幽霊令嬢誕生の日
「キャァァァァァーーー!!」
四つの国の中心に位置する学園都市ユグラシル――。
その中央には、誰もが一度は憧れる名門《アルファルズ学園》がある。
今日は、年に一度の卒業パーティー。
華やかなパーティーが行われる場内には、四ヶ国を代表する王侯貴族たちが集い、祝福の空気で満ちていた。
そして、そんな和やかな雰囲気の中――。
「ど、どうして……!? あ、あなた、何してくれるのよぉ!! イヤァァァァ~!!」
悲鳴にも似た声が響き渡り、場内の人々が「何事だ!」と一斉に視線を向けた。
そして彼女もまた――その声を聞きつけ、騒ぎの中心へと足を運ぶ。
「あら……大変。せっかくのドレスが、大変じゃない!!」
叫んだ女性のドレスには、真っ白な布地に、くっきりと黄色のシミが浮かんでいた。
「お兄様……ちょっと行きたいところができたので、行ってきます!」
「ちょ、ちょっと待て! ヘルミーナ!!」
兄の静止を押し切り、ヘルミーナは近くに置かれていた布巾を手に取ると、颯爽と女性の前へ進み出る。
そして、シミのついたドレスの前にしゃがみ込み、トントンと手際よく染み抜きを始めた。
「落ちるか心配だったけど……まだ、そんなに時間が経っていなかったのが幸いしたわね」
ヘルミーナは、少しずつシミが取れていくのを見て、ホッと胸をなでおろした。
(ん~……これ以上は無理かも……だったら……)
胸元にしまい込んでいた小さな箱を取り出す。
中から針と黄色の刺繍糸をつまみ出し、チクチクとドレスに針を通し始めた。
「黄色の刺繍糸があって、よかったぁ~。これなら……うん! 黄色い花柄にしましょう!」
時間としては、経った数分。
その間に、シミはすっかり消え、白いドレスには黄色い花が愛らしく咲いていた。
それを見たヘルミーナは、ひとり満足げに頷いた。
……そのすぐ近くで、新たな騒ぎが起きつつあるとも知らずに。
***
「あなた……何をしたか、わかってるの!?」
「えっと……何をしたのでしょうか……?」
ヘルミーナが染み抜きをしている頃――。
目の前では、別の騒ぎが起きていた。
(あ、あいつ……自分から首、突っ込んでいったと思ったら……)
ヘルミーナの兄であるグレインは、人だかりをかき分けて前へ進む。
そこでは、金髪の女性が、吊り目の女性に向かって言いがかりをつけていた。
「はぁ……また、セレーネ・ローゼンクラフトか……」
グレインは、その姿を見ると大きく溜息を吐いた。
「そんな……ひどいわ! あなたが、私のドレスに飲み物をかけたんじゃない!」
セレーネは、涙を浮かべて訴えていると――。
ちょうどそのとき、染み抜きと刺繍を終えたヘルミーナが戻ってきた。
「グレインお兄様。お待たせいたしました」
「お待たせしましたじゃない……お前、あそこまでする必要、なかっただろう?」
グレインがヘルミーナを小声で叱れば、彼女は肩をすくめつつ、目の前の女性を指さす。
「だって……あちらの吊り目の美人さん、かわいそうじゃないですか……。どっからどう見ても、何もしていないのに……」
セレーネではなく、もう一人の“吊り目の女性”に目をやるヘルミーナ。
その顔は、どこかほっとしていた。
そして、当の吊り目の女性は――。
セレーネとは、違う理由で驚いていた。
(あれ……確かに、自分で飲み物をドレスにかけていたと思ったけど……私、夢でも見ていたのかしら……?)
