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仲介屋は煙草を巻く  作者: colove
ep02「面子の値段」

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第5話「両替商の忠告」

 ドルクの工房は、中層区の路地の奥にある。鍛冶屋の看板は出していないが、近隣の住人は皆知っている。夜でも炉の火が落ちないこの工房を、知らない人間はいない。


 萌月十一日の夜。作業場の片隅に置かれた木箱に腰を下ろして、安酒の杯を傾ける。ドルクは金床の前で鉄を打っている。火花が散るたびに、巨漢の腕の火傷の跡が炉の明かりに浮かび上がる。無表情な横顔には何の感慨もない。ただ鉄を打つ。鉄が形になるまで、ひたすら打つ。


「今日のは何だ」


「鋤」


「農具か」


「ああ」


 会話が終わった。これでいい。ドルクとの晩酌に多くの言葉はいらない。安酒と鉄の音。それだけで十分だ。


 干し肉を齧りながら、炉の熱に背中を温める。外は萌月の夜風が冷たい。工房の中だけが別の季節のように暖かい。この暖かさと沈黙が、週に一度の贅沢だ。金はかからない。酒は持参だし、ドルクは何も要求しない。ただ、同じ空間にいることを許してくれる。


 ドルクが鉄を水につけた。じゅう、と音がして白い湯気が立ち上る。


「帰れ」


「もう追い出すのか」


「女房が寝る」


 ドルクの妻の名前は知らない。聞いたことはあるが忘れた。小柄で穏やかな人だということだけ覚えている。ドルクが「帰れ」と言ったら帰る。それがこの晩酌の作法だ。


「じゃあな」


「ああ」


 工房を出ると、夜の冷気が酒気を含んだ頬を叩いた。星が出ている。萌月の夜空は、冬ほど澄んではいないが、雲が少ない分だけ星の数が多く見える。


 中層区の自宅まで歩いて帰る。酒は二杯しか飲んでいない。千鳥足にはならない程度だ。通りの屋台はもう閉まっていて、石畳に残った焼き栗の灰が風に舞っていた。


 翌朝。


 事務所の扉を叩く音で目が覚めた。枕元の時計を見ると、朝の鐘が鳴る前だ。こんな早い時間に来る人間は限られている。レーネなら叩かずに開ける。マルタなら怒鳴る。ということは、客だ。


 階段を降りて扉を開けると、一人の女が立っていた。


 端正な顔立ち。隙のない身なり。仕立てのいいアシュガル風の上着に、革の手袋。微笑みを浮かべているが、目は笑っていない。目の奥で何かを計算している。そういう目だ。


「おはよう、ヴェルナーさん。お久しぶりね」


 セリーナ。


 アシュガル商会レーベン支部代表。元アシュガル軍情報部——俺の後輩だった女だ。


「……久しぶりだな。何年ぶりだ」


「二年と少し。前に中央市場で会ったのが最後よ」


 覚えていない。いや、覚えているが、挨拶を交わしただけだ。セリーナは軍を辞めた後に商会に転じ、三年前にレーベン支部の代表に就任した。有能で、野心的で、合理的。軍時代から変わっていない。変わったのは、微笑みの裏がさらに読みにくくなったことくらいか。


「中に入ってくれ。散らかっているが」


「知ってるわ。あなたの整理整頓の能力は、軍時代から絶望的だったもの」


 余計なお世話だ。


 事務所の椅子にセリーナを通し、棚から茶の道具を出した。二番煎じだが、ヘルマンの茶よりはましだろう。いや、ヘルマンの茶のほうが上等か。比較するのはやめておく。


 セリーナは椅子に座り、手袋を外さないまま室内を見回した。値踏みをしているのか、状況を確認しているのか。たぶん両方だ。


「提案があるの」


「提案ね。セリーナ、お前の提案は大体面倒だ」


「面倒でも、報酬は出すわ。十五クローネ」


 十五クローネ。家賃一ヶ月分。先日のユルゲンの件と合わせれば、今月は珍しく黒字になる。


「話を聞こう」


「セレナードの巡礼団が、五日前にレーベンに到着したの。四十名ほどの一行で、東方の聖地巡礼の途中。うちの商会が巡礼団に食料と日用品を納入する契約を結んでいたのだけど——納品は完了したのに、先方が代金の支払いを拒否しているの」


