ダウンベルト王国2
ハーメックとその仲間二人はローブの男から距離をおいたまま対峙していた。
ハーメック達はもともと何かあったときのために特級魔物の封印場所の近くを巡回する騎士だった。
しかしそれも一度説明があっただけで本人たちもほとんど忘れかけていた。先ほど早馬からマルクスに危機が迫っているという連絡を受けて、久しぶりに思い出したことであったのだ。
どうやら相当に不味い状態であるらしく、近くにいる者から順次指示された場所に向かうようにとのことだった。
ハーメックとマルクスは同期ではあるがマルクスのほうが戦闘技術は上であった。しかしマルクスは特別な任務に就いてずっと一人暮らしをすることとなり、最近では全く顔を合わせる機会が無くなっていたところであった。
以前なら暇を見つけては顔を出しに行っていたのだが、ミネリク皇国がスティアリー連邦を飲み込んでからは休日を返上してまで訓練をする毎日へと変わったのだ。
しかしそれを不満に思う人はあまりいなかった。自国を愛するが故に、それを守るための努力はして然るべきであるとほとんどの人が思っていたからだ。
連絡を受けてからすぐに現場へと向かった。
重い甲冑を身に着けてではあるが、ここ最近の厳しい訓練をこなしているおかげか、ほとんど息切れをすることもなかった。
そこに向かっている途中で二人の仲間と合流し、その二人も同じ連絡を受けていると知って、益々急がなければならないと思い直した。
現場に着くとそこにはローブを身に纏った何者かが三本のレイピアでマルクスの大剣を受け止めて、一本のレイピアで脛を貫通して地面に縫い留め、もう二本のレイピアで左腕を貫通させて止めているという光景が広がっていた。
一目で普通の人間ではないと看破したハーメックは、マルクスの命が絶たれてしまう前になんとか止めなければならないと思い、全速力で敵目掛けて走り出す。
マルクスの視線が一瞬ハーメックを捉えると、閉じかけていた目を見開き、大剣を手放した右手で大剣を受け止めていたレイピアを握りしめる。
長年共に訓練してきたハーメックにはマルクスが考えていることが瞬時に理解できた。
自分が足止めするから止めを刺せと言っているのだと。
一瞬で距離を縮めたハーメックとその仲間二人は抜剣と同時にローブを纏った人物に斬りかかる。
完全にハーメックを見ていないはずだったのに、敵はまるで迫る斬撃三つを見えているかのように避けて大きく距離をとる。
ハーメックと共に駆けつけてくれた仲間が敵を見張ってくれていることを確認し、マルクスに薬を飲ませて横たえた。
そのときに受け取った僅かな情報は見れば明らかなことだけあったが、それでもハーメックはそんな敵に立ち向かったマルクスに敬意を示し、感謝の意を伝える。
マルクスの呼吸が落ち着いたことを確認し、改めて敵に向きなおった。
「随分と気色悪い身体してるじゃねぇか。悪魔に魂でも渡しちまったのかよ?」
「………ククク」
ハーメックの言葉に面白いことを聞いたとでもいうように笑い出すローブの男。
「何がおかしい?」
「………いや、死ぬまで弱いままでいるくらいなら、悪魔に魂を渡してでも強くなりたいと思ったのだよ」
その言葉はまるで本当に悪魔に魂を渡したというようにハーメックには聞こえた。
不気味な六本の腕に対してどう攻めようか考えていると、ハーメックは違和感を抱く。
(どうしてこんなに余裕でいられるんだ? 今も続々と騎士や兵士が集まってきているのに………)
周りを見回せば国に仕えている騎士や兵士が今も続々と集まってきていた。
それにもかかわらずローブの男は慌てる素振りすら見せない。むしろ余裕のようなものさえ漂わせ始めている。
「腕が六本あろうが十本あろうがこの数相手じゃ流石にどうにもならないと思うぜ?」
「…………」
「今更ダンマリかよ。まぁ喋ろうが喋るまいがお前は逃がさないけどな」
一人に対して過剰戦力ともとれるほどの数―――――――おおよそ百を超えるぐらいには集まってきている。
このことからもこの場所がどれほど重要な場所であるのかがわかるというものである。
集まってきた騎士たちは一目で誰が敵なのか察するが、ローブから外に出ている六本の腕を見て皆一様に顔を顰める。
しかしそれでもローブの男は動こうとしない。
そのことが益々気味悪さを助長し、騎士たちの次の行動を迷わせる。
そして騎士たちがこのローブの男を完全に包囲し逃げ道を絶ったところで、ローブの男はポツリと呟いた。
「…………チッ、そうくるか。まぁいい」
その言葉が聞こえた者は自分達が包囲していることだと勘違いしたが、一番近くでその発言を聞いていたハーメックはそうではないと感じた。
(何を言って―――――――――)
ハーメックがローブの男の発言を訝しんだとき、突如爆発と共にマルクスが守っていた建物が吹き飛んだ。
爆発があったのは地下だったのか、天井が崩れ落ちてちょうど一階に当たる部分が出来上がった。
「『リーインフォース』っ!!」
