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知識と記憶

 時は夕刻。

 愁斗は泊まっていた宿で休暇を満喫していた。


 特別に何かをしていたわけではない。部屋に置いてあるベッドに横になり、何も考えずにボーっとしていたのだ。

 前の世界にいた頃ならば何かしらやらなければならないことが必ず存在し、このように何もしないでいることに一種の罪悪感にも似た感情に苛まれていただろう。

 しかし現在の愁斗を縛るものは何もない。唯一所属している組織である冒険者ギルドは自由を理念に掲げているため、緊急事態でもなければ無理やり働かせるようなこともない。しかも現在はユークリウス王国から直々に発行してもらった身分証明書があるため、冒険者ギルドを辞めることに寸分の躊躇いもない。元々身分証明をするものがなかったために所属を決意したことが大きな理由であり、今は暇を潰すために所属しているにすぎないのだ。

 要するに本当の意味で愁斗を縛るものは存在しないということになるわけである。


「…………はぁ」


 しかし愁斗の気分は最高潮にまで上り詰めることはなかった。

 その原因は――――――


「このベッドの肌触りとか反発具合はどうにかならないかなぁ………」


 ベッドの問題であった。


 愁斗が泊まっている宿は決して安くない。

 王都には多くのお金持ちが集まるということもあり、高額の金銭を支払うことで上質な部屋を借りることができる宿は少なくない。

 愁斗達が泊まっている宿は王都一番ではないものの、そこそこお金のかかる宿である。一般的な宿が一泊銀貨数枚であるのに対して愁斗が今泊まっている宿が一泊銀貨三十枚であることを考えれば、その宿が高級であるということに疑問を抱く人はいないだろう。


 しかし愁斗は日本という品質において世界最高を誇った国で育った人間である。ベッドにもそこそこのクオリティは求めるのである。この部屋のベッドは微妙にふかふかではあるもののそれはスプリングを利用したものではなく、布団の生地が柔らかいためであり、そんなことは愁斗にとっては当たり前であるのだ。ベッドにももう一工夫欲しいところである。

 頻繁に野宿すらする愁斗ではあるが、ベッドがないと割り切っているから気にならないのであり、ベッドで寝るときにベッドのクオリティを気にするのは正常であるといえよう。


「これはもう自分で作るしかないのかな?」


 この世界に来て物覚えの良さに相当な自信を持っている愁斗は、魔法や戦闘に関わらず生活面に関して多くのことを学ぼうかと常々考えていたのである。

 今まではそこまで多くの時間がなかったために後回しにしてきていたが、今ではその時間も余りある。

 それならばこの世界の技術を片っ端から学んでいけば、いずれ自分が作りたいものを作ることができるはずだと考えた。

 しかしこの世界に来る前の愁斗は大学受験を控える一高校生であった。何がどのようにできているのかなど詳しく知るはずもないし、この世界で発達しているのは科学技術ではなく魔法技術である。前の世界と同じものを前の世界と同じように作ることはできないであろう。


「…………まぁ時間はあるし、ゆっくり学んでいけばいっか」


 一度見たことを一度で記憶できる現在の愁斗なら反復して学ぶ必要はないし、普通の人間ではありえないほど高速で頭を回転させられる愁斗は考える時間も極短時間で済む。いざという時は強化魔法を頭にかけるという荒業すらこなせるのである。

 学ぶことが多すぎても絶望などするはずもない。


「まずは書店で本を買い占めよう」


 一日ベッドでゴロゴロすると決めていた愁斗も、やりたいことができれば行動に移す。

 全ての持ち物をマジックポーチに仕舞ってあり準備することがなにもないため、ベッドから起き上がってすぐに扉に向かった愁斗であった。









「はぁ?」


 数少ない書店にやってきた愁斗は開口一番に店にある本をすべて買いたいと店主に伝えると、先ほどの反応が返ってきた。

 老齢の店主は何を言っているのかわからないといった顔で、一瞬だけ若々しい表情を浮かべる。

 しかし愁斗はそんな反応をされることがあらかじめ予想できたため、気にすることなくもう一度同じことを伝えた。


「この店の本を全て売ってください」

「………お主は以前この店で多くの本を購入してくれた若造じゃな。気でも狂ったかのぉ?」

「いえ、たぶん正常だと思います」


 愁斗はそれを真顔で返す。

 たぶんと付け足したのは愁斗自身、自分のことをよく理解していないからであろうか。


「ならばそのような非現実的なことをしようなどとは思うまい?」

「確かにそうかもしれませんが、お金ならけっこうあるので購入できないということはないと思います。全部でいくらですか?」

「うむ………儂もこれらの本を集め始めたのはかなり前のことじゃしのう………今いくら分の本があるのか儂にもわからんなぁ」

「ならこれらの本全てをいくらなら売れます?」


 愁斗はこの店だけでなく他の店でも購入する予定なので、一刻も早く次の店に回らなければと考えていた。書物など買う人はほとんどいないため、他の人に買われる可能性はあまり高くはないのだが。


