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仲介屋は煙草を巻く  作者: colove
ep01「十クローネ」

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第4話「十クローネの結末」

 昼前にレーネから連絡が来た。


 中層区の自宅で焼き栗を齧りながら待っていると、表の通りからレーネの声が聞こえた。窓から顔を出すと、息を切らした助手が手を振っている。走ってきたのはいつものことだが、今日は顔つきが違う。獲物を見つけた猟犬の目だ。


「先生、見つけたっすよ!」


「上がってこい。近所迷惑だ」


 レーネが階段を駆け上がってきて、机に両手をついた。


「港区の安宿を片っ端から当たったんすけど、河岸通りの外れにある『錨亭』って宿に、一昨日の夕方から泊まってる船員風の男がいるっす。宿の主人に聞いたら、でかい木箱を部屋に持ち込んでて、やたら部屋から出たがらないって」


「木箱の大きさは」


「両腕で抱えるくらい、って言ってたっす。ユルゲンの倉庫にあった箱と同じくらいっすかね」


 十中八九、それだ。


「その男の様子は」


「がっしりした体格で、アシュガル風の服。宿の主人いわく、金払いはいいけど目が泳いでるって。落ち着かない感じだったらしいっす」


 金払いがいい。そうだろう。銀貨十枚もらったのだから。だが、盗んだ荷をどうするかの算段がついていない。だから宿に籠もっている。買い手が見つからないか、あるいは買い手との連絡を待っているか。


「レーネ、一つ聞く。その男は武装しているか」


「宿の主人は見てないって言ってたっす。でも船乗りなら短刀くらいは持ってるんじゃないっすかね」


 短刀程度なら問題ない。問題は、追い詰められた人間が何をするかだ。


「行くぞ。ただし、俺が話をする。お前は外で待て」


「えー、あたしも行きたいっすよ」


「外で待て。万が一、その男が逃げ出したら追いかけるのはお前の仕事だ。俺の脚では追えない」


 レーネが不満そうに唇を尖らせたが、頷いた。こういう時の判断は素直に従うところが、この助手の美点だ。


 港区に向かう道は、昼の日差しで暖かかった。中層区の通りでは、屋台の焼きソーセージが白い煙を上げている。腹が鳴る。朝の焼き栗では足りなかったらしい。帰りに一本買って帰ろう。


 錨亭は、港区の安宿街の外れにあった。河岸通りから一本裏に入った、薄暗い路地に面した二階建ての木造の宿だ。壁の漆喰が剥がれかけていて、看板の錨の絵も半分消えている。一泊三ペニーといったところか。船乗りと季節の労働者が使う類の宿だ。


 レーネを路地の角に残し、宿に入った。


 受付の主人——五十がらみの、疲れた顔の男——に銅貨を二枚置いて、件の船員の部屋を聞いた。二階の突き当たり。階段を上がる。廊下は薄暗く、木の床が足元で軋む。


 突き当たりの扉の前に立つ。中から物音はしない。


 扉を叩いた。


「……誰だ」


 低い声。警戒している。当然だ。


「仲介屋のヴェルナーだ。港区で荷物を探している。話がしたい」


 沈黙。数秒。それから、錠が外れる音がした。


 扉が細く開いて、隙間から男の顔が覗いた。三十前後。日に焼けた肌、太い首。船乗りの体格だ。目が泳いでいる。レーネの報告通り——いや、もっと怯えている。逃げるか留まるか、まだ決めかねている顔だ。


「何の用だ」


「中で話せるか。廊下は人目がある」


 男が唇を舐めて、それから扉を開けた。


 狭い部屋だった。寝台と小さな卓があるだけ。そして、寝台の脇に——木箱が一つ。アシュガル商会の焼印が押されている。ユルゲンの倉庫で見た二つの箱と同じものだ。


 男は部屋の隅に立ったまま、右手を腰の短刀に置いていた。


「俺はギルドの人間じゃない」と、俺は卓の前に立ったまま言った。「衛兵でもない。荷の持ち主に頼まれて探しているだけだ」


「……それで」


「荷を返してくれれば、それで終わりだ。お前が誰で、なぜやったかは、俺の知るところじゃない」


 男の目が木箱と俺の間を行き来した。


「だが」と、俺は続けた。「俺の代わりに衛兵が来たら、話は変わる。無届けの魔導具の窃盗だ。評議会の法では牢屋行きになる。レーベンの牢は、冬でも毛布が一枚しか出ない。あまり居心地はよくないと聞いている」


 男の手が短刀から離れた。


「……あんた、中身を知ってるのか」


「知っている。だから言っている。これは衛兵に任せるべき話じゃない。お前にとっても、荷の持ち主にとっても。だから俺が来た」


 男が壁に背をつけて、長い息を吐いた。怯えが諦めに変わる瞬間は、見ていてわかる。肩の力が抜けて、視線が落ちる。


「……港で声をかけてきた男がいた」男が言った。「船が着いた日の朝だ。七番倉庫の荷を一つ持ち出せば、銀貨十枚払うと。中身は聞くなと言われた。夕方の荷降ろしの時に、倉庫の奥に隠れた。夜になって、鍵を道具で外して、箱を運び出した」


