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仲介屋は煙草を巻く  作者: colove
ep01「十クローネ」

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2/11

第2話「倉庫の鍵」

 中層区から港区へ向かう道は、緩い下り坂になっている。歩くにつれて空気が変わっていく。石畳の隙間から立ち上る湿気、河の匂い、それに混じる魚と木材の匂い。冬の間は凍りついて静まり返っていた港が、ようやく息を吹き返した頃合いだ。


 通りに出ると、荷馬車が何台も行き交っていた。荷担ぎの男たちが声を掛け合い、河岸に停泊した平底船から次々と荷が運び出されている。萌月に入ってまだ八日だが、港区はすでに交易シーズンの喧騒を取り戻しつつあった。


「先生、あの辺っすかね」


 レーネが河沿いに並ぶ大倉庫群を指差した。港区の倉庫は河岸に沿って十棟以上が連なっている。商人が個別に借りるものから、ギルドが管理する共用倉庫まで様々だ。


「番号は聞いてるのか」


「七番倉庫っす。河岸通りの東寄り」


 風が河の方から吹き付けてきて、外套の裾がはためいた。中層区より一段冷たい。港の風は遮るものがないから、体感で二、三度は違う。道沿いの屋台から干し魚を炙る匂いが漂ってきたが、朝飯はさっき食ったばかりだ。


 七番倉庫の前に、一人の男が立っていた。


 四十前後。仕立てのいい上着に革の長靴。アシュガル風の服装だが、派手ではない。中堅の商人といったところか。目の下に隈がある。昨夜はあまり眠れなかったのだろう——あるいは、ここ数日ずっとか。


 俺たちの姿を認めると、男は小走りに近づいてきた。


「仲介屋のヴェルナーさんですか。ユルゲンと申します。お忙しいところ、ありがとうございます」


 丁寧だが、早口だ。言葉の端に焦りが滲んでいる。アシュガル訛りのレーベン共通語は流暢で、この街に来るのは初めてではないらしい。握手の手は冷たかった。緊張しているのか、それとも萌月の風のせいか。


 レーネが俺の後ろで小さく会釈した。ユルゲンの目がレーネに一瞬向いたが、すぐに俺に戻った。助手の存在は気にしていないらしい。あるいは、気にする余裕がないか。


「状況を聞かせてくれ」


「はい、それが——昨日の夕方、上流からの定期便で荷を入れたのですが、今朝確認したら、三つあるはずの木箱のうち一つが見当たらないのです」


「船から降ろして、この倉庫に入れたのは昨日の何時頃だ」


「日暮れ前です。夕刻の鐘が鳴る少し前には倉庫に収めて、鍵を閉めました」


「鍵は誰が持っている」


「私と、この倉庫の管理人です。管理人は港区ギルドの委託を受けた者で——」


「その管理人には話を聞いたのか」


「ええ。しかし、昨夜は別の倉庫の荷受けで忙しかったので、七番には近寄っていないと」


 俺は倉庫の外壁を見上げた。石造りの壁に小さな明かり取りの窓がある。人が通れる大きさではない。出入り口は正面の木扉だけだ。


「消えた木箱の中身は」


 ユルゲンの目が一瞬泳いだ。マルタの声が頭をよぎる——あの商人、ちょっと訳ありだよ。


「……交易品です。アシュガルの工芸品を少々」


「工芸品ね」


 嘘とまでは言わない。だが、全部を言っていない。工芸品の木箱一つが消えたくらいで、ギルドを避けて十クローネも払う商人はいない。何か、ギルドや衛兵に知られたくない理由がある。


 深追いはしない。今の段階で追い詰めても、口を閉ざすだけだ。情報を引き出すには、相手に「この人間なら話しても大丈夫だ」と思わせる必要がある。信頼は時間と実績で積むものだ。一日の付き合いで得られるものではない。


「倉庫の中を見せてもらっていいか。レーネ、お前は外を一周してこい。壁や窓に不審な痕跡がないか確認しろ」


「了解っす」


 レーネが軽い足取りで倉庫の裏手に回っていった。こういう時の足の速さと目の良さは信頼できる。ユルゲンが鍵を取り出し、倉庫の扉を開ける。鍵穴に鍵を差し込む手が、わずかに震えていた。


