一緒に昼食を
「最後の昼食」の続編です。
(悪いことは続くものだな…)
最近、恋人の「真紀子」と別れた一登はそう思った。このところ、友人と共同経営している弁護士事務所の運営が芳しくない。
…というよりも、裁判での功績が全く上がらないのだ。
裁判とは、すべて正義が勝つわけではない。…内容によっては、弁護士の力関係で「正義」が覆されることも多々あるのである。
ちなみに一登も、一緒に事務所を経営している友人「勝田」も、弁護士になってからまだ5年しか経っていない。ベテラン弁護士を相手に勝てる裁判は少ないと言える。
テレビ番組でも見る光景だが、弁護士によって解釈が違ってくるケースも多く、特に一登たちが請け負う離婚問題は「言った言わない」というような、小競り合いのような裁判がほとんどである。
浮気や借金と言うようなはっきりとしたものがあれば、まだ有利、不利がはっきりするのだが、最近は「ただ相手が気に入らないから」というような漠然とした理由で、離婚するケースが増えているのである。
……
勝田から「また裁判に負けた」というメールが届いた。
一登は、自分のデスクで頭を抱えた。
「もう…だめだ…」
そう呟いて、大きくため息をつきながら天井を仰いだ。このままでは、事務所の賃貸料すら払えない。
一登は、勝田にメールを返した。
『もう俺たちはだめだ。解散しよう。』
…しばらくして、勝田から『そうだな』というメールが返ってきた。
……
一方、一登の双子の弟「透」は、上司から賞賛を浴びていた。
「今月も君の業績はトップクラスだ。よくやった。」
透は、上司から差し出された手を握り返しながら「ありがとうございます。」と言った。
「…にしては、嬉しそうな顔じゃないな???何かあったのか?」
上司のその言葉に、透はぎくりとした。
「あ、いえ…。別に…。」
「頑張り過ぎて、疲れてるのかもしれんな。ま、無理しない程度に、これからも頑張ってくれ。」
「はい!」
透は、大きく頭を下げた。
……
透は帰りの電車の中で「真紀子」にメールをしていた。
『俺の気持ちはずっと変わらない。返事を待ってるから。』
「真紀子」は、元々は双子の兄「一登」の恋人だった。…だが、透がたまたま通りがかった道で、真紀子が酔っ払いに絡まれているのを見て助けた時、透は真紀子に一目惚れしてしまった。そして、一登のフリをしたまま付き合い続け、真紀子にプロポーズした。
真紀子は、一登と透が入れ替わっていることに気付かないまま、透のプロポーズをOKした。一登はそれを「愛されていない」と確信し、真紀子に本当の事を告げ、身を引いたのである。
だが、真実を知った真紀子は、透に「すべて白紙に戻して欲しい」と言い、その後、連絡を絶ってしまった。
透はそれでもあきらめずに、真紀子に毎日メールを送り続けた。
騙すようなことをしたことを謝った上で「心から愛している」とメールで送り続けた。
…だが、2週間経った今も、真紀子からは返事が来ない。
……
透は一登からのメールを見て、愕然としていた。
「弁護士事務所を畳む…?」
そう呟いた後、すぐに一登に電話を掛けた。3コールした後、兄の「透?」という声が返ってきた。
「一登!どういうことだよ!事務所を畳むって!?」
「…うん…」
「ずっとうまくいっているもんだと思ってたのに…。…何かあったのか?」
「何もないんだ。…ただ、裁判になかなか勝てなくてね。…功績が上がらないから、依頼も少なくて…。」
「!…そんな…」
透は黙り込んだ。しばらくして一登の声がした。
「真紀子ちゃんとは、いつ結婚するんだ?」
「え?」
「…いや…母さんが心配しててさ…。」
「母さんが…そう…」
両親は、真紀子が元々一登の恋人だったことを知らない。ただプロポーズのOKをもらった時、透はあまりに嬉しさに、一番に母親に言ってしまったのである。
一登が言った。
「結納とか準備をしなきゃならないのに…何をぐずぐずしてるんだって…」
「それ、どうして一登に言うんだろうな…俺は何も聞いてないよ。」
「母さんもごっちゃになってるみたいでさ。…俺に怒ってる。」
「!!」
透は言葉が出ずに、黙り込んでしまった。
「ごめん、一登…」
「いいや、間違われるのは慣れてるよ。…でも、何をぐずぐずしてるんだ。」
「…うん…」
「俺に気を遣ってるのなら、気にしなくていい。とにかく母さんたちを安心させてやってくれよ。」
「わかった…。でも一登…事務所を畳んでどうするんだよ?」
「わからない。一応貯金はあるから、しばらくはそれで食いつながなくちゃならないな。」
「一登…俺、できる限りのことはするから!お金の事でもなんでもいいから、遠慮なく言ってくれよ。」
「ありがとう。…困ったときは、また連絡する。」
「うん!」
「ありがとう。」
一登がそう言って、電話を切った。透はしばらく携帯電話を耳に当てたまま、動けなかった。
……
透は携帯電話を凝視し、悩んでいた。
…そして意を決し、真紀子にメールを打ち始めた。
……
夜-
「透…どこに行くんだよ?」
一登は、隣で車を運転する透に尋ねた。…もう3度も聞き直している。
透は神妙な表情で、黙ってハンドルを握っていた。
「透!答えろよ!」
「ついたよ」
「え?」
透はゆっくりとブレーキを踏んだ。大きな川に掛かる橋の上だった。
周囲には誰もいない。
「…なんだよ?ここ?」
