赤いリボンの不在、そして小さな願い
ヘルミーナが一人で、兄のところに行っている頃――。
リルベーラは、これからのことについて、頭を悩ませていた。
(……今の状況を考えると、正直、あまりよくないわね……)
リルベーラは、髪を耳にかけながら、落ち着かない様子で、ゆっくりと部屋を歩き始めた。
どこを歩いていても、聞こえてくるのは、セレーネを虐めて喜んでいる、という話ばかり……。
それどころか、尾ひれや羽ひれがついて、状況は以前よりも悪化している。
「ホルト先生は、信じてくれたけど……他の先生の顔を見る限り、信じていない人の方が多い、というのは確かだわ」
相手が、ダーリンだったというのも、よくなかったのだろう。
いくら平等を掲げている学園だとしても、王族相手だと、少し変わってくる先生もいる。
特に……その国出身の先生などは、わかりやすい。
「何か……何か、いい方法はないかしら……」
リルベーラは、部屋を数歩歩き、落ち着かない手つきで、カーテンの端をつまんだ。
しかし、指先に力が入ったまま、動けなくなり、結局、ベッドの端に、ドンッと腰を下ろした。
「このまま、この学園を退学……なんてことになったら……家は、間違いなく、私を切り捨てるわ」
そして、家のことを思い出して、深く、ため息を吐く。
迷惑をかけたくない。
でも、誰かに助けてほしい――。
そんな矛盾が、胸に渦を巻いていた。
(ヘルミーナに、話だけでも、聞いてもらう?
でも……迷惑、かけちゃうかしら……)
リルベーラは、キョロキョロと、辺りを見渡すと、ドアのリボンが、青から赤に変わっているのに気づいた。
「赤いリボンってことは……出かけているのね」
リルベーラは、以前、ヘルミーナが決めた、一つのルールを思い出す。
《私がいないときは赤いリボン、いるときは青いリボンを、ドアの取っ手につけておくから、それで判断してほしいの》
これは、普段、実家にいるときや、ヘルミーナが、侍女や従者に使っているのと、同じ手法だった。
「いないなら……一人で、考えないと、いけないわね。
……一番の問題は、学園を退学になることだから……それは、避けたいわ」
リルベーラの出身国である、トラヴァルド。
トラヴァルドでは、女性貴族は、結婚のための“家の道具”として扱われる。
だからこそ、学園の卒業は、絶対条件だった。
即ち――。
退学になれば……家は、確実に、リルベーラを切り捨てるということだ。
リルベーラは、胸の奥が、ひゅっと縮むのを感じた。
「それでなくても、肩身の狭い思いをしているのに……本当に、勘弁してほしいわ」
小さく吐いた息は、どこか、震えていた。
そして、その震えを抑えるように、明るい声で、話を変える。
「あ、でも……逆に、追放された方が、自由に生活できるようになるかしら。
そ、それはそれで、いいかもしれないわね」
リルベーラが、一人で、自問自答を繰り返していれば――。
ゆっくりと、扉が開いた。
取っ手にある、リボンが、そっと、青色へと変わる。
「おかえり、ヘルミーナ!」
リルベーラは、見えていないはずの、ヘルミーナに、笑顔を向けた。
***
ヘルミーナが、部屋に入った瞬間、ぱっと、華やぐような、笑顔が、視界に飛び込んでくる。
「わわわ! かわいい~!!」
フレースヴェルグ寮から帰って、取っ手のリボンの色を、青に変えたところで、リルベーラが、思いきり、歓迎してくれたのだ。
普段は、姉御肌で、凛とした、リルベーラだからこそ、この無防備な笑顔は、破壊力が、抜群だった。
思わず、ヘルミーナが、大きな声を上げると、その声だけは、聞こえていたらしく、リルベーラが、「ふふっ」と、小さく、笑った。
「ヘルミーナは、すぐ、驚くわよね」
《普段は、驚かれる側だから……慣れていないのよ》
さらりと、差し出された、メモを読むと、リルベーラの、まつ毛が、ふっと、陰ったように見えた。
(あ……今の言い方、少し、寂しく聞こえちゃったかも)
ヘルミーナは、急いで、次の文字を、書き足す。
《でも、リルベーラみたいに、私を、ちゃんと見てくれる人が、いるから大丈夫!》
リルベーラの、表情が、ほっとしたように、柔らかく、ほどけた。
「なら、いいのだけど……
それで、あなたが、出かけるなんて、珍しいじゃない?
