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仲介屋は煙草を巻く  作者: colove
ep01「十クローネ」

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3/11

第3話「裏通り」

 萌月九日の朝は、昨日より少し暖かかった。窓から差し込む朝日が、事務所の床に四角い光の模様を落としている。机の上に散らかった書類の端が日に焼けて黄色くなっているのが目につくが、片付ける気にはならない。


 黒パンを千切って、安茶で流し込む。今朝の茶葉は三回目の使い回しだから、もはや色付きの湯と言ったほうが正確だ。味は薄いが、温かいだけましだろう。壁にかけた外套の裏地がまた少しほつれている。仕立て直す金ができる前に寿命が来そうだ。


 茶を啜りながら、昨日のことを頭の中で並べ直す。


 ユルゲンというアシュガル商人。木箱三つのうち一つが消えた。中身は「工芸品」——嘘ではないが、全部ではない。ギルドを通さない理由。十クローネという破格の報酬。


 そして、鍵の傷。


 内側から開けた痕跡。外に不審な点はない。窓からの侵入もない。正面の扉だけが出入り口で、鍵は二本——ユルゲンと倉庫管理人。


 問題はもう一つある。あの傷は、急いでいない人間のものだった。時間をかけて、丁寧に、痕跡を残さないように。つまり、倉庫の中で時間を過ごす余裕があった。


 階下の事務所の扉が開いた。蝶番の音で誰だかわかる。修繕が必要なのは灰色猫亭の扉だけではないらしい。


「先生、おはようっす!」


 レーネが駆け上がってきた。朝から走ってきたのか、頬が赤い。この助手は歩くという行為を知らないのだろうか。


「昨日の聞き込み、収穫あったっすよ」


 来た。目が輝いている。何か掴んだ時のレーネはわかりやすい。


「座れ。茶を注いでやる」


「三番煎じっすか。先生、たまには新しい茶葉買いましょうよ」


「お前の給金を上げたら考える」


「給金なんかもらってないっすけど」


 否定できない。助手を雇った覚えもないし、給金を決めた覚えもない。レーネは勝手についてきて、勝手に働いている。まあ、働きに見合う分は依頼の報酬から渡しているから、問題はないはずだ。たぶん。


「で、何がわかった」


 レーネが三番煎じの茶を一口飲んで、顔をしかめてから話し始めた。


「港区の荷担ぎ連中に当たったんすけど、ほとんどの奴は何も見てないって。でも一人だけ、夜番の荷担ぎの爺さんが面白いこと言ってたっす」


「面白い、とは」


「『夜中に七番倉庫のあたりから、でかい荷物を背負った男が一人で歩いてた。港区の人間じゃない顔だった』って。時刻は深夜、月が真上にあった頃だって言ってたんで、真夜中あたりっすかね」


 一人で。大きな荷物を。港区の人間ではない。


「その男の特徴は」


「がっしりした体格で、船乗りっぽい服を着てた、と。顔はよく見えなかったけど、港区の常連じゃないのは確かだって」


「方角は」


「七番倉庫の方から、安宿街の方に向かってたらしいっす」


 安宿街。港区の河岸沿い、倉庫群の裏手にある。船乗りや季節労働者が使う一泊数ペニーの宿が並んでいる界隈だ。


「レーネ、もう一つ仕事を頼む。港区の安宿を当たってくれ。昨日の夕方以降に泊まった、よそ者の船員風の男で、大きな荷物を持ち込んでいる奴がいないか」


「了解っす。昼までには何か掴んでみせるっすよ」


 レーネが三番煎じの茶を一息に飲み干して——味は気にしていないらしい——飛び出していった。十九歳の脚には勝てない。


 さて。


 もう一つ、確認しておくことがある。


 俺は外套を羽織り、事務所を出た。中層区から上層区へ向かう坂道を上る。朝の石畳は乾いていて、昨日の朝より歩きやすい。春の日差しが街路樹の若い芽を照らしている。あと一月もすれば、この通りは緑のトンネルになる。その頃にはもう少し暖かくなっているだろう。


 上層区の通りに入ると、空気が変わる。建物の造りが一段上等になり、道幅も広い。石畳の隙間に雑草が生えていることもない。金のある人間が住む区画は、細部まで手入れが行き届いている。


