箱庭3
愁斗とフェルネがマルタ町を出たその日の夕刻。
いろいろな話をしながら王都ガルバインに向かっていた二人だが、未だに王都に着いていなかった。
テントを張り周辺に結界を作って夕食を食べ終わった頃、愁斗は何かを決心した表情でおもむろに話し始めた。
「フェルネにはこれから付いてきてほしいところがあるんだけど……」
周囲が森に囲まれていて大して何もなく、しかもこれからようやく寝るぞというときに「付いてきてほしい」などと言われて怪訝な表情を浮かべたフェルネだったが、それでも真剣に話をしようとしている愁斗の表情を読み取りすぐに話を聞く態勢になった。
「どこへだ?」
「フェルネはもう俺が空間魔法を使えることを知っているし、何かあっても絶対に情報を漏らさないと信じられるフェルネだからこそ、このことを明かそうと思う」
愁斗が言っている『何かあっても』というのはフェルネの性格を考慮したものではあるがそれだけではなく、フェルネが何者かに捕まり愁斗の秘密の暴露を要求されるなどといったことも含まれる。
フェルネに限ってはこの大陸で相手にできる者などいないし、たとえ複数の国家がフェルネに何かを仕掛けてきたとしても、フェルネがその気になれば撃退のさらにその先まで行うことができるのだ。
フェルネ自身にもそのことはわかっており、特に何か言うこともなかった。
「あー………その……まぁ危険はないから、なにかあっても攻撃はしないでほしい」
歯切れ悪く何か意味深な発言をした愁斗にフェルネは顔に疑問を浮かび上がらせる。
しかし次の瞬間、その表情は驚愕に変化した。
「なんだこれは…………?」
周囲の景色が一瞬にして変わり、自分の魔力感知に強大な魔力が多数引っかかるようになった現象に驚きを隠せなかったのだ。
「ここは俺が空間魔法で作った亜空間だよ。俺が呼んだ人以外はここに入れないし、そもそもこの空間の存在を知ることはできないんだ」
「…………」
フェルネは愁斗の言葉を聞きながらも、意識は全く異なる方向へと向かっていた。
それはこちらに高速で向かってくる存在―――――――――多数の魔物に対してだ。しかも魔大陸で人生の大半を生きてきたフェルネをして、このレベルの魔物をここまで見たことはなかったのだ。
最上級魔人であるフェルネが本気を出せば決して倒せない敵ではない。しかし物事は勝てる勝てないだけで判断できるわけではない。強大な存在感を放つものが迫って来るということがフェルネに僅かながらの緊張を強いていたのだ。
「言っておくけど彼らは決して敵ではないから安心して」
愁斗はそう言いながらもフェルネに背中を向けた。
愁斗の発言と魔物から発されるものから自分に対して敵意を抱いていないということは理解したフェルネだが、愁斗の行動が全く理解できなかった。
「……何をしているんだ?」
「……………恒例行事だから気にしないで」
愁斗は苦笑しながらそう言うと、迫って来る魔物とは全く逆の方向に全力で走って行った。
その数秒後、まるで愁斗を追うようにして数々の種類の魔物が超高速でフェルネの横を通り過ぎていった。猫系、狼系などの小型で比較的可愛らしい魔物から、高さ三メートルはある虎型の魔物まで。中には上空から弾丸のような速さで飛んでいく鳥系の魔物までもいた。
魔物達が過ぎ去り呆然としていたフェルネが、ある不可解なことに気付いた。
それはこれほど多くの魔物が走って行ったというのに、周囲にそびえ立つ大樹が綺麗に残っていたからだ。小型の魔物は基本的に木々などを避けるが、巨大で小回りの利かない大型の魔物は木々をなぎ倒しながら進むものも多い。先ほどの魔物の中には巨大でありながら小回りが利いていない魔物などいなかったのだが。
ここでようやくフェルネにはあの魔物達が愁斗と魔力交換にて契約してることがわかった。まるで何かのルールを守るかのように、木々を避けながら突き進む魔物達を見て。
愁斗はこの瞬間も魔物達から全力で逃げ続けていた。ある時は木から木へと飛び移り、またある時は魔法を使って加速して。そして何よりも恐るべきことは、そんな愁斗の速さに魔物達も全然劣っていないということだ。中には後れをとっている魔物もいるが、それでも大きく引き離されるということはなく愁斗のことを追っている。
しかし百を優に上回る強大な力を持つ魔物達が連携を取り始めてから、愁斗がやや劣勢になりつつあった。愁斗自身も木々に傷をつけないようにしているためか魔法を全力で扱うことができず、結果的に数の差に負けつつあったのだ。
それでも愁斗は諦めて止まったりはしない。フェイントなどを織り交ぜながら一体一体を正確に知覚し、急接近されればステップでかわし、包囲されれば上空に飛び上がったりしていた。
とはいえ追ってくる魔物達に対して攻撃することもなく、また魔法の使用も極端に制限しているため、相手が相手だけに逃げ切ることはできなかったようだ。
