揺れる噂と、裁ちばさみの音。
学園内――
リルベーラとヘルミーナは、二人で廊下を歩いていた。
すると、どこからともなく、一人の女性が現れた。
薄い金髪が揺れ、垂れ目がちな大きな瞳がこちらを向いた瞬間――
廊下の空気が、一瞬、止まった。
――そして。
近くを歩いていた男子生徒が、全員、振り返った。
「おい……あの子って」
「あぁ~……噂の子だよな……」
「誰か、声かけてみろよ」
コソコソと交わされる、男子生徒たちの視線。
そして、その視線を羨むように、女子たちからは、別の圧が向けられていた。
ふっと、そこにあったはずの存在感が揺らぐ。
誰かが、声をかけようとした――その瞬間。
廊下には、何事もなかったかのような日常だけが残った。
まるで、最初から誰もいなかったかのように。
「あれ……いない……」
誰かが、小さく呟いた。
その声は、喧騒の中に溶けて、消えていった。
***
「いい感じに、広まってるわね」
声に出した言葉とは裏腹に、ヘルミーナは、足取りを緩めることなく、廊下を歩き続ける。
「まさか、こんなにうまくいくとは、思っていなかったけど……」
その先には、遠くから様子を窺っていたかのように、リルベーラが立っていた。
「リル。あなたも、来ていたのね」
「た、たまたま、通りかかっただけよ」
少しとげとげしい言い方をするものの、その視線には、隠しきれない心配が滲んでいる。
ヘルミーナは、小さく息を吐いてから、続けた。
「それよりも……さっきね――
あなたに向けられていた視線の中に、少しだけ“違うもの”が混じっていたわ」
リルベーラが、わずかに眉をひそめる。
「恨み……というか。怒りに、執着が絡みついたような……そんな感じ」
その言葉を聞いたヘルミーナは、少しばかり、口角を上げた。
(ふふ……もう少しで、釣れそうね)
その表情を見て、リルベーラは、一瞬、顔を青くする。
「ミーナ……。あなた……演技していないときに笑うと……怖いわね」
二人の間に、一瞬、沈黙が落ちた。
「えっ!? うそっ!? 今まで、そんなこと言われたこと、なかったんだけど……」
ヘルミーナは、がくっと肩を落とした。
普段、周囲から見えていないヘルミーナ。
顔を見て話す相手が家族ばかりだったこともあり、誰一人として、その笑顔に言及したことはなかった。
リルベーラは、自分の言葉が、遅れて胸に刺さった。
(……違う。そういう意味で、言ったんじゃないのに)
慌てて言葉を探すが、うまく続きが見つからない。
「……ごめん。今の、変な言い方だったわね」
そう言って、そっと、ヘルミーナの方を見る。
しかし――
「えっ!? 何が!?」
目の前に、落ち込んでいるはずのヘルミーナはおらず、そこには、目をキラキラと輝かせた彼女が立っていた。
「え……あなた、落ち込んでたんじゃ……!?」
「大丈夫よ! むしろ、本音を言ってくれる友達ができたって、嬉しいじゃない。
さ、それよりも、早く行きましょ。次の目的地に」
そう言って笑うヘルミーナは、先ほどの、怖い笑顔ではなかった。
(……ちゃんと、誰かに向けて、笑えるんじゃない)
リルベーラは、小さく息を吐き、彼女の後を追った。
***
「ハハハ……次は、あの女だ」
裁縫室――
人の気配はない。
だが、部屋の奥には、灯りが一つだけ、残されていた。
作業台の上には、畳まれた布。
どれも、学園の制服と同じ色、同じ質感。
裁ちばさみを手に取ると、
その重みを確かめるように、ゆっくりと、指を動かした。
ジョキン、ジョキン……
刃が布を裂く音が、静かな室内に、不自然に響いた。
「……最近の学生は、身だしなみを“軽く扱いすぎる”」
誰に聞かせるでもない声。
「規律を乱し、噂に踊らされ、注目されることを、疑いもしない」
切り落とされた布の端が、床に落ちた。
ジョキン。
ジョキン。
乾いた音が、胸の奥まで、沈んでくる。
「そうやって、学園の秩序を乱すから……“余計なもの”が入り込むんだ」
ふと、手を止め、手に持っていた裁ちばさみを見つめる。
「……あの子も、そうだ」
刃先が、わずかに震えた。
「目立たず、学園の通りにしていれば――
綺麗なままで、いられたのにな」
制服を見つめるその目は、まるで、恋をしているかのようだった。
ジョキン、ジョキン……
音は、次第に、荒くなっていく。
「あいつらは、何もわかっていない。
服を作る大変さも、どんな思いで、作っているかも」
ジョキン……
「だから、こんなことができるんだ。こんな……こんな……ことを……」
「この学園だって、そうだ……。臭いものには、蓋をする」
切り刻まれた布の山を見下ろしながら、その口元は、満足そうに歪んだ。
「あいつも消えた。……次は、あの女だ」
裁縫室の灯りが、小さく揺れた。
「いくら追いかけても、消えてしまうから……制服を手に入れるのに、苦労したよ」
そして、どこから持ってきたのか――
一着の制服を取り出し、うっとりと見つめる。
次の瞬間。
眉間に皺を寄せ、制服を、ぐしゃぐしゃにした。
「あ、あぁ……いけない」
彼は、自分で皺にした制服を、丁寧に伸ばす。
「布は……綺麗に、しておかないとな」
それだけ言うと、今度は、裁ちばさみを取り出し――
制服に、刃を入れた。
ジョキン。
その音だけが、裁縫室に残った。




