ダウンベルト王国3
時は愁斗がユークリウス国王から手紙を受け取った次の日の昼過ぎ。
愁斗が宿の食堂で本を読んでいた頃のことである。
ダウンベルト王国の王都ヘルナス。
そこは地獄絵図と言っても過言ではないほどの惨状であった。
無事な建造物などほとんどなく、所々に真紅の絵の具で塗り立てたような赤い染みが散乱している。それが元は何だったのかは考えるまでもないだろう。
国の象徴と言える荘厳な城は無事にそこに存在しているが、これは竜人がそれを意図して破壊しなかったためである。
現在その竜人は城の中央から飛び出している塔の天辺に腰かけて周囲を眺めていた。
そこには自分が起こしたこの惨状についての罪悪感など一欠けらもなく、むしろ僅かながらに怒りのような感情さえ見え隠れしていた。
「チッ……つまんねぇ時代で封印解きやがって」
その竜人の知ってる時代はこの時代よりも遥かに文明が栄え、戦闘員でない一般人でさえも武器を持てばそこそこ戦えるような状態であった。
しかし今世は違う。非戦闘員に戦う力など存在せず、ただ逃げ惑うのみ。
そこが竜人の気分を逆撫でしていたのだ。
地下に多くの人間が避難していることは知っていた竜人だったが、もはや戦う気力さえ湧き起こらない。雑魚殺しなど遥か昔にやり飽きたことであった。今回の虐殺も竜人にとっては長年動かさなかった身体の凝りを解すためのウォーミングアップのようなものなのだ。
「寝るか」
期待外れの世界に用はない竜人は場所を移動するようなこともせず、翼で自分の身を包んで眠りについた。
そんな光景を王都ヘルナスから少し離れた丘の上で観察している人間が三人いた。
二人は樹の上で王都を観察、残りの一人はその樹の根本で目を瞑っている。僅かに動いていることから眠っているわけではないようだ。
「やっぱり半端ねぇな、古代の魔物ってやつは」
「古代だろうと現代だろうと特級という括りに違いはない」
「そりゃそうだけどよ」
その人物たちは全員が強化属性保持者であり、目に強化魔法をかけることで遠距離の視認を可能にしていた。
目という小範囲に魔力を集中させることができる時点で、この者たちがただの強化属性保持者ではないということの証明になる。
さらにこれ程危険な場所にいながらも軽口を叩けるほどには肝が据わっていた。それが強者故なのかどうかはわからないが。
「あと何日ここにいればいいんだろうなぁ」
「そんなこと俺に訊くな」
「そんぐらいはいいだろうよ。どうせ暇なんだし」
「仕事中だ。ガスター、お前はもう少し集中しろ」
「でもあいつは寝ちまっただろ? しばらく仕事は休憩だな」
「二人とも静かに」
会話に割り込んできたのは唯一会話に混ざろうとしなかった目を瞑っている人物である。
その人物の役割は心話による経過報告担当だった。
「なんだよいきなり?」
「全てのグループと心話が途切れた。不測の事態が発生している」
心話担当の人物の声には少なからず緊張の色が見て取れた。
「相手が寝ちまっただけじゃねぇの?」
「お前と一緒にするな。それに、そんなはずがないのはお前もよく知っているはずだ」
「………まぁな」
王都ヘルナスを観察していたのはこの三人組だけではなかったのだ。
広大な王都を囲むようにもう五グループが観察をしていた。それ以外にも、少し離れたところに陣取っている上司の傍にいる魔力交換をした人物にその経過報告を送っている。
言わば六人の人間と魔力交換をしているのでだ。これは他の五グループにもいえることである。おかげでこの六人は魔法が使えなくなり、それどころか魔力操作すらほとんどできなくなった。とはいえ魔法が使えなくても剣が使えることでこの仕事についているので、本人たちにとっては何の問題もなかったのだが。
「どうする? 不測の事態が起こったら撤収ということだったが」
「そりゃいいや! さっさと帰ろうぜ」
「俺は反対だ。今回の任務は奴の動向を見守ること。奴を一度でも見失えば見つけるのは非常に難しくなるだろう」
「んなこたぁ知ったこっちゃねぇよ。他の奴らが勝手に連絡できなくなったのが悪いんだろうが。それに………」
「なんだ?」
一度言葉を切ったガスターと呼ばれた男は目を細めて周囲を見渡す。
「俺の勘が告げてんだよ……今すぐこの場を離れろってな」
「またいつも冗談か? お前の冗談には付き合ってられ―――――――」
「黙れよ」
「っ!?」
ガスターは樹の下で自分を見ていた男を睨みつける。
その瞳に射抜かれた男は口が動かせなくなってしまった。その顔には隠しきれない恐怖が滲み出ている。
「普段なら俺に軽口を叩こうが俺は全然気にしねぇ。ふざけてるのは認めるし仕事なんかしたくねぇのは本気だからな。だが今は別だ。今の俺の顔が冗談を言っているように見えるか?」
問いかけられた男は小刻みに首を横に振った。
この軽薄そうな男。実はこの三人の中ではその実力が抜きん出ていた。
本来、我慢強くなければならない観察任務において軽薄であまり我慢強くないこの男はこの仕事に向いていない。
では何故この任務に就いているのか。
それは純粋に彼の実力が原因である。