 目当ての店は、通りの中ほどにあった。看板には流麗な文字で「ヘルマン両替商」と刻まれている。窓の向こうに、小柄な老人の姿が見える。帳簿に顔を近づけて何かを書き込んでいる。眼鏡の奥の目は、七十を過ぎた人間のものとは思えないほど鋭い。


 扉を開けると、ヘルマンが顔を上げた。


「おや、ヴェルナーさん。珍しい。朝からお越しとは」


「少し聞きたいことがある」


「どうぞどうぞ。お茶をお淹れしましょう。ちょうど東方の良い茶葉が入りましてな」


 カウンターの奥に通されると、ヘルマンが小さな茶器に湯を注いだ。琥珀色の液体から、花のような香りが立ち上る。三番煎じとは別の世界の飲み物だ。干し果物の小皿も出てきた。ヘルマンの茶請けは、いつも上品で量が少ない。


「それで、どのようなご用件でございましょう」


「最近、河を上ってくるアシュガルの荷について、何か聞いていないか」


 ヘルマンの指が帳簿の上で止まった。一瞬だけ。それからいつもの穏やかな笑みに戻る。


「さて、どうでしょうな。河を上ってくる荷は毎日ございますから」


「届出なしで入ってくる荷の話だ」


「ああ、それでしたら」ヘルマンが茶を啜った。「最近、少々目立つ方がいらっしゃるとは耳にしておりますな。工学派の道具というのは、正規の手続きを踏みますと、なかなかの関税がかかるものでございまして」


 工学派の道具。


 言葉にはしなかった。だが、パズルの最後の一片が嵌まった音がした。


「ヴェルナーさん、お仕事でございますか」


「小さな依頼だ。荷物を探している」


「さようでございますか。それは大変でございますな」


 ヘルマンの目が笑っている。この老人は、聞く前から知っているのだ。レーベンの金の流れを把握している人間にとって、アシュガル商人が一人倉庫を借りて荷を隠しているという情報は、朝飯前に仕入れるようなものなのだろう。


「助かった。茶も美味かった」


「いつでもどうぞ。お代は——そうですな、次に面白い話があれば、それでよろしゅうございます」


 ヘルマンの両替商を出て、上層区の坂を下りながら頭の中を整理する。


 ユルゲンの荷は工芸品ではない。工学派の魔導具だ。レーベンに持ち込むには評議会への届出と関税が必要になる。それを避けたかったから、ギルドを通さなかった。報酬が十クローネと高いのも、事を大きくしたくないからだ。マルタの「訳あり」は的中していた。あの女主人の勘は本当に侮れない。


 次に、鍵の痕跡。内側から開けた。外からの侵入痕跡はない。一人の男が深夜に倉庫の近くから荷を運び出していた。船乗り風で、港区の人間ではない。


 繋がった。


 荷降ろしの作業中、船員の一人が倉庫の中に残った。既存の積み荷の陰に隠れていれば、薄暗い倉庫の中では気づかれない。ユルゲンが施錠して去ったあと、内側から掛け金を外し、木箱を持ち出して、扉を閉めた。外からは施錠できないから、閉まっているだけで鍵はかかっていない。翌朝、ユルゲンは慌てていたから、鍵がすでに開いていたことに気づかなかった。


 あとは、その船員を見つけるだけだ。


 港区の安宿街に潜んでいるなら、レーネが見つけてくれるだろう。あの助手の脚と目は信頼できる。


 坂を下りきると、中層区の見慣れた通りに出た。昼前の日差しが石畳を暖めている。屋台の焼き栗売りが煙を上げていて、甘い匂いが鼻先をくすぐる。腹が鳴った。三番煎じの茶とヘルマンの干し果物三粒では、朝飯としては少々心許ない。


 だが、焼き栗を買う前にすることがある。レーネの連絡を待って、船員の居場所を確かめる。できれば穏便に片をつけたい。衛兵沙汰にすれば話が大きくなるし、ユルゲンの密輸も表に出る。それは依頼主の望むところではないだろう。


 仲介屋の仕事は、問題を解決することだ。新しい問題を作ることではない。


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