2.金のランタン
金の鬼火が見えたなら
その後ろの方もよく見てごらん
もうひとつの青白い鬼火も見えるだろう
青白い鬼火は人の魂
金の鬼火は迎え火のともしび
人の魂をあの世へと導く
金のランタンを持った
ちいちゃなちいちゃな
虹色の髪と金の瞳の女の子だよ
「さ、おじいさんの好きな鶏のクリームスープですよ。たんと召し上がってくださいな」
ソールの母親はそう言うと、ソールのおじいさんが半身を起こしているベッドの上に、温かな湯気をたてているスープと、焼きたてでやはり温かい、ソールの大好きな干しブドウ入りのロールパンを乗せた盆を置いた。
「ああ、ありがとう。すまないね」
それにソールのおじいさんはにっこりと笑った。そして手を組んで、神様に短くお祈りをすると、
「さあ、いただこうかな」
と言って、スプーンでスープをひとすくいして、おいしそうにそれを口にした。
「おいしい?」
ベッドの横の椅子に座り、おじいさんを見ながら、ソールはたずねた。
はじめはおじいさんの朝御飯の邪魔をしてはいけないと母親に言われたが、一人で御飯を食べるのは寂しいから一緒に食べよう、とおじいさんが言ったので、こうしてそばにいてもいいことになったのだった。
「ああ、おいしいとも。おまえのかあさんは、とても料理が上手だからね」
ソールの言葉に、おじいさんはもう一度、にっこりと笑った。
ソールのおじいさんは、ずっと木こりをしていた。そしてソールの父親も。
二人はずっと森で木こりをして働いていて、おじいさんは今までにたいした病気などした事はなかった。が、おじいさんは前から少しずつ悪くなってきていた腰がとうとうとても痛みだして、昨日からずっとべッドで寝ていた。
「そら、干しブドウパン、お前好きだろう?ひとつお食べ」
おじいさんは三つのロールパンのうちのひとつを取り、ソールに差し出した。
「駄目だよ、おじいちゃん」
それにソールは言った。
「みんな食べないと」
しかし、おじいさんはにこにことしながら言った。
「いいんだよ。じいちゃんはこんなに食べられないから」
「でも、いつもは三つも四つも食べてたじゃない?おいしい、おいしいって」
ソールはつい数日前までのおじいさんを思い、小首をかしげた。
「じいちゃんは今病気だからね」
おじいさんは静かに笑いながら、なぜか悲しそうにも見える顔をして、ソールの頭をなでた。
「いつもみたいに、お腹は減らないんだよ」
「ふうん……。でも、いっぱい食べないと、元気になれないよ?」
大好きなブドウパンならいくらだって食べられるが、おじいさんのためにソールは言った。
「そうさなあ。すぐにでも元気になって、またおまえと遊びもしたいがなあ」
おじいさんはソールの頭をなでながら、ますます悲しそうな、寂しそうな顔をして、宙を見つめた。
「もうお迎えが来てもいい頃だろうからな」
おじいさんの言った聞き慣れない言業を、ソールは繰り返した。
「“お迎え”?」
「ああ」
おじいさんはにっこりと笑ってソールを見下ろした。
「持って生まれた自分の人生をちゃんとまっとうするとな……最後にはちゃんとお迎えが来てくださるんだよ。あの世へ迷わずに行けるようにな」
「?」
ソールには何の事だかさっぱりわからなかった。
「金のランタンを下げた、ちいこい迎え火さんがなあ」
「金のランタン?」
「ああ」
おじいさんはうなずいた。
「ソールのところにも……来た事があったなあ。おまえは覚えておらんだろうが。
おまえがまだ赤ん坊の頃、咳と高い熱が出る流行り病にかかって危なくなった時、おまえの枕元に迎え火さんが来なすって……わしは思わず追い払ろうてしもうた。
迎え火さんには悪かったが、まだ赤ん坊のおまえをあの世にやるわけにはいかんでなあ。
今度迎え火さんがわしのところにおいでになった時は、喜んでお迎えせねばな」
「“迎え火さん”が……おじいちゃんのところに?」
「ああ」
おじいさんはうなずいた。
「そうさなあ……もうじきにいらっしゃるかもしれんなあ。今度金の光が空から下りて来たら」
おじいさんは、悲しそうな、寂しそうな顔をしているのに、なぜだか口元だけは笑って言った。
「それはじいちゃんの迎え火さんかもしれんなあ」
「…………」
ソールはおじいさんを見上げながら、おじいさんの言う“金の光”とは、いったいどんなものなのだろう、と思った。
その日。
ソールは外へ遊びに行かず、ずっとおじいさんのそばにいて、そして自分の寝る時間が来ると、いつもの様にみんなにおやすみを言って、自分の部屋のべッドにもぐり込んだ。
そしてしばらくした頃……
ソールはぽかりと目を覚ました。
眠っている途中で目を覚ますだなんて、今までにはなかった事だった。
「…………」
ソールはべッドの中から、暗い部屋を見まわした。
どうして目が覚めたのか、自分でも分からなかった。眠ってから、どれくらい経ったのだろう?
