新入生歓迎パーティー、開幕!
「じゃあ、私は準備があるからサロンに行ってくるわね。」
リルベーラの言葉に返事を返すように、肩をポンッと叩く。
それを合図に、リルベーラはそのまま部屋を出ていった。
「さて、と……私も準備しないといけないわよね!」
ガサガサとクローゼットの中を漁り、大きな箱を手に取る。
「久しぶりにこれを使うなぁ~」
ヘルミーナの家には、大きな秘密が一つある。
その秘密のために、家族全員が必ず身につけなければならない技術なのだ。
鏡台の前に座り、大きな箱を開く。
中から現れたのは、様々な化粧品だった。
「グレインお兄様が言うには、化粧をすると十分だけ周りから私が認識できるってことなんだけど……」
先日、その言葉だけを聞いて、そそくさとフレースヴェルグ寮を後にしたヘルミーナ。
そして今になって、肝心なことを聞き忘れていたことに気づく。
「これって、タイミングとか……自分で決められるのかしら……?」
発動条件を自分で決められないのであれば、
化粧を終えたタイミングですぐ十分が経ってしまう。
「まっ、今考えても仕方ないわよね。とりあえず化粧をしよ~っと。」
化粧箱から、使う予定のものだけを一つずつ取り出していく。
「うん、今日使うのはこんなところね。」
鏡の前に座り、ヘルミーナは一度だけ深く息を吸った。
指先は迷いなく動く。
それは「綺麗になる」ための動きではなく、
“別の誰かになる”ための手順だった。
鏡の中から、少しずつヘルミーナが消えていく。
(ふふ、前にお兄様と、どっちがかっこいい人に変装できるか……競ったのを思い出すわ。)
「よしっ! できた!」
そして、鏡の前にいたのは――
普段の、透けるような白銀の髪をまとうヘルミーナではなく、
くすんだ黒色の髪の美少年だった。
顔を上下左右に動かし、そこに“ヘルミーナ”が残っていないかを確かめる。
「我ながら、完璧だわ!」
鏡台の前から立ち上がり、もう一度クローゼットへ戻る。
パーティーで着る予定の服を選び取った。
「この髪色なら、こっちの方が似合うよね。」
そう言って取り出したのは、一着の黒いタキシードスーツ。
顔だけでなく、体型すべてからヘルミーナが消えていく。
「いい感じじゃない? これなら、リルベーラも私を見て気づかなそうね!」
カタン、と化粧箱を閉じてクローゼットにしまう。
最後にもう一度鏡の前で確認してから、扉を開けた。
「ふふ……きっとグレインお兄様も驚くに違いないわ!
っと……その前に、誰からも見られていないか確認しないとね。」
キョロキョロと周囲を見回し、誰もいないことを確認する。
ゆっくり扉を開け、そのまま外へと出た。
パーティーに参加する予定の生徒たちは、皆ドレスに着替え、楽しそうに笑っている。
「あなたのドレス、かわいいわね~。どこの?」
「その刺繍、とても素敵。もしかして……あそこのドレス?」
「あそこのドレス、人気で全然手に入らないのよね。
私も学園に入る一年前から予約したものよ。」
そこら中から聞こえてくる言葉に、ヘルミーナは自然と顔がにやけた。
「さすが王家御用達のお店よね!」
「「「仕立て屋スヴァルド。」」」
(わぁ~……ほめてもらえるのって、こんなにも嬉しいものなのね。
まぁ、作ったのはお父様とお母さまだけど。)
心の中で感謝を伝えながら、ヘルミーナは外へと歩いていく。
誰にも気づかれていないことに、胸をなでおろした。
***
「グレインお兄様!」
寮の外に出ると、すでに準備を終えた兄が待っていた。
「ヘルミーナか。今日の変装も完璧じゃないか?」
そう言って、グレインはポケットからボトルのようなものを取り出す。
「これを持っておけ。」
中には、少量の液体が入っていた。
クンクン。
蓋を開けて匂いを嗅ぐと、
グレインには似合わないフローラルな香りが鼻腔をくすぐる。
「これは……コロン、ですか?」
そう聞くと、グレインはこくりと頷いた。
「いざという時はこれを使え。
まぁ、使わずに済むかもしれないがな。」
それだけ言って、グレインは前を歩き出す。
(いざという時……ってことは、
もしかしてこの匂いが引き金になるということなのかしら?)
コロンをポケットにしまい、ヘルミーナは兄の後を追った。
「そうです。ここではヘルンと呼んでください。
グレインお兄様の一つ年上の兄、という設定でお願いします。」
少し上から目線で話すヘルミーナに、グレインは小さく笑う。
「な、なんですか……?」
「いや、なんでもない。わかったよ、ヘルン兄さん。」
(背伸びしたかったんだな……)
グレインはヘルンの肩をポンッと叩き、そのまま会場へ向かった。
「すごい人ね~。」
「おまえ、その話し方……すぐにボロが出るぞ?」
会場には、すでに大勢の人が集まっていた。
アルファルズ学園のほとんどの生徒が集まっているのだから、
全校生徒を合わせれば三千人近い人数になる。
グレインの言葉に、ヘルミーナは一度、咳ばらいをする。
「そ、そうでし……ゴホン。
そうだな。気を付けるよ。」
(お、スイッチが入ってきたか……。)
姿は見えないままでも、グレインにはわかった。
周囲の空気が、ほんの少しだけ変わったことを。
(……間違いないな。)
誰もこちらを見ていない。
だが、視線が“流れる速度”が、わずかに変わっている。
(ヘルミーナのスイッチが入ると、少し空気が変わるんだよな。)
ざわめきの中に混じる気配。
それはまだ「人」として認識されてはいないが――
確かに、そこに“何か”が立っている。
(十分持つか……いや、もしかしたら、そこまで持たないかもしれない。)
グレインは、ヘルンの横顔を盗み見る。
先ほどまでの“誰にも触れない存在”とは違う。
今のヘルンは――
世界の端に、かろうじて引っかかっている。
「……なぁ、今……」
近くの生徒が足を止め、周囲もそれに倣う。
しかし、次の瞬間。
「いや、なんでもない。」
違和感は、言葉になる前に霧散した。
(始まったか……。)
グレインはポケットの中の小瓶に、そっと指をかける。
使わずに済めば、それに越したことはない。
だが――今日は、何が起きてもおかしくない。
「行くぞ、ヘルン兄さん。」
その一言で――
新入生歓迎パーティーの夜が、静かに動き出した。




