入学式早々授業なんて…そんなの聞いてません!
入学式も、なんとか終わり――。
新入生たちは、ザワザワと、教室へと戻っていく。
ヘルミーナも、リルベーラのブレザーの裾を、ちょこんと摘まみながら、後ろをついて歩けば、あっという間に、教室へとたどり着いた。
(席に座ると、驚かれるのよね)
認識されにくくなるといっても、万能ではない。
ヘルミーナが、どうやって席に着こうか迷っていれば、リルベーラが、一番後ろの、窓側の席の椅子を、そっと引いてくれた。
「ここなら、ばれないでしょ?」
(や、優しい……! これが、友達ってものなのね!)
リルベーラの、さりげない行動に、感動していると――。
ガラガラガラ――。
教室の前の扉が、開いた。
「えぇ~。今日から、君たちの担任になる、スカディア・ホルトだ」
ホルトは、分厚い本を机に置くなり、自己紹介を済ませる。
と、同時に、眼鏡を、クイッと押し上げた。
「さて、入学して早々、申し訳ないが、今日は、とあることについて、話しておかなければならない」
(えっ!? 初日から、授業なの!?)
ヘルミーナが、驚いていると、ホルトの視線が、ほんの一瞬だけ、窓側へ流れた気がした。
(えっ……見られた? 気づかれてる……?)
心臓が跳ねたが、ホルトは、何事もなかったように、視線を戻し、続ける。
「堅苦しい話ではない。ただ、君たちに関係する、重要な内容だ」
チョークが、黒板を走る。
――加護
その文字が現れた瞬間、教室が、ざわっと揺れた。
「加護の話は、聞いたことがあるけど……」
「本当に、存在するの? 幻じゃなくて?」
「持ってるだけで、差別される国もあるって……」
パンッ、パンッ!
ホルトが、手を叩くと、ざわめきは、一気に止まった。
「加護とは、百人に一人……いや、千人に一人が持つ才能だ。文章より、見た方が早い」
ホルトは、静かに、手を掲げた。
次の瞬間――。
手の甲に、淡い光で描かれた、“ᛜ”に似た紋様が、浮かび上がる。
空気が、ひんやりと震えた。
花瓶に差してあった蕾が、ふわりと、音もなく、開いていく。
「えっ!?」
「さ、咲いた……?」
「……い、今、咲いたわよね!?」
「加護って、本当に、あったんだ……」
突然の出来事に、教室中が、どよめいた。
そして、次の瞬間――。
「わぁぁぁ~! すごく、きれい!!」
ヘルミーナの声が、教室中に、綺麗に、響き渡った。
(加護なんて、初めて見たけど……こんなことが、できるのね!)
加護の話に、興味津々のヘルミーナは、少し、前のめりになって、ホルトの話に、耳を傾ける。
「えっ!? 後ろから、なんか、変な声、聞こえなかった?」
「え……!? 私は、聞こえなかったけど?」
(し、しまったぁ~……また、やっちゃったわ……)
前の席の生徒が、不思議そうに、振り返るが、もちろん、そこに、ヘルミーナの姿は、ない。
「気のせいかな……」
そう言って、前に向き直るのを見て、ヘルミーナは、胸を、撫でおろした。
(せ、せ、セーフ……よね!?)
