学園到着早々、また騒がしい人に遭遇しました。
「やっと、制服が着れるのね!」
ヘルミーナは鏡の前で、くるくると回りながら、変なところがないか確認する。
落ち着いた濃灰のジャケットに、学科色の細い線が、袖口で静かに光る。
胸元には、青を基調とした校章。
貴族の誇りを示すロイヤルブルーのタイが揺れ、回転に合わせて、スカートの裏に織り込まれた専科色が、ふわりと浮かんだ。
「ふふ、さすが貴族科ね。一つ一つの刺繍が、とても繊細で美しいわ」
ぱっと見は、同じ制服。
だが、よく見れば、その刺繍の奥に、それぞれの歩む道と技が、静かな色として宿っている。
ヘルミーナが、うっとりと刺繍を眺めていれば――
コンコン。
「ヘルミーナ。そろそろ時間だぞ?」
扉を叩く音とともに、グレインの声が響いた。
「わかっています! 今すぐ行きます!」
卒業パーティーから、一か月――。
ついに、ヘルミーナも、アルファルズ学園へと通う日がやってきた。
玄関口へ向かうと、家族たちが、勢ぞろいで迎えてくれる。
アルファルズ学園は、全寮制。
一度、入学すれば、次の長期休みまでは、帰ってこられない。
それを知っているからだろう。
皆が、少し不安そうな顔をしながら、ヘルミーナを見つめていた。
「ヘルミーナ……」
「お父様。大丈夫です! 私、友達を作って帰ってきますから!」
「そ、そうか……(そういう意味じゃなかったんだが……)」
父であるヴァリオンが、ヘルミーナの頭を撫でると、ヘルミーナは、少し嬉しそうに目を細めた。
その横で、母のリネッサが、ヘルミーナの背に、そっと手を添える。
「ヘルミーナ。あまり目立たないように、気を付けるのよ?」
「任せてください! お母様。目立ちたくても……気づいてくれない人が、ほとんどですから!」
胸のあたりを、ポンッと叩いて笑えば、他の兄たちも、次々に声をかけてくる。
「困ったら、すぐ手紙を書けよ?」
「お前なら大丈夫だ……。なんて言ったって、俺の妹だからな!」
「何かあっても、すぐ迎えに行くから、安心しろ!」
「ありがとうございます! お兄様……でも、安心してください! 私なら、大丈夫ですわ!」
ふんふんと鼻を鳴らして、得意げに話すヘルミーナを見て、兄たちは全員、同じことを思った。
……本当に、こいつは、わかっているのだろうか、と。
そして、皆に別れを告げたあと、ヘルミーナは、グレインとともに、馬車へ乗り込む。
(……私も、もう十六歳になったんだもの……きっと、大丈夫よ……ね)
窓の外――。
ユグラシルにそびえる、大きな木を眺めながら、
胸の奥に宿る、少しの不安と、抑えきれないワクワクを抱いて、
馬車は、カラカラと、ゆっくり動き出した。
***
「うわぁ~、すごい人ですね~」
馬車に揺られて、一週間――。
学園都市ユグラシルに、たどり着くと、広い街道には、ずらりと馬車が並んでいた。
「本当にな……日を分けるとか、してくれればいいんだが……」
アルファルズ学園では、入学三日前に、入寮式が行われる。
そのため、この日は、全学年の生徒が、一斉に学園へと戻ってくるのだ。
「折角ですし、この辺りを、少し歩いて、学園まで行きませんか?」
ユグラシルには、さまざまな店が立ち並び、活気に満ちている。
小さな国・スノーミル出身のヘルミーナにとって、この学園都市は、どこを見ても、新鮮で魅力的だった。
キラキラした目で、グレインを見上げれば、
グレインは、「はぁ……」と、小さく息を吐き、諦めたように、馬車から降りる準備を始めた。
「仕方がないな……。俺が、案内してやる」
ぶっきらぼうに、そう言いながら、馬車の扉を開き、二人は、ゆっくりと学園へ向かって歩き出した。
「グレインお兄様! 見てください。クレープ屋さんがあります! あっちには、カフェも……」
「……クレープ、食いたいのか?」
グレインが声をかければ、子供っぽい笑顔で、こくりと頷く。
「はい! 食べたいです!」
「……そうか。なら、食べるか」
「はい! 早く行きましょう!」
ヘルミーナが、グレインの手を引っ張り、クレープ屋の前に着くと、店員に声をかけた。
「すみませ~ん! チョコバナナパフェ、くださ~い!」
「……」
しかし、ヘルミーナに、気付かないのか、店員は、グレインに声をかける。
「男の人が、一人でクレープなんて、珍しいね! 注文は?」
「……(やっぱり、気づかないか……)」
ヘルミーナの方を見れば、いつもの事だからと、気にも留めていないのか、グレインが、注文してくれるのを待っている。
「チョコバナナパフェと、イチゴカスタードクリームを、一つずつ」
「二つね~! ちょっと待ってて、おくれ」
お金を渡せば、クレープを作り始める店員。
それを、キラキラした目で見つめるヘルミーナを見て、グレインは、少しばかり、ヘルミーナの学園生活が、不安になった。
(こうやって、買い物してても……ヘルミーナに、気付く奴は、いないんだよな)
ヘルミーナは、生まれつき――。
“気づかれにくい”という、特異な体質を持っていた。
気配が薄いとか、存在感がないとか、そんな可愛いものではない。
本気で注意していないと、そこに立っていても、視界から、すり抜けてしまう。
だから、かくれんぼをすれば、まず、誰も彼女を見つけられない。
唯一、彼女に気付くことができるのは、家族と、ごく一部の人間だけ。
(まったく……これでよく、“目立ちませんから!”なんて、胸張れるよな)
歩きながら、そうぼやくグレインの横で、ヘルミーナは、相変わらず、楽しそうに店を指さしている。
(まぁ、あいつが、少しでも笑ってくれるなら、いいか……昔は、泣いてばかりだったもんな)
年が近い分、何かと一緒にいることが多かったグレインは、他の兄弟たちよりも、ヘルミーナを、よく見ていた。
「ここでは……お前に、気付いてくれる奴が、いるといいな……」
ぼそりと漏れた言葉に、ヘルミーナが、くるりと、笑顔で振り返った。
「何か、言いました?」
「いや、なんでもない」
二人で、ゆっくりと前へ進むと、ついに、学園の正門前へ、たどり着く。
そして、その瞬間――。
大きな叫び声が、響き渡った。
「いったぁぁぁ~~~~い!! 何するのよぉぉぉ!!」
「え!? 何事!?」
ヘルミーナは、声がする方向を見ると、見たことのある、金髪の令嬢が、盛大に転んでいた。
――また、あのセレーネだった。




