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噂の幽霊令嬢は今日もトラブルに大忙しです!  作者: ゆずこしょう
第一章 悪役令嬢にされた日。
14/50

本当の悪役は……!?

「行くぞ。」


「ダーリン様。」


リルベーラがサロンで準備を終え、会場へ向かうと、すでにダーリンが姿を現していた。


(はぁ……最悪の相手と、最悪のタイミングで顔を合わせることになるなんて。

すごく不機嫌だし……)


「承知いたしました。」


仕方なくダーリンの腕をつかむと、それを見ていた人々が、ひそひそと話し始める。


「ダーリン様、かわいそう~……」


「あれが噂の女? 確かに目つき悪いし、ローゼンクラフトさんとは大違いね。」


「ローゼンクラフトさんに嫉妬して、階段から突き落としたんでしょ~?」


「確かに婚約者がいる相手に手を出すのはどうかと思うけど……

そこまでしなくてもいいのにね~。」


その一つ一つの言葉が、肌に突き刺さるようだった。


けれど――

反論すればするほど、事態が悪化することを、リルベーラはもう知っている。


(言い返しても……余計に助長するだけよね。)


胸の奥が、きゅっと締めつけられる。

それでも顔には何も出さず、ダーリンに気づかれないよう、小さく息を吐いた。


それが、今のリルベーラに残された唯一の武器だった。


そのまま、黙って場内へ足を踏み入れる。


「もう十分だろう。ここからは、お前ひとりで行け。」


場内に入った瞬間、ダーリンはリルベーラの手を乱暴に引き剥がし、そのまま肩を押した。


(……痛っ。女性の扱いを、もう少し学んだ方がいいわよ。)


ダーリンは何事もなかったかのように、周囲に背を向ける。


(本当に……これでトラヴァルドの王子なんて、聞いてあきれるわね。)


「黙って立っていればいいと思ってるんだろ?」


背中越しに、周囲には聞こえない低い声で囁かれる。


「どうせ、お前は家の言いなりだ。

俺に逆らうことも、ここで恥をかくことも――最初から許されていない。」


言葉は静かだった。

だからこそ、逃げ場がなかった。


リルベーラは、噛みしめそうになる唇を扇子で隠し、同時に鋭く睨む。


「ふん……そんな顔で見たって、何も言えないんじゃ意味がないな。」


鼻で笑うように言い捨てると、ダーリンはそのまま去っていった。


残されたリルベーラは、しばらくその場に立ち尽くす。


(言い返したら面倒だから、言い返さないだけなんだけど。)


本当は――

言い返して体力を削られるくらいなら、何も言わない方がましだと思っているだけだ。


(……それに、私、間違ったことしていないし……。)


その小さな確信を胸に押し込み、リルベーラは静かに顔を上げた。


その瞬間――


すっと、後ろから男の声がかけられた。


「あなたが、リルベーラさんですか?」


グレーがかった銀色の髪。

氷を少し濁らせたような、冷たい瞳。


初めて見る男性に、リルベーラは思わず首を傾げる。


「あぁ……すみません。名乗り遅れましたね。

ヘルミーナと言えば、わかるでしょうか?」


(ヘルミーナ……。)


この学園で、ヘルミーナの存在を知っている者は限られている。


その名を聞いた瞬間、リルベーラは思わず顔をしかめた。


「あぁ、そんな怖い顔をしないでください。

私はヘルミーナの兄。グレイン・スヴァルドレーンと申します。

いつもヘルミーナと仲良くしてくださり、ありがとうございます。」


「えっ!?

ヘルミーナのお兄様……ですか!?」


ヘルミーナの名を聞き、胸の奥で何かが引っかかる。


(……本当に、信じていいのかしら……?)


だが少なくとも――

目の前にいるグレインが、誰かを騙そうとしているようには見えなかった。


***


「グレイン。

わざとリルベーラに近づいて、親密そうな雰囲気を出してくれ。」


ヘルミーナは、いつもより低い声で中性的な響きを作り出す。


「え……!? 俺がやるのか……?」


ヘルンになりきったヘルミーナが、ぎろりと睨む。


(はぁ……元から俺を巻き込むつもりだったんだな。)


「あの……グレイン様、何かありました?」


リルベーラから見れば、グレインが独り言を言っているようにしか見えないのだろう。

不思議そうな顔で、こちらを見ている。


「いえ、なんでもありません。

それより、よろしければ二人で話でもしませんか?」


口元をわずかに引きつらせながら、リルベーラの手を取る。


「えっと……構いませんが、私でよろしいのですか?」


周囲を気にするように視線を走らせるリルベーラ。


噂話は聞こえづらくなったものの、完全に消えたわけではない。


「はい。むしろ、あなたがいい。

ヘルミーナの普段の話も聞きたいですしね。」


安心させるように微笑み、そのまま飲み物のある方へとエスコートした。


すると――

まるでタイミングを計っていたかのように、視界の端がざわつく。


(来たな。)


足音と気配で察し、グレインは自然な動作で一歩前に出た。


取り巻きを連れたセレーネが、歪んだ笑みを浮かべて近づいてくる。


「あら~、リルベーラさん。お久しぶりね~。

ダーリン様という婚約者がいながら、新しい男と浮気?