「理由は」


「品質が契約と異なる、と主張しているわ。三十クローネの取引よ。金額は大きくないけれど、放置すると商会の信用に関わる。かといって、衛兵や評議会に持ち込むとセレナードとの外交問題になりかねない」


「中立の仲介人が必要、と」


「そういうこと。条件次第ではなく、あなたが適任だから依頼しているの。両方の言葉と文化を知っている人間は、このレーベンではあなたくらいだわ」


 セリーナの言葉は正確だ。正確すぎて、裏を探りたくなる。報酬は妥当。依頼内容も理にかなっている。だが、セリーナが「適任だから」と言う時は、大抵もう一つ理由がある。


「昔の話はやめよう。仕事の話だけでいい」


「ええ。私もそのつもりよ」


 セリーナが微笑んだ。その微笑みの裏が読めない。読めないのは、読ませないようにしているからだ。軍時代から、この女はそうだった。


 扉が開いた。蝶番が悲鳴を上げる——レーネだ。


「先生、おはようっす! ……あれ、お客さん?」


「アシュガル商会のセリーナだ。仕事の依頼人だ」


 レーネがセリーナをまじまじと見た。セリーナも軽く会釈する。


「あなたが助手のレーネさんね。ユルゲンから聞いているわ」


「あ、どうもっす」


 レーネが俺の後ろに回り込んで、小声で囁いた。


「先生の元同僚っすか。綺麗な人っすね」


「あの手の人間は、綺麗なほうが怖い」


「……マジっすか」


 マジだ。


 セリーナは茶を一口だけ飲んで、立ち上がった。二番煎じの味に何か思うところがあったのかもしれないが、顔には出さない。そういうところも変わっていない。


「巡礼宿の場所はご存じでしょう? 商業区の大通り、うちの商館の向かいよ。巡礼団の世話役に話を通してあるから、ヴェルナーさんの名前を出せば会えるはず」


「わかった」


「期待しているわ」


 セリーナが外套を翻して扉を出ていった。革靴の音が石畳に響いて、すぐに遠ざかる。歩き方まで隙がない。


 前払いの銀貨七枚半を机の上に並べた。七クローネ半。残りは解決後。悪くない。


「先生、あの人なんか怖かったっす。笑ってるのに笑ってないっていうか」


「勘がいいな。覚えておけ。あの手の人間と仕事をする時は、言葉の裏を常に考えろ」


「先生も、あの手の人間じゃないんすか」


「俺はもっと単純だ。ツケの心配をしている人間に裏はない」


 レーネが笑った。笑いながら外套を取りに行く。


「で、巡礼宿っすか。行きましょうよ」


 商業区へ向かう道は、中層区から緩い上り坂になる。午前の日差しは暖かく、通りの店先では花月の仕入れに向けた品が並び始めていた。焼きたてのパンの匂いが路地から漂ってくる。腹が鳴った。朝飯を食いそびれたのはセリーナのせいだ。


 商業区に入ると、両国の商館が大通りの左右に向かい合うように建っている。西側にアシュガル商館、東側にはセレナードの巡礼宿。交易と信仰。金と祈り。レーベンという街の性質が、この一本の通りに凝縮されている。


 セレナード巡礼宿の前に立つと、空気が変わった。門の向こうから、微かに香の匂いが漂ってくる。アシュガル商館の乾いた実務的な空気とは対照的な、静謐で、どこか閉じた空間。セレナードの文化が、この異国の街の中に小さな飛び地を作っている。


「先生、なんか静かっすね」


「祈りの場所だからな。——行くぞ」


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