終わったことになった日。
「なんだか、すごい人が集まってるけど、どうしたのかしら」
制服紛失事件から、数日後――。
ヘルミーナとリルベーラが学園に着くと、掲示板の前に、たくさんの人が集まっていた。
「解決したってさ」
「リルベーラ・エーデルヴァーンさんが、犯人じゃなかったのね」
「私は、最初からエーデルヴァーンさんが犯人じゃないって、思っていたわ」
安堵と、無責任な好奇心が入り混じった声が、あちこちから漏れていた。
「私たちも、見に行きましょ」
リルベーラは、ヘルミーナの手を掴むと、掲示板の前まで移動した。
すると、そこには――
―――
制服紛失事案に関する通達
学園内において発生していた制服紛失事案については、
調査の結果、当該事案に関与した者を特定し、
すでに然るべき対応を完了した。
これにより、本件は収束したものと判断する。
今後、同様の事案が発生する可能性は低いと見込まれる。
なお、本件に関し、
事実に基づかない憶測や噂話によって、特定の生徒を犯人視する行為、
または、それに準ずる言動は、厳に慎むこと。
学園としては、
これ以上の混乱や、不当な被害が生じることを望まない。
以上、周知徹底する。
―――
と、書かれた紙が貼られていた。
その紙を見て、リルベーラが、ホッと胸をなでおろした。
「よかったわね! 犯人が捕まったって……って、どうしたの? 浮かない顔して」
人だかりから抜けると、リルベーラに、笑顔が戻っていた。
と、同時に、ヘルミーナは、少し違和感があるのか、眉間に皺を寄せて考える。
「犯人って……結局、誰だったのかしら」
通達された紙には、犯人の名は、一切入っていなかった。
それに……破かれた制服については、一切、触れられていなかった。
(いくら、私が直していたといっても……全部が直せたわけじゃないだろうし、制服が破かれてたっていうのも、わかるはず……)
「ん~……そこは、書いていなかったわね。でも、よかったんじゃない? 犯人は捕まったんだし、もう大丈夫でしょ?」
「そう……ね。そうだと、いいんだけど……」
ヘルミーナは、もう一度だけ、掲示板を振り返った。
(これは、一度、お兄様に聞かないといけないわね。
――“解決したことにされた理由”を)
一度、教室に荷物を置くと、ヘルミーナは、グレインの元へと向かった。
***
「おい。本当に、よかったのか? あんな文書を出して」
生徒会室――。
生徒会長の席に座るリンデルに、グレインは、静かに視線を向ける。
その瞳には、少しばかり、苛立ちが含まれていた。
「ん~……でも、仕方がないだろ? あれしか方法がなかったんだ。うちの番犬が、今にも噂の女生徒に噛みつきに行きそうだったしね。それに……」
「……それに?」
リンデルは立ち上がると、窓から外を眺める。
これは、リンデルが、顔を見られたくないときに、よくやる手口だ。
「学園側が、深く追及するなと言ってきた」
ユグラシル学園都市は、独立国家に近い。
そのため、四か国の王権すら、ここでは慎重にならざるを得なかった。
(納得できないが……この学園に、喧嘩を売ることはできない、というところか)
リンデルの手は、爪が食い込み、今にも血が出そうなほど、強く握り込まれている。
それは、怒りか――それとも、無力感か。
グレインは、リンデルの様子を見て、それ以上、何も言わなかった。
そんな時――
「お兄様……」
耳元で、ヘルミーナの声が聞こえた。
「お、おま……!?」
あまりに突然で、グレインは、思わず大声を上げる。
リンデルも、声の大きさに驚いたのか、ビクッと肩を震わせた。
「どうした……!? そんなに慌てて」
リンデルが、グレインの方を向こうとすると……
「い、いや、な、なんでもない!! 野暮用を思い出したから、ちょっと出てくる」
それを遮って、話を続けるグレイン。
あまりの慌てっぷりに、何かあるのではないかと、ローヴァンや、セリクも、顔をのぞかせた。
「大丈夫ですか?」
「いってらっしゃ~い!」
グレインは、ヘルミーナの腕を掴むと、即座に、生徒会室から出ていった。
その後ろ姿を見ながら、リンデルは、首を傾げる。
「どうしたんだ……?」
「わからないですが……トイレではないですか?」
「あ~、あの慌て方なら、そうかも~」
二人は顔を見合わせると、それぞれの仕事に戻った。
(一瞬、あの女性が見えた気がしたが……気のせいか……)
リンデルは、グレインが出ていった扉を、少し眺めてから、ゆっくりと、目の前の書類に目を移した。
***
「お兄様……痛いです……放してください!」
グレインは、無言でヘルミーナの腕を掴むと、何も言わずに、ズンズンと進んでいく。
ガララ――。
「入れ」
たった一言なのに、怒っているのが、わかる。
(間違えたかしら……。でも、お兄様が、何かあれば来るように言ったわけだし)
それだけ言うと、腕を引っ張って、ヘルミーナを空き教室の中へと入れた。
「俺が、なんで怒ってるか、わかってるか?」
ヘルミーナは、グレインの言葉に、首を傾げた。
「ん~……特に、怒られるようなことは、していないと思うんですが……」
「ハァ……。お前……あんなところに、一人で来るのは、危ないだろ?」
「あんなとこって……生徒会室ですか?」
彼女の、何もわかっていない返答に、グレインは、さらに深いため息を吐いた。
「違う……。いや、間違ってはいないが……とにかく、あいつの前に、顔を出すのはだめだ!」
「あいつって……?」
グレインは、リンデルが探している“何か”に、ヘルミーナが引っかかっている可能性を、否定できずにいた。
話の断片を、つなぎ合わせるたびに、胸の奥に、嫌な予感だけが積もっていく。
(もし、あいつが、見える側の人間なら……ヘルミーナが、危険だ)
額に皺を寄せていく彼を見て、ヘルミーナは、きょとんとした顔で、目を瞬かせた。
「……?」
「ま、まぁ……そのことは、今はいい。それよりも、用事があって来たんだろ?」
「はっ……! そうでした。掲示板の、制服紛失事件について、聞きたいことがあったんですよ!」
ヘルミーナは、グイッと顔を近づけた。
「あの事件の犯人が、捕まったって。本当なんですか!? どこの、誰ですか!?」
ヘルミーナの勢いに、少し後ずさりしながら、目をそらして、
「……それは、言えない。今は、な」
と、小さく呟いた。
「言えない……ですか?……では、これだけ教えて下さい。今回の制服紛失事件。本当に、もう終わったと、思っていますか?」
グレインは、少し考えると、首を横に振った。
「そうですか。なら、いいです。ここからは、私一人で動きます」
ヘルミーナは、扉をガラガラと開けると、背中を向けたまま、話した。
「お兄様が、守ろうとしているものがあるのは、わかっています。
でも、その陰で、泣く人がいることも……私は、知ってしまいました」
切られた布も、
残された道具も、
あの声も――
どれ一つ、
「解決した」と、言える理由には、ならなかった。
「お兄様が、どんな選択をしても、構いませんが……私の、誇れる兄でいてくれたら、嬉しいです」
ヘルミーナは、グレインの方を見ると、微笑んだ。
その笑顔は――
もう、引き返さないと、決めた人のものだった。




