疑いの矛先。
「走って!」
中庭中に声が響く中、ヘルミーナはリルベーラの腕をつかんで走った。
「えっ……でも、ここで逃げたら、もっと面倒なことになるんじゃない?」
「そうだけど……今は逃げる方がいいわ」
ヘルミーナの手には、先ほど木の上から取ったであろう制服が握られている。
「それに……いくら騒いだところで、証拠は出ないから」
背後で、誰かの叫ぶ声と足音が重なったが、ヘルミーナは、その相手がわかっているのか、振り返ることはしなかった。
(あの声……グレインお兄様だわ)
心の中で兄に感謝をすると、近くにあった裏路地へと入り込んだ。
「リルベーラ。急に逃げて、ごめんなさい」
リルベーラは、膝に手をつきながら、息を整える。
「はぁ、はぁ……別に構わないけど……。ヘルミーナのことだから、きっと意味があって逃げたんでしょ?」
ヘルミーナは、リルベーラの言葉に目を大きく広げた。
「そんな顔するってことは……きっと、私に関係があるんでしょうね」
ヘルミーナの肩を、ポンッと叩く。
「まっ、いつか話せる時が来たら、話してよね? 私たち、と、と……友達でしょ?」
頬を赤くしながら話すリルベーラを見て、ヘルミーナは「ふふっ」と笑った。
「な、何、笑ってるのよ? それよりも……その制服、直すんでしょ? 早く直しなさい!」
「うん! すぐやるから、ちょっと待ってね!」
小さな箱から針と糸を取り出すと、すごい勢いで、破れたところを縫っていく。
(す、すごいわね……ドレスの刺繍や、制服を縫ったものを見たことはあったけど……ここまでの技術、簡単に身に付くものではないわ)
目に見えない速度で動き続ける手を見る。
そして、縫われていく制服から、ヘルミーナの顔へと視線を移した。
気づけば、周囲の喧騒が嘘のように遠のいていた。
(この子……一体、何者なのかしら……)
先ほど起こった中庭での出来事は、すっかり頭からなくなり、リルベーラは、目の前で起きている出来事に、ただただ驚いていた。
「できたぁ~!!」
縫い終わった制服をバサリと広げて、問題ないか確認をする。
その姿は、ただの年相応の学生だった。
(まぁ……友達ってことには、変わりがないからいいかな)
リルベーラは、嬉しそうにするヘルミーナを見て、少し誇らしげに笑った。
***
中庭の事件から、一夜明け――
学園内は、とある噂でもちきりだった。
「ちょっと……聞いた? 最近の制服盗難事件。実は、犯人がリルベーラ・エーデルヴァーンさんって話よ」
「それ~!! 私も聞いたわ。エーデルヴァーンさんが、切り刻まれた制服を隠そうとしているところを、見た人がいるんですって」
「えぇ~、最悪じゃない。そんなことするようには、見えないのにね」
「エーデルヴァーンさんって……確か、二年の先輩とも揉めていなかった?」
「揉めてたと思う。いつの間にか、何事もなかったようになってたけどぉ~……」
コソコソと、至る所から聞こえてくる噂。
そのほとんどが、リルベーラを犯人とする話ばかりだった。
そうした声が、いつの間にか、学園のあちこちで囁かれるようになっていた。
コンコン。
「……で? これは一体、どういうことだ? ヘルミーナ」
学園内の、とある一室――。
目の前には、鬼の形相をしたグレインが、一定のリズムで机を叩きながら、ヘルミーナを見ていた。
「グ、グレインお兄様……!? ど、どういうこととは、一体どういうことでしょうか?」
ヘルミーナの背中から、たらりと汗が流れ落ちる。
「はぁ……俺が、気づいていないとでも思っているのか? 仮にも、お前の兄だぞ?」
その言葉には、色々な意味が込められているのが、わかる。
「確かに、お前は影の薄さで言えば、天下一品だ。仕立てだって、うまい。だが、情報収集能力で言えば、俺の方が上だろうが!」
グレインは、一度目を閉じると、先ほどよりも真剣な眼差しで、ヘルミーナを見つめた。
(お兄様が、この顔をするときって……本当に怒っているときとか、裏の仕事をしている時なのよね……今回は、一体どっちなのかしら)
ヘルミーナが、違うことを考えていると、グレインは眉間に皺を寄せ、「早く言え」と言わんばかりに、圧をぶつけてきた。
「す、すみません……。たまたまなんですよ……。リルベーラとランチを食べようと、中庭に行ったら、た・ま・た・ま……破れた制服が、木に引っかかっていたんです」
制服を取ろうと木に登っていたら、一人の女生徒が来たことや、足を滑らせた瞬間、手でつかんでいたはずの制服が、風に飛ばされ、リルベーラの足元に落ちてしまったことを伝える。
「そうか……。それで? その時、何か違和感のようなものはなかったか? リルベーラが犯人になってしまうような、何かが……」
(あぁ~……お兄様は、リルベーラが巻き込まれたことが、いやだったのね……)
ヘルミーナは、少し考えると、何かを思い出したかのように、手をパチンと叩いた。
「そういえば……制服が落ちた瞬間。目の前の女性が、『やっぱり、あなたが犯人だったのね!』と叫んでいました。その後、すぐに逃げてしまったので、理由まではわからなかったですが」
それだけ伝えると、グレインは「そうか……」と、短く返事だけをする。
「どうせ、お前のことだから、今までも制服を縫ってきているんだろ? その中で、他に気付いたことはないのか?」
全て見透かされていることに、思わず心臓がドクンと跳ねる。
「べ、別に……そこまでの何かは、見つかってないですね~」
グレインは、自分から視線を外すヘルミーナを見て、呆れた顔を向けた。
(本当に……ウソを吐くのが下手だな。こんなんで、こいつ大丈夫なのか?)
(……確証がない、か)
二人の間に、一瞬の沈黙が落ちた。
「そうか……なら、今はいい。もし、証拠が見つかったら、必ず俺に報告をしてくれ。わかったな? く・れ・ぐ・れ・も! 勝手に動くなよ?」
「いったぁぁぁ~~」
グレインは、今回のお仕置きに合わせて、耳を強く引っ張った。
「ふん。これくらい、平気だろ? 必ず、一人で動かないこと。それだけは、約束してくれ。わかったな?」
少し涙目になりながら、引っ張られた耳をさする。
「はぁ……お兄様が、そう言うなら……仕方がありませんね」
叱られながらも、どこか守られているような気がして、ヘルミーナは小さく息を吐いた。