「声をかけてきた男の特徴は」


「中背で、帽子を目深に被っていた。顔はよく見えなかった。言葉はレーベンの訛りだったと思う」


 レーベンの訛り。地元の人間か、少なくとも長く住んでいる人間。ユルゲンの魔導具密輸を嗅ぎつけて、船員を雇って盗ませた。裏の世界の人間の仕業だろう。


 追うか。


 追わない。依頼は「荷を見つけること」だ。裏の人間の素性を暴くことではない。それは衛兵か、あるいは評議会の仕事だ。仲介屋は仲介屋の領分を守る。越えれば、面倒が雪崩のように押し寄せてくる。


「銀貨十枚は」


「もう使った。宿代と飯で」


「そうか。まあ、それはお前の問題だ」


 木箱を担ぎ上げた。重い。中で何かが布に包まれているらしく、ことりとも音がしない。


「一つだけ忠告しておく。この件は、ここで終わりだ。お前が何も見なかったし、俺も何も聞かなかった。次の船で発つことをお勧めする」


 男は黙って頷いた。


 木箱を抱えて階段を降りると、宿の外でレーネが待っていた。


「先生、それ——」


「ユルゲンの荷だ。持つのを手伝え。重い」


「了解っす!」


 レーネが箱の反対側を持った。二人で担げば、何とか運べる重さだ。


「先生、あの男とどうやって話つけたんすか。怖い人だったんじゃ」


「怖い人間は、自分が怖がっている時が一番危ない。だが、逃げ道を用意してやれば、大抵は大人しくなる」


「……先生って、たまにすごいこと言うっすよね」


「気のせいだ」


 アシュガル商館はそう遠くない。商業区の大通りに面した立派な建物で、アシュガル連合王国の旗が掲げられている。受付でユルゲンの名前を出すと、すぐに通された。


 ユルゲンは商館の一室で帳簿を前に座っていたが、木箱を見た瞬間、椅子から立ち上がった。目が見開かれ、口がわずかに開く。安堵が全身を駆け抜けるのが見えた。


「これは——見つけてくださったのですか。本当に——」


「中身は確認してくれ。俺は開けていない」


 ユルゲンが木箱の蓋を開けた。厚い布に包まれた何かが入っている。ユルゲンが布をめくると、金属と硝子でできた精密な器具が現れた。工学派の魔導具だ。俺には使えないが、形は知っている。探知用の器具だろう。鉱脈や水源を感知するための道具で、正規の市場なら五十クローネは下らない。


 ユルゲンが器具を確認し、小さく息を吐いた。


「無事です。壊れていません」


「それはよかった。では、残りの報酬を」


 ユルゲンが懐から銀貨を取り出した。五クローネ。前払いと合わせて十クローネ。銀の重みが掌に収まる。


「ヴェルナーさん、この御恩は——」


「恩を売る商売はしていない」


 俺はユルゲンの目を見て、少しだけ声を落とした。


「中身については聞かないし、誰にも言わない。だが、次にレーベンに持ち込む時は、評議会に届出を出すことをお勧めする。関税を払ったほうが、仲介屋に十クローネ払うより安くつく」


 ユルゲンが苦笑した。初めて見る、力の抜けた笑みだった。


「……肝に銘じます」


 商館を出ると、午後の日差しが通りを照らしていた。萌月の陽光は日に日に力を増している。もう一月もすれば、外套なしで歩ける日が来るだろう。


「先生、これで十クローネっすね」


「ああ」


「何に使うんすか」


「まず、マルタのツケを返す」


「全部っすか」


「半分だ。残りは家賃に回す。お前の分の取り分も、そこから出す」


「やった。今月は黒パン以外のものが食えるっすね」


 灰色猫亭に着いたのは、夕暮れ時だった。西の空が橙色に染まっていて、窓硝子に夕焼けが映っている。店内には夕飯時の客がちらほらと入り始めていて、厨房からシチューの匂いが漂ってきた。


 カウンターに座って、銀貨三枚をマルタの前に置いた。


「ツケの半分」


 マルタは銀貨を一枚ずつ確認して、布巾の下に仕舞った。


「残りは」


「来月」


「はいはい。——で、あの商人はどうだった」


「お前の勘は当たってたよ」


「だろ?」マルタが得意そうに鼻を鳴らした。「あたしの勘は外れないんだよ。で、何があったかは聞かないほうがいいんだろ」


「そういうことだ。エールを一杯くれ」


「あんたは稼いだ端から飲んでるねえ」


 エールのジョッキが目の前に置かれた。冷えた麦の苦みが喉を通る。一日の疲れが、ほんの少しだけ溶けていく。


 レーネが隣の席に座って、同じようにエールを注文した。マルタが「あんたはまだ若いんだから、飯をちゃんと食いな」と言って、パンとチーズの皿を一緒に出した。レーネが文句を言いながらもパンにかじりつくのを見て、マルタが笑う。


「先生」


「何だ」


「あたしの聞き込みがなかったら、解決してないっすよね?」


「……否定はしない」


 レーネが「でしょ」と笑って、エールを飲んだ。マルタが「若いのに生意気だねえ」と言いながら、二杯目のエールを俺の前に置いた。頼んでいないが、これもツケに加算されるのだろう。


 暖炉の前では、灰色の老猫が相変わらず丸くなっている。夕焼けの光が窓から差し込んで、猫の毛並みを橙色に染めていた。


 十クローネ。家賃の足しにはなった。マルタのツケも半分返せた。明日からはまた、別の依頼を待つ日常が始まる。


 萌月はまだ始まったばかりだ。


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