母親や父親やおばあさんの声も聞こえない。もうみんな眠ってしまったような、真夜中なのだろうか?
ソールは月明かりが射し込む、窓の外を見た。と、その時……
「……?」
窓の外に、何か……?
ソールはべッドの上に起き上がった。
窓の外の暗闇に、小さな金の光が、ふうわりと走ったような……?
金の光……。
ソールはべッドから抜け出すと部屋から出て、こっそりとおじいさんとおばあさんの部屋へと向かった。
家の中は真っ暗で、やはりみんなはもう眠ってしまっていた。
真っ暗な家の中は、知らないよその家の様だった。
自分の家がお化け屋敷の様にも思えて、なんだか怖いなと思いながらも、ソールはおじいさんたちの部屋の前に立つと、ドアをそおっと開けて、おばあさんのべッドの向こうの、おじいさんの眠っているベッドの上を、細く開けたドアの隙間から見つめた。
するとおじいさんの枕元には……
小さな、金の光がやって来ていた。
「……!」
金の光。
ほんとうだ?
ソールは思わず息をのんだ。
しかしどういうわけか、怖いとは思わなかった。
その光は、空の星が空からそのまま舞い降りてきた様な、とっても綺麗な輝きだった。
そしてソールが見ているなか、金の光はおじいさんに何かを言う様にまたたいた。それは、
『おじいさん、お加減はいかが?』
とでも言っている様に、ソールには思えた。
そしておじいさんはその金の光のまたたきに、青白い月明かりのなか、目を閉じてベッドに横たわったまま、にっこりと笑った……様にソールには見えた。それはとても幸せそうな笑顔だった。
次の日の朝。
ソールのおじいさんは、真夜中にソールが見た笑顔のまま、亡くなっていた。
次にソールが“迎え火”の金の光を見たのは、それから二年後だった。
その年の終わりごろ、ソールの村にも、隣の村にも、そのまた隣の村にも、ひどい咳と高い熱が出る病気がまた大流行りして、身体の弱い者や、お年寄りや、小さな子供がたくさん死んだ。
ソールの家族もその流行り病にかかってソールのおばあさんが亡くなり、ソールも高い熱が何日も続いたが、ソールは助かった。
その、ソールが熱を出してベッドで眠っていた時のこと。
ソールの枕元に、ぽっと金の光が灯った。
「……?」
熱でぼんやりとした頭の中で、ソールはその金の灯の方を見た。
いや、目を開けてそちらを見たわけではなかったが……目を開けて見なくとも、なぜだかその金の灯を見る事が出来た。
そしてそこには
小さな小さな金に輝くランタンを持った、これまた小さな……ソールのてのひらの上に乗っかるほどの、白いスモックを着た女の子がいた。
女の子はランタンの金の光の中に虹色の髪をゆうらりとなびかせ――ランタンの光と同じ金の瞳で、ソールの顔をのぞき込んでいた。
ソールははじめ、その女の子が、絵本に出てくる妖精だろうかと思った。だが、女の子の背中には、妖精の様な透明な羽はついていなかった。
女の子は、金に輝くランタンを持って、ふうわりと宙に浮かんでいた。
(君、だあれ?)
