。


「さて、こんな夜更けに連絡もなしにいきなり訪ねてくるとは、いったいどういった要件なのですかな?」


 フラムスは戦闘経験こそ豊富にあるものの、それは殺し屋で培ってきたものではなく、純粋な訓練や実戦において培われてきたものだ。もちろん殺人を経験したことがないわけではない。

 しかし現在の身体には多くの無駄な肉がたっぷりとついており、彼が長い間運動をしていないことを物語っている。


「私にはあまり時間がないので単刀直入に要件を言わせてもらいます」


 ベルバッハはフラムスの目を真剣な表情で射ぬくように見つめる。そのことが今から言うことに冗談は含まれていないと証明していた。


「あの方と手を切ります。あなたには私の下についていただきたいのです」

「………」


 フラムスはそれを聞いても表情一つ変えることはなかった。

 予想を越えたその様子に、逆にベルバッハのほうが警戒することになる。


「何故無反応なのですか?」

「どうやらあなたは私が思っていた以上に腰抜けのようですな」

「……どういうことです?」

「私はね、知っているのだよ。あなたが依頼に失敗したあげく、未だにその尻拭いができていないということをね」

「…………」

「私が考えるに、あなたはあの方の怒りに触れるのに恐怖して怖じ気づいたのだろう。違うかね?」


 ベルバッハは何も言えなかった。

 それは「あの方」と呼ばれている人物に対して、恐怖心を抱いているのは事実であったからだ。むしろそれは必然的なことであって、ベルバッハは恥ずかしいことだと感じていなかった。

 しかし改めて今の自分の命綱を握っている人物のことを考え、あの方に覚えていた恐怖が何でもないことのように思えてしまい、フラムスの発言にいろいろ考えさせられたからであった。

 フラムスはそんなベルバッハの反応に自分の発言が間違いではなかったと確信し、その顔が喜色満面に変わる。


「いけませんなぁ、裏切りなど」


 その笑みにはこれからベルバッハを脅して、どのような甘い蜜を啜ろうかという魂胆がありありと表れていた。

 それを正しく読み取ったベルバッハは大きくため息をつく。


「はぁ……あなたに言われずとも、そんなことはあなたよりもよくわかっています。あの方がその気になれば私など赤子を捻るように容易く死へと追いやるでしょう」

「では何故こんなことを言い出したのかね?」

「現状はそんな生ぬるい状況ではないからですよ」

「………?」


 ベルバッハの言葉の意味がわからず怪訝な表情を作るフラムスであったが、そんな怪訝な表情も長く続かなかった。



 身体が動かなかった。



 否、動かせなかった。



 僅かに姿勢を変えようと身体を動かした瞬間、全身を激しい痛みが襲ったのである。

 驚愕の表情で全身を見回したフラムスはその原因を即座に把握する。

 若干薄暗いこの部屋でははっきりとは見えない、しかしそれでもちらちらとライトを反射するそれは、細いながらも頑丈な糸のようなものであった。それがフラムスの身体に巻き付いていたのである。