咄嗟に全身を強化して爆発から身体を守るがその威力から逃れることはできず、数メートル吹き飛ばされた。
ハーメックの身体に重傷はなくすぐに起き上って周囲を見回すが、そこには爆発をもろに受けて全身から血を流してる同胞が数多くいた。中には既に絶命していた同胞もいた。
激昂しかけたハーメックだったが、爆発のあった建物の方に目を向けた瞬間そんな感情すらもどこかへ飛んで行ってしまう。
そこには体長三メートルほどの蜥蜴系の魔物が二本の脚で立っていた。
いや、蜥蜴系というよりもむしろ竜と表現したほうが正確だろう。
全身にはミッドナイトブルーの色の鱗がひしめいており、闇を照らす月明かりが反射して、こんな状況でありながら思わず「美しい…」と呟いてしまうほどだ。腰と臀部の中心あたりには竜の尾がついていて、その尾だけでも三メートル以上はありそうだ。人間の肩甲骨にあたる部分からはその巨体を浮かせるに相応しい立派な翼が生えており、一度の羽ばたきだけで暴風のような風を発生させる。爪も牙も一般的な竜に比べれば大きいとはとても言えないが、その鋭さはむしろ一般的な竜を凌駕しているかもしれない。頭部に付いている荘厳な双角からは見ただけで相手を威圧するほどの存在感があった。
そんな竜人とも呼べる魔物は閉じていた目をゆっくりと見開く。そしてゆっくりと周囲を見渡し、大きく口角を上げる。
意図したものではなかったのだろう。しかしその目に見つめられた人々は死神の鎌が喉元にかけられているような錯覚を覚えた。
「ククク、ククククク、キャハハハハ!!」
周りを見回した竜人は突然大声で笑いだす。
「俺様は遂に解き放たれたのか!! このときをどれだけ待ちわびたことかっ!!!」
その竜人は開放感のあまり大きく翼を振るった。
そこで起こった竜巻は周囲にあるものをなぎ倒し、あるいは巻き込み、周囲に甚大な被害を与えた。
それを間近で発動されたハーメックは強化魔法空しく、竜巻に巻き込まれて吹っ飛んでいった。
六本のレイピアを地面に刺して踏ん張ったことで竜巻をやり過ごしたローブの男は恭しく竜人の前で跪く。
「あなた様を解放しましたのは私共でございます」
「あ゛あ゛?」
「もう一人の仲間はすでに息絶えましたが、あなた様が封印を解かれてあの世でさぞ喜んでいるに違いありません」
ローブの男は封印場所の上に建っていた建物に目を向ける。
竜人もつられてそこに目を向けるが、倒壊していたせいで中に人がいたのかどうかは目視で確認することはできなかった。しかし竜人の鋭敏な嗅覚は倒壊した建物の下から血の臭いを感じ取る。
「そうか」
竜人はゆっくりとローブの男に近づいていく。
「あなた様を解放しました理由は、あなた様に―――――――」
竜人を解放した理由を説明し始めたローブの男だったが、最後まで言葉を紡ぐことはできなかった。
「ご苦労」
竜人が残像が見えるほどの速度で腕を振るったのだ。
ローブの男の頭部があるはずの場所には既に頭部が存在せず、竜人の手のひらの中にそれはあった。
竜人はその顔を見るでもなく、まるで豆腐を潰すような感覚でその頭を握りつぶした。
吹っ飛んでいったハーメックは強化魔法の効果のおかげで左腕骨折だけで済んでいた。それは着地時に真っ先に左手を着いて衝撃を殺し、身体にかかる負担を軽減したことが運良く成功したからだった。
ハーメックは既にあそこに戻るつもりはなかった。もちろん戻らない理由の一つに竜人への恐怖がある。しかし一番の理由はそれではなかった。
「皆さん!! 今すぐに城に向かってください!!」
一番の理由は避難誘導。
王都の中でも外壁部に最も近いこの付近では城への距離が一番遠い。ここにいる人々は最優先で避難誘導を始める必要があったのだ。
実は避難自体は封印が解かれる前から既に始まっていた。
賢明な王はローブの男が余裕を持っているという情報を聞いた途端に何かあると察し、城に近い国民から優先して城の地下に造ってあった避難場所に誘導を始めていたのだ。この避難場所には大量の保存食が蓄えられており、王都で暮らしている民の一週間分にも匹敵する量であった。
この十万を超す人口のことを考えればこれは驚愕に値するだろう。
ハーメックはそれの結果を知らなかったが、この状況を国王が知れば真っ先に避難を始めると予想した。
その予想は運よく当たり、城の前で門前払いされるという状況はなんとか回避された。
周囲が避難し始めたのを見届けたハーメックはすぐに場所を移す。
本来ならば避難の完了を見届けるだろうが今回の事態に対しては悪手としか言いようがなかった。一人一人の避難完了よりも、他地区の避難を始めなければならないからだ。
もしこの瞬間にでも竜人が移動を開始していた場合、いったい何千人の命が失われることになるのか、ハーメックには想像することすらできなかった。
この国の未来を想像し、どう考えても存続という選択肢が見つけられなかったハーメックは、しかしそれでも避難を止めるようなことはなかった。