ケルトール魔具店3
「そんなに愚痴を言うなら使わなきゃいいのに」
ベルバッハは何を言われたかわからなかった。いや、そもそも何が起こったのかすら理解できなかった。
先ほど発動させたマジックアイテムの数々はありとあらゆることを想定して用意された必殺殺人装置だったのだ。
戦闘において近接戦闘をこなす者は例え魔法を使うことのできる者でも基本的には簡易なものしか使えない。しかし戦闘においてそれを使うことはない。使うとすれば日常のちょっとしたことに使う程度である。だからこそあのソファーに座った場合は風刃で死なずとも毒針で死ぬようになっている。そもそも身動きの取れない状態で四方から放たれた風刃で傷を負わないはずはないのだが。結界と爆発の組み合わせは念をいれてである。
遠距離戦闘をこなす者の多くは反射神経において近接戦闘をこなす者に劣る。肉体の頑強さにおいても劣るであろう。そんな者が一瞬で風刃と毒針に気付き対処するなど果たしてできるのであろうか。たとえそれができて結界を張ったとしても、密着された状態でソファーが爆発したとしてそれに耐えられるのだろうか。
ベルバッハは馬鹿ではない。ありとあらゆる可能性を考慮し、発動すれば対象を必ず死に至らしめるように作ってあったのである。
だからこそ理解できなかった。
目の前に立っている男と女はいったいなんなのか。
二人の手に握られている無数の針はどうしたのか。
死んだのではないのか。
どうして無傷で立っているのか。
そんなことがベルバッハの頭の中をグルグルと回り、正常な思考ができなくなっていた。
それも仕方がないことであった。
なにせ愁斗もフェルネも攻撃されたという事実すらなかったかのように、身体も、服すらも傷一つない状態だったのだから。
ベルバッハは戦闘経験も豊富にある。今では基本的に『メリグレブ』に関する書類仕事やケルトール魔具店に関する仕事が膨大にあるため前線を退いたが、それでも長年培われた戦闘経験は健在である。
そんなベルバッハが敵の前で呆けてしまうなど本来ならありえなかった。しかし強者であるが故にある程度起こり得ることがわかり、自分の想像を超えることがあっても、それが遥かに超えることなどないと思い込んでいた。
今回であれば、生きていることがあったとしても服すら無傷で立っていることなどありえないはずだった。少なくとも爆発は直撃したはずなのだから。
ましてや殺害対象でさえない女性まで無傷とあっては、ベルバッハが考えることを拒絶してしまうのも無理のない話だった。
「おい」
愁斗に軽く呼びかけられて、呆けていたベルバッハはようやく現実に引き戻された。
「ッ!!」
本能の深層に植えつけられた畏怖と呼ばれる感情に促され、何が起こってもすぐに対処できるように自分の机に立て掛けてあった剣を反射の勢いで引き抜き、即座に愁斗目掛けて剣を振り下ろした。
自分の本能のままに繰り出されたそれは、ベルバッハの人生で無数に放たれてきた斬撃の中でも最高の一撃になった。自分でも驚くほどの勢いを持って放たれたそれは―――――――
―――――――割り込んできたフェルネに握り潰されて砕け散った。
最上級魔人からすれば人間の斬撃など避けずとも傷を負うことはないが、愁斗の前で敵の剣に切り付けられるというのが情けなく、手で受けることにしたフェルネ。
「わざわざありがとう、フェルネ」
「……いや、礼を言われるほどのことをしたつもりはない」
聞く人が聞けば少しばかりツンとしているように聞こえるかもしれないが、実は照れ隠しであることを愁斗は知っていた。
フェルネは愁斗の微笑みに思わず顔を逸らしてしまう。
そんな空気の読めない二人に構わず状況は進んでいく。
自分の人生最高の一撃を素手で受け止めるどころか剣を握りつぶした光景を見て狼狽したベルバッハだったが、先ほど一度想像を超えた出来事を体験したしたために僅かながらに耐性ができて、今の出来事についての思考を放棄した。
「化け物がッ!!」
先ほど使った必勝の装置で傷つけられなかったことからマジックアイテムを使うという考えを捨て、自分の持ちうる技術のみで戦うことを心に決めたベルバッハは即座に次の手段に出ようとする。
とはいえ、かなりの業物でありベルバッハの長年の相棒であった剣は既に砕け散った。いくら体術もできるとはいえ剣を素手で受け止めた相手に無手で挑むのは無理だろうとベルバッハの冷静な部分が訴えていた。
ベルバッハとしては一旦逃げて態勢を整えたいところであったが、それができない理由があった。それは『メリグレブ』の本部が一度逃げ出した者を許さないというところにあった。ただ死ぬだけならばまだいい。間違いなく闇魔法の実験台にされる。そしてベルバッハは闇魔法の実験台を直接目にしたことがあった。元大量殺人鬼であるベルバッハをして震え上がらせるその光景は人間という枠を超えて生物すべてに恐怖を植えつける。
(あの御方には絶対に逆らえない……)
なんとか現状を打破して行動に移さなければならないところだが、ベルバッハにはどう思案してもこの現状を改善できる案が思い浮かばない。
そんな思考の一瞬が命取りになる。
ベルバッハが目の前に意識を向けたとき、思わず悲鳴をあげそうになった。
思案していたのはほんの一瞬だったが、その僅かな時間でフェルネに数メートルの間を埋められてしまったのである。