 中に入ると、埃と木の匂いがした。広さは馬車二台分ほど。壁際に木箱や樽が積まれている。奥の方に、二つの木箱が並んでいた。アシュガル商会の焼印が押されている。三つ目があったはずの場所には、床に四角い埃の跡だけが残っていた。


「あそこです。あの二つの隣に、もう一つ同じ大きさの箱があったのですが」


 俺は倉庫の中をゆっくり歩いた。床の埃を見る。入口から木箱までの間に、複数の足跡がある。だが、それは当然だ。昨日荷を運び入れた時のものだろう。問題は、木箱の消えた場所の周辺だ。


 埃の乱れ方を見る。箱を引きずった跡がある。入口の方向に向かって。つまり、箱は正面の扉から運び出された。窓からではない。


 扉の方に戻り、内側の鍵受けを確認した。


 指で触れる。金具の縁に、薄い擦り傷がある。鍵で開けた時の自然な摩耗ではない。細い道具を差し込んで、内側から掛け金を外した痕跡だ。


 外からこじ開けたのなら、外側に痕跡が残る。だが、傷は内側にしかなかった。


 つまり——犯人は、倉庫の中にいた。あるいは、中に入れる手段を持っていた。


 ユルゲンの方を見る。彼は木箱の傍に立ったまま、落ち着かなそうに指先で上着の袖口を触っていた。


 何か知っているのか。それとも、本当に何もわかっていないのか。


 扉の外でレーネの声がした。


「先生、外は特に何もなかったっす。窓は全部塞がってるし、壁にもおかしな傷はないっすね」


「ありがとう。もういい」


 俺はユルゲンに向き直った。


「少し時間をくれ。明日の昼までには、何かわかるかもしれない」


「わかりました。よろしくお願いします。私は商業区のアシュガル商館に宿を取っていますので、そちらに連絡をいただければ」


 前払いの五クローネを受け取り、倉庫を出た。銀貨五枚の重みが掌にある。マルタのツケを返しておつりが来る。悪くない重さだ。だが、この手の金には、重さに見合うだけの面倒がもれなくついてくる。


 港区の通りを中層区に向かって歩きながら、頭の中を整理する。


 鍵は内側から開けられていた。外に痕跡はない。つまり、窓から侵入した線はない。正面の扉から堂々と出入りしたか、最初から中にいたか。鍵を持っている人間は二人——ユルゲン本人と倉庫の管理人。


 あるいは、もう一つ。荷はそもそも三つ届いていたのか。船で運ばれてくる途中で、一つ減っていた可能性。


「先生、何かわかったんすか」


「さあな。まだ何もわかっていない」


「嘘っすよ。先生、倉庫の中で何か見つけた顔してたっす」


 生意気な助手だ。観察眼だけは悪くない。


「明日までに調べることがある。お前は港区の荷担ぎ連中に当たってくれ。昨日の夕方、七番倉庫の周りで何か見た奴がいないか」


「了解っす。任せてくださいよ」


 レーネが意気揚々と駆けていくのを見送った。あの歳の脚が羨ましい。こっちは港区から中層区まで歩いて帰るだけで膝が文句を言いそうだ。


 河風に外套の襟を寄せながら、歩く。通りの屋台では昼前の仕込みが始まっている。焼き魚の煙が風に流されて、腹が鳴った。朝飯のスープはもうとっくに消化されている。


 さて、内側からの痕跡。単純な盗難なら、もっと荒い仕事になる。鍵をこじ開けるなり、壁に穴を開けるなりする。あの薄い擦り傷は、急いでいない人間のものだ。時間をかけて、丁寧に、痕跡を残さないように開けた——つもりだったのだろう。惜しいな。もう少し丁寧なら、俺も気づかなかった。


 これは、知っている人間の仕業だ。


 問題は——ユルゲンがそれを知っているかどうかだ。


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