幕間 封印解放の裏で
ミネリク皇国の首都ブリュージュ。
スティアリー連邦を取り込んでからより豊かになったこの国の首都は、顔に笑顔を浮かべた人々で溢れ返っている。
実のところこの国の多くの民は現在行っている戦争がどういったものなのかよく知らない。
しかしながらそれは仕方のないことでもある。自分達が豊かになればいいと考えている国民にとって、国が裏でどういったことをしているかなどあまり問題ではないのである。そしてそういった国民は得てして自分達が不利益を被った瞬間、目の色を変えて糾弾を始めるのだ。実に虫のいい話である。
それを考えれば現在のこの国の民は当分は政府を糾弾することはないだろう。
街には十分な物資が行き渡り、仕事がなくて困っているなどという人もほとんどいない。戦争による技術革新によって文明レベルも僅かではあるが向上している。
まさに景気が良いといえるだろう。
そんな首都の中央に聳え立つ城の一角、戦争や軍に関する会議が行われている部屋には、現在数十名近くの人物が巨大な円卓を囲んで座っていた。
「では現状の報告を聞こうか」
品がありながら飾り気の少ない軍服を着こなしている壮年の男が話を始めた。
その男の着る軍服の左胸には少将を示す階級章がその存在感を主張している。
「ユークリウス王国で解放された魔物はその力を発揮することなく消滅。討伐者は異世界人、シュウト・オオサキであるとのことです。ダウンベルト王国で解放された魔物はその力を発揮し首都ヘルナスを壊滅。その後、監視に就かせていた二十五名との連絡が途絶。おそらく死んだものと思われます」
直立姿勢で報告を行っている者は淡々とした口調で、仲間の死に特に何も感じていないようであった。
「消滅、と言ったか? それは文字通りの消滅か?」
一人の男が訝しげな顔で質問をする。
「はい。火魔法によるものとのことでしたが、燃え滓一つ残らなかったそうです。周囲の土地は溶けて固まった様子が見られたとの報告が入っています」
「なんと……! 話によれば相当堅牢な甲羅で覆われている魔物とのことだったが……」
「確かに特級魔物に相応しく堅牢で強固な防御力を有しているとのことでした。大きさも山を思わせるほどの巨躯を誇り、近づくこともままならない危険な魔物であったそうです」
「それほどの魔物を燃え滓も残らずに消滅させることは果たして可能なのか?」
「それは私にはお答えしかねます」
「ダウンベルト王国の監視に赴いていた部隊の指揮官は誰だ? その他に士官はいたのか?」
「指揮官はダール大尉、他の士官はガスター少尉が赴かれていました」
「へぇ、ダール大尉はともかくガスター少尉を失ったのは痛いな」
「確かに実力はあったが奴は部隊の輪を乱す。大した痛手ではない」
会議の話が逸れそうになったところで、先ほどの少将が卓上を叩くことで話を終わらせる。
「そんな話はどうでもいい。それよりダウンベルト王国の監視はその後どうなっている」
「はっ! 人数を増やして監視に向かわせております。その後は―――――」
「―――――続きは私が」
先ほどまでの報告者の話を遮り、報告を開始する一人の大尉。
「私の部隊を向かわせております。私の部隊は調整体のみで構成された殲滅部隊です。ダウンベルト王国周辺の安全を確保し次第、監視部隊を向かわせるという決断を下しました」
「うむ、それが良かろう。件の魔物にやられたのならやむを得ないのかもしれないが、そうでなかった場合は直ちに相手の素性を突き止める必要がある」
「おっしゃる通りでございます」
大尉はその場で腰を折って軽く頭を下げる。
椅子に腰を下ろした大尉の次に立ち上がったのは、まだ幼くこの場に相応しくない少年だった。ニコニコと笑い、いかにも城下町で遊んでいそうな雰囲気を醸し出している。
その少年が付けている階級章は少佐。本来は長年の経験と大きな功績が複数、更に特別な教育を受けていなければ大尉から昇格することのできない階級である。
この少年を知らない人物がこの階級章を見れば、眉をひそめずにはいられないだろう。
「ところでシュウト・オオサキの件ですが、これからあの男はどうなさるおつもりですか?」
それは誰か特定の人物に尋ねているわけではなく、この場に居合わせる士官全員への問い掛けであった。
「放っておくという選択肢はない。不確定要素は今すぐに消すべきだろう」
「特級魔物を跡形もなく消滅させるような奴をすぐに消せるのかは甚だ疑問だがな」
