ダウンベルト王国1(大陸地図あり)
ミネリク皇国に接する国は三つあった。
ユークリウス王国、ダウンベルト王国、スティアリー連邦の三つである。それぞれがミネリク皇国の東、南東、南西に位置していた。
しかしここ数年のうちにこれらの国に敵対行動をとるようになったミネリク皇国は、理由は判明していないがこの三か国を合わせた軍事力をも上回ると噂されるようになった。
この突然の変化に対応しきれなかったスティアリー連邦は瞬く間に飲み込まれ、現在ミネリク皇国と接している国はユークリウス王国とダウンベルト王国のみとなった。このことによってミネリク皇国は大陸の西側を征服することに成功し、大陸で三番目の大国となったのである。
ダウンベルト王国はスティアリー連邦がミネリク皇国に飲み込まれたことで国境の四割近くが敵国と接していることになり、必然的に軍事力の増強に力を入れなければならず、国としての豊かさは徐々に失われていった。元々軍事国家ではなかったダウンベルト王国にはミネリク皇国とやりあうだけの力はなかったのである。
同じくミネリク皇国と敵対するユークリウス王国から僅かながらに援助を受けていたが、ユークリウス王国もそれほど余裕はなく、ダウンベルト王国は衰退の一途をたどっていった。
場所はダウンベルト王国の王都ヘルナス。
愁斗がロータス・ベム等と相対していた頃。
それは突然の出来事であった。
いつものように商人は商品を売り、国家所属の兵士たちは訓練に励み、国の民達は笑顔をその顔に浮かばせる。
そうなるはずだった。
ユークリウス王国と違い、ダウンベルト王国は過去の魔人との大戦において放たれた特級魔物の封印場所の上に王都を造った。これは何よりも近くでそれを監視するためであった。
その封印場所は広大な王都の外壁に接している場所にある。そこには何もなく人が集まらないため、人々の注目が集まらないようになっている。必然的にそこに多くの監視者を置くこともできないため、必要最低限の監視者だけがそこに常駐することとなっていた。
そこが封印場所であるということを知っているのは王族の一部だけであり、その監視者にもそこに何があるのか説明されてはいない。
いかなる人物の立ち入りも禁止されている場所ではあるが、そこに近づく者など存在せず、ただ漠然と時間を費やすことが仕事の監視者が僅かながらに怠けていても誰が責めることなどできるだろうか。何せ、何も起こらないまま数百年が経過しているのである。王族でさえ心の底から封印場所が存在していると信じていなくてもおかしくはないのだ。
もし王族が特級魔物がどういった存在なのかを一度でもその身で体験することができていれば、封印場所の存在の虚実など気にする余裕などなく、その場所の警備を最大限にしていただろう。
しかしそれは理想論。
現実ではそうはいかない。
太陽が沈み、辺りが静けさに包まれつつあった時間。
封印場所は現在地下にあり、その上にボロそうに見える頑丈な家を建て、そこに監視者を住まわせるという方法をとっている。
私服姿の監視者が盛大にあくびをかまし、緊張感など僅かながらにも感じられないそんな雰囲気の中。
突然玄関のドアがノックされた。
監視者は常に大剣を携帯していたため、何か準備するでもなく玄関に向かう。
「誰だ?」
監視者がそう尋ねながらドアを開くと、開いたドアの隙間から針のように鋭い何かが高速で飛び込んできた。
「おいっ!?」
突然の出来事に僅かに慌てながらも、訓練で培われた肉体は反射的なバックステップでそれを避ける。
すると少ししか開いていなかったドアがゆっくりと開いていった。
そこに立っていたのはローブを被って顔を隠す、いかにも怪しい人物であった。全身を隠しているからか年齢すらも判別できない。
「初対面の相手に随分と攻撃的な挨拶だな。それは最近の流行りなのか?」
監視者は冗談を言いつつも瞬時に非常事態だと見抜き、城に滞在している仲間に心話で連絡を入れる。
そして右手は左腰に携えてある大剣の柄に添える。
「……」
しかしそんな冗談に全く反応を示さずに、先ほど飛び込んできた針レイピアの鋒を監視者に向けて構えた。
「問答無用ってわけか……はぁ」
監視者はため息をつきつつも一瞬で抜剣し、今度は自ら斬りかかる。
常人には不可能な速度で振るわれたその大剣は狙い違わず目の前の人物の肩口に吸い込まれていく。
監視者はこの斬撃でほぼ勝利を確信していた。それは力を込めた大剣をレイピアのような細い武器では受け止められないという確信からきていた。
しかしそんな予想はいとも簡単に裏切られる。予想を大きく裏切られる形で。
「っ!?」
監視者は自分の目を疑った。
大剣を避けるならわかる。いや、レイピアに強化魔法の付与がされていて、それで受け止められたならまだわかる。
しかし大剣を受け止めていたのはローブから伸びる三本のレイピアだった。
今度こそ相手が尋常ではない相手だと悟り、自身の全神経を研ぎ澄ませる。
この監視者は馬鹿ではないし、ましてや弱いわけでもない。これほどに重要な場所を一人で守るからには、それ相応の力量は有していた。それこそ国の中でもかなり上位の力量であることに間違いはないだろう。
監視者はいろいろな可能性を考えるために目の前の相手を瞬時に観察する。
三本ものレイピアを操るなど普通はできない。何よりも目の前の相手はローブから三本の手が伸びている。その腕が人間のものかどうかは、その腕を巻いている白い布のせいで判断できない。
(新種の魔物か……? それとも………)
そこまで考えたところで目の前の人物は一本のレイピアで刺突を放ってくる。
監視者はそれを弾くのではなく距離をとることで避ける。残り二本のレイピアを警戒して、いつでも対処できるように剣を自由にしておく必要があった。
しかし警戒は無駄に終わり、残り二本のレイピアによる刺突が放たれることはなかった。
だが監視者はますます警戒を深めることとなった。
(こちらの手を窺っているのか? なぜ攻撃を仕掛けてこない?)
