命と引き換えに1
ケルべイン・ソルス視点
ここはどこだ。
先ほどまで飛んでいた森の上空から町が視界に入った途端に突然町が消え失せた。いや、この表現は正しくない。正確には景色そのものが入れ替わったとでも言うべきか。
俺の魔力感知能力は一般的でありロータスのように優れているわけでもないから感知できて数メートルといったところだ。だからこそ何が起きたか理解できない。
今俺と一緒にワイバーンに乗っており、俺の弟子でもあるクラクス・オリオットも俺と同じく魔力感知能力は一般的だ。
こいつは俺がとある町のスラム街で見つけたガキだ。俺に向かって躊躇なくナイフを振りかざしたとき、こいつを育てれば俺以上の殺し屋になるかもしれないとなんとなく実感した。実際に数年で俺の知り得る全ての技術と知識を吸収し、俺以上の戦闘能力を有した殺人兵器になった。
今回はそんなクラクスの初の依頼だった。
それなのに。
『九属奏』などと呼ばれている偽善者どもがしゃしゃり出てきて俺達の邪魔をしてきた。
本当はクラクスが静かに依頼を終わらせるはずだった。ロータスが付いてきたのも万が一シュウトという青年が予想以上の戦闘能力を有していた場合に備えてのはずだった。
それが実際はどうか。
俺は『九属奏』に不意を突かれてすぐに戦闘不能になり、相棒であるワイバーンのレルクに運んでもらって何とか生き延びた。同僚の中には依頼に命を懸けるような奴もいるが俺達は違う。命あっての物種だ。依頼はあくまで依頼。
もちろん失敗すれば『メリグレブ』の連中は黙ってないだろう。もう俺達にあの組織の居場所はない。しかしそんなことはどうでもいい。レルクがいれば逃げ足で俺達に勝るものはほとんどいない。あの組織はすごい額の報酬とそれに見合った依頼を斡旋するという契約のもとに俺は所属していたが、それも今回限りだ。
そもそも今回の依頼はおかしかった。殺害対象の情報は詳しく提供するように言ってあったはずだ。なのに今回の対象は使える魔法属性と仲間についてしか話されていない。
明らかにおかしかった。
しかし成功報酬の額が半端ではなかった。白金貨十枚。依頼の報酬は殺害対象によって変わるためピンキリだが、今回の報酬は俺が受ける依頼の平均の二十倍近くあった。それを三人で割ったとしても平均の六倍以上だ。
何かあると思っていたがまさか『九属奏』の連中がうろついていたとは。
それだけではない。俺が上空から見た限りロータスと殺害対象の戦闘は終わっていた。殺害対象の勝利で。ロータスをこれだけ短時間で倒せるとなると俺達にはどうにもできない。少なくとも『九属奏』がいては話にならない。
逃げて姿を隠すことにした俺達はこれから先の行動方針を決めていた。幸いなことに俺達には今までの依頼で溜めてきた莫大な金がある。この先十年は遊んで暮らせるくらいの額だ。
そんなときだった。
景色が一変したのは。
見渡す限り木々が広がる。
そこに変わりはない。
しかし町は見えない。
何が起こったのか。
そんな考えが頭の大部分を占めたとき、ふと自分の相棒であるレルクの異変に気付いた。
三級魔物に分類されるワイバーンのレルクが震えている。
今まで周りの魔物を圧倒するするほどの威圧を放っていたはずのレルクがだ。
竜種のような上級魔物は高度な知能を有するため、普通の魔族契約では人が魔族に一方的に魔力を渡すところ、魔力交換をすることができるのだ。そうすれば魔力交換による心話と同じように思いや考えを渡しあうことができる。
レルクから伝えられてくる感情は恐怖や絶望といった負の感情だ。
何が起こっているのかわからない俺はとりあえず先ほどの疲れを癒すために地上に降りるように伝えた。回復薬のおかげで出血は止まったが失った血のせいで頭が少しクラクラする。
しかしレルクは一向に降りようとしない。
「どうしたレルク? 下に何かあるのか?」
「グルゥゥ………」
やはりだめだ。
負の感情で頭が支配されている。
しかし三級魔物を怯えさせるほどの何かがここにいるのだろうか?