ソールは声に出す事なく、女の子に言った。
(私?)
女の子は優しい声で言った。
(私は“お迎えのランタン持ち”よ)
(“ランタン持ち”?)
(そう)
女の子はにっこりと微笑んだ。
(君は……妖精なの?羽は無いけど?)
(ううん)
女の子は首を振った。
(前は私もあなたと同じ、人間だったのよ)
(ぼくたちと同じ……?)
ソールは首をかしげた。
(ええ。私たちの事、誰かに聞いた事、なぁい?)
(うん……金のランタンの迎え火さんって、おじいちゃんに)
(それだけ?)
(うん)
(私たちはねえ)
女の子はソールの枕元を、ふうわりと一周した。
(まだ残りの人生がいっぱいあるのに、自分で命を絶ってしまって……天国にも行けなくて、もちろんもう生き返る事も出来なくて、この世とあの世の間を、ずーっとさまよっている魂なのよ。で、自分の行いをつぐなっていつか天国に行けるよう、人生をまっとうした人達の魂をあの世の入口まで案内しているの。修行なのよ。これって)
(ふぅん……いっぱい案内しないといけないの?)
ソールはたずねた。
(ええ。いーっぱい、ね。あの世の入口が、私も通してくれるまで)
女の子は、なんだか大変そうに、ため息まじりに言った。
(…………)
(私、前にもあなたに会った事、あるのよ)
女の子は、再びにっこりと笑った。
(あなたがまだ赤ちゃんの頃、今の病気とおんなじ病気になっちゃった時)
(ほんと?)
(ええ。でも……)
女の子は言った。
(赤ちゃんの時も、今も、私が案内するには、あなたはまだ早いみたい)
(まだ早い?)
(ええ)
女の子はうなずいた。
(早く元気になってね。さよなら)
女の子はもう一度にっこりと笑い、ランタンを高くかかげてくるりとソールの周りを大きく回ると……
金の灯は消えた。
それからしばらくしてソールが目を覚ました時、高かったソールの熱は、すっかり下がっていた。
そしてその晩、ソールがベッドの上でミルクのお粥を食べていて、ふと窓の外を見ると
窓の外には、小さな金の光がいっぱい飛び交っていた。
「かあさん」
それを見ながら、ソールは言った。
「今晩はあんなに“迎え火”さんが飛んでるね」
と、その言葉に、母親は驚いた様な顔をしてソールを見つめた。
「ソール。おまえ……“迎え火”が見えるのかい?」
「うん?」
「まあ、ソール」
母親は言った。
「おまえ、それを他の人に言ってはいけないよ。“迎え火”が見えるって」
「どうして?」
「“迎え火”は、他の人には見ないんだよ。普通はね。おまえのおじいちゃんも時々見えていた様だけど……。いいかい、仲良しのマーニたちにも言ってはいけないよ。マーニたちが怖がるから。いいかい?」
「うん……」
ソールはうなずいた。
母親と約束した通り、それから金の迎え火が見えてもソールは人には言わず、大人になって、おじいさんの形見の斧をふるう木こりになり、幼なじみのマーニと結婚して、ソールの小さい頃とそっくりな顔をした赤ん坊も生まれた。
そしていつもの様に父親と一緒に森に入ったある日……。
ソールは倒れてきた大木の下敷きになった。
「ソール!」
どこかで父親の声が聞こえた。が、覆いかぶさってきた木の枝の下で気が遠くなってゆき……
そしてふと気がつくと、何やら頭の上の方で金の灯がともっていて、誰かが自分に呼びかけていた。
(ソール!しっかり……さい!あなたはまだこんなところで……)
あの流行り病になった時と同じ様に、目を開ける事なくその声の方を見ると……今度もあの金のランタンを下げた小さな女の子がいた。
女の子はソールにむかって、必死に呼びかけていた。
(ソール!駄目よ、しっかりして!あなたには奥さんや赤ちゃんもいるんでしょう?まだこっちへ来ては駄目よ!あなたにはまだもっともっと時間が残されて……)
(…………)
ソールは女の子に何かを言おうとした。