監視者は気味悪ささえ感じ始めていた。
表情や目の動き、構えなどから相手の次の動きを予想することは強くなるにつれて必須の技術となるが、相手は前衛職であるにもかかわらずローブで全身を隠している。そのせいで相手の次にとるであろう動きを予想できずにいた。
しかも腕が三本もあるとなれば次の動きが予測できても、その通りに動いてくれる保証などどこにもない。
相手の動きを確かめるまでもなく自分から斬りかかる、という選択肢はもとよりなかった。
二刀流は初心者が使用すれば隙だらけ以外の何物でもないが、慣れた者が扱えば本当に厄介である。それが三刀流ともなれば少しも気を抜くことなどできない。
監視者が攻めあぐねているとローブの人物がまたも刺突を放ってくる。今度はレイピア二本だった。
監視者は一本を右手に持つ大剣で弾き、もう一本を左手の甲で弾いた。左手の甲にできた裂傷から血が滴り落ちるが監視者はそれを少しも気にすることもなく、直後に放たれた最後のレイピアの刺突を避ける。
「無言を貫き通すつもりかよ。喋ることができない身体なのか?」
「…………できる」
返ってくるとは思わなかった返答に監視者は僅かに目を見開く。
ローブの人物の声は男のもので、何かのフィルターでも通したように濁ったものだった。
「なんだ、喋れるのかよ。それなら挨拶くらいしたらどうだ?」
「…………すぐ死ぬ相手に名乗っても意味などない」
「そうかよっ!」
監視者は相手の動きを少しだけ理解したのか、今度は自ら斬りかかる。
先ほど自分の一撃を三本のレイピアで受け止めたことから、受け止めるなら今度も三本のレイピアだろうと予測した。
そしてその予想は的中し、ローブの男は今度も三本のレイピアで受け止める。
しかし監視者の攻めはそれだけにとどまらず、接近したのを好機と鍛え抜かれた脚で思いっきり蹴り上げようとする。
しかし――――――――――
「なっ――――」
ローブの中から出てきたもう一本のレイピアが脛を貫通し、地面に縫い付けた。
「ぐっ……そんなの…ありかよ……」
相手の動きだけを見て自分の力量のほうが優っていると思い込んでしまったところが監視者の敗因だった。
確かに相手がレイピア二本だけなら監視者のほうが力量は優っていたし、たとえ力量で劣っていたとしても賢明な監視者の判断により時間稼ぎくらいはできたであろう。
しかし監視者の常識で判断してよい相手ではなかったのである。いくら強くとも不意を突かれれば負けることなどざらにあるのだから。
監視者は自分の負けであることはわかっていたが、だからと言ってここで命を差し出すほど弱い心を有してはいなかった。
瞬時に左手で相手に掴みかかろうと手を伸ばすが――――――――――それすら叶わなかった。
ローブの中から出てきたもう二本のレイピアが上下から監視者の腕を貫いた。
「ぐああぁぁぁ……」
既に監視者は自分一人の手に負えないと悟った。
激痛が原因で朦朧とする意識を手放そうと目を閉じかける。
さすがに六本のレイピア使いなど反則もいいところである。
しかし視界の隅に入った駆けてくる仲間達三人に気付き、仲間たちの助けになればと最後の力を振り絞った。
「くそがああああっ!!」
右手に持っていた大剣を手放し、その大剣を受け止めていた三本のレイピアを右手でしかと握りしめる。
これでこの一瞬だけローブの男は無防備となった。
監視者の仲間たちはその行動から監視者の意図を読み取り、即座に抜剣、その勢いのまま斬りかかった。
しかしローブの男は走り寄ってくる監視者の仲間に気付いており、強引に全てのレイピアを引き抜いて大きく距離をとった。
監視者に敵を押さえつけておけるだけの握力が残っていなかったのである。
「マルクス、大丈夫か!?」
「す、すまな………敵は………六本のレイ…ピアを………」
監視者―――――マルクスは脛と腕を貫かれた激痛と、先ほど力んだことが原因で大量に流れ出た血が原因でさらに意識が朦朧としていた。
必要だと思った情報だけを仲間に伝えようと口を開くが、思うように口が動かない。
「ありがとう。大丈夫だ、回復薬がここにある。あとは俺達に任せて眠っとけ」
仲間の一人であるハーメックはマルクスに回復薬を飲ませ、そのままそこに横たえた。
ハーメックはマルクスの呼吸が落ち着いたことを確認して視線をローブの男に向けた。