初めての回転寿司へ行く
部長捜索事件から三日が過ぎていた。
グリーンハイツドラゴンはいつもの日常を取り戻している。
窓際には部長。
共有スペースには古い扇風機。
夕方になると住人たちが自然と集まってくる。
変わらない光景だった。
ただ一つだけ変わったことがある。
部長の首輪だ。
青い首輪には小さなGPSタグが付いている。
本人は不満そうだった。
だが誰も外してくれない。
自業自得だった。
その日の夕方。
仕事を終えた葵は共有スペースのソファへ倒れ込んだ。
外はまだ明るい。
七月に入ったばかりの夏の日差しは長かった。
エアコンの風が気持ちいい。
グリドラで唯一まともに機能する文明の利器だった。
「疲れた……」
誰に言うでもなく呟く。
すると向かいのソファでスマホを触っていたしおりが顔を上げた。
「お疲れ」
短い。
だが珍しく労いの言葉だった。
葵は少し笑う。
最近、しおりも少しずつ変わってきている気がした。
その時だった。
キッチンにいた瀬玲奈が困ったような顔でこちらを見る。
「実は相談があります」
珍しい。
普段の瀬玲奈は相談する前に全部自分で解決しようとするタイプだ。
だから葵も自然と姿勢を正した。
「どうしたの?」
瀬玲奈は少しだけ言いにくそうに口を開く。
「お寿司を食べてみたいです」
共有スペースが静かになった。
寿司。
そういえば。
誰も連れて行ったことがなかった。
現代の食事にはかなり慣れてきた。
コンビニも知っている。
ファミレスも経験した。
ハンバーガーも食べた。
だが寿司はまだだった。
「回転寿司?」
葵が聞く。
瀬玲奈は頷いた。
その目は少し期待に満ちている。
どうやら前から気になっていたらしい。
「テレビで見ました」
そう言って指差した先には昼間の録画番組が映っていた。
回転寿司特集。
なるほど。
原因はそれか。
莉愛奈も興味を示した。
「魚を生で食べる文化ですよね」
「そうだね」
「本当に美味しいのですか?」
「美味しいよ」
「気になります」
有斗も静かに話を聞いていた。
実は彼も寿司は未経験だった。
ノクスフィアにも魚料理はある。
だが生で食べる文化はなかった。
つまり。
興味はある。
かなりある。
そんな有斗を見て、葵は少し笑った。
「有斗も気になる?」
「少し」
その答えを聞いて、全員が察する。
少しどころではない。
興味津々だった。
結局。
話は五分でまとまった。
今から行こう。
休日を合わせる必要もない。
回転寿司くらいなら夕飯で済む。
こういう時のグリドラは決断が早かった。
三十分後。
一行は近所の回転寿司チェーンへ来ていた。
店内は賑わっている。
家族連れ。
学生。
仕事帰りの会社員。
様々な人で席が埋まっていた。
有斗は店内を見渡す。
そして。
目を丸くした。
寿司が回っていた。
本当に回っていた。
レーンの上を皿が流れていく。
赤身。
サーモン。
えび。
まぐろ。
次々と目の前を通り過ぎていく。
「すごいな……」
思わず本音が漏れた。
瀬玲奈も同じだった。
目が輝いている。
完全に観光客だった。
席に案内される。
目の前にはタブレット。
そして回転レーン。
有斗は少し落ち着かない。
初めて見るものばかりだった。
葵は慣れた手付きで注文画面を開く。
「好きなの頼んでいいよ」
その一言で空気が変わった。
十分後。
テーブルは大変なことになっていた。
瀬玲奈。
サーモン。
サーモン。
サーモン。
サーモン。
好きすぎる。
莉愛奈。
まぐろ。
はまち。
たい。
堅実だった。
しおり。
デザート。
ポテト。
デザート。
寿司が少ない。
そして有斗。
真剣だった。
まるで戦術会議をしているような顔で寿司を見つめている。
「どう?」
葵が聞く。
有斗はサーモンを一口食べた。
静かだった。
数秒。
何も言わない。
瀬玲奈が不安そうになる。
「勇者様?」
有斗はゆっくり顔を上げた。
「美味い」
その一言に全てが詰まっていた。
それからだった。
有斗の皿が増え始めたのは。
まぐろ。
サーモン。
えび。
まぐろ。
サーモン。
止まらない。
葵は思わず笑った。
ホームセンターで働き始めた時より楽しそうだった。
窓の外はすっかり暗くなっている。
夏の夜だった。
グリドラの住人たちは笑いながら寿司を食べる。
ただそれだけの時間。
だが。
有斗はふと思った。
ノクスフィアへ帰る方法はまだ分からない。
未来も分からない。
それでも。
こういう時間は嫌いじゃなかった。
むしろ。
ずっと続けばいいと思うくらいには。
テーブルの上には空になった皿が積み上がっている。
その中でも一番多かったのは。
やはりサーモンだった。
その夜、帰宅した有斗たちが気付くことはなかった。
道路の向かい側。
停車した黒い車の中から。
一人の男がアパートを見上げていたことを。
男は何も言わない。
ただ静かにグリーンハイツドラゴンを見つめていた。