とっさにベルバッハは殴打を放とうとしたが、それよりもフェルネが両腕を掴み上げる速度のほうが遥かに速かった。
「遊びは終わりだよ」
愁斗がゆっくりとベルバッハに歩み寄る。
ベルバッハは必死に腕を振り解こうとするが、フェルネのその腕はまるで巨石のように微動だにしなかった。咄嗟に膝を突き上げようとするも先にフェルネが突き上げた膝のほうが腹に直撃し、フェルネに届くことはなかった。
「かはっ!?」
予想を超える激痛に腹を押さえて痛みに耐えようとするも、両腕が掴まれていることでそれすらできなかった。よく見れば口の端から血が垂れている。
ベルバッハは完全に手詰まりであった。
「いきなり先制攻撃をしかけてきたんだからそれぐらい我慢してよ」
「……くっ……何が、望みだ………復、讐か? お、俺を殺し、ても……何も、終わら、ないぞ……」
「以前誰かに言われた気がする言葉だね。ご忠告ありがとう」
先ほどまでの余裕は消え、口調が変化した。
こちらが本来のベルバッハであることは愁斗もフェルネも空間魔法による盗聴で知っていたが。
愁斗はベルバッハの質問に答えながらベルバッハの身に着けるアクセサリーを外していく。
その行動にベルバッハ本人もわからない焦りが生じる。
「な、なにを……し、ている!?」
「光魔法を付与されたものを身に着けると闇魔法の効果を軽く阻害できるらしいね。だからそんなものを身に着けられると闇魔法が通じないんだよ」
「なぜ、それを……………っ!? 闇魔法だとっ!?」
「そうだよ。今更知ってもどうしようもないだろうから言うけど俺もフェルネも闇魔法は得意だよ」
アクセサリーを外し終わった愁斗は無詠唱で黒い光を放つ球体を生み出した。
それを見たベルバッハの表情に多量の汗が浮かび上がってくる。闇魔法をこんな至近距離で発動されるのは、無防備な人間が銃口を向けられるよりも強い恐怖を与えられるのである。
特にベルバッハは唯一安心をもたらしてくれるアクセサリーを剥ぎ取られた後なのだから、その心情を察するには充分というものであろう。
「闇魔法で無理矢理従わせるのはあんまりやりたくないことだけど、まぁ明確に敵だとわかってる相手には仕方がないよね」
そう言って愁斗が闇属性の魔力を練ろうとしたところでベルバッハが焦り気味に口を開いた。
「ま、待て! お、お前、本当に、殺されるぞ!?」
「敵に言われても響かない言葉だね」
愁斗はベルバッハの言葉を切り捨て、続きを始めようとするが―――――――――
「魔人が来るぞっ!!」
「そんなこと言わ……………何だって?」
先ほどの命乞いのような言葉が続くと思いきや、予想外の言葉が出てきて思わず手を止めてしまった。
フェルネも驚いたという顔をしているが手の力が緩むことはなかった。少し緩んだところでベルバッハに振りほどくことなどできないだろうが。
愁斗は聞き違いかと思いベルバッハに訊き直す。
「……もう一度言ってくれる?」
「だから……俺に手を出したら魔人がここにやって来るぞ」
「なんで?」
「…………我々のボスが……魔人だからだ」
本当のことを言っているかを確かめる手段が持つ愁斗とフェルネは迷わず闇魔法で記憶を覗いた。
ゆっくりとそれに該当しそうな人物を探していくと―――――――――
「角が生えてて尻尾があるのが魔人?」
愁斗にとっての魔人のイメージはフェルネであり、フェルネの容姿は人間と全く変わらないため、魔人が角や尻尾などのついてる人間というイメージはなかった。
愁斗が魔人だと当たりをつけた者は薄ら笑いが特徴的な二十代ほどに見える男性で、返しのようなものが無数に連なる凶悪な尾を持ち、頭部には闘牛のような先端の鋭い二本の角が生えていた。これは愁斗が魔人と聞いて最初に思い浮かべたものに近かった。
「そうだ。あれは間違いなく上級魔人だ」
フェルネが愁斗の言葉に同意した。
「なんでこんなところにいるのかな?」
「わからない………見たことのない顔だ。上級魔人が他の大陸にいるということはおそらく魔大陸から逃げ出してきたのだろう」
「………そっか」
愁斗はフェルネを思いやって魔大陸に関することは訊かないようにしていた。
基本的に最上級魔人と最上級魔人の間で生まれる子は最上級魔人なのだが、フェルネは両親が最上級魔人でありながら肉体が最上級魔人で実力が中級魔人という歪な形で生まれてきてしまった忌み子だった。
父親からは見放され周りの人からは嘲笑われ、魔大陸という場所に居場所がなかった。だからフェルネは魔大陸から出ることにしたのだ。
愁斗はそのことがあって魔大陸に関することは訊けずにいた。仲間の辛い記憶を呼び起こしたくなかったからだ。
「俺達の障害になるかな?」
「わからないが障害になったらそのときに潰せばいいだろう。今の私とシュウトなら上級魔人程度に遅れをとることなどありえない」
「そっか。なら放っておこうか」
「それがいい」
愁斗とフェルネは予想外のことに驚きながらも現時点で気にすることではないと判断し、件の上級魔人については保留という結論に至った。
そのまま先ほどの続きを始めようとするもベルバッハはそれどころではなかった。愁斗とフェルネの会話から知ってしまったのだ。
愁斗の隣に立つ女が何者なのか。
毎日は更新できなくなります。
申し訳ありません。
ですが定期的に更新はしていくのでよろしくお願いします。