しかし、何も言えないうちにまた気が遠くなって、そして次に気がついた時には、
「ソール!」
自分の顔をのぞき込んで叫んでいるのは、あのランタン持ちの女の子ではなく、父親だった。
「そら、しっかりしろ!」
ソールは担架にのせられて、山道を下ってゆくところの様だった。
「父さん……?」
担架の横に付き添って、とても心配そうな険しい顔をして、自分を見下ろしている父親にソールは言った。
「ああ、そうだよ。しっかりしろ。左足の骨が折れたが他は無事だ。治療師によく診てもらおう」
父親はソールの手を握って言った。
「うん……ごめんよ。俺、へマしちゃったんだね」
ソールは父親の手を握りかえして言った。
そして、自分の周りにあの金の灯を探して、あたりをぐるりと見回した。
だが、金の光は、もうどこにも見えなかった。
それからソールはまた元気になって木こりを続け――父親と母親の迎え火をお迎えして悲しい目もしたが、そのかわりに子供も孫もたくさんできて、ソールはいつもにぎやかで暖かな家の中で、とても幸せだった。
そしてお日様の光をいっぱいに浴びた様なソールの金の髪が、すっかり白くなってしまった頃……
(こんばんは、ソール)
ソールの枕元に、あの金のランタンを下げて、女の子がまたやってきた。
ソールはすっかりおじいさんになってしまっていたのに、女の子は、はじめて会った時とまったく変わってはいなかった。
女の子はあの日と同じ、虹色の髪をゆうらりと揺らし、金の瞳でにっこりとソールに笑いかけた。
(あっという間だったけど、とってもいい人生だったわね)
(ああ)
ソールもにっこりと笑ってうなずいた。
(とっても幸せだったよ)
ソールは今までの事を思って言った。
少しくらいは嫌な事や、辛い事や、悲しい事もあったが……今となっては、そんな事はたいした事でもなかった様に思えた。
何しろ、それよりももっとたくさんの、楽しかった事や、嬉しかった事から生まれた、とても大事な思い出を両手いっぱいに得る事ができたと思えていたから。
(ねえ、ソール、聞いて)
そのソールに、女の子はとても嬉しそうに言った。
(私のお迎えはね、とうとうあなたで最後になったのよ)
女の子はランタンの金の光をまき散らし、くるくるとソールの枕元を舞った。
(最後?)
(ええ、そう)
女の子はうなずいた。
(私もやっと、あの世への入口に入る事が出来るのよ。お許しが出たの)
(へぇ。よかったね)
ソールは少しばかり驚いて言った。
(ありがとう。だからあなたをあの世への入口まで送ったら、私も一緒に入口に入ってゆけるの。ねぇ、一緒に入口に入って行ってくれない?私一人じゃあ、なんだか心細いもの)
(ああ、もちろんだよ。よかったね。おめでとう)
ソールはもう一度にっこりと笑って言うと、女の子に手を差し延べた。
(じゃあ、行こうか?)
(ええ)
たしか女の子はソールよりもずっと小さかったはずなのに、ソールが小さくなったのか、それとも女の子が大きくなったのか、差し出したソールの手と女の子の手は、ちょうど同じくらいの大きさで、ちゃんとおたがいの手を握る事ができた。
女の子はソールの手をとると、高くランタンをかかげ、ふわりと空へ舞い上がった。
屋根をするりと通り抜け――星々がさんざめく夜空へと。
翌朝。
「おじいちゃん?」
幼い頃のソールそっくりなソールの孫が、いつもの時間になっても起きてこないソールの様子を見に、部屋へとやって来た。
そして孫がべッドのソールに飛びつくと、ソールの身体はすでに冷たくなっていた。
満面に幸せそうな笑みを浮かべて。
「…………」
孫はそのソールの顔を見て、いつもおじいちゃんが言っていた“お迎えの金の光”がおじいちゃんのところに来たのだとわかった。
「かあさん!」
おじいちゃんに“お迎えの金の光”が来たと、孫はみんなに知らせに行った。