三級魔物を怯えさせるとしたら最低でも一級相当の魔物である必要がある。しかしここら辺にそんな上級魔物は存在しないはず。三級魔物が出るという話は聞いたが、それならレルクは怯えない。そもそも一級魔物なんかがいたらレルクはすぐにその魔物と反対側に逃げるはずだ。しかし今のレルクは周囲をふらふらと飛行しているだけだ。これではまるで周囲を魔物に取り囲まれているみたいではないか。
「クラクスは何かわかるか?」
「申し訳ありません、師匠。不穏な雰囲気を感じるだけです」
「うむ……」
クラクスも原因はわからないか。
レルクは地上に降りようとしない。しかし休憩は必要だ。
どうしたものかと考えていたそのときだった。
―――――グガァァアアアア!!!―――――
心臓が停止したと錯覚するほど底冷えのする魔物の遠吠えが聞こえた。まるで目前まで巨大な魔物の牙が迫っている、そんな想像をさせられるような。
「なんだ……今のは……………」
「…………わかりません」
さすがのクラクスも顔と身体が強張っている。いくら強いといってもそれは対人戦闘においてだけだ。魔物との戦闘も行ってきたが三級魔物などの上級魔物はワイバーンであるレルクしか見たことがないはずだ。
レルクなど今の遠吠えだけで震えが限界に達して飛行することが困難になり、ゆっくりと地上に向かって落ちていっている。幸いなことに墜落というわけではないため俺達が振り落とされはしなかった。
着地すると俺達はすぐにレルクから跳び降りて周囲を警戒した。
近くにあの遠吠えをするような魔物がいることは間違いがない。
そして周囲を見渡していると――――――感じてしまった。
未だに目視で確認できたわけではない。しかしわかるのだ。自分などが何百年生きようと決してたどり着けぬ境地に至る圧倒的存在感を。これがただの冒険者であれば気付くことはできなかったであろう。なまじ感覚が鋭かったがために感じたくなくても感じてしまったのだ。こんな感覚など知らぬまま過ごすことができたらどれだけ幸せだったであろうか。どれだけ神に感謝を捧げたであろうか。
しかし現実はそんな俺達を冷たく突き放す。
そんな圧倒的存在感を放つ何かが一体だけ前に進み出てきた。
暗がりから姿を現したのは一匹の狐だった。大きさとしては俺の膝の高さほどでとても強そうには見えない。こんな存在感さえ放っていなければ可愛くて頭を撫でてしまいそうだ。
特徴的な点と言えばその尻尾。種族はおそらく白狐だろうが普通の白狐は多くて三尾のはずだ。なのにこの白狐は尻尾が九つある。一尾の白狐より二尾の白狐、二尾の白狐より三尾の白狐のほうが強いと言われており、一尾の白狐は六級魔物で三尾の白狐は四級魔物だったはずだ。生息数もかなり少なく滅多に姿を現さないそうで、見かけたとしてもその狐皮の希少性からすぐに狩られてしまうそうだ。
そんな白狐の尻尾が九つ。おかしすぎて笑いすら込み上げてきた。もちろん声を上げたりはしない。少しでも刺激しないように息は殺している。それはクラクスも同じだ。レルクにいたっては尻尾と翼を丸めてぶるぶると震えている。
この場に第三者がいたらこう訊いてきただろう。
『なぜ先制攻撃しないのか』と。
そしたら俺はこう答える。
『できるものならやってみろ』と。
この場で攻撃できるほどの胆力を持つ者など数えるほどしかいないはずだ。狂人はこの中に含まれないが。
俺の本能が警告を発しているのだ。敵意を向ければその瞬間に命を失う結果になると。
それが的外れな予想でないことはきっとクラクスにもわかるはずだ。
仮にこの白狐を仕留めたとして他はどうするのだ。他にも多くの存在が俺達を囲っているというのに。
先ほどからレルクに飛行準備をするように伝えているが全く返事が返ってこない。
完全に俺の言葉を聞いていないようだ。
レルクこそ唯一この場から脱出できるかもしれない希望だというのに。
こうやって時間が経てば経つほど魔物が集まってきている。
なんとかしなければ。
しかし俺達は冒険者と違って魔物討伐専門ではない。これでは万に一つの脱出の可能性もない。
思考がまとまらず身動きがとれない状態で佇んでいると、暗がりから一人の男が俺達に近づいてきた。