ケルトール魔具店4
「お、お前………まさか…………」
知りたくもない、いや、知るべきではなかった事実を知ってしまいベルバッハの表情が真っ青になっていく。
「わたしか? 私は魔人だが?」
「………尻尾も……角も……ないではないか…………」
「角と尾があるのは上級魔人だけだ。最上級魔人の見た目は人間と変わらない」
「あ……あ………」
最上級魔人。
それは人族等の間では一種の伝説である。存在すら定かではない幻想上の生物。人族では敵わない邪神の手先。代名詞などいくらでも存在する。
上級魔人でも人間の一国の戦力を優に超えているのだ。最上級魔人などという存在は人間の埒外なのである。
人族等の中で最上級魔人と言われて真っ先に思い浮かべるのは魔族を統率している魔王だろう。かつてただ一人で高度な文明を誇った人族等の全戦力を殲滅し、契約した魔物だけで大陸を滅亡に追い込んだ悪魔。
そんな存在がベルバッハの両腕をつかんで、無表情で目の前に立っている。
ベルバッハはフェルネの発言を嘘だとは断言できなかった。必殺のマジックアイテムを無傷で乗り越え、長年積み重ねてきた自身の剣技を業物の剣ごと粉砕し、男である自分の力を魔法すら使っていないはずの女が余裕で抑え込む。さらに、人族等には使い手のほとんどいないとされている闇魔法を扱える存在。
本人に最上級魔人だと言われた後では、どこをどう見ても最上級魔人にしか見えなくなっていた。
「あ……あの……」
言いたい言葉が口から出てこない。
それはフェルネが威圧しているわけでもないのにベルバッハ自身が恐怖に支配されているからであった。
「なんだ? はっきり言え」
「………その……あなた様……従しま………から…………」
いつまでたっても要領を得ない物言いにフェルネが不機嫌になる。
「はっきり言えと言っている」
「は、はい!! で、ですから! あなた様に服従しますから……どうか……どうか闇魔法で支配することだけは……ご容赦願えないでしょうか………?」
「そんなことは私が決めることではない。愁斗に訊け」
闇魔法の実験体になった人間たちを思い浮かべて、そういう死に方だけは嫌だと頑なに避けようとしているのだろう。薬物でおかしくなったほうがマシだと思わせるような光景がそこにはあったのである。
フェルネならそんなミスを犯したりはしないのだろうが、そんなことに思い至れるほどベルバッハの心に余裕はなかった。
フェルネに言われたことでようやく愁斗のことを思いだしたベルバッハ。
そしてそこでまた知りたくもない事実にたどり着いてしまった。
最上級魔人であるはずのフェルネが従うシュウト・オオサキと呼ばれる異世界の少年。
『メリグレブ』が行った異世界人についての文献による研究では、異世界人が召喚されたときから強大な力を持っていたとしてもそれは精々二、三級冒険者あたりの戦力と同等という程度のものでしかなかった。戦局を大きく変えることのできる力ではあるが決して殺せない相手ではない。
しかし思い起こしてみればフェルネと同じように必殺のマジックアイテムを無傷で乗り越え、魔人でないにも関わらず無詠唱で闇魔法を扱える。ならば最上級魔人であるフェルネに勝るとも劣らない力を有していると考えられるのではないか。なにせ愁斗は他にも火・風・強化・回復魔法を使うことができると確認されているのだから。闇属性すら使えるとわかった今、他に保有する属性はないとは言い切れない。
その考えに思い至った瞬間、ベルバッハはもう立ち向かう勇気など微塵も存在しなくなっていた。いや、存在できなくなったと表現したほうが正しいだろう。ベルバッハのような強いだけの人間と最上級魔人では強さの次元も『強い』ということの意味合いも違いすぎるのだ。マジックアイテムと呼ばれるおもちゃで殺そうとしていた自分が滑稽に思えてくるほどに。
ベルバッハは縋るような目つきで愁斗の方を見る。
「裏切るかもしれない人を監視もつけずに野放しにはできないよ」
しかし愁斗の心には響かなかった。
それもそうだろう。細く引き締まった身体であるベルバッハはどちらかといえば若々しいが、それでも四十代ほどのおっさんである。たとえ猫が主人に媚びるような目を向けられても感情を動かされないのは当然というものだ。愁斗にそんな危険極まりない性癖はない。
とはいえ闇魔法がどれほど危険なものかについては愁斗もよくわかっていた。
愁斗が初めて記憶を読み取ったのは魔物に対してだったが、そのときは記憶を傷つけずに読むなどといったことは全く考えていなかったので、魔物の記憶をぐちゃぐちゃにして壊してしまった。
そのときの魔物の表情は多くの魔物と少数の人間を殺してきた愁斗をして、吐き気を催させるほどの壮絶なものがそこにはあった。誰が見ても碌な死に方をしなかったのだろうと想像させるものであったのだ。もちろん、愁斗がそれに罪悪感を抱いて、実験台になってもらった魔物を火葬し土に埋めてあげたのは言うまでもない。