王都ヘルナスの付近にある丘はこの三人組がいるこの場所だけである。要するに王都の全体像をつかむことができるのはこの場所だけなのだ。
他の五グループは辛うじて残っている王都の外壁が原因であまり中の様子を観察できていなかった。しかし観察は多角的視野から捕らえたほうがいいという観点からこのような平地にも観察地点を設けているのである。
しかしそんな重要な場所に不十分な戦力で観察を続けることは不安があるということで、個の強さに信用のおける人物が配置されたのである。これは丘に位置しているがために、多くの戦力をここに配置すると周りから目立ってしまうからであった。
「これは間違いなくなんか起こってるぜ」
ガスターはもう一度周囲を見回し、自分達に危険が迫っていないことを確認する。
「やっぱりここは離れたほうが………あれ?」
周囲を見回した後に視線を下に戻したとき、思わず素っ頓狂な声を上げてしまったガスター。
先ほどまで樹の根元に建っていた人物が忽然と姿を消していたのだ。
ガスターは困惑する。
それは仲間が消えた不安だとか心細さから来るものではない。むしろ彼は消えた男のことを仲間とすら思っていなかった。
しかし音もなく消えることなどできるであろうか。
周囲には確かに樹が多数生えており隠れる場所は無数に存在する。かくれんぼをしようものなら簡単に見つけることなどできはしないだろう。
だが音もなく消えることなど果たして可能なのだろうか。
地面を埋め尽くすのは最近積もり積もった落ち葉の数々。それらの上を歩けば、どんなに慎重であったとしても足音は発生してしまう。
「まったく………消えるなら消えるって言ってくれよ、拒まねぇからよ。なぁ?」
そう言って同意を求めようとした横に座っていた男からは、しかし返事が戻ってくることはなかった。
何故ならそこにいたはずの男も忽然と姿を消していたのだから。
「………」
さすがにここに居続けるのは危険と判断したのか、仲間だったはずの人間のことを頭から抹消し、すぐに移動を開始する。
樹から飛び降りて全力で走り出したガスター。
しかし周囲に神経を張り巡らせることを怠ることはない。走ることで周囲への意識が散漫になればそれだけ付け入る隙を与えることになるからである。
だからこそ気付くことができた。
それは偶然であった。
本来なら気づくことはできなかったもの。
それほどに存在感が薄かった。存在感などなかったといったほうが近いほどに。
ガスターは知らないし見たこともない魔物であったが、その目に映っている魔物の名前は擬態樹懶。
魔物の中では最下級に位置する樹懶。
人から攻撃的な行動をとらない限り襲われることすらない魔物であり、多くの冒険者はその存在を知らない。知っていたとしてもその動きの緩慢さと愛らしい顔から馬鹿にされてしまうのだ。
しかし、知っている人はほとんどおらず冒険者ギルドでさえ把握していないが、襲われればその脅威度は三級に迫る。
樹懶の持つ爪は樹にぶら下がるためのものであるが非常に鋭く、鋼鉄でできた防具を易々と切り裂くことができる。さらに普段は緩慢な動きで愛らしい顔の樹懶は、一度襲われれば憤怒の表情に変化して風のような素早さで敵に襲い掛かるのだ。
ほとんど害がないことから討伐依頼が出されることはなく、興味本位で攻撃したものは生き残れない魔物。だからこそ冒険者ギルドもその存在の詳細を把握していないのである。
そんな樹懶の中の最上位個体である擬態樹懶はその場に合わせて体格と体毛の色を変えることができる。現在の体格はそのぶら下がっている樹の枝と同じ太さで、その樹の枝と全く同じ色合いをしていた。
普通ならそれでも気付ける人は多いだろう。樹にそんな存在がぶら下がっていれば、少し集中するだけで気付けるはずである。
しかし擬態樹懶はそれでいて且つ存在感を限りなくゼロにできる。それは動いていても同様である。
気付けるはずなのに気づくことのできない魔物。
それが樹懶の最上位個体である擬態樹懶。
では擬態に特化していて脅威度は低いのかと問われれば、その答えは否である。むしろ非情に危険。
体格を変えられる(ミミックスロウス)はその爪でさえ変化させることができる。普段はぶら下がるための樹を傷つけないように。獲物を狩るときは自重だけで鉄板を真っ二つにできるように。
素早さなど言うまでもない。
そんな存在がガスターを見つめながら樹にぶら下がっていた。
体長は一メートルほどと魔物にしては小さいほうだが、ガスターはそんなことは敵を分析する要素として考えてはいなかった。
目につくのはその口からはみ出ている人の腕。咀嚼しているせいでぶらぶらと揺れていた。
これが原因でガスターは偶然気づくことができたわけだが、ガスターはそんなことに気付くわけでもなく震えていた。
何故ならその顔は未だかつて見たことがないほど、憤怒という概念を体現したかのように怒り狂って見えていたからである。
ガスターは即座に目の前の魔物に背を向けて走り出す。
自分の死期がすぐそばまで近づいていることを悟りながら。
ナマケモノが肉食になったら恐ろしいですよね、ハイ(笑)