「もうちょっと待って。」
透は腕時計を見ながら言った。
…しばらくして、車のライトの光が後ろから射した。
「!来た!」
透はそう言うと、ドアを開き車から降りた。一登は、離れて止まっている車を振り返って見た。
タクシーだ。
…そして、そのタクシーから降りてきたのは「真紀子」だった。
「!?」
一登は目を見開いた。
その時、透がドアから顔を覗かせ「一登、降りろよ。」と言った。
「!…透…どうして!?」
「いいから、降りろよ。」
透はそう微笑んで言うと、去って行くタクシーから駆け寄ってくる真紀子に手を振った。
一登はためらいながらも、助手席から降りた。
真紀子は一登の姿を見て、ぎくりとしたように立ち止まった。
「真紀子ちゃん…ごめんよ。」
透が一登の背を押しながら、目を見開いたまま動かない真紀子に言った。
「また騙したようになっちゃったけど…兄貴と今、話するから、ちょっと待ってて!」
真紀子は、かばんを両手で抱きしめるようにして立ちすくんでいる。
透は、同じように体を強張らせている一登に、背中から言った。
「…一登が事務所を畳むって話…真紀子ちゃんにメールしたんだ。」
「!?」
一登は驚いて、透に振り返った。
「どうしてそんなこと!」
「ごめん一登…。黙ってたんだけど…俺、真紀子ちゃんとは、あれからずっと会ってなかったんだよ。…プロポーズも白紙に戻してくれって言われてさ。」
「!?」
一登は目を見開いた。透は、その一登の目を見返しながら言った。
「あのさ、一登…。…確かに真紀子ちゃんは、俺と一登が入れ替わってる事に気づかなかったけど…それだけで、一登の事を愛してないってわけじゃないんじゃないかって…俺、思ってさ。」
「!…」
「俺は真紀子ちゃんの事、今でも愛してる。…でも、愛されないのに無理やり一緒になったって…真紀子ちゃんが幸せになるとは限らないんじゃない?」
「透…」
「真紀子ちゃんが本当に愛してるのは、一登なんだよ。入れ替わったことに気づかなかった事だって、真紀子ちゃんが、それだけ一登を信じてたって事だと思うんだ。…悪いのは俺たちだ。真紀子ちゃんには何の罪もない。…そうだろ?」
透を見つめる一登の目から、涙が零れ落ちた。
「透…」
「さぁ!やり直しだ!」
透は涙をこらえるような表情でそう言うと、一登の体を真紀子のいる方へ向けた。
「一登、今でも真紀子ちゃんの事、愛してるだろ?…真紀子ちゃんだって、ずっと一登への気持ちは変わってない。」
真紀子は涙をこぼし、震えながら立ち尽くしていた。透は一登の背中を突いた。
「ほら行けよ!」
「透…」
「行けってば!!」
透は、思わず涙をこぼしながら一登の背を突いた。一登は「だめだ!」と言って、透に振り返った。
「俺、今仕事がないんだぞ!!それよりか、仕事を持ってるお前の方が真紀子を幸せに…」
「真紀子ちゃんは、一登が事務所を畳むのを知って、来てくれたんだぞ!!」
「!!」
「俺が何度も「愛してる」ってメールしても返事すらくれなかったのに…一登の事書いただけで、タクシー飛ばして来てくれたんだぞ!」
一登はうつむき、嗚咽を堪える表情を見せた。透は、一登の両肩を掴んで言った。
「それって、本気で一登を愛してるって事だろ!?」
思わず泣き出している一登の体を、透は真紀子に向けた。
すると真紀子の方が駆け出して、一登の体に抱きついた。
「!!…真紀子…」
一登は体を強張らせた。
「ごめんね、一登…」
真紀子が泣きながら言った。一登はためらいながらも、真紀子の体を強く抱いた。
それを見た透は、大きく息をつきながら涙を拭った。
そして、やっと微笑むことができた。…良かったと、本心から思った。
……
「兄貴、兄貴!これ、どこに置く!?」
大きなパソコンデスクを担いだ透が、一登のマンションのリビングに入りながら言った。
「ああ、それは奥の…って、透…お前、すごい力だな!」
一登のその言葉に、隣にいた真紀子も振り返って笑った。透は、テーブルの重さで腕がぶるぶると震え出したのを感じながら、叫ぶように言った。
「褒めるのはいいから、早くどこか言ってくれよ!」
「ごめんごめん!それ、一番奥の…そうそこに置いてくれ!」
「わかった!」
透は真紀子が誘導した場所に「よいしょっと」と言って、テーブルを置いた。
「あー腹減ったー!」
透が肩を回しながら言うのを聞いて、真紀子が「そうね」と言った。
「じゃぁ、もうお昼にしましょうか。」
「やった!真紀子ちゃんのお弁当ー!」
透が両手を上げて喜んだ。一登と真紀子は顔を見合わせて笑った。
……
「あ、そうそう!大事な事忘れてたよ、兄貴。」
透が小芋を口に放り込みながら言った。
「ん?」
一登は茶を一口含んで、透に向いた。透はジーパンの後ろポケットから、一切れの紙を取り出しながら言った。
「俺、今日の新聞で広告見つけたんだよ。「協力してくれる弁護士募集」っての!」
「えっ?」
一登は透から紙を受け取り、呟くように読み上げた。
「「アスベスト問題の裁判に協力してくれる弁護士募集」?」
「うん。この中心になってる「相田」って弁護士が、すごい若いのにやり手らしくてさ。…どうかなって思って。行ってみたらどうだい?」
「…そうだな…」
一登の目が輝いたのを見た透は、微笑みながら真紀子に親指を立てた。
真紀子が嬉しそうにうなずいた。
(終)