「そうじゃなぁ……売ること自体は別にいいんじゃが、これほどの本を買っても読み切れまい? ほとんど読まないのに本を売るというのはちと勘弁願いたいのぉ」

「もちろんほとんど読みますよ」

「お主が読もうと思うておるのはわかった。しかし実際には読み切れまいて」


 愁斗はどうやって説得したものか考え始め、すぐにその案に思い至った。


 近くにあった本を一冊手に取りペラペラとページを捲り始めた愁斗を見て、訝しげな視線を向ける老店主。

 しかし何も言わずにそのまま見守っていると十数分ほどで本を閉じて顔を上げた。


「全部覚えました」

「…………は?」

「確かめてみます?」


 愁斗は手に持っていた本を老店主に渡した。

 老店主は愁斗がやろうとしていることをすぐに察し、どうせ無理だろうと思いながら本を適当に開いた。


「六十五ページに書かれていることは何じゃ?」

「そのページにはようやく三級冒険者になった主人公が二級魔物と対峙している様子が描写されています。戦闘が撤退で終わる様子はその六ページ後に描写されていますね」

「…………」


 まさか当たるとは思ってなかった老店主はあまり開いていなかった目を大きく見開く。

 念のために六ページ後を開いて見てみると、そこに書かれている内容も愁斗の言葉と一致していた。


「……これは驚いたのぉ」

「全て読めるということはわかりましたか? できれば本を全て売っていただきたいのですが」

「うむ……しかしここには一万冊近くの書物があるのじゃ。全部合わせれば少なくとも金貨数百枚はするぞい? それでも主はこれらの書物全てを買えるのかな?」

「金貨数百枚ですか………ではこれでどうですか」


 そういって愁斗がマジックポーチから取り出したのは白金貨五枚であった。

 白金貨一枚で金貨百枚の価値があるその硬貨は夕日を反射して美しい橙色に染まっていた。


 その硬貨を目にした老店主はしばらくそれを観察して驚愕の表情に変化した。


「まさか白金貨かっ!?」

「そうですよ」

「どうやってそれを手に入れたのじゃ!? 貴族や大商人以外が手にすることなどできない硬貨じゃぞ!?」

「貴族の方に知り合いがおりまして、その方にいろいろと売りました」


 王族は正確には貴族ではないのだが似たようなものだろうと思い愁斗はそう告げる。


「なるほどのぅ……まぁお主のような変わった若造なら貴族に知り合いがいてもおかしくない。よかろう、その値段でここの本を全てお主にやる」

「ありがとうございます」

「しかしこれほど大量の本をどうやって持ち帰るのじゃ? 儂はこの通り力にはなれんぞ?」

「それは大丈夫です。これはマジックポーチですから」


 白金貨五枚を手渡した愁斗は片っ端から本をマジックポーチに詰めていく。

 もちろん書物専用の小さな亜空間を新たに造りだし、そこに整頓しながら高速で詰めていっている。


「それはすごいのう。神創遺産など死ぬまでに目にできるとは思っておらんかった」


 一万冊近くの本をマジックポーチに詰め込み終わるまでにそれなりの時間がかかり、全てをマジックポーチの中に入れ終わったときにはすでに日が沈み、あたりに人はほとんどいなかった。


「時間をかけてしまってすみませんでした」


 愁斗は老店主に向かって軽く頭を下げた。


「いや、いいんじゃよ。儂は今日でこの店を畳む。最後くらい働きすぎるくらいがちょうどええ」

「……すみません」


 自分が全て本を買い占めてしまったから店を畳むことになるのだと気づいた愁斗は申し訳なさそうに謝罪する。

 しかし老店主はそれを見て朗らかに笑った。


「どの道ほとんど売れん書物ばかりじゃった。老い先短い儂が持っておっても役に立たん代物であったよ」

「そうですか………」

「むしろお主のおかげで儂は明日から遊びつくせるのじゃ。感謝しとるよ」


 愁斗はそれを聞いて胸を撫で下ろした。

 自分の知識欲のために老人の仕事を奪ってしまったと一瞬罪悪感に襲われたが、老人はそれを気にしていなかった。だからそのことについては愁斗も気にしないことにしたのであった。


 もう一度礼を言ってその場を後にした愁斗は、店のほとんどが閉まっていることもあり宿に帰ることにした。


 次の日も王都中の店を回り、自分が持っていない本を片っ端から買い漁って行った。

 しかしそのことで周囲に問題が発生したりすることはなかった。

 もともと字を読めるような人はほとんどいないし、本は高額であるため一般人はあまり手を出さないからである。


 この日を境に、愁斗は本の虫へと変わったのであった。

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