本当に……見境のない女ですこと~。」


距離はおよそ二メートル。


その瞬間、グレインは迷いなくリルベーラの腕をつかみ、後ろへ下げた。


「お久しぶりですね、ローゼンクラフト先輩。

それで……ご用件はなんでしょうか?」


リルベーラは扇子で顔を半分隠し、静かに微笑む。


――何も言い返さない。

ただ、逃げない。


その態度が、火に油を注いだらしい。


セレーネは、さらに歪んだ笑みを浮かべ、赤い飲み物を手に取った。


「グレイン……来るぞ。」


背後から、ヘルンの低い声が届く。


と、同時に――


バシャッ!


セレーネは、わざと自分自身に飲み物をかけた。


「「「「きゃ~~~~~~!!」」」」


悲鳴が上がり、会場の視線が一斉に集まる。


赤い液体が、頭から滴り落ち、ピンク色のドレスを染めていく。


「あなた……やっていいことと悪いことがあるわよ!

これは、さすがにやりすぎよ!」


「そうよ! セレーネ様は何もしていないじゃない!」


取り巻きたちが、我先にとリルベーラを責め立てる。


――そして。


まるで用意されていたかのようなタイミングで、ダーリンが現れた。


「おい……リルベーラ。

またお前がやったのか?」


「……」


答えない。

いや、答えられなかった。


「やったのかって聞いているんだ!!」


乾いた音が、会場に響く。


バコッ――。


衝撃とともに、視界が大きく揺れる。


(……このままだと、床に倒れる。)


目を閉じた、その瞬間。


「大丈夫か。」


低い声が、すぐ近くで聞こえた。


床に当たる衝撃は、いつまでも来なかった。


「あ、あなたは……?」


ヘルンは一度ウィンクすると、リルベーラをグレインに預け、前へ出る。


「……ずっと、この時を待っていましたよ。お二人とも。」


その瞬間――

ヘルンの瞳の奥が、きらりと光った。


(……もしかして、ヘルミーナ……?)


ゆっくりとダーリンの前へ進み、腕をがしっと掴む。


「今のは、明らかな暴力ですよ?」


「ぼ、暴力だと!?

そんなわけないだろうが!

悪いのは、浮気をしていたこいつだ!!」


リルベーラを指さし、まくし立てるダーリン。


だが、ヘルンは眉一つ動かさない。


「――“浮気”、ですか。」


静かな声だった。

それだけで、場の空気がぴたりと張りつめる。


「証拠は?」


問い詰めるでもなく、責めるでもなく。

ただ、事実を確認するように。


「……は!?」


「今の暴力を正当化できるほどの証拠が、

この場にありますか?」


ダーリンは言葉に詰まる。


「い、いや……こいつが浮気をしたから……!」


「僕は、あくまで暴力について話しています。

浮気をしたからといって、暴力を振るっていい理由にはなりませんよね?」


掴んだ腕を、離さない。


力は込めていない。

だが――逃げられない。


「それとも、“噂”ですか?」


その瞬間、周囲の視線がダーリンからセレーネへと流れた。


「浮気が原因で暴力を振るったというなら、

あなたも人のことは言えませんよね。

目の前にいるセレーネさんと、堂々と浮気をしているのですから。」


セレーネは、思わず息を呑む。


「それと、セレーネさん。

本当にリルベーラさんに飲み物をかけられたのですか?」


ヘルンはコップを手に取り、軽く振った。


「この距離で、飲み物をかけるのは無理がありますよね。」


そう言って、飲み物を放つ。


――だが。


飲み物は、セレーネには届かなかった。


「……こういうことです。

仮にも私は男ですが、それでも届かない。

女性であるリルベーラさんなら、なおさらでしょう。」


床に視線を落とす。


「グラスが割れた跡もありませんし……可能性は低いですね。」


顔を上げ、セレーネを見下ろす。


「……で。

お二人とも、他に言いたいことはありますか?」


誰も答えなかった。


否――

答えられる者が、そこにはもういなかった。


沈黙こそが、すでに結論だった。


(やばい……時間が……!?)


次の瞬間、

先ほどまでそこにいたヘルンの姿は消えていた。


残されたのは、リルベーラとグレイン、

そしてダーリンとセレーネだけ。


「へぇ……面白いね、あの子。」


その一部始終を、静かに見ていた男が一人。


――その存在に、ヘルミーナはまだ気づいていなかった。

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