どこに、行っていたの?」
リルベーラの言葉を聞いて、思い出したように、ヘルミーナは、次の文字を、書き始めた。
《ちょっと、フレースヴェルグ寮にね……》
「え? フレースヴェルグ寮に、行ってたの!?
よく、入れたわね。
あそこは、厳格な人が多くて、風紀にも厳しいって、有名なのよ!?」
基本的に、一度、入寮すると、寮の行き来は禁止されている。
理由は、行事があるたびに、寮ごとの対抗戦が多く、それぞれ、派閥ができているからだ。
言ってしまえば、社会の縮図と、いっても、過言ではないだろう。
《ん~……でも、そこまで、大変じゃなかったけど?》
首を傾げながら、話す、ヘルミーナだが、その姿は、リルベーラには、見えていない。
(そうか……ヘルミーナだから、気づかれずに、入れたってことね)
一人で、納得すると、リルベーラは、そのまま、話を続ける。
「そう……まぁ、何もなくて、よかったわ。
それで? なんで、フレースヴェルグ寮に?」
《お兄様に、会いに行ってきたのよ。
ちょっと、用事があってね》
「お兄様……が、いるの?」
ヘルミーナの言葉に、驚く、リルベーラ。
同時に、瞳の奥が、少し、不安そうに、揺れる。
「ヘルミーナは……お兄様と、仲がいいのね?」
何か、含んだような、話し方に、ヘルミーナは、少し、考える。
(家族の問題が、何か、あるのかしら?
でも……あまり、踏み込むのは、よくないわよね)
《まぁまぁ、仲いいかな。
ほら……こんな体質だから。
気にかけてくれているんだと思う》
まさか、兄の話を出すだけで、ここまで、リルベーラが、落ち込むとは、思っていなかった、ヘルミーナは、空気を変えるように、そのまま、話を続けた。
《リルベーラ。
次の、新入生歓迎パーティー。
パートナーは、決まっている?》
その言葉を聞くと、リルベーラは、首を、横に振る。
「一応、パートナーは、いるけど……
会場に入ったら、一緒に、いることは、ないでしょうね……」
(パートナーは、ダーリンのことね。
卒業パーティーの時も、一人だったし……
行くまでは、仕方なく、一緒に行って、そこから先は、別行動って、感じかしら)
《なら、よかった!
その日、私は、お兄様と、行く予定だったのよ。
だから、会場に着いたら、待ち合わせを、しましょう?》
新入生歓迎パーティー。
基本的には、一人でも、参加可能な、パーティーだが、婚約者や、恋人がいれば、一緒に参加するのが、セオリーだ。
もちろん、いなければ、家族と行く人もいるし、友人と行く人もいる。
文字を読むと、ぱっと、明るくなる、リルベーラ。
「い、いいの!?」
リルベーラの言葉を聞くと、ヘルミーナは、ポンッと、肩を、一回、叩いた。
(きっと、次に、大きな問題を、起こすとすれば……
新入生歓迎パーティー、よね)
リルベーラを見て、固く、決意する。
(絶対、リルベーラの、汚名を、返上して、
あの二人を、ドン底に、突き落としてやるんだから!)
その瞬間――。
ヘルミーナの、瞳の奥で、また、わずかに、光が、揺らめいた。
――その光に、気づいたのは、リルベーラだけだった。




