公平という名の壁。
「エーデルヴァーン。待ちなさい。」
職員室から少し離れた廊下――
ヘルミーナが泣き止むのを待っていると、後ろから声をかけられた。
「ホルト先生。」
後ろを振り返れば、ホルトが腕を組みながら立ってるのが見える。
いつもであれば厳格さが前に出ているホルトだが、今日はどことなく柔らかさが残る。
(なんかいつもは怖い先生ってイメージだけど、今日はちょっと違うわね。)
リルベーラは目の前にいるホルトを見据え、次の言葉を待つ。
二人の間に沈黙が流れた。
「話がある。ついてきなさい。」
くるっとかかとを返すと、聞こえるか聞こえないかほどの小さい声で「スヴァルドレーンもだ。」と一言付け足した。
(やっぱり……この先生はヘルミーナのことに気づいていたのね。)
その言葉はヘルミーナにも聞こえていたのか、真っ赤な目を上げてリルベーラを見た。
「リル……。今のって……!?」
よっぽど嬉しかったのだろう。
リルベーラはヘルミーナの言葉に、こくりとうなずくと、そのままホルトの後を追った。
***
ガラガラガラ
「入りなさい。」
研究室――
「「失礼します。」」
中に入れば、沢山の本が山積みで置かれている。
「適当に座ってくれ。」
(適当に座れって……足の踏み場がなさ過ぎて座る場所ないじゃない。)
リルベーラは周りにある本を少しどけると、二人分の椅子を用意した。
その間にホルトは二人分のカップを取り出すと、お茶を淹れる。
(二人分……?ってこと気づいていないのかな。)
ヘルミーナがホルトの行動に少しばかり不安になっていると――
カチャリ
「ただの紅茶ですまないが……君も飲めるんだろ?スヴァルドレーン。」
リルベーラとヘルミーナの前にそれぞれカップを置いた。
(全員が気づいてくれていないと思っていたけど、ちゃんと気づいてくれていた先生もいたのね。)
ヘルミーナはホルト先生の不器用な優しさに触れて、胸が温かくなるのを感じた。
二人はホルトが用意したカップに口をつける。
三人の間に沈黙が流れた。
その沈黙は温かさと冷たさが混ざるような、逆に不気味な感覚。
それを破ったのは――
リルベーラだった。
「ホルト先生は気づいていたんですね。ヘルミーナがいたことに……」
リルベーラの質問に、ホルトはちらりとヘルミーナを見る。
「あぁ、気付いていた。」
「じゃあ、なんで……!?」
ガタン!!
リルベーラは椅子から、すごい勢いで立ち上がった。
「気づいていたからと言って、私には何もできない。」
その言葉に、リルベーラとヘルミーナは息を呑む。
「いいか?私は教師だ。すべての生徒を平等に見なければならない。それは他の先生も同じ。誰か一人を差別することはできない。」
そこでいったん区切ると、話を続ける。
「スヴァルドレーン。」
ホルトは、もやとしてしか見えていないヘルミーナを見る。
「お前がもし、教師だとして、他の生徒から認識できない生徒に点数をやれると思うか?」
ヘルミーナとリルベーラは少し考えると、首を横に振った。
「できないだろう?それが答えだ。
お前はテストに参加していたのかもしれない。
だが、今のお前を認識できる者は限られている。
それが……何らかの要因によるものだとしてもだ。
その問題は、最終的にはお前自身が向き合うしかない」
「……要因、ですか?」
ヘルミーナの代わりに、リルベーラが聞き返す。
ホルトは一瞬だけ言葉を選ぶように視線をそらし、それ以上は踏み込まなかった。
「今は、それ以上の話をする気はない。あとは、自分で考えろ。」
それだけ言うと、顎をクイッと動かして外に出るように促した。
(加護が原因だとわかっていても助ける気はない……自分で何とかしろ、ということね。)
リルベーラはホルトの言葉を聞くと、ヘルミーナの手を取って部屋から出ていこうと立ち上がった。
「ホルト先生。ありがとうございます。先生って怖いばかりかと思っていましたが、意外に優しい一面もあるんですね。
(……優しい、というより。線を引ける人、か)」
「ふん。」
二人は部屋から出ると、そのままエイクシュニル寮へと足を向けた。
その瞬間――
「やっぱりな。こんなことになってるんじゃないかと思ったよ」
目の前には、ヘルミーナの兄であるグレインが立っていた。
「グレインお兄様!」
ヘルミーナはグレインに抱き着く。
リルベーラはその様子を見て、ふっと肩の力を抜いた。
「リル。こいつが迷惑をかけたな。どうせ、実技全部追試になって落ち込んでたんだろう」
ヘルミーナの頭を優しく撫でる姿は、兄そのものだった。
二人の関係を見て、リルベーラは胸の奥がちくりと傷んだ。
(本当にこの兄妹、仲良いわよね。家とは大違いだわ。)
「そうですね。でも、なんだか妹ができたみたいで嬉しかったですよ」
リルベーラが思っていたことを口にすると、グレインは彼女の頭に手を置き、乱雑に頭を撫でた。
「それよりも、なんでグレイン様は全部知っていらっしゃるんですか?」
リルベーラは恥ずかしい気持ちを抑えて、グレインに話を振った。
「ん?だって、学園はこの話題で持ちきりだからな。」
「この話題?」
ヘルミーナは首を傾げる。
「あぁ~。お前たちはまだ聞いていないのか?
……筆記試験で上位にいるものが、実技試験は全部追試になっていたって。」
「そんな奴初めて見たって、学園では大騒ぎだ。」
それだけ言って、グレインは軽く笑う。
「はは、よかったじゃないか。ヘルミーナ。お前、ある意味この学園の伝説を作ったんだぞ?」
ヘルミーナはその言葉に、パッと顔を上げる。
「で、伝説ですか!?」
「あぁ~。伝説だ。」
「伝説……伝説……ふふっ……伝説ですか……」
先ほどまで落ち込んでいたとは思えない、頬を紅潮させる姿を見て、リルベーラは驚く。
(えっ!?一体何が起きているの…?)
するとグレインは、リルベーラに小さく耳打ちした。
「こいつは昔から、ファンタジー小説が好きなんだ。伝説とか、英雄とかな……」
(だからって……いい意味じゃないと思うけど。)
「グレインお兄様。私伝説になれますか!?追試で伝説作れますかね……?」
グレインにすがる姿は、まるで子供が宝物を見つけたようだった。
「あぁ~……どうだろうな。
でも、これだけは言えるだろう?
認識されない少女が追試をどうやってクリアするのか。
これは物語になると思うぞ。」
その言葉を聞いた瞬間――
落ち込んでいたはずのヘルミーナはどこへやら。
「私!絶対に一発で追試を合格して見せます。そして名を残して見せますわ!」
何にスイッチが入ったのかはわからないが、やる気に満ちたヘルミーナが立っていた。
(はぁ~……さすが兄というべきかしら。
それにしても……このまま何事もなくうまくいってほしいものね。)
ヘルミーナを見て、一人ため息を吐くリルベーラだった。