だからベルバッハが闇魔法をかけられて失敗したときのことを想像しているのだろうと愁斗には容易に予想できた。
愁斗もそんなミスを犯したのは最初の一回だけであった。フェルネが記憶を読めるようになったのは愁斗と魔力交換をして成長した後だったが、フェルネに至っては最初からミスを犯さずに記憶を読んでいた。これが闇魔法の経験の差というものだろう。
『メリグレブ』のボスである上級魔人がそんなことの練習をしているのだとしたら愁斗とフェルネの敵ではないということになる。もし意図して記憶や精神を壊しているのだとしたら、その限りではないかもしれないが。
愁斗にあっさりと断られたベルバッハはその表情を悲痛なものへと変える。
「そんな…………私は……あんな苦しみで死にたくない!!」
「それをあなたが言う? あなたたちに殺されてきた人間も同じように思ってるんじゃない?」
「我々は善人だけを殺してきたわけではない!! 世間で言う悪人だって同じように殺してきた!!」
「殺してきたことをそんな風に言われてもね…………。それに、俺を殺しにきた人は『惨殺鬼』なんて二つ名を持ってたらしいしね」
「…………」
ベルバッハは愁斗の言葉にすぐには言い返すことができなかった。
しかし数秒であることに思いついたのか、希望を目に宿して語りだす。
「………もともと私達はバックレイウというこの国の貴族に雇われたんだ。元はと言えばそいつが悪いのではないか?」
「ああ……なんかいたね、そんなの」
愁斗はその名前に心当たりがあった。
愁斗と契約している魔物の中でも一番の巨体を誇る弩級の魔物――――――コウリュウを封印から解放したユークリウス王国の男爵である。
(そういえばバックレイウとかいう人、あの後どうなったのかな?)
バックレイウ男爵については全てユークリウス王国に任せていた愁斗は、あの事件の後に男爵がどうなったのか知らなかった。
今更ながらに気になってきた愁斗はこれが終わったらそのことを訊きに行こうと心に決める。
「別に誰に依頼されたかなんて今は関係ないんだよ。黙って精神支配を受け入れてくれたほうが失敗しなくて済むんだけど?」
「私の話を真面目に聞いてくれ! 私ならばきっとあなたたち二人の役に立つはずだ。情報収集だって我々の得意分野だし、裏工作だって他の機関に遅れをとることはない。魅力的ではないか!?」
「それは確かにそうだけど、俺とフェルネがそれを行うより速く情報収集や裏工作を行うことができる?」
「それは………わからない。しかし私達には多くの人材がある。経験がある。それはきっとお二人のお役に立つはずだ」
実際に愁斗はこの組織が代わりに情報収集してくれるのはありがたいと思っていた。
愁斗とフェルネの二人では物理的に情報収集に限界がある。だからこそ、そういったことを担当してくれるのは愁斗にとっては嬉しいことであった。
それに闇魔法による深い精神支配を受けた者は一時的に自我を失っている状態になる。明らかに普通の状態でないことが見ていてわかるのだ。
逆に浅い精神支配の場合は自我を保っている状態であるが、魔法が解けたときに自分が魔法をかけられていた間に行っていたことも覚えているのだ。それでは誰に術をかけられたのかについて周囲の人に漏らす可能性が出てくるのである。
結局は自主的に協力してくれる方が愁斗としてはありがたかったのである。相手が裏切る可能性のない相手であればだが。
「裏切るかもしれないでしょ」
「まさか! 最上級魔人様を裏切るなど恐れ多い!!」
言っていることは正しいし、ベルバッハが本心からそう思っていることも愁斗は知っていた。
しかし相手は裏組織の人間である。いつ手のひらを返されるかわからないのだ。
「なるほど。じゃあ今から俺が言うことを守ってくれる? それなら闇魔法で操らないであげるよ」
「………あなたたちに比べれば私など非才なる身。できることとできないことがある」
「そんなに難しいことじゃないよ。一つ、俺の仲間を監視として一体あなたに付けるから面倒をみること。一つ、俺の仲間に手を出さないこと。一つ、暗殺などの依頼がきたら仲間を通して俺の確認をとること。一つ、他の支部との間でなにかあったら俺に連絡すること。いい?」
「………本当にそんなことでいいのか? もっと無茶を言われると思っていた」
「別にできないことまでしろとは言わないよ。これらの条件を守って、裏切らないでくれればそれでいいから」
「……了解した」
ベルバッハは自分の命が繋がったことに安堵のため息をつく。
そこで一つの疑問が思い浮かび、愁斗にそれを尋ねた。
「ところでその仲間とはいったい………」
「今紹介するよ」
愁斗は既に決めていた仲間を呼んだ。