「こ、これは……」


 フラムスは全身に走った裂傷の痛みを頭の隅に追いやり、現状を把握しようと思考を回転させる。

 いつから自分の身体に巻き付いていたのか、どうやって巻き付けたのか、誰が巻き付けたのか。

 何一つ理解できないこの現状に、フラムスは額の汗がしたたり落ちるのを止めることが出来なかった。


 そんな焦り出したフラムスに、ベルバッハは教え子に諭す教師のような表情で答えを教える。


「だから言ったでしょう? 現状はそんな生ぬるい状況ではないと」


 フラムスはこの現状を作り出したと予想されるベルバッハを睨みつける。


「………これはなんだ」

「それはあの方を上回る実力を有するであろう、とある人物につけられた私の監視役が分泌した糸ですよ」

「………」


 人が糸を分泌したのか、などと突拍子もないことを一瞬考え着いたフラムスであったが、糸を分泌する生き物を思い返してすぐに答えに行き着く。


「……蜘蛛か」

「そうです。今は監視役兼、私の助手といったところでしょうか」

「………」

「とは言っても私の命令に従うわけではありませんよ。主人が命じた『メリグレブ』掌握のお手伝いだからこそ、アレは私の言うことを聞いてくれる」


 フラムスはこの危機を脱出しようと僅かにもがくが、そんな些細な動きだけでも人の肌を易々と切り裂いていくこの強靭で鋭利な糸に阻まれる。

 その痛みに僅かに歯を喰いしばる。


 ベルバッハはそんな姿を特に咎めることもせずに眺めていた。

 そもそもこれを解いたところでどうしようもなかったからだ。なにせフラムスにはこの状態を生み出した元凶が今どこにいるのかすらも把握できていないのだから。


「あまり私の手を煩わせないでいただきたいのです。先ほども言ったでしょう? 時間がない、と」

「………」

「だんまりですか……まぁそれもいいでしょう。私が近いうちに行う近況報告で、あなたが私の行動を阻んでいると告げれば関係がなくなることですから」

「……何が言いたい」

「この程度のことも理解できませんか? この現状そのものがそもそもおかしいのだと」

「………?」


 あまりにも察しが悪いフラムスにベルバッハはわかりやすく大きなため息を吐く。


「はぁ……何故我々の情報が漏れているのですか?」

「………………っ、まさかっ!?」

「そう、あなたの想像通りでしょう。『メリグレブ』の情報を持つ者は闇魔法がいかに残酷で冷酷なものなのかを教えられます。それを知った者は多少の拷問を受けた程度では我々を裏切ることはできなくなる。その次元の違う恐怖故に」


 肉体的な痛みに耐えられる者ならば数多くいるだろう。

 苦痛には「慣れ」というものが存在するからである。

 では精神的な苦痛を間接的に、例えば焦燥、屈辱、絶望などといった要因で与えられた場合はどうだろうか。

 これも「慣れ」から耐えることができるようになる者がいるはずだ。これらの精神的苦痛を体験し乗り越えた者が他者よりも強くなる、ということは自明の理である。


 では精神的な苦痛を直接的・・・に与えられた場合は?

 生物が生きていく上で絶対に体験することがない苦痛を与えられ、常軌を逸した苦しみ方をしている者を目の前で見せられれば?

 普通の生物ならばそんな苦痛には絶対に耐えられないだろう。

 存在しないはずの恐怖に慣れることなどできるはずもないのだから。


「そんな恐怖を知っていながら情報を漏らしてしまう者がいる、ということは理由は一つ。例え情報を漏らしていなかったとしても敵に情報が漏れたということは――――――――」

「――――――――敵に闇属性保持者がいる、ということか………」

「そういうことになります」


 世界中に根を張る『メリグレブ』。

 この組織がここまで巨大な組織に育つことができたのは、魔道具作成の知識があったからではない。もちろんそれも大きな理由の一つとして数えられるのだろうが、今まで全くと言っていいほど打撃という打撃を受けたことがないのは、完璧に近い情報統制能力のおかげでもあった。


「言っておきますが、あの方とは格が違いますよ? 闇属性以外に最低でも四属性を保持しているのですから」

「た、確かに恐るべき相手ではあるが我々にしてみれば――――――――」

「その者が無詠唱で魔法を扱え、更に最上級魔人を従えていたとしても我々が勝てると?」


 それを聞いたフラムスの表情は先ほどまでの余裕が消え失せ、むしろ蒼白といって相違ない有様であった。

 上級魔人という歴史上何度も観測された存在と違い、最上級魔人は空想上の生物に近い存在なのだから。


「私に時間がないと言った意味がわかりましたか? 本当に時間がないので、私に協力していただきたいのですが」


 それは「お願い」という名の「命令」に近いものだったが、フラムスは進んでそれを引き受けたのだった。


 こんなことになったのが『ベルバッハが愁斗に辛そうな思いをさせたから』などという、ある者が聞けば馬鹿馬鹿しいと感じてしまうような理由であることをフラムスは知らない。

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