隣の、リルベーラを見ると、彼女は、扇子で、口元を隠しながら、震えている。
どうやら、笑いを、こらえているようだ。
ホルトは、二人のやり取りを、見たのか、見ていないのか、再び、パンッと手を叩き、教室を、静める。
「さて。今のを見れば、わかるとおり、私が持っているのは、“成長促進”の加護だ。植物の成長を、早めることができる」
ホルトは、一度、間を置くと、生徒たちを、一人ひとり、見て回した。
「加護は、人によって、種類も違えば、強さも違う。ゆえに――生涯、自分が、加護持ちだと、気づかずに終える者も、いるだろう」
(へぇ~……気づかないとか、あるのねぇ)
ヘルミーナは、ホルトの話を聞きながら、相槌を打った。
「だが、勘違いするな。加護が、あるから、偉いわけでも、ないから、劣っているわけでもない」
ホルトは、黒板へ、視線を移し、バンッと、黒板を叩く。
「ここには、各国から、たくさんの生徒が、集まっている。王族から、平民。そして、国によって、加護への価値観も、さまざまだ。だが、学園内での、“加護差別”や、“身分差別”は、一切、禁止だ。全員、平等。これは、学園の、絶対ルールだ。……よく、覚えておけ。守れない者は、後で、泣く羽目になるからな」
その、鋭い声音に、教室の空気が、一気に、引き締まる。
(……なんだか、怖いけど……かっこいい先生ね)
ヘルミーナは、こっそり、リルベーラの袖を、つまみながら、息を、呑んだ。
「先生~!」
ホルトの、緊張感ある言葉にも、かかわらず、一人の生徒が、手を挙げながら、尋ねる。
「なんだ?」
「その話をするってことは、今年の新入生の中に、加護持ちの人が、いるってことですかぁ~?」
「……お前たちの中に、“今は、気づかれていないだけ”という者も、いるだろう」
そう言った瞬間、ホルトの視線が、また、一瞬だけ、窓側へ流れる。
(え、え、今、見た!? やっぱり、見られたよね!?)
リルベーラも、同じ場所――つまり、ヘルミーナの席を、ちらりと見て、小さく、頷く。
(わ、私……!? こんなの、加護なんて、大そうなものじゃないのに……ただの、家の事情なのに!)
二人に、“意味ありげ”に、見られ、焦ったヘルミーナは、ぶんぶんと、首と、両手を振った。
その瞬間――。
ふわり。
ヘルミーナの前の席の生徒の髪が、誰にも、触れられていないのに、微かに、揺れた。
「……え? 今、風……?」
前の席の生徒が、小さく、振り返る。
しかし、そこに、姿はなく、すぐに、首を傾げて、前を向いた。
「はいは~い! 先生、加護って、発動したら、すぐ、分かるものなのですか~?」
誰かの質問に、ホルトは、少し、考え込み――。
「……そのくらいなら、教えておいてもいいか」と、小さく、呟く。
「加護は、発動時に、身体の、どこかへ、模様が浮き出る。場所は、人によって、違うが、発動と、同時に、光ることが、多いな」
その言葉を聞き、ヘルミーナは、ホッと、息を吐いた。
(よ、よかった……! 私、模様なんて、一つも、ないし……!)
小さい頃から、散々、確認した、自分の体を、思い返しながら、ホルトの話に、耳を傾ける。
「もっとも、“常時発動型”の場合は、模様が、外から、見えない場所に、あることもある。……例えば、瞳の奥、とかな」
ホルトは、自分の目元を、指しながら、言った。
(瞳の……奥?)
一瞬、自分の、目の奥が、じんわり、熱くなるような、感覚があったような気がして、ヘルミーナは、ぱちぱちと、瞬きをした。
(……うん! 瞳の奥に、模様なんて、なかったし、気のせいね!)
胸を張って、結論を出す。
しかし――。
その瞳が、ほんの、かすかに、光ったことに、
この時の、ヘルミーナは、まだ、気づいていなかった。
そして、その隣で、リルベーラは――。
見えない、ヘルミーナが、慌てている姿を、想像していた。
そのとき、ちらりと、横目に、捉えた、ヘルミーナの席のあたりで、
ほんの、一瞬、きらりと、光が、揺れた気がした。
(……今のって、まさか、瞳の奥、かしら?)
一拍おいて、リルベーラは、そっと、扇子で、口元を隠す。
(ふふ。やっぱり、ヘルミーナは……“そういうこと”なのね)
新たな、確信を胸に、扇子の影で、こっそり、笑みを深めた。