「えっと……私、何もしていないのですが……」
責められていた女性は、戸惑いながら手にしていたグラスを差し出す。
その中には、赤い飲み物――。
先ほど、セレーネが叫んでいた“黄色いシミ”とは、まるで違う色だ。
しかも、ヘルミーナの手によってシミは跡形もなく、ドレスにはかわいらしい黄色い花が咲いている。
「私、見ていたわよ! あなたが、ワ・ザ・と! セレーネ様に飲み物をかけるところを!」
「私も見ていましたわ! セレーネ様がお美しいからって、嫉妬なさったんでしょう?」
「本当に最低ね……!」
セレーネの後ろに控えていた取り巻きたちがざわめき始めると、騒ぎを聞きつけた教師たちが、何事かと近づいてきた。
(私が持っている飲み物は赤いというのに……それに嫉妬って……どうして、初めて会った人に、嫉妬しなきゃいけないのよ)
吊り目の女性は、扇子で口元を隠しながら、表情を崩すことなく、目の前のセレーネを見据えていた。
「これは、何事ですか!?」
「ゲフィアナ・ルクス先生……に、ギュルヴィン・アルト先生……」
二人の教師が近づいた瞬間、周囲の空気が一気に冷えた。
セレーネの取り巻きたちも、顔を真っ青にする。
それもそのはず――彼らは、学園で一、二を争うほど厳格な教師なのだ。
しかし、セレーネはそんなことお構いなしに、泣きながらギュルヴィンへ抱きついた。
「グスッ……き、聞いてください! ギュルヴィン先生ぃぃ~! あ、あの方が、私のドレスに……ジュースを、こ、こぼしたんですぅぅぅ……」
ギュルヴィンは、表情を変えずにセレーネを引きはがし、ドレスへ視線を落とした。
しかし――。
ドレスには、シミ一つ残っていない。
「ふむ……見る限り、シミなどないが……」
他の教師陣も、同じように確認したが、皆、口をそろえて言った。
「シミは、ありませんね……」
「ローゼンクラフトさんの、見間違いではないですか?」
セレーネは、眉をつり上げ、怒りをあらわにする。
「嘘じゃないです! 本当に、この女がジュースをこぼしたんです!! ほら、ここを見てくださ――……え……!?」
セレーネは、自分が指差した場所を確認する。
だが、そこにシミなど、どこにもなかった。
「ど、ど、どういうことぉぉぉ~~~!!」
セレーネの悲鳴が、会場中に木霊した。
その声を皮切りに、教師陣は深いため息をついた。
「ローゼンクラフトさん。今日は、卒業生にとって晴れの日なのです。これ以上、騒ぐのでしたら、この場から退場していただきますよ?」
「そうです。それに、よく見てください。あなたが、こぼしたという女性は、飲み物を手にしたままですし、色も赤い。あなたが言っていた“黄色いシミ”など、付くはずがないでしょう」
「あなたも、春から二年生になります。もう少し、分をわきまえなさい」
ギュルヴィンが手を叩くと、集まっていた人々が散り始め、再び音楽が流れ出した。
「いやぁ~、いい仕事しましたぁ。これで、一件落着ですね! お兄様!!」
音楽が鳴り始めると同時に、笑顔で振り向くヘルミーナ。
そのあまりの清々しい表情に、グレインは思わず頬をぴくつかせた。
「そ、そうだな……」
ヘルミーナは、気づいていない。
今回のことが、発端となって、ある噂が生まれることを――。
「私、見たのよ……ローゼンクラフトさんのドレスに、シミがあったの」
「私も見たわ! 自分で、飲み物をかけていたものね」
「「「私もよ……」」」
「でも、いつの間にか、なくなってて……黄色い花が、咲いていたの」
「ねぇ……さっき、“影みたいなの”が、揺れなかった?」
「「「え……?」」」
「不思議よね……あの一瞬で、何が起きたのかしら」
「もしかして……幽霊とか……!?」
「そんな……幽霊なんて、いるわけないじゃない……」
「「「……そうよねぇ~」」」
――なのに、彼女たちは気づかなかった。
そのすぐ後ろを、
“誰のものでもない影”が、静かに通り過ぎていたことに。
そして、この日を境に、ユグラシルでは――。
“誰も見ていないはずの少女が現れては、そっと人助けをしていく”という噂が、生まれた。
学園史に刻まれる、
《幽霊令嬢》の、最初の夜である。