最初に愁斗に触れたのは白狐であった。その魔物は以前愁斗がケルべインとクラクスをこの亜空間に連れてきたときに、愁斗にとても懐いていた魔物だ。
白狐が顔面に跳びつき愁斗が足を止めた途端に、まるで餌にでも群がるハイエナのように魔物達は愁斗に突っ込んでいった。数秒後には外から愁斗が見えないという有様だ。
そんな光景が少し続き、顔や手などが魔物達の涎でベトベトになって解放された愁斗はいつものことなのか怒ることもなく、苦笑気味に笑い周囲の魔物達と戯れていた。こんな魔物達に群がられて普通でいられるのは愁斗だからこそであり、普通の人間ならぺしゃんこである。
愁斗が時魔法を使って時間を戻し身体が一瞬で綺麗になった頃、ようやくフェルネは愁斗のところに辿りついた。
「毎回こんなことをしているのか?」
「あはは……まぁ、あんまり多くの時間をここで過ごせないし、みんながしたいことをさせてあげたいからさ」
愁斗が箱庭に来ることができるのは姉妹やフェルネが眠ってからのことだったので、一日にたった一、二時間だけである。その間に食事と戦闘訓練と学習をこなし、愁斗が任務ついでにここから外出させてあげようと思っているのだ。
今も鼠系の魔物がケルべインとクラクスのところで任務についている。二人の監視が主な任務だが、姉妹に危険が及びそうになったときは愁斗に連絡を送ることとそれに対処するという任務も帯びている。その代わりと言ってはなんだが、それなりの自由行動も許されているのだ。ちなみに愁斗に依頼を任される程度にはそれなりの能力も有しているし知能も決して低くはない。
ちなみに魔族契約においては一般的に魔力を一方的に渡す形になるため、魔物から契約者に連絡を取ることはできない。それは単に魔力を扱うだけの技量がない魔物しか人間程度に契約を申し込まないというところからきているからである。だからこそ『竜使い』のケルべインは上級魔物であるワイバーンと契約し魔力を交換しているため、お互いに自分の思いを魔力に乗せて相手に届けることができるのである。
愁斗の場合はこの魔力交換による魔族契約を全魔物としているため、言葉を話せない魔物とも連絡することができるのである。
「さあ、食事の時間だよ」
愁斗はマジックポーチから出すなどといった手順を踏まず、空間魔法を用いて直接魔物の肉や野菜などをその場に出現させた。しかしここにいる魔物が契約している魔物の全てではないため、ワープして魔物が多く集まるところに行ってはそこで食料を出すといったことを繰り返した。最後にコウリュウに魔力を譲渡してフェルネの元に戻ってくる。
コウリュウに魔力を譲渡したのは小腹を空かせた魔物がコウリュウの背に生える木に実る果実や木の実を食べてしまうため、その分を再び生やすための行為である。コウリュウはそのことを悪く思っていない。むしろ魔物達が自分の背に実るものを食す姿を、親が子を見るような目で見守っているのである。
「愁斗は夜も結構忙しいのだな。こんなことをするために夜抜け出していたなど気付かなかった」
「全く苦痛じゃないけどね。俺と会える時間を楽しみに待っててくれるから、俺もみんなと会える時間が楽しみで仕方ないんだ。フェルネもみんなのことを好きになってくれると嬉しい」
「もちろんだ。シュウトの仲間なら私の仲間でもある。これからよろしく頼む」
フェルネが魔物達に向きなおりそう言うと、何体かの魔物が言葉を返してきた。
「よろしくー!」
中でも元気が良かったのは愁斗の顔に跳びついた白狐であった。契約によって進化した魔物で会話ができるほど知性が高まった魔物は一握りであるが、白狐はその中の一体だった。
フェルネや姉妹は今まで愁斗と契約していた魔物達のことをことを知らなかったが、魔物達は愁斗から話を聞かされていたためフェルネと姉妹のことを知っていた。だからこそこれだけフレンドリーであるのだ。
今日ここにフェルネが来ることも、愁斗は事前に全員に伝えていた。
「アーレン、いい子にしてたかな?」
九尾の白狐である魔物――――――アーレンは愁斗の呼びかけにアーレンは手を頭の前まで懸命に挙げて答えた。
「してたよ! 訓練のお手伝い頑張ったんだ!!」
「そっかー、じゃあこれはご褒美だよ」
そう言って一つの肉を取り出した。
この肉は一級魔物の肉で普段愁斗が食べさせている四級魔物の肉とは旨さが全く違うらしい。人間でも上級魔物の肉であればあるほど高級品であり、一般人が食べる機会などまずない。例え奇跡的に町に出回ったとしても、貴族などの金持ちが大金をはたいて買い占めてしまうからだ。
「やったぁ!!」
愁斗はアーレンにしかこなせないことを頼んでいるため、ちゃんと褒美を与えることにしているのだ。
もちろんそれでは他の契約魔物達から不満が出てきてしまうため、定期的により上質な肉を与えるようにしているが。
アーレンが美味しそうに肉を頬張る姿を微笑ましげに見つめていた愁斗は、ようやく一段落ついたとばかりにフェルネに向きなおった。