「できるかできないかは問題ではない、やらなければこちらがいずれやられるだろう。奴は我々に過剰な敵意を抱いていても何らおかしくはないのだからな」
「やられる? 笑わせるな。特級魔物を倒した程度で粋がっているようでは我らの敵ではない」
「あれはただの特級魔物ではなく以前は魔王と契約していた古代の特級魔物だ。未確認の魔物も特級という分類にされるのだ、特級を侮ると死を招くぞ」
複数の意見が飛び交う会議をニコニコしながら聞いている少年は、一度話が途切れたところで結論を促す。
「ではどうしますか?」
「あの方に動いてもらうというのも一つの手かと」
「しかしアレは自分で動くことを望んではおられないぞ?」
明確な結論が出ない議論に終止符を打ったのは他でもない少将だった。
「アンソニー少佐、貴公ならどうする?」
「僕ならまず仲間を人質にとって罠にかけるとか脅しに使うという方法をとります。強者の弱点というのは弱い仲間、というではないですか。加えてわざわざ正面から挑む必要はないと考えます」
「確かに一理あるな。正面から挑まずとも方法はいくらでもある。アレ(・・)の準備は既に整っているのだ、焦らずともいずれユークリウス王国は陥落するだろう。よし、この件は貴公に一任するとしよう」
「ありがとうございます。必ずや期待以上の成果を収めてご覧にいれます」
「うむ、期待しているぞ」
アンソニー少佐は深々と頭を下げると再度椅子に座る。
「では次の議題に移るとするか―――――」
少将が議題を変えようと口を開いた途端、この部屋の扉を開けて一人の男が入ってくる。
情報の伝達速度の重要性をよく理解しているこの国の士官たちにそのことを咎めようとする者はいない。むしろこの会議室に入って報告しなければならないほどの情報に皆の注意が集中する。
その男はダウンベルト王国に部隊を派遣した大尉のもとへと駆け寄り、耳元で何かを呟く。
するとそれを聞いた大尉は目を大きく見開いた。
「馬鹿な!」
しかし自分の発言を恥じたのか、すぐに押し黙ってしまう。
会議室に入ってきた男はその後もう一度何かを大尉に告げ、そのまま部屋を出ていった。
残された大尉は明らかに動揺している。
「何かあったのかね?」
少将は派遣した部隊から何かしらの情報を得たのだと悟り、その情報開示を促した。
「は、はい。それが……ダウンベルト王国に送った部隊からの情報で、何者かの戦闘痕が見受けられ、城を残して見渡す限りの焼野原になっていたとのことです」
大尉の言葉にその場でどよめきが起こった。
「……見渡す限り、だと?」
「そのようです……それだけでなく、部隊もその報告を最後に連絡を取れなくなったそうです」
「…………」
ここに集まっていた士官は、魔王と契約していた古代の特級魔物がそれを為したということに驚きはなかった。多くの者はその魔物がそこまでしなければならなくなるほどの相手がそこにいた、ということに驚いたのである。
さらにその相手はミネリク皇国の調整体で構成された部隊に気付かれるよりも早く、部隊を連絡不可能な状態に追い込んだというのだ。
驚くなというほうが酷である。
「不安定な個体のみで構成された部隊だったのか?」
「決してそのようなことはありません! 皆自我を保った精鋭でした」
「ではこの惨状はどういうことかね?」
「そ、それは………もしかするとシュウト・オオサキがそこにいたのかもしれません!」
「それはありえませんね」
大尉の発言に先ほどの報告者がその言葉を否定する。
「彼がガルバインから出たという報告はなく、実際に目視にて宿にいることを確認しています」
「それはいつの情報ですか!? 彼は高速で移動できるという報告を私は得ています!!」
「つい半日ほど前ですが?」
「そ、そんなはずはない……」
半日でユークリウス王国の王都からダウンベルト王国の王都への移動は不可能。それこそ速さに特化した魔物が一晩中走り続けていてもその半分も踏破できないだろう。
事実上、大崎愁斗はこの件に関わっていないということになる。
「では、この男の尻拭いは誰がする?」
いつもなら実績をあげようと挙って自分を売り込む士官は、しかし今回は手を上げたりはしなかった。
そんな者たちを見回して、目を細めた少将は告げる。
「よかろう。では今晩までに代案を考え、これを提示せよ」
少将はその言葉を最後に、部屋